見えないものを魅せる色。

あれ? 私の人生にも終わりがあるんだ…。
と、思ったことがある。
八年前の夏、家族揃って車で帰省中に、
玉突き事故に遭った時のことだ。

墨色は、灰色がかった黒のこと。
書道用具の墨が名の由来と言われ、
僧侶の常服の色や
凶事を表す色としても知られている。

事故直後、家族皆が無事であることを確認し、
追突され、ひしゃげたトランクに入ってる
衣類を整え、現金をバッグに入れた。
そして、エアバッグの飛び出た運転席に
座ったとたん、動けなくなった。

一番のけが人は私で、
股関節ねん挫、骨盤骨折していたのだ。
高速道路に到着した救急車の
ストレッチャーで運ばれ、
見上げた空は、
青い折り紙を貼ったような空。
あぁ、この空の色、忘れないだろうなぁ…
と呑気に思っていた。

病院では入院を勧められるも、
手術の必要もなく、寝ているだけなら…と、
帰宅した。
痛みはあるものの、
少しずつ歩けるようにもなり、
大したことはなかった、と思っていた。

ところが翌日から、
墨で塗りつぶされたような
真っ暗な日々になった。
むち打ち症で、ひどい頭痛と激しい吐き気が
始まったのだ。

水も受け付けず、点滴も終われば吐いてしまい、
身体の痛みと、気分の悪さで
寝ても覚めても苦しい日々。

いつかよくなるのだろうか?
このまま起きられず弱っていくのだろうか?
日ごと、気力、体力も落ちていくような気がした。

聞くのも見るのも疲れを覚えた。
光が目に入るのもつらくなり、
一日カーテンを閉めて
ベッドに横たわる日々が続いた。
暗く、静かで、夜になると、
寝ているのか、起きてるいるのか
わからなくなる。

ある夜、リビングで、夫と子供達が
三人でご飯を作り、テレビを観て、
笑っている声や食器の音が聞こえてきた。

ガチャガチャと賑やかな音。
その様子が想像できて、
とても和やかな気持ちになった。
そして、はっ…と気がついた。

これは、私がいなくなった後の世界かもしれない。

ひととき悲しんだとしても、
日常は続き、遺された家族は、
食べて、笑って、片付けて
また来る明日に備える。

その時、家族が、
身体のどこかが痛かったり、
苦しくなければ、それでいい。
痛みとか、苦しさなんか
全部引き受けても、みんなが元気で
いてくれれば、それが一番いい。

心からそう思った。
子供の時から自分が一番大事で、
わがままだった私が
どうしてこんなことを思えるようになったのか…。

「親はいっつも子のことを心配しとる。
 どうでだ言うたら、かわいいでだ
 (なぜなら、かわいいからだ)」

そんな両親の言葉を思い出した。
自分よりも大切だ、心配だ、と育てられて
知らぬ間に、その愛情は自分の中にも育まれていたのだ。
そう気づくと、涙があふれてきた。

雨は透明で、写真に撮ることが難しい。
しかし黒い背景だと、その透明な線を
撮ることができる。

幸せとか愛情…。
ふだんは、口にするのも照れくさくて
表現せず、気づくこともないけれど、
つらいこと、悲しいことが起きた時、
それは、くっきりと姿を表す。

目に見えないのに、確かにあって、
景色を、心を潤すもの。
幸せや愛情は雨に似ている。
不幸な出来事が、黒い背景となって
その姿を見せてくれるのだ。

暗闇の中、そんなことを一人
思い巡らせていた。

トンネルの中にいるような日々も、
目指す光が少しずつ大きくなって、
ゆっくりと回復していった。

暗く、苦しい時間だったけれど、
事故に遭わなければ気づかなかったことがあり、
それは、その後の生き方を
確実に変えたと思う。

起こることは必然。
墨色の水に落ちた一滴の水でさえ、
命の美しさを教えてくれている。