散る花びらのゆくえ。

旅先で見た一瞬の光景が、
忘れられないことがある。

一斤染(いっこんぞめ)は、
紅花で染めた淡い紅色をさす。
一疋(いっぴき・二反)を
わずか一斤(約600グラム)で
染めることから、この名がついた。

平安時代、濃い紅花染めは
高価であるため、身分の高い人しか
使用の許されない「禁色」だった。

しかし、うすい紅色ならば、
低い階級の人々も使用が許されたため、
色の薄さを量的に示した
「一斤」をつけた
一斤染の色が生まれたのだ。

当時の人々は、少しでも濃い紅色を
使いたいと願い、憧れたという。

つまり、一斤色は、
人々の要望から生まれたのではない、
身分による線引きの色と言えるかもしれない。

時は流れて、今、一斤色を見ると、
紅色よりも、ひかえめな優しい色合いに
心和み、安らぐ気がする。

桜の花も、二分咲きあたりだと、
空の色によって色味が淡く、はかなげに見える。
満開になる頃に、花全体が
大きく膨らむように一斤染へ染まっていく。

去年の春、富山を旅した時、
桜の時期は過ぎていた。
桜はもう見られないものと思っていた。

ところが、宇奈月温泉駅へと向かう列車で
ぼんやりと窓の外を眺めを見ていると
美しい緑色の自然の中、
一本の満開の枝垂れ桜を見つけた。

雄大な景色の中に、たっぷりと枝を
広げて咲いている桜は幻想的にも見えた。

はっ! と気づいて急いでスマホで写真を
撮ったものの、それがどこの駅だったのか
全く記憶にない。

夢のような景色だった。
偶然にも、その日、その時が満開で、
また乗っていた車両が、
桜の目の前で停まってくれたのだけれど。
待っていてくれた…そんな気がした。

毎年、桜の時期は写真を撮りに行く。
桜の写真は、どれも、特別な時間を映す。
楽しい非日常。
その楽しさは、旅と少し似ている。

今、私たちは、
新型コロナウィルスの感染拡大によって、
予想もしなかった非日常の中にいる。
旅のように、出発した覚えもなく、
この日、ここから、という線引きもなく、
気がつけば放り込まれ、
いつ戻れるかもわからないような非日常だ。

一斤染は、紅色に憧れながら、
使うことを許されなかった人々が、
紅色に憧れて生まれた色。
人々が望んで出来た色ではなかった。
望まれず生まれた色なのに、
その優しく愛らしい色合いが、
春の色として、今では好ましい色になった。

長い年月、さほど愛されずにきた時間を
耐えて、あり続けて、待ったから
今、こんなに愛される色なのだろう。

待てないこともあるけれど、
待つしかない時もある。

一斤染のように、
車窓で見つけた遠い街の一本の桜のように、
待つことの切なさ、大変さ、重みを想う。

意思のままでも、そうでなくても、
流れて行く時間の中で生きていくのなら、
隣り合う人、つながる人と、
語ったり、力をあわせたりして、
できるだけ明るく流されていきたいと願う。

どこかで待っていてくれる、
ひと、時、場所が、明るいものであるように。
いつかまた、光の中で、
一斤染の散る花びらの行方を見たいから。

青春ではなく、アオハルの旅!

青島に行ったのなら、
青色について書こう。

原色のひとつである青色は、
空や海の色。
古代では、
「あか」は明るいこと、
「くろ」が暗いこと、
「あを」は、薄暗いことを意味したという。

薄暗い? ご冗談でしょう!
と、青島の青は、海も空も、波に濡れる岩も、
目に眩しいほど美しく輝いていた。

青島は、宮崎市の南東部にある
陸とつながる小さな島。
「鬼の洗濯板」と呼ばれる階段状の岩が
島をぐるりと囲む。
自然のままの荒々しさと、
どこかユーモラスな景色。

干潮時であれば
岩の間から、小さな生き物も見られる。
訪れた日は、天気がよくて
光る海とゴツゴツした岩場を背景に、
ポーズをとって写真を撮る人達もいた。

青島は、昭和の一時期、
ハネムーンのメッカであり、
日本のハワイとも言われていたという。

ずらり並ぶヤシの木、波の音、
ビロウ樹の葉のパタパタと乾いた音…。
あぁ、南国ムードとは、このことか、と
広々とした海を眺めた。

サーフィンのシーズンに向けての
準備なのか、ボードを抱えて沖に向かう
数人の人たち。
海に向け、釣りをする人。
眺めていると、みんな、どんどん小さくなって
青の一部になっていった。

「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」
若山牧水の歌が思い出された。
牧水は、宮崎出身の歌人なので、
この海や空の青を詠んだのだろうか。

今回の旅では、
「鬼の洗濯板」を見る! と、
ここを一番の楽しみにしていた。

事前に調べ過ぎたからか、
見事な岩場を目の当たりにすると、
すでに見たものの確認のようで
あぁ、やっぱりすごいね。
という感想を抱くことになってしまった。

それよりも、今日この瞬間だから見られた!
と、感動したのは、
海の色だった。

これまで訪れたどの地、どの海にも、
独特の色と空気があった。
この色はなんと言うのだろうと
調べるのが楽しみな色もあった。

青島の海は、名前のイメージに
とらわれているからかもしれないが、
ストレートな青。
濁りも暗さもない、
気持ちいい青色だった。

列車が日に数本しかなく、
この日の旅のプランは、青島だけを楽しもうと
島を一周歩き、浜辺を歩けるだけ歩いた。

特別な発見はなかった。
けれど、子供の頃、近くの海に
泳ぎに行った記憶や、
高校生の頃、海風にさらされて、
ずっとおしゃべりしていたこと。
一人で旅するようになって、
訪れたあちこちで、出会った人たちのことが
思い出された。

一つひとつ懐かしく恋しい。
砂浜で見つけた貝殻のようだった。

旅は、特別な時間。
だから、あれもこれもと
予定を詰め込む旅も楽しいけれど、
時には、時間の無駄遣いをするように
飽きるほどその場所を味わうのもいい。

春まだきではあるけれど、
宮崎の昼間は思ったよりも長く、
景色の色はなかなか変わらない。

青島の青を覚えて帰りなさい。
そう言われているようで、
日没を待たずに、たっぷりと島を
堪能して帰りの列車を待った。

歩いている人を見かけなかった駅で、
列車の時刻になると、人が集まり始めた。
高校生たちの宮崎弁が、耳に心地よかった。

青島で、青い海と空を見て、
青春真っ只中の若者と一両列車に揺られていく。
少しだけ、自分も青く染まったような
くすぐったい時間だった。

灯りをつけましょ三月に。

弥生(やよい)、嘉月(かげつ)、花見月(はなみづき)…。
三月は美しい異名を持つ。

紅緋(べにひ)色は、冴えた黄みの赤色。
古代、茜染で作られた緋色(ひいろ)は、
平安時代より重ね染めが行われ、
より鮮やかで赤い、紅緋色となった。
それは、神聖な色として、
巫女さんの袴の色にも使われる。

現在の「緋色」と言えば、この色をさすと言う。

今年は、三月になっても
ひな祭りの曲も聴かれず、
うっかりと忘れていた。

二月の末に宮崎の飫肥(おび)という街に
出かけて、あちこちに雛人形が
飾られているのを見かけた。
そこでやっと、
あぁ、桃の節句が近いんだ…と、
思い出したのだった。

人形を飾る雛壇に敷かれるのは
緋毛氈(ひもうせん)。
緋色は生命力を意味し、
魔除けの効果を期待できることから
この色が敷かれると言う。

私の雛人形は、男雛と女雛、
別々にもらったものだった。
金屏風、雪洞、緋毛氈も、別々にやってきたもの。
けれど、こじんまりとして、とても好きだった。

毎年、床の間に飾られていたが、
ある時、その部屋に応接セットが
置かれることになり、
雛人形は椅子に隠れて
見えなくなってしまった。

学校から帰ってきて、床の間の前に
寝ろこんで、いつまでも眺めていた。
隠れたつもりはないけれど、
宿題やお手伝いをサボっている、
と叱られた。

五段飾りの雛人形には
特別な憧れがあった。
友達や近所の家に
五段飾りの雛人形があると知ると、
見せてもらいに行っては
人形の着物、小さなお道具を、
一つ一つ飽きることなく眺めていた。

飫肥では、あちこちの家々に
様々な時代の雛人形が
工夫を凝らして飾られていた。
雛飾りや、明治の頃のままごと道具も
紅緋色に映えて、
一日中見ていられるような
細やかな美しさに心打たれた。

暮らしに役立つものでもなく、
おもちゃにして遊べるものでもない
雛人形。

子を想い、大切に保存されてきたから、
今、こうして見ず知らずの私も見せてもらえる。
雛人形は、親の願い、愛情、祈りの形だなぁ
と、しみじみ思った。

人形飾りを見て、庭園をまわり、
ふと見上げると、高く大きく枝を広げた木が見えた。
「あれは何の木ですか?」と、
園内を歩いていた受付の女性に訊くと、
「あれはねぇ、桐の木。
 ほら、タンスにする木の。
 大きいでしょう。
 昔は娘が生まれると、この木を庭に植えて
 タンスにして嫁入り道具にしたんですよね」

改めて見上げると、確かに枝の先が、
花札などで目にする桐の花の形をしている。

しばらくぼんやり眺めていた。
「親の願いですよねぇ」と、その人は言った。
「ほんとに」それ以上の言葉がなく
また、二人で黙って見上げていた。

今日、どこかで植えられた苗が
こんなに大きな木になる時、
今の悩みや煩いが、小さなものと
なっていますよう…そう静かに祈った。

風にしなる枝は、流れる時の
重さ、優しさ、強さに吹かれながら、
大地に広がる根の強さを信じている。

未来を信じよう。
さぁ、美しい三月が始まる。

似ている? 似ていない?

「あのう、〇〇さんですよね?
私、△△の妻です!」
と、挑むように声かけられたことがある。
子どもの保育園の運動会のことだ。

花萌葱(はなもえぎ)色は、強く濃い緑色。
萌え出る葱(ネギ)の芽のような緑色の、
萌葱(もえぎ)色の一種だ。
青い「花色」に黄色を染め重ね、
萌葱色に近づけた色なので「花萌葱」という。

突然、話しかけてきた人は、
「△△知らないんですか?」と
もう一度訊き、はぁ…と困惑する私を
置いて、「ほらぁ、ちがうって!」
と言って去って行った。
どうやらご夫君が
かつて親しかった女友達に、
私が似ていたらしい。

平凡な顔立ちだからか、
私はよく、ひとちがいされる。
行ったこともない場所に、いたでしょう?
と、言われたり
さっき向こうで見かけたのに、なぜここにいるの?
と、怖がられたり。
でも、そのよく似た人に、
私は会ったことがない。
もしかしたら、自分も驚くほど似ていたのだろうか。
話せば気があうような、
もう一人の私のような人だったのだろうか。

思い出すのは、遠い昔、
失恋した人にそっくりな人に出会ったことだ。
友人も驚いて知らせに来てくれるほど、
よく似ていた。
一度、思い切って話してみたら、
当然のことながら、声も話し方も
おそらく性格も違っていた。
がっかりしながらも、
そうだよな別人だものな、
と、納得したことがある。

花萌葱の色も、萌葱色に似せて作られた色。
萌葱色には、また黄色味を帯びた
萌黄色という別の色もある。
「もえぎ」と同じ響きながら、
同じじゃない! と主張する、
それぞれに個性ある色なのだ。

春が近づいてきた。
毎年、やってくる春だけれど、
去年の春とはちがう。
咲く花も匂いも同じなはずなのに、
風も、人も、私自身も少しずつ異なる。
全く同じ春など、ないのだ。

巡りながら、すれ違いながら、
人も、季節も、
ちゃんと向き合い、
見つめる心を持っていないと、
春はあわあわと過ぎて行く。

似た色、似た顔、似た名前。
あぁ、知ってる…と思っていたら、
実は全然知らないものだった、
ということもある。

出会った時に、新鮮な心で
見つめてみよう。
そんなふうに思えるのも、
新年度、新学期が始まる
春ならではの愉しみだろう。

運動会で、声をかけてきた人とは、
しばらくお互いに気まずかった。
けれど、その人の、
たっちゃんという息子さんと
娘が仲良くなって、私たちも
親しく話をするようになった。

「たっちゃんのお母さん!」
と娘が駆け寄ると、両手をとって、
優しく話しかけてくれる
愛情深い人だった。

転勤でその街を去る時に
寂しくなるね、と、うっすら涙を
浮かべてくれた。

その時から、何年も経った今、
テレビで、ある女優さんを見かけるたびに
あ、たっちゃんのお母さん!
と、思い出す。
もしかしたら、その女優さんを街で
見かけたら、「お久しぶり!」と
声かけてしまいそうなほどだ。

似ていることは、
時に大切なものを思い出させてくれる。
私に似た人は、
誰かに、私を思い出させてくれているだろうか。

滴る色がくれるもの。

関東でも雪予報になった寒い日、
風邪をひいて寝込んだ。
雪の気配のせいか、
小学校を休んだ日のことを思い出した。

蒼白色(そうはくしょく)は、青みを帯びた白色。
蒼白とは、特定の色を指すのではなく、
青みがかかった様子全般のことを言う。
「顔面蒼白」などというように、
蒼白には、不安や恐怖、不健康な響きがある。

子どもの頃は、よく風邪をひいた。
また、学校に行くのが
たまに気が重く感じられる日があり、
そんな日には、
こっそりとコタツに体温計を入れて、
熱のある演技をした。

そんな私の気持ちを知ってか知らずか、
家内工業でもあるからか、
両親は「休むか?」と、欠席させてくれた。

学校を休むとなれば、一日は自由だ。
誰もこない部屋で、うとうとしながら、
マンガを読んで過ごした。

お昼前になると
父と近くの病院に行く。
白い壁と、ほんのり青いリノリウムの床。
病院独特の匂い。
一気に自分の顔色が青ざめて
病人らしくなった気がした。

診察室に入る時は、
いつもドキドキした。
もの静かな先生、
聴診器を当てられる冷たさも
怖くて緊張した。
看護士さんの白衣、
キビキビとした動きも
背筋をすーっと寒くした。

病院から帰ると、再び一人の時間。
茶の間のコタツで寝ていると、
父を訪う人が次々とやって来た。

玄関からまっすぐに土間を抜けて
工場に行けるようになっていたので
客人は皆
「こんにちは~」
と、言いながら返事を待たずに工場に向かう。

物売りの人たちもやって来る。

近くのうどん屋さんが
へぎにのせた茹でたてのうどんを
配達してくれたり、
立ち売り箱にパンや練り物をのせて
売りに来るおばさんもいた。

工場の入り口にあるトイレの前で
そんなおじさんや、おばさんにばったり会うと、
「まあ、おねえちゃん、学校は?」と訊かれ、
悪いことをしていないのに、きまり悪かった。

一人のんびり過ごす自由と、
なんとなく居心地の悪い不自由さの間を
あっちこっちしながら、過ごす一日。

お昼を過ぎると、天気のいい日は
照る陽に温められて、
つららからポトポトポトポトと、
水滴が落ち始める。

下校時間を過ぎると、
その陽射しの中を雪合戦しながら
きゃっきゃと楽しそうに帰って来る友だちの声が
聞こえて来る。

たった一日休んだだけなのに、
懐かしくて、うらやましい、
少し遠くに感じる声。

私の知らないことが、色々あったんだろうな。
おもしろいことあったのかな?
そう思うと、取り残されたようで寂しかった。

「明日は行けそうか?」と
両親に訊かれると、元気に答えていけないと
思いながら、うん、と答えた。

取り戻した健やかさと、隠し持った楽しみで、
きっとその時の私の顔は、
うっすらと赤かっただろう。

蒼白色は、不思議な色名で、
紅みの明るい灰色もさす。
同じ一日、同じ私が、
青の蒼白色から、紅みの蒼白色に変わる。

つららから落ちる水滴も、
光の角度や、見る角度で色が変わった。
色でさえ、同じ名前で違う色を持つ。

たまには、同じものであれ、
ちがうところから見る大切さを
あの時間は教えてくれていた。

見つめていた時間は、
つららから落ちる水滴のように
私の心に何かを落としてくれていたのだ。

ベランダの水滴は、
それを思い出させてくれた。
私は、今もポトポトと滴る時間に
教えられている。

時にあらずと声立てぬ色。

春が近いからだろうか。
夕暮れを歩いていると、
「さようなら」が空気の中に
しっとりと含まれているような気がする。

緋褪色(ひさめいろ)は、
明るく渋い赤色。
真紅の緋色を薄めた、
穏やかな温かい色だ。

二十代前半に、会社を辞めて、
しばらくIT関係の小さな会社でアルバイトしていた。
私の仕事は、なんでも係。
その日も、ゴルフコンペのメンバー表と
景品を持って、コンペ後の懇親会となる
飲食店に出かけた。

小さな白いビルの二階の店。
建物横の階段から入るのに
昼間は一階のインターホンを押す。
その店には、何回か連れてきてもらったことがあった。

美人のママは、離婚後離れて過ごしていた愛息と
最近、一緒に暮らすようになった話を
まるで漫談のように話す、話し上手な大人の女性。
ちょっと憧れていた。

「あんたが来たん? 」
と招き入れてくれたママに冷たい飲み物を
ご馳走になり、あれこれ話すうちに、
心ほどけて恋愛相談を始めてしまった。

黙って、話を聞いてくれたママは、
「まぁ、ウサギが好きや言う人に
 カバを好きになれ言うても無理やな」
で、話が終わってしまった。
……わたしは、カバ…?

キョトンとしてる私を無視して、
親子で昼まで寝てしまい、保育園サボったとか、
あんまり言うこと聞かない息子に
「別れるで」と言ったとか。
そんな話で笑わされて、相談を続けられなかった。

バカな小娘の話につきあってられない、
と突き放されたことと、
自分の弱さ、幼さを
見抜かれた恥ずかしさがあった。

と、同時に、
余計なことは言わない、
大人の女性のかっこよさを感じた。

年の暮れの接待の二次会に
ママの店へ行った。
その日は、ママがいつもより華やいで見えた。
Nさんという壮年の男性の隣に座り、
御髪が寂しいのをネタにして
裸電球! 100ワット!
と、はしゃいでいた。

Nさんは、落ち着いた雰囲気の楽しい人。
みんなの人気者のようで
後からお店に行った私たちも
Nさんとママを囲んで大笑いした。

夜も更けて、Nさんが
一足先に帰るわ、と席を立った。
ママも見送って、席を離れた。

するとNさんのテーブルに
ハンカチが忘れてあり、
急いで二人の後を追いかけようとすると、
上司のSさんに「行くな!」と言われた。

意味もわからず、出口を出て、
階段を見下ろすと、
Nさんとママが寄り添う影が見えた。
ママは泣いているようだった。

Sさんが、後ろからやって来て
「Nさんは末期がんなんや、
 年明けに入院したら、家族の手前
 ママはお見舞い行かれへんから、
 今日が最後なんや」
とおしえられた。

Nさんとママの二人の想いも気づかず、
何も考えずに追いかけて行こうとする
自分の鈍感さに恥じ入りながら、
ハンカチを元のNさんの席に戻した。

Nさんを見送ったママが帰ってきた。
「もう~! 100ワットはまぶしすぎて、
 目ぇやられたわぁ~」と、笑っていた。
ハンカチはテーブルの上からなくなっていた。

年があけて、次のステップに進むため、
私は、そのアルバイトを辞めることにした。
家族のように大事にし、
本気で育てようとしてくれた人たちを落胆させた。
「後足で砂かけるように、辞めるのか」
と言う人もいた。

自分でも、
わがままを貫くことへの自己嫌悪があった。

引っ越しも決めて、その準備に追われるある日、
ママの店の前を通った。
準備中の時間だった。
さようならを言っておこうかな…
そう思って、インターホンの前に立った。

叱られるか、嗤われるか。
余計なことは言わず、いつも通りか。

迷った末、店の前を通り過ぎることにした。

Nさんがハンカチを置いていったように、
私もさようならをここに置いていこうと決めた。
いつかまた、さりげなく忘れ物を取りに来たように
訪れようと思ったのだ。

二月の風は冷たく、夕暮れは美しかった。
ほんのり春を感じる、
緋色が醒めた優しい色。

お別れの言葉も、目にした夕暮れも、
やがては溶けて胸の内に馴染んでいく。
ゆっくりと春になるのを待とうと思った。

その後、ママのところには行っていない。
春は名のみの、遠い日の記憶だ。

どこまでも広がっていく色。

━━ きっちり足に合った靴さえあれば、
  じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。

須賀敦子さんのエッセイ「ユルスナールの靴」の
冒頭の一文。
少し長く歩くかなという日に、
靴の履き心地を確かめながら
いつも思い出す、
お気に入りの一節だ。

勿忘草(わすれなぐさ)色は、
可憐な明るい青色。
春に咲くワスレナグサの花の色だ。

勿忘草には、こんな伝説がある。
川辺を散歩中、対岸に咲く青い花を摘んで
恋人に贈ろうとした男性が、
足を滑らせて、川に転落。
女性に花を渡して
「私を忘れないで(フォーゲット・ミー・ノット)」と
言い残し、激流に巻き込まれて姿を消した。
女性は恋人を生涯忘れずに、この青い花を飾り続けたという。

年末に靴を買った。
傾斜やぬかるみがあっても、足元がぐらつかず、
長く歩いても痛みもない、
安定した履き心地のものを探した。
そして、機能性重視ながら、
忘れ物をしませんように、と
祈りも込めて、さし色に
勿忘草色の入ったものを選んだ。

こんな堅牢な靴を買うきっかけとなったのは、
思いがけず、広角レンズを譲ってもらったことにある。
カメラのことを勉強しようと思いながら、
結局、昨年も一冊の本も読まず、
経験だけで過ぎてしまった。

そんな私の撮ったものを見て、
無自覚なままに、
もっと寄りたい、広げたい、
どうしたらいいのかな? と
悪あがきしているのを読み取ってくれた人が、
私の実力には、まだ手にあまるような
レンズを譲ってくれたのだ。

実際に撮ってみた。
まだ、レンズの実力も魅力も引き出せては
いないけれど、確実に違うものを感じる。
新しい扉が開いた感覚。

こんなふうに、
自分のしていること、やりたいことは、
案外、自分自身が
一番わかっていないのかもしれない。

そう思うと、
これまで見逃し、撮りこぼしてきたものは
どれほどの大きさだったのだろう…と思う。

それは、広角レンズを得たことで
撮れるようになるのか、まだわからない。
けれど、
撮れないと思うのか、
撮ってやろうと挑むのか、で
きっと見える景色が違ってくるような気もしている。

広い世界の中の私が見つけられるもの。
それは何だろう?
それを撮るとき、撮れたと思えたときの
気持ちは、勿忘草の伝説の彼が
恋人に花を託したような気持ちなのだろうか。

「私を忘れないで」。

勿忘草は、「恋人たちの花」とも言われ、
ヨーロッパでは、閏年の二月末日に恋人に
この花を贈るらしい。
今年は、閏年。
四年に一度の告白の年だ。

私も、この閏年に、
告白に値するようなもの撮れたらいいな、
と思う。
前回の閏年に、初めて手にした一眼レフカメラ。
今年こそは勉強し、より良いものを
撮っていきたい。
重い荷物をぶら下げて、長い距離を
どこまでも歩いていく。
いつまで、これができるだろうと思う日もある。

けれど、きっちり足にあった靴と、
広い視界のカメラがあれば、大丈夫だ!
とも思う。

広く、楽しく、たくましく。
新しい年も挑み続けよう。

まなざしの行方の色。

今年も残り少なくなった。
振り返ると、新しい出会いや、
久しぶりの再会を果たせたりと、
楽しい時間に恵まれた。

窃黄色(せっこういろ)は、
くすんだ淡い黄色。
窃は「ひそか」を意味する。
こっそり盗む「窃盗」にも
使われる文字。
あまり聞いたことはないが、
「窃慕」は、ひそかに思い慕うことを意味する。
「窃(ひそか)」は、
静けさを与える文字に思われる。

出会いの喜びとともに、
別れの悲しみもあった。

note」と言うSNSがある。
クリエイターが作品を発表する場だ。
作品が気に入ったら
他のSNSの「いいね」のような
「スキ」ボタンが押される。

私もそこに参加していて、
作品に「スキ」が押されると、
通知が来る設定にしている。

「スキ」を押してくれる人の中に、
Pさんという人がいた。
直接に会ったことはなかったけれど、
日々、目にするその名前に親しみを感じ、
自信をなくす時は力をもらっていた。

機会があれば、いつかお礼を言おう。
そう思いながら、
感謝の言葉ひとつ言わずに、日々が過ぎていった。

ところが先日、
Pさんが急逝されたと知らせる記事が
noteにアップされた。

パソコンの画面の前で、呆然とした。
その前日にも、Pさんは私の作品に「スキ」を
押していてくれていた。

いてくれるのが、
当たり前のように思っていたのに。
━━━ もう、会えなくなってしまった。

信じられない想いで、
Pさんのnoteのページを開いた。

Pさんは、note内の作品の中で、
気に入ったものを「お気に入り」と言う形で
まとめていた(マガジン機能という)。
Pさんの「お気に入り」を通して、
出会った人たちも多いと思う。

「お気に入り」はvol.9まであった。
その中でvol.1である「お気に入り」を
開いてみた。
2014年、noteのサービスが
スタートした頃のものだ。
当時、作品を頻繁にアップしていて、
今もいる人、いない人たちの作品を
久しぶりに楽しむことができた。

あぁ、まとめておいてもらったおかげで
こんなふうにnoteの歴史を楽しめるのだ、
と、懐かしく、しみじみとした想いで眺めていた。

すると、その中に、
今となっては恥ずかしい、
五年前の自分の作品を見つけた。
あ!
と、手で口を塞ぎ、恥ずかしさに
笑いそうになったのと同時に、
涙が止まらなくなった。

忘れていたけれど、
こうして、暖かい眼差しで見ていてくれた人がいた…
ということが、たまらなく嬉しかった。
と、同時に、
もう会えないのが悔しく、悲しかった。

Pさんの「お気に入りマガジン」で、
最後に選んでくれた私の作品は
これだった。

タイトルは「そのまなざしの行方」。
サブコピーは
「どこにいても見つめるのは、未来と自由」。

ほら、自分でそう言ったのだから実行しようよ。
そう語りかけてくれている気がした。

もう話す機会はない。
けれど、
心の中でひそかに話すことはできる。

Pさんだけではなく、
会えなくなった人みんなにもできるはずだ。

秋が終わったのに、今年はまだ
晩秋の窃黄色が街のそこここを色付けている。
それは、命の色にも見える。

色あせても、やわらかく静かに
毎日、毎分、毎秒、生きていることの
強さ、喜びを感じる木々の葉。

枯れて落ちることを受け止めながら
私も精一杯努力を続けよう。

会えなくなった人にも
胸張って笑えるように。

来る年も「未来と自由」を見つめて
前進していこうと思う。

クリスマスプレゼントは、何色?

毎年、この時期になると
街を彩るイルミネーションに
心躍る。

山吹茶(やまぶきちゃ)色は、
金色に近い、茶がかった黄色。
クリスマスツリーや
イルミネーションにも見られる
この色、キラキラと光を反射して
金色に輝いて見える。

子供の頃は、クリスマスの朝、目がさめると
枕もとに包みがあった。
それはサンタさんからのプレゼント。
小さなぬり絵帳一冊でも嬉しいものだった。

サンタクロースがいないとわかったのは、
小学二年生のとき。
暮れで忙しい母が、本屋さんに
週刊少女漫画誌を電話で注文しているのを
聞いてしまったからだ。
「あ、それなら月刊の方にしてほしいのに…」と
思ったことも、懐かしい思い出だ。

忘れられないクリスマスプレゼントは、
高校生の時、好きな人からもらった
ドナルドダックのぬいぐるみ。
白いふわふわのヒップがとても可愛くて、
汚れないように大切にしていた。

けれど、そのプレゼントをもらって
数週間後には、ふられてしまった。
残ったぬいぐるみに罪はなく、
その後もずっと大切にしていた。

二十歳を過ぎて、社会人になり
一人暮らしの部屋に、
友人と、友人の幼い甥っ子が遊びに来た。
おもちゃ代わりにと渡した、
ドナルドダックを甥っ子くんは
とても気に入って、
持って帰りたい…と、泣いた。
その時は、思い出のものだから、と
あげることはできなかった。

「連れて帰りたい~っ!」
という、泣き声が耳に残った。
欲しいものを、欲しいと言って
泣けるのは、ちょっと羨ましかった。

素直さに嫉妬したのかな?
と反省し、もう大人なんだから、
思い出のぬいぐるみなど、
甥っ子くんにあげようと決めた。

プレゼントをもらった時の喜びも、
いつの間にか過去のものになっていた。

遠い日の想いと埃を、
払い落とした人形が
すっぽり入る紙袋を探し、
少し特別なプレゼントぽく
山吹茶のリボンをつけて
友人の家に届けた。

後日、
「おにんぎょう、ありがとう。だいじにします」
と、かわいいイラストを添えたハガキが届いた。

贈られたプレゼントを、別の人に贈り、
またちがうプレゼントを受け取ったのだった。

これまでもらったクリスマスプレゼントは
どんなものがあったかな?
と、思い巡らせてみた。
たくさんあるはずなのに、
それほど思い出せなかった。

毎年あった特別な時間、楽しみが
流れる時間に溶けていて、
うまく浮かび上がってこない。

それでも「クリスマス」という言葉は、
ケーキのように甘く、
ツリーのように輝く。
いくつになっても、幸せな時間を
期待する特別な響きだ。

クリスマスは、私の誕生日でもある。

私には、当初決まっていた別の名前があった。
出生届の締め切り日に、
その名を父が役所に届けたところ、
漢字一字が当用漢字になくて、
却下されてしまった。

そこで父は、かつて好きだった人の
名前を私につけることにした。
きっと、そんな人になって欲しいという願いも
込められての、人生最初のプレゼントだった。

父が好きだった人も、ご両親からそのプレゼントを
受け取り、健やかに育ち、周りの人に楽しい時間を
贈ってきた人なのだろう。

プレゼントは、贈り、贈られて、喜びが広がってゆく。
その景色や、プレゼントにかけられたリボンが
山吹茶色に輝くのが、クリスマス。

今年もその日が、とびきりの美しさに煌めきますように。

染めて、守って、引き継ぐ色。

山形の秋は、関東よりも早く進んでいて、
吹く風は、キリリと冷たかった。

代赭色(たいしゃいろ)は、
黄色みの強い赤褐色。
「代」は、赤土の名産地、中国代州の地名から、
「赭」は、赤いものを意味する。

朝早いバスで山形に着いて、
まず訪れたのは旧県庁舎である「文翔館」。
復原された大正の洋風建築だ。
じっくりと見て回り、帰ろうとしたところ
「ガイドはいりませんか? 」。
と、矍鑠としたボランティアガイドの紳士に声かけられた。

見せたいもの、知ってほしいことが
この建物の中にはいっぱいあります、とのこと。
その明るさに、ワクワクするものを感じて、
もう一度見て回ることにした。

まず、一旦外に出て、その地形から
山形の歴史、街づくりの経緯を熱く語られる。
ほんのりとお国言葉が聞き取れて、
この地に来た嬉しさがこみ上げる。

建物内に入り、
施された装飾の意味、
復原に当たっての苦労について聞く。
触ることがためらわれた、
古い変わり窓なども全て開けて、
つくりについて説明してもらった。

建物に使われている煉瓦、
室内の暖炉、寄木貼り、家具。
そして、窓の外の木々の葉も枯れて、
秋らしい代赭色にあふれていた。
暖房もついていないのに、
どこか暖かい。
まるで代赭色に染める鍋に
放り込まれた気分になっていた。

ある部屋に山形の川に浮かぶ船の絵が飾られていた。
それを見て、
川が街の発展にどれほど大切だったかという話と、
ガイドさんの子供時代の川遊びの話を聞いた。
とてもおおらかで、楽しい話だった。

それは、
この建物でかつて働いていた高等官たちと
市井に生きる人たちと、
共に同じ山形という地で生きた人たちの話。

一人で来ていたら見ることもなく、
知らずに帰っていたエピソードまで聞けて、
驚いたり感心したりのひとときだった。

ちょうどお昼になり、別の場所に行きます、
というと、地図を出して、観光案内よろしく
あちこちの見どころを教えてくれた。
お昼は、ここがとってもおいしいです、と
うまいもの情報も。

また来てね、と
見送ってくれた笑顔は、郷土愛にあふれていて、
とても爽やかに、旅する背中をポン! と
押された心持ちになった。

その街にずっと暮らし、その街を愛し、
来る人を歓迎し、見送ること。
それを続けていく。

どんな大きな建物も、時が経てば、
少しずつ傷み、朽ち、弱っていく。
だから、丁寧に手入れし、守り、愛していくこと。
それを続けていく。

続けていく人間だって、時が経つと
老いて、弱り、いつか消えていく。
だから、伝える、愛情を育む。
そうすることで建物、文化、郷土愛は、
受け継がれ、守られていくのだろう。

ガイドさんが教えてくれたのは、
山形の文化であり、ご自身の郷土愛であり、
続けていこうとする情熱なのかな…
そんな気がした。

たくさん笑った後、冷たい風の中でも
頬がホカホカと熱く、火照っていた。
きっと、代赭色に染められたのだろう。

ところで、帰りに聞いたおいしいもの情報。
勧められたお蕎麦屋さんで、
あぁ、おいしかった! と、
満足し、改めて箸の袋を見ると、
なんと、おそわった店ではなかった。

あらら。と、思ったが、もう満腹。
また、山形に来なくては、と思った。