声を彩る色は何色?

台風の翌日、
近所の畑の木々に鳥が集まり、
賑やかに鳴いていた。

美人祭(びじんさい)色は、
明るく淡い紅色。
美人瞼色も、ほぼ同じ色とあり、
おそらく遠い昔の美女の瞼を彩る色
だったのかもしれない。

先日、このブログの拙文を、
友人が朗読してくれた。

朗読会での動画を見せてもらった。
女性らしい声の友人が、
時に少年ぽく登場人物にあわせて、
声のトーンや強弱を変えながら、
生き生きと、
臨場感たっぷりに読んでくれていた。

単調な文が呼吸して、
色づけられた気がした。
私が書いたものではなく、
別の物語に聴こえた。

声の音色、調子のことを
声色(こわいろ)という。
感情によって、
明るくなったり、暗くなったり、
低く高く、重くなる声の色。

それを見事に使い分けて、
登場人物の気持ちを表し、
地の文の味わいを豊かにし、
盛り上がりをつけていく…。

それまで知らなかった朗読という世界の
深さ、広がりに、驚き、感動した。

振り返って、私は自分の声を
そんなふうに表情豊かに使っているだろうか、
と考えてみた。

私の声は、出欠確認や面接の時、
初対面の人には「え?」と
改めて顔を見られるほど、
太く低く、愛嬌も華もない声だ。

たぶん、嬉しい時に少しだけ高くなるくらいで、
言葉を誰かに届ける時に
声音について考えたことはなかったように思う。

嬉しい時、喜びを伝えたい時、
そして、誰かを強く励ましたい時、
心の内に、この「美人祭色」を描いて
一番いい声音で声かけることができたら。
少しは、気持ちも伝わるのかもしれない。

台風が過ぎて、賑やかに鳥が鳴く様子は
きっと「生きてるかー」「元気だよー」と
交信しているんだね、と友人と話した。

そう思って聴くと、鳥の声音も
美人祭色に華やいだ。

発する時だけでなく、
聴く時も、声音の彩りを想うことの
大切さを知ったのだった。

たたかう手のひらの色。

「手のひらを太陽に」
という歌が好きだ。
夏の陽射しに手のひらをかざすと、
真っ赤に流れる血潮が見える気がした。

猩々緋(しょうじょうひ)色は、
鮮やかな赤色。
猩々とは、中国の伝説上の猿に似た生き物で、
赤い体毛を持ち、その血がとても赤いことから、
猩々緋という名がつけられた。

力強い命の色。

小学四年の夏、
羽がちぎれて、ひっくり返り、
風に吹かれている小さなトンボを見つけた。

かわいそうに思って、空き瓶の蓋に
砂糖水を含ませた脱脂綿を置いて
ちょこんと乗せてみた。
必死につかんで砂糖水を飲むトンボに
強い生命力を感じた。

人に踏まれないように、
玄関先の植木鉢の上にそれを乗せて
元気に明日は飛んでいくかなぁ…と
願って眠った。

朝になって、トンボを見て驚いた。
トンボは砂糖水に集まったアリに
真っ二つにされて、植木鉢に作った
巣に入れられようとしていた。

羽がちぎれ、飛ぶこともできず、
砂糖水さえなければ助かったかもしれないのに!

残酷なことをしてしまった自分を責めた。
悲しかった。
襲われる瞬間のトンボの気持ちを思うと、
怖かった。
そんな恐ろしさと後悔で、
植木鉢の前で沈んでいる私に、父が
「せいぞんきょうそうだ」
と、静かに言った。

意味は全くわからなかったけれど、
その言葉を宿題の日記に書き留めている。
翌日は「強い者だけが勝つのか?」と
書いて、先生には提出しなかった。

夏の赤色がどんどん淡くなっていく。
太陽もやさしい光になって、
手をかざしても、もう突き抜けるような
強さはない。
「氷」や「ラムネ」の赤い文字の旗も、
街からひっそりと消えてゆく。

季節はめぐってゆく。

あの日、トンボは、砂糖水がなくても
ゆっくり命は消えていったのかもしれない。

生存競争の「競争」は、弱肉強食のような
奪い合い、戦いだけではないと
最近になって知った。
動物であれ、植物であれ、
命そのものが、いかに生き延びるか
同じ生きもの同士それぞれに競い合い、
進化するために、弱いものは負けて
消えてゆく。
それも生存競争なのだと。

私は進化してるのだろうか。
根気がなく、気が弱く、体力もそれほどなく、
競争に勝てるとは到底思えない。

太陽に向かって広げた手のひらを、
力強く、ぐっと握ってみる。

何ができた、とか、できる、というものも、
いまだにないけれど。

私は私の手ですることを信じよう。
誰かがしたことを黙って借りたり、
盗んだり、ズルをしない限り、
それは私の競争に勝ったことになる。

自分の力でやってみること。
それを続けること。やめないこと。
そうすれば、やがて自分のやり方が見つかる。
何かが生まれる。

時々、自信をなくしたり、
忙しさに、続ける意味が見つけられなくなったりするけれど。

そんな時は、ぐっと握り拳を見つめて
たぎる血を思おう。

戦国時代、武士たちは猩々緋の布を用いて
陣羽織を仕立てたという。

戦国の武士の想いになって、小さく勝鬨をあげて
自分を鼓舞するのだ。

生きていく限り、私の生存競争はつづいてゆく。

夏の終わりの、泡の色。

八月三十一日の日記には、
不安と焦りを思いつくまま、
書きなぐっている。
高校三年生の夏。

琅玕(ろうかん)色は、
明るく渋い緑色。
琅玕(ろうかん)とは、
宝石・翡翠(ひすい)の中でも、
とりわけ美しく半透明のもの。

父から「進学をあきらめてくれ」と言われたのが、
高校三年の春。
目の前が真っ暗になった。

進学をあきらめたくなくて、
ポーズだけでも、と部屋にこもって勉強した。
幸い、金銭的に目処がつき、
期末テストの終わる頃、
進学してもよし! となった。
ただし二年間。短大のみ。

本当は四年制大学に行きたかったけれど、
進学できるだけでも
嬉しくて嬉しくて、
うんと勉強する! と心に誓った。

が、そこでやって来た夏休み。
海が有名な観光地であるゆえに、
街全体がザワザワと浮かれ始める。
街が、人が、
夏の陽気に包まれていく。

夏期講習や塾の帰りに、
息抜きと称して友達とおしゃべりを楽しんだ。
涼しげなソーダの色は
鮮やかで澄んだ琅玕(ろうかん)色だった。

夏休みは、毎日会えない分、
友達との話も濃厚になる。
ついつい…のおしゃべりも尽きず。

今日遊んでも、明日がある。
長い休みは、心を楽しくゆるませていた。

そして、模擬テスト。
惨憺たる結果を見て、
どうしよう…と、後悔に苛まれた。

七月の終わりに、奨学金貸与の面接試験があった。
集まったのは、それまであまり話したことのない、
成績優秀な同級生たち。
待ち時間に、初めて話す彼ら彼女らは、
しっかりと将来を見据えて、
様々なことを調べ、
準備していると知り、驚いた。
とても賢く、かっこよく見えた。

一方、志望校も決まらぬまま、
模擬テストの結果に一喜一憂する自分は、
子供っぽく、愚かな人間に思えた。

美しい琅玕(ろうかん)は、
身分の証明でもあり、
決意の固さを示すものであったという。

進学してもよし! となった時の自分は、
両親が喜んでくれるような学校に行く!
そう決めていたのに。
何になりたいのか、
何になりたかったのかもわからなくなっていた。

夢は、琅玕(ろうかん)の毅然とした輝きではなく、
ソーダの泡のように淡く消えるものになっていた。

八月の終わりになると、
友人たちが、電話や手紙や立ち話で、
その夏のことを話してくれた。
それは、恋愛相談であったり、
恋が終わった報告だったり。
みんな、それぞれの夏があったんだな、と
日記に書いている。

面接で一緒になった同級生も、
恋をしていた友達も、
みんな悩みながら、夏休み前よりも
前進している気がした。

一方、私は何もなかった。
成績は上がらず、
ときめくようなこともなく、
一学期のままの自分。

そんな不甲斐なさを、
取り残されて行く焦りを、
日記に書きなぐっていた。
「みんな大人になって行く」と。

日記はその後、一ヶ月に一度となり、
受験結果は二校不合格になり、
自分の愚かさを散々思い知って、
二月で終わっている。

挫折を知って、の最後の一行。
「去年の私よりも、大人になっているのだろうか」。

大人のベテランとも言える歳になっても、
夏になると、この問いかけが胸によぎる。

その時、目に浮かぶのは、美しい琅玕(ろうかん)色。
翡翠になれなかった、ソーダの泡の色だ。

小さな憧れが、光る色。

子どもの頃、夏休みの数日を、
京都の伯父の家で過ごした。
歳の近い二人の従姉妹と、
遊ぶのが楽しみだった。

承和色(そがいろ)は、少しくすんだ黄色。
平安初期の仁明天皇が好んだ色で、
天皇治世の年号が「承和」だったことから、
この名がついた。
年号の読みから「じょうわ色」ともいう。

伯父は、若い時から「嵯峨野に家を建てる」ことを
目標にしていた。
そして、私が小学校の時に、その夢を叶えた。
初めて新居に訪れた時、
白い壁が太陽の陽射しを受けて、
眩しい黄色に発光して見えた。

その夏に、初めて渡月橋へ五山送り火を見に行った。

橋に着くと、従姉妹と三人、
大人たちから離れて
送り火のよく見える場所を探した。
人垣の間から覗く、大文字…の
予定だった。
が、暗くなるほどに、
目の前の浴衣姿のカップルが
肩寄せ合い、
ぎゅっと手を握りしめていていて、
送り火など見ていられなくなった。

目に入るのは、
女の子の浴衣、紺地に咲く承和色のひまわり。
暗闇に浮かび上がるのは、
送り火よりもひまわりになってしまった。

帰り道、おませな三人は、
ぽ~っとなっていて、
「どうだった?」「きれかったやろ?」
という伯父の問いかけに、うまく応えられず、
がっかりさせたのも、今思うと申し訳ないことだった。

その夜、興奮して眠れず、
三人で「来年は浴衣着たい!」と
熱っぽく話した。
今日見たお姉さんのように、
かわいい浴衣を着て、
大文字送り火を見るのだ!
と、幼い心で決意していた。

気の合う従姉妹だったけれど、
時折、やはり自分とは違う都会の子だ、
という気遅れすることがあった。
彼女たちが持っているものは、
私の街にはないものばかり。
引き出しから取り出して
見せてくれるものは、
いつも驚きと憧れがあった。

不思議な色を放つ鉛筆のキャップやスーパーボール。
ビー玉のようなアクセサリー越しに
窓の外を見ると、景色がいつもと違う色に見えた。

嵯峨野の良さは、さっぱりわからなかったけれど、
都会はいいなぁ、と、ガラス玉越しに
街の景色を見つめていた。

あの時感じていたことは、故郷を出て、
「嵯峨野に家を建てたい」と強く思った伯父の
気持ちに少し似ている気がする。

私の街になくて、この世界にある、
素敵なものをもっと見たい、手にしたい。
手が届きそうで届かないものに憧れていた。

承和の時代、黄色は、身分の低い者が
着る色だったという。
それを愛し、周りに集め、
時に好んで着たという帝の想い。
人は、自分には与えらないもの、
簡単には手に入れられないものに
憧れるのだろうか。

あの時、どうしても都会に住みたい! という私の願いは
今、叶えられているのかもしれない。

なのに、時々、無性に帰りたくなる。
いれば出たくなり、出れば帰りたくなる。
生まれた街は、制御できない糸で、遠くから私を操っている。

そんな私だから、未だに夢をカタチにできていない。
若くして夢を実現した伯父に比べれば、
甘ったれた決意の果てと笑われても仕方ない。
けれど、まだ、諦めるのは早い。
強く想うことは、叶うと信じていたい。

真夏の陽射しに焼かれても咲くひまわりのように、
目標から、目を離さないように、
眩しい太陽をまっすぐ見つめ続けていよう。

すっぱさが広がる色。

久しぶりに食べてみたくなって、
「お取り寄せ」をしてみた。
ふっくらとした、
懐かしい色の梅干しを。

蘇芳(すおう)色は、くすんだ赤。
蘇芳(すおう)とはマメ科の植物で、
それを用いて染めた色であることから
この名がつけられた。

「すおう」という響きにも、
酸っぱさを感じて、
この色を見ると梅干しを思い出していた。

母は、毎年、梅を漬けていた。
家業の機織りをしながら、いつどんなふうに
干したり漬けたりしていたのか、
見た記憶はない。
けれど、毎年、蘇芳色に見事に染まった梅干しが
食卓に上った。

梅干しのついでなのか、
梅酒も作っていた。

高校三年の時、テストの一夜漬けが続いて、
目が冴えて眠れない夜に
初めて梅酒を飲んでみた。
最初の一杯は、薄めを恐る恐る。
── 全く眠くならない。
二杯目は、もう少し濃く。
三杯目は、さらに濃く。
四杯目からは、氷だけのグラスに梅酒…。
すっかり気分良くなり、
高らかに笑いながら部屋に帰り、
ぐっすりと眠った。

これは、とんでもない大酒飲みの誕生だと
父を震え上がらせた。

いつも台所の隅には、
梅の漬かった大きな瓶が並んでいた。
病気の時は、おかゆさんに。
遠足のおにぎりに。
梅干しは、優しい常備薬のような
頼もしい食べ物だった。

七月の暑い日に、父が急逝した。
弔問に来てくれた近所に人たちに
母が「今年は漬けた梅干しにカビが生えたから…」と
話していた。
当時、私は知らなかったけれど、
梅干しにカビがはえるのは「不吉な兆候」
とされているものだった。

それ以来、梅干しは悲しい食べ物になった。

母はその後も梅を漬けていた。
大きな瓶が遠く離れた街に住む
私のところに届けられた。
赤紫蘇に漬かった梅干しは、棚の奥にしまい
やがて少しずつ古漬けの茶色になっていった。

「蘇芳の醒(さ)め色」という言葉がある。
鮮やかな色なのに、褪せやすい特徴があり、
褪せた色も含めて、この色の味わいであるという。

子供の頃、瓶を眺めても美しかった
蘇芳色の梅干し。
茶色に褪せたものは、
口にすると、どこか頼りないような酸味が
また悲しかった。

先日、友人たちと湘南へ行った。
初夏の暑い日に、海を眺め、浜辺を歩いた。
まだ暑さに慣れておらず、
大量の汗と強い陽射しは、身にこたえた。
そこに、友人が小梅の袋を開けて、
「はい !」と
差し出してくれた。
口に入れると、程よい酸味が広がって、
身体にいいものが入りましたよ、
と、力を注がれたような喜びがあった。

遠足のおにぎりに入っていた梅干しを思い出した。

たくさん歩いて、いっぱい笑って、
そして、差し出してくれた袋から小梅を取り出す。
すっぱーいっ! と言いながら、また大笑いしていた。

「ええ塩梅だ」は、その年の梅の
つけ具合を確認する言葉だった。

結局、梅を漬けることのない大人になってしまったけれど、
悲しいことも、嬉しいことも、
共に味わい、ええ塩梅に人生を楽しんでいる。

取り寄せた梅干しは大当たり。
好きだった酸味と口当たりを、
思い出させてくれる味だった。

暑さの中、
鮮やかな蘇芳色の梅が、
「ほら、元気出して!」
と、再び、日々の食卓に上っている。

見えないものを魅せる色。

あれ? 私の人生にも終わりがあるんだ…。
と、思ったことがある。
八年前の夏、家族揃って車で帰省中に、
玉突き事故に遭った時のことだ。

墨色は、灰色がかった黒のこと。
書道用具の墨が名の由来と言われ、
僧侶の常服の色や
凶事を表す色としても知られている。

事故直後、家族皆が無事であることを確認し、
追突され、ひしゃげたトランクに入ってる
衣類を整え、現金をバッグに入れた。
そして、エアバッグの飛び出た運転席に
座ったとたん、動けなくなった。

一番のけが人は私で、
股関節ねん挫、骨盤骨折していたのだ。
高速道路に到着した救急車の
ストレッチャーで運ばれ、
見上げた空は、
青い折り紙を貼ったような空。
あぁ、この空の色、忘れないだろうなぁ…
と呑気に思っていた。

病院では入院を勧められるも、
手術の必要もなく、寝ているだけなら…と、
帰宅した。
痛みはあるものの、
少しずつ歩けるようにもなり、
大したことはなかった、と思っていた。

ところが翌日から、
墨で塗りつぶされたような
真っ暗な日々になった。
むち打ち症で、ひどい頭痛と激しい吐き気が
始まったのだ。

水も受け付けず、点滴も終われば吐いてしまい、
身体の痛みと、気分の悪さで
寝ても覚めても苦しい日々。

いつかよくなるのだろうか?
このまま起きられず弱っていくのだろうか?
日ごと、気力、体力も落ちていくような気がした。

聞くのも見るのも疲れを覚えた。
光が目に入るのもつらくなり、
一日カーテンを閉めて
ベッドに横たわる日々が続いた。
暗く、静かで、夜になると、
寝ているのか、起きてるいるのか
わからなくなる。

ある夜、リビングで、夫と子供達が
三人でご飯を作り、テレビを観て、
笑っている声や食器の音が聞こえてきた。

ガチャガチャと賑やかな音。
その様子が想像できて、
とても和やかな気持ちになった。
そして、はっ…と気がついた。

これは、私がいなくなった後の世界かもしれない。

ひととき悲しんだとしても、
日常は続き、遺された家族は、
食べて、笑って、片付けて
また来る明日に備える。

その時、家族が、
身体のどこかが痛かったり、
苦しくなければ、それでいい。
痛みとか、苦しさなんか
全部引き受けても、みんなが元気で
いてくれれば、それが一番いい。

心からそう思った。
子供の時から自分が一番大事で、
わがままだった私が
どうしてこんなことを思えるようになったのか…。

「親はいっつも子のことを心配しとる。
 どうでだ言うたら、かわいいでだ
 (なぜなら、かわいいからだ)」

そんな両親の言葉を思い出した。
自分よりも大切だ、心配だ、と育てられて
知らぬ間に、その愛情は自分の中にも育まれていたのだ。
そう気づくと、涙があふれてきた。

雨は透明で、写真に撮ることが難しい。
しかし黒い背景だと、その透明な線を
撮ることができる。

幸せとか愛情…。
ふだんは、口にするのも照れくさくて
表現せず、気づくこともないけれど、
つらいこと、悲しいことが起きた時、
それは、くっきりと姿を表す。

目に見えないのに、確かにあって、
景色を、心を潤すもの。
幸せや愛情は雨に似ている。
不幸な出来事が、黒い背景となって
その姿を見せてくれるのだ。

暗闇の中、そんなことを一人
思い巡らせていた。

トンネルの中にいるような日々も、
目指す光が少しずつ大きくなって、
ゆっくりと回復していった。

暗く、苦しい時間だったけれど、
事故に遭わなければ気づかなかったことがあり、
それは、その後の生き方を
確実に変えたと思う。

起こることは必然。
墨色の水に落ちた一滴の水でさえ、
命の美しさを教えてくれている。

会いたい本に、出会う色。

長年使われて、表面が滑らかになった木に触れると、
小学校の図書館を思い出す。
書架、貸出カウンター、図書カードの棚…。
どれも木の手触りが、優しくて、心地よかった。

礪茶(とのちゃ)色は、赤みがかった茶褐色。
“礪(との)”は、刃物を磨く、
目の粗い砥石のことをいう。

流れた月日に磨かれたような、
礪茶(とのちゃ)色あふれる図書室。
ぐるりと三方にある大きな窓からは、
中庭の緑が見えて、明るく、吹く風も心地よかった。

ただ、全学年の本を網羅するには
狭すぎる書架に、読みたい本はなかった。

私の読みたい本はどこにあるのだろう?

そんなことを考えながら、
本に囲まれた空間にいて、
すべすべとした木に触れながら、
ぼんやりするのが好きだった。

中学、高校の図書館は、
ガリ勉と思われたくなくて
ほとんど行くことがなかった。

当時の日記を読むと、
くよくよしたり、イライラしたり、
支えになる言葉が見つからない苦しさに満ちている。

大阪にある中之島図書館に行ったのは、
短大二年生のとき。
立派な建物に気圧されて、
オロオロしながら、閲覧室の席に着き、
ふと顔を上げた時、ドキッとした。

斜め向かいに座っているのは、
校内で時々見かける、四年制大学の同級生。
人目を引くほど美しい男の子だった。
話したこともなく、相手は私のことを
知っているはずもないのに、見つからないように
隠れるほど、ドキドキした。

重厚で歴史感じる立派な建物、家具、設備、
周りは皆、洗練された人たちに見え、
さらにその同級生まで現れて、
念願の中之島図書館デビューの日は
緊張のあまり何をどうしたのか覚えていない。

その後、何度かその図書館も通い、
落ち着いて調べ物もできるようになった。
同級生の美しい彼とも、その後、
話す機会に恵まれ、会釈しあう友達になれた。
感じもよく、眺めのいい人だったけれど、
親しくはならなかった。

たくさんの人と友達になった。
失恋もした。
気づけば、いつも手もとに本があった。
悩む心、悲しい気持ちに、
しっくりと寄り添ってくれる言葉が
本の中にあった。

我ながら、よく読んだと思う。
けれど、読んだはずでも、
すっかり忘れてしまった本もある。

出会っても、親しくなる人、
深く関わることなく通り過ぎる人が
いるように、
本の出会いにも濃淡がある。

難しかったり、長編であったりして、
挫折しそうになりながら
意地になって読んだのに、
全く内容を思い出せない本がある。
その記憶は、どこに行ってしまったのだろう。

遠い日の夢のように、もう思い出せない本も、
ものを考えたり、言葉を発している時に
ひらひらと現れたりして、
私の中の一部になっているのだろうか。

心の中で砥石となって、
私の中の粗い部分を磨き、削り、
まろやかにしてくれていたら嬉しい。

どんなに素晴らしい本を読んでも、
そのようには生きられないように、
主人公の言葉を、自分の言葉にはできない。

けれど、感動は伝えられる。
伝えようとする時、言葉は自分のものになり、
誰かの力になることも知った。

小さな図書館から始まった本との出会い。
大人になり、欲しい本は買えるようになった。
それでも、やはり図書館は、
行きたいところに変わりはない。
本屋ではもう買えない、
出会うべき本が棚の中で待っている気がするから。

私の読みたい本はどこにあるのだろう?

そう心でつぶやく時、ぐるりと窓に囲まれた
礪茶(とのちゃ)色の心地よい空間が胸に広がる。

移りゆくけど、褪せない色。

三十数年ぶりに、大阪の学生時代、
お世話になった方達と集まった。
週末の渋谷は、個性豊かな人いきれ。
紫陽花のように、群れながら、あちこち違う色が咲いていた。

移し色は、明るい青紫色。
露草の絞った色を布に移すので「移し色」と言い、
また、変色、褪色が激しいことから
「心移り」を連想してつけられたとも言う。

露草ほどの速さではなくても、
街も変わり、人も変わる。
それでも、行きたい街、会いたい人がいる。

その日集まったのは、短大時代のクラブの
関東在住OB、OGメンバー。
私が所属していた語学系のクラブは、
同じキャンパスの四年制大学と短大の学生が
一緒に活動することができた。
おかけで、短大生でありながら、
多くの先輩や仲間と知り合え、
とても充実した楽しい2年間を過ごせたのだった。

貧しい知識、乏しい語学力でありながら、
ただ楽しみたいという無鉄砲な情熱で続けた2年間。
時に叱られ、教えられ、厳しくも明るく楽しく
導いてくれた先輩方に会えるのが、
少し緊張しつつも楽しみだった。

数々の失敗が思い出され、一人苦笑いしていたら、
道に迷い、先輩に探し来てもらうという早速の失態。
相変わらず世話の焼ける後輩のまま、
遅刻して店に着いた。

「五分前集合よ」
と、優しくたしなめられたのも懐かしい。
席に着いた途端、三十数年前と、現在の話題が
入り混じって楽しい会話が始まるのも
SNS時代のおかげだろう。

遅れて来た先輩が、背中をトンと叩いて、
懐かしいあだ名で呼んでくれたのも
昔のままで、嬉しかった。

二次会は、昭和レトロな店に移り、
学生時代過ごした街の話になった。
今は、再開発で街の景色も変わり、
キャンパスも移転して、私たちがいた頃の校舎もない。

それでも、あの店のあのメニュー。
あの店の主人、バイトしてた人。
あの道をまっすぐ行ったところにあった下宿。
などと、一つ一つたどるように話していくと、
街が、キャンパスが、くっきりと蘇った。

もう今は、ないのだけれど、
そこに確かにいた私たちが思い描けた。

ふと気づくと、22時。
下宿の門限の時刻だった。
門限を過ぎると、怖い下宿のおばちゃんが鍵をかけてしまう。
なので、ぐるりと囲まれた高いフェンスを、
見つからないよう、そ〜っと乗り越えて、
擦り傷を作りながら帰宅したものだった。

あの頃は、各下宿へと男子部員が送ってくれたな。
そんなことを思い出しながら、駅に向かう。
それぞれが違う色の電車に乗るべく、
一人、また一人、と、別れていった。

渋谷の交差点で、もう一度振り返って、
去って行った先輩に手を振った。
目の前に広がるのは、
鮮やかなネオン、信号、車のライト、
人々の着飾ったファッションの色など、
眩しいほどの豊かな色のバリエーション。

学生時代に、こんなふうに大人になって
再会して、大都会の交差点で大きく手を振って
別れることなど想像もしなかった。

移り変わった色は、美しく、嬉しく、楽しく、
そして、ちょっと寂しくて
愛しいものだった。

思い出は色褪せていくけれど、
胸に残って、新しい思い出が別の色を
添えていく。
散り散りに散って行った人も、思い出も、
また会えるという喜びに輝きながら。

中からは見えない色。

銀座のギャラリー前で声をかけられた。
作品を見ていってくれと言う。
そんなふうに誘われて、
一目ぼれした絵があったことを思い出した。

青袋鼠(せいたいねず)色は、
淡く渋い青色。
水色に少し墨を加えた、
明るい灰色とも言われている。

学生時代、大阪・本町の雑居ビルで
アルバイトをしていた。
教材の訪問販売の会社で、
営業マンが、セールスに回るために使う
地図をコピーをとるのが私の仕事だった。

学生アルバイトは私一人。
なんとなく気詰まりなので、
昼休みは外で一人、パンを食べたり、
オフィス街のランチタイムの様子を
眺めながら歩き回っていた。

ある日、ギャラリーの前で一枚の絵に
目が止まった。
深い緑の森の中、鶸色の小鳥が一羽、羽根を休めている。
静かで、清らかな時を感じられる絵に心奪われた。

あまりに見入っているので、
中に入ってゆっくり観るように声かけられた。
そして、ローンでの購入を勧められた。
「一日、珈琲一杯分のお値段で買えますよ」。

珈琲一杯飲むお金もない貧乏学生なのに、
なんとかならないかと考えてしまうほど
その絵が欲しくなっていた。

とはいえ、その日は、後ろ髪引かれる思いで
ギャラリーを後にし、オフィスに戻った。

午後、迷い悩んで、ぼんやりしている私に、
営業部長が、外出に同行するように
言って連れ出してくれた。

部長は、歳近い娘さんがいることもあって、
私のことを、おもしろがりながら、
気にかけてくれていた。

用事をすませて、喫茶店に入ると、
微笑みながら、
何があった? と、訊いてくれた。

絵の話をした。熱っぽく語ったと思う。
すると、部長は厳しい表情で、
「これ、知ってるか?」と、
鞄から会社四季報という分厚い本を取り出した。

就職活動を目前にしながら、その本の存在も
知らなかった私に、くっくっ…と笑いながら、
「ここに載ってる会社のことくらいは
知っておきなさい。
これは、社会の地図みたいなもんや。
営業マンも地図がないと
どこにおるのか、どこに向いて行くのか
わからんようになるやろ。
それといっしょや。
今、買うべきは絵やない、地図、この本やな」。

返す言葉もなかった。
時給とほぼ同額の一杯の珈琲は、苦かった。

絵に恋わずらいした時間は、それでおしまい。
少し気も晴れて
部長といっしょに帰る白いビルは、
改めて眺めて見ると、古びていて、
少し濁った青袋鼠色だった。

「もっともっと世の中のことをちゃんと知りなさい。
本も、新聞もしっかり読んで、勉強しなさい。
うちのような会社におったら、あかんよ」
部長は、そう言って笑った。

ビルの内部の壁もひび割れて、汚れが目についた。
けれど、ずっとその中にいたら、
それを白色だと思い込んでしまうのかもしれない。
バイトを辞めよう、と思った。

銀座のギャラリーでは、
熱心な営業トークを聴かされた。
絵には心動かされなかった。
今、あの一目ぼれした絵に再び会ったら
どう思うだろう。

多分、今なら、あの絵には惹かれない。
学びと出会いと経験から、
「好き」の感覚も自分なりに磨かれたと思う。

あのビルにいた頃の私は、
青い袋の中にいた鼠。
そして今、袋から出て、青袋鼠の空を見上げている。
それは、袋の中にいては見えなかった
いいことも悪いことも混ぜてできた、味わいのある色だ。

“た“とする色を、たどってみたら…。

「あなたの存在を多としております」。
どこで見つけたのか、手帳に書き留めておいた言葉。
「多(た)とする」とは、
「ありがたく思う」の意味。

紅絹(もみ)色は、鮮やかな黄色がかった紅色。
黄色で下染めしたものを紅花で染めた色で、
花をもんで染めることから、この名がついた。

久しぶりに幼なじみの友人から電話があり、
近況報告しあった。
連休前に富山に行ったことを話すと、
友人も、来月、富山へ行くと言う。
「どこへ行ったの?」
「どこに行くの?」
やや興奮気味にお互いに質問し、
雨晴海岸!」
と、同時に答えたのも、おかしかった。

それまで二人とも、富山へ旅行したこともなく、
「富山に行く」と話したこともなかったのに、
遠い街で、偶然、同じ時期に同じ場所に
思いを馳せていたのだ。
雨晴海岸はもちろん、
黒部峡谷のトロッコ列車も勧めておいた。

ずっと乗ってみたかったトロッコ列車は、
残念ながら、この春の運行が始まったばかりで
まだ短い距離しか乗れなかった。
けれど、列車から見た景色だけでなく、
駅周辺もあちこち歩いてみると
峡谷ならでは迫力と自然美に
心惹かれた。

緑に映える橋は、紅絹色。
鮮やかでやさしい、とても自然に馴染む色。
トンネルの向こうの、見えないどこかへ向かう
紅絹色の橋は、展望台から眺めると赤い糸に見えた。

いつか結ばれる相手とはつながっているという
「赤い糸」。
それは、男女だけでなく、友人や、土地や仕事、
さまざまなものとつながって、
何本もあるのではないかと思う。
今は見えなくても、遠いところでつながっている。
そう思うと、未来はまだまだ楽しく希望に満ちている。

富山を走る鉄道は「あいの風とやま鉄道」。
あいの風とは、
日本海沿岸で、東から吹くほど良い風のことをいうらしい。
「愛の風」「会いの風」にも聞こえて
耳にするたびに心温まる想いがした。

話しかけた人、乗り遅れそうになった列車で
親切にしてくれた人、皆、やさしい人たちだった。
だから、あいの風吹く富山は、
さまざまな人たちの赤い糸を引きつけて、
招いてくれてるように思える。

昔、占いで
「あなたの人生を変えるきっかけは旅です」とあり、
よくある話だなぁ、と、軽く受け流していた。
けれど、今回の旅の後、小さな変化がいくつかあって、
自分の気持ちも、風向きが変わってきている気がする。

そして思い出した、
「あなたの存在を多としております」という言葉。
これまで関わってきたもの、新たに出会ったものが、
全て「多としております」という想いになって、
旅の後の自分がいる。

少しあきらめそうになっていたことも、
全くできそうにないと思い込んでいたことも、
細くても、強い糸になって、
初夏の空に、ぱっと紅絹色を散らすように飛び始めた。

その糸をたぐりよせながら、
強い風にも、激しい雨にも、
流されず立っていられるよう、
力をつけて、笑っていよう。
いつか私も、
誰かの「多とする存在」になれるように。