“た“とする色を、たどってみたら…。

「あなたの存在を多としております」。
どこで見つけたのか、手帳に書き留めておいた言葉。
「多(た)とする」とは、
「ありがたく思う」の意味。

紅絹(もみ)色は、鮮やかな黄色がかった紅色。
黄色で下染めしたものを紅花で染めた色で、
花をもんで染めることから、この名がついた。

久しぶりに幼なじみの友人から電話があり、
近況報告しあった。
連休前に富山に行ったことを話すと、
友人も、来月、富山へ行くと言う。
「どこへ行ったの?」
「どこに行くの?」
やや興奮気味にお互いに質問し、
雨晴海岸!」
と、同時に答えたのも、おかしかった。

それまで二人とも、富山へ旅行したこともなく、
「富山に行く」と話したこともなかったのに、
遠い街で、偶然、同じ時期に同じ場所に
思いを馳せていたのだ。
雨晴海岸はもちろん、
黒部峡谷のトロッコ列車も勧めておいた。

ずっと乗ってみたかったトロッコ列車は、
残念ながら、この春の運行が始まったばかりで
まだ短い距離しか乗れなかった。
けれど、列車から見た景色だけでなく、
駅周辺もあちこち歩いてみると
峡谷ならでは迫力と自然美に
心惹かれた。

緑に映える橋は、紅絹色。
鮮やかでやさしい、とても自然に馴染む色。
トンネルの向こうの、見えないどこかへ向かう
紅絹色の橋は、展望台から眺めると赤い糸に見えた。

いつか結ばれる相手とはつながっているという
「赤い糸」。
それは、男女だけでなく、友人や、土地や仕事、
さまざまなものとつながって、
何本もあるのではないかと思う。
今は見えなくても、遠いところでつながっている。
そう思うと、未来はまだまだ楽しく希望に満ちている。

富山を走る鉄道は「あいの風とやま鉄道」。
あいの風とは、
日本海沿岸で、東から吹くほど良い風のことをいうらしい。
「愛の風」「会いの風」にも聞こえて
耳にするたびに心温まる想いがした。

話しかけた人、乗り遅れそうになった列車で
親切にしてくれた人、皆、やさしい人たちだった。
だから、あいの風吹く富山は、
さまざまな人たちの赤い糸を引きつけて、
招いてくれてるように思える。

昔、占いで
「あなたの人生を変えるきっかけは旅です」とあり、
よくある話だなぁ、と、軽く受け流していた。
けれど、今回の旅の後、小さな変化がいくつかあって、
自分の気持ちも、風向きが変わってきている気がする。

そして思い出した、
「あなたの存在を多としております」という言葉。
これまで関わってきたもの、新たに出会ったものが、
全て「多としております」という想いになって、
旅の後の自分がいる。

少しあきらめそうになっていたことも、
全くできそうにないと思い込んでいたことも、
細くても、強い糸になって、
初夏の空に、ぱっと紅絹色を散らすように飛び始めた。

その糸をたぐりよせながら、
強い風にも、激しい雨にも、
流されず立っていられるよう、
力をつけて、笑っていよう。
いつか私も、
誰かの「多とする存在」になれるように。

時がおしえてくれる色。

「二月の雪、三月の風、四月の雨が、美しい五月をつくる」。
新緑の頃、思い出す天気のことわざの一つだ。

英語にも似たことわざがある。
「March winds and April showers bring forth May flowers」
(三月の風と四月の驟雨が五月の花をもたらす)。

虫襖(むしあお)色は、
玉虫の羽のような暗い青みの緑色。
光の角度で玉虫のごとく、色が微妙に違って見える。

短大二年の夏に、アメリカ出身の先生の
京都にある海辺の家へ三泊四日の合宿に行った。
先生夫婦と生徒四人、古民家で英語だけの暮らし。
集まったのは、県選抜の交換留学経験のあるクールなA子、
真面目でもの静かなB子、ホームステイ帰りの陽気なC子。
観光地ではない、静かな田舎町にたどり着いたところから
英語生活はスタート。
街の人たちも、日本人なのに英語を話す私たちを
優しく迎え入れてくれた。

合宿が始まって数時間。
気軽に参加したことを後悔した。
皆、本当によく英語を話す。
とりわけA子は、流暢すぎて何を言ってるのかわからないほどだった。
それでも、和やかな雰囲気の中で、
私一人が時にジェスチャーで、四人協力し、家事や遊びを楽しんだ。

三日目、海で遊んでいると夕立が訪れた。
干していた布団が濡れると慌てて帰ると、
近所のおじさんが取り込んでいてくれた。
そのお礼に行った時、つい「ありがとうございました」と
日本語で言ってしまい、A子にひどく叱られた。
そんなに怒らなくても、とふくれたところ、
A子のこれまでの怒りが爆発。
真剣に学びに来ているのに、いつもあなたのふざけた態度が
それを邪魔する…というようなことを、一気にまくしたてた。
B子もC子も黙っていたから、同じ気持ちだったのだろう。

その日の夜、先生が突然、
「特別な場所に連れて行く」と、先頭立って歩き出した。
街灯もほとんどない街の、静かで暗い夜だった。
背の高い葦が鬱蒼と生えているところに着くと、
先生が「しーっ」と指を立てて、そーっと歩くのだ、
とジェスチャーし始めた。それは私をマネた仕草。
みんな、私の方を見てクスクス笑ってくれた。

葦の中に入ると、暗くて足元が不安定で
怖くなった。
方向も、皆の姿も見失い、
恐怖で動けなくなっていると、
ふわりふわりと
螢が舞うのが見え始めた。

幻想的な光景に感動しながら、
じっとしていると、
三人が探しに来て、手をつないでくれた。
みんなで黙って、ゆっくり前進した。
仲直りしたことをくすぐるような蛍の光に、
照れくさく、嬉しく、安心の涙も少しこぼれ、
暗くてよかったと思った。

そんな光景を思い出しのは、
富山の川沿いを歩いたからだ。
小説「螢川」の舞台となった川、街。
寒い冬のシーンから始まり、
螢舞う季節に移る中で
人や景色が変わってゆく。

同じように見えて、変化してゆく川の表情を
眺めていたいと思った。

そして小説のラストを思い出していた。
美しく妖しい螢の光。
襲いかかるような未来への不安。
最後の一行を読んだ後も、ページをめくり、
次のシーンを探し求めた。

あの時の三人も、今はどんなシーンの中に
いるのだろう。
風を受け、雨に打たれ、その経験を力にして、
美しい五月のような「今」を迎えているだろうか。

いいことも悪いことも、玉虫の羽のように
見方によって、色合いが変わる。

あの時、先生は、暗闇の中、
小さな光を一緒に見つけることで
互いの存在がどれほどありがたく嬉しいものなのかを
教えてくれたのだ。
それは、明るい昼間ではわからなかったことなのかもしれない。

人は言葉でつながり、言葉で別れることもある。
言葉はなくても、つながる瞬間もある。

その時には気づけなかったことを、
あの日から遠い時間、遠い街で、教わった。

川面のきらめきは螢のように、
そして五月の木々は虫襖色に輝いていた。

田園発、心潤す色。

富山では、どうしても見たい景色があった。
宮本輝さんの小説「田園発港行き自転車」で
主人公たちが訪れる場所だ。

「──私は自分のふるさとが好きだ。
ふるさとは私の誇りだ。」

冒頭、登場人物の“千春”が、生まれ故郷が
いかに美しく、心慰めてくれるかを語るシーン。
彼女の紹介してくれた街の情景に
すっかり魅せられて、
いつか必ず行こうと決めていた。

潤色(うるみいろ)は、濁ってくすんだ色。
灰色やねずみ色ではなく、さまざまな色が
合わさって見える色だ。

富山では、あちこちで、
「潤色」を見つけた。
私はこの色を、
湿気をたっぷりと含んで景色の彩りを
にじませた色と思った。

“千春”は、東京での仕事に慣れず、
故郷富山に帰る日の送別会で、
生まれ育った町、入善町の美しさ、
素晴らしさを生き生きと語る。

冒頭のそのシーンから、
水清らかで、緑やさしい光景をもつ入善の街は
ゆっくりと胸に広がり、読み進むほどに
強く心から離れなくなった。

広い、広い田園風景。
そこに映る立山連峰。
両手を広げても、
自分のちっぽけさを感じさせる
スケール感に、感嘆の声をあげた。
神々しく、雄大でありながら、
ガラス細工のように繊細に見える
水田の透明さ。

「愛本橋って、黒部峡谷からの風の通り道ね」
と、作品中語られるが、
遠い峡谷から、冷たい風が通って
川を下り、海へと流れていく。

水だけでなく、風も、匂いも、ここを通って
海へ向かっていく。
海の方を見ていると、風になって
遠くまで飛んでいけるような心地。

山中の赤い橋。
作品を読まなければ、もしかしたら
通過していたかもしれない。
けれど、立ち止まって、
橋から見る景色を味わい、
遠くからこの橋の眺める。

その姿は、周りの豊かな自然に
馴染みながら、華やかな気品があった。
作品中でも「清潔な色香を漂わせた芸妓」“ふみ弥”に
喩えられていて、
ひと目見たら、
吸い込まれそうな、
心奪われてしまうような
妖しくも溶けるような魅力を感じた。
いつまでも見ていたい、
見飽きることのない橋だった。

振り返ると、
「川べりにゴミひとつ落ちていない」
と、“千春”が語っていた黒部川は、
流れも美しく、本当にゴミがない。
清澄な空気と水に、そこに立つだけで
人も、景色も、すべて
洗われていくような気がした。

どこを見ても、美しく、懐かしい。
そうだ、この田園風景も
海へと続く町並みも、私の故郷に少し似ている。
“千春”が語る。
「離れて見ないとわからんことがたくさんあるわ」。

そして、立山連峰にかかる雪や、
山々をふいに明るくさせたり、暗くする厚い雲が
田園の虫一匹にまで恩恵を与えていることに気づくのだ。

“千春”が気づいたように、
今の自分の身体も、心も、
故郷の自然が育ててくれたもの。
そこにあった人、もの、自然、あらゆるものから、
恩恵を受けていたことに気づいたのだった。

富山から帰って、もうすぐ二週間。
鼻の奥にかすかに残っていた富山の香りも消えつつある。
さみしいけれど
「私はいつでも、まっさらになれる」という“千春”の言葉に
力をもらう。

また、まっさらになって、心潤しにあの街に行こう。

こぼれて注ぐ、夜明けの色。

水の美しい富山で、
水面に映る夕陽を見てみたいと
環水公園に行った。

豊かな水を、全身で感じられる
水のカーテンがお出迎えしてくれた。

ゆっくりと傾く夕陽を水面に映して、
キラキラと輝く時間。
こぼれてくる太陽と水の反射が、
サーチライトのように照らしてくれる。

お日さまの色は、
明るい黄赤色の東雲色(しののめいろ)。

ここは北陸、富山。
空気も湿り気があって心地よい。
と、思った時、
あ! と思い出す光景があった。

三十年くらい前のこと。
夫の転勤で、赤ん坊と三人、
知り合いのない金沢の街に住んでいた。
まだ未熟な母の私は、
ある時、息子を
ひどく叱りつけてしまった。
泣きじゃくる息子は、夜中に
突然、激しく嘔吐し始めた。

驚き、慌てた。
何軒かの近くの小児科に電話し、
やっとつながった医師に、
藁をもすがる思いで、診察をお願いした。

「いいですよ、連れていらっしゃい」と、
S先生は快く引き受けてくれた。
心配と自責の念から、
異常な緊張状態のまま、
車で二、三十分のその病院へと向かった。

すると、静かに寝静まっている住宅地に
病院の前だけ明々と灯りがついていて、
エンジン音を聞きつけて、
S先生が出てきてくれた。

深夜にも関わらず、
おおらかに、優しく診察し、
親子ともに落ち着かせてくれた。

帰宅する頃には、
息子もスヤスヤ眠っていた。
夜も明け始め、
子供がいたずらで開けた障子の穴から
朝日がこぼれていた。

東雲色は、夜明けの色。
「東雲」の語源は、
昔の住居の明かりとりである
「篠の目(しののめ)」からきている。

篠竹という竹を使って
戸や壁に網目を作る「篠の目」、
そこから暗い室内に
夜明けの色が差し込んだことから
「東雲色」と呼ばれるようになったという。

控えめに射す東雲色の光に包まれて、
息子と私は疲れて眠った。

翌日の昼、S先生から電話があった。
「今、昼休みだから電話したんだけどね。
 また、何かあったらいつでも診せに来るんですよ。
 そして、お母さん、あなたが元気でないといけないから、
 赤ちゃんと一緒にちゃんと休みなさいよ。
 気をつけてね」
と。

ずっと、叱りすぎた自分を責めていた心が
緩んで、溶けて、涙が止まらなくなった。

尖った心には、戒めよりも、
やさしさが、何よりも導きになる。
そのあと続く子育てに、
大切な教えをもらったのだった。

忘れていたそんな思い出を
公園の夕陽が思い出させてくれた。
帰ってきて、あのS先生はどうされているのか
ネットで検索すると、二年前のクチコミに
「夜中に診察をお願いしたら『すぐに連れて来なさい』と
快く診てくれました」とあった。
そして、昨年の情報として「閉院しました」と。

最後まで、きっとたくさんのお母さんたちを
安心させ、やさしく頼り甲斐のある先生でいらしたのだろう。

誰かの力になること。光になること。
S先生のようにはなれなくても、
この夕景のように、そこにあるだけで
誰かの心を癒すことができるような
そんな強さを持ちたいと思った。

遠い日の苦い思い出も包み込んで、
北陸の風はやさしかった。

雨晴、幻の色。

ずっと行きたいと思っていた、
富山に行って来た。

新幹線の車窓から見えた、
白群色(びゃくぐんいろ)の空に浮かぶ雪化粧の立山連峰。
あぁ、ついに見られる!
座席に座っていられないほど、
胸が高鳴った。

白群色は、柔らかい白味を帯びた青色。
岩絵の具の青色の顔料、
アズライトという石を砕き、
その粒子をさらに粉末にしてできた
白っぽい淡青色だ。

富山に入り、真っ先に目指したのは、
雨晴海岸。
遠く立山連峰を背景にした海岸の眺めだった。

その海岸のことは、
シルクロードを旅した人の文と
添えられていた写真で知った。
そこから見える立山連峰が、
旅の途中に見た天山山脈のようで、
どちらも幻に見える…と紹介されていたのだ。

シルクロードは、遠い日の憧れだった。
父が晩酌しながら本を読み、
興に入ると、シルクロードがいかに壮大で、
多くのことを教えてくれ、知的好奇心くすぐられる道で
あるかを地図を示しながら語ってくれた。

いつか二人で行こう、となり、
それならばと、
父が選んだ本を音読するよう命じられた。
読み間違うと、鯨尺で尻を打たれる。
痛くはなかったけれど、
本の内容はわからず、つまらなく、ただの苦痛になり、
宿題を理由にして自分の部屋にこもるようになってしまった。

再び、父一人、本を読む姿に少し胸が痛んだけれど、
思春期の私には、他に楽しいことが増えて、
だんだん気にしなくなっていった。

二十四歳で父が急逝した時に、
母から、生前、父は、シルクロードには行けなかったけれど、
どこかアジアの国を旅して、いろいろ私に教えてやりたいと
話していたことを聞いた。

あんなに本を読んで、聞けば語ることが
山のようにあった父と、シルクロードの旅に行けば
どれほどの感動を共に味わえただろう。
もう叶えることのできない旅への思いが
胸の奥に痛みになって残った。

その後、シルクロードの旅のエッセイなどを読み、
やはり想像以上に過酷な旅であることを知った。
もう、私の人生では、その旅に行くことはできないだろう。

そう思っていた時に出会った
「雨晴海岸から眺める立山連峰の景色」だった。

見られる確率も低いということも知っていた。
見られれば幸運だ、そう思おうと思っていた。

それが、列車からゆっくりと見えて来た。
駅から、焦れるような想いで海岸に出ると
連峰は、白い雲が大きく棚引くように空に広がっていて、
まさに幻のような山々の表情を見せてくれた。

その絶景を、どの距離からも撮りたい!
と、何枚も何枚もシャッターを切り、
ドキドキしながら、笑いながら、
「これだ! これやで!」
と、父に語りかけていた。

行けない所もあるけれど、
行ける所もある。
見られない景色も多いけれど、
こんな絶景に会えることもある。

それが生きていることなのだな、と
父に教えられた気がして、嬉しかった。

抜けるような空の色は、光が反射する美しい青。
白群色は、その時の景色にふさわしい名のような気がした。
雪化粧の白い山々が群れをなして
淡い空の色をより鮮明に、爽やかに映し出していた。

新しい時代の色。

花見、花撮り、花盛りを終えた。
この春の関東は、曇り空のもとで
桜を見上げることが多かったように思う。

曇り空の下の桜は、
灰桜色。
やや灰色がかった明るい桜色だ。
上品で華やかでありながら、
控えめで、穏やかな色。

新しい元号が発表された。
「令和」。
その響きに、どんな色が当てはまるだろう、
と考えて、思い出した言葉があった。

「巧言令色鮮なし仁 (こうげんれいしょくすくなしじん)」。
これは、平成の初めの二十代の時、
父から聞いた言葉だった。
その頃、ある人との接し方に悩んでいた。
その人は、知的で分別もあり、いい人だと思うのだけれど、
なぜか、その人が意見すると色々なことが
うまくいかなくなる。時にこじれる。

なぜだろう? と父に相談した時に、
一言、その答えが返ってきたのだった。
巧言令色鮮なし仁、とは、
「言葉巧みで、人から好かれようと愛想振りまく者には、
 人として大事な徳である仁の心が欠けている」
という意味。

その人の、上品な言葉、やさしく丁寧な態度に、
単純に尊敬し、言われることを全て「正解」「善」と
思い込んでいた私には、少なからず衝撃の答えだった。

と同時に、私もそんな人間になりつつあるのでは
と不安になった。
仁の心を持つ人、とまではいかなくても、
大切に思う人には、素直に良い人でありたい。
どうすれば、そうなれるのか?

父が答えてくれたのは、
子供の頃から教えてくれていたことだった。

買い物をした時、
間違って多めにお釣りをもらっても
「得した」などと思わないこと。
一円、十円でも、もらってしまえ! と思ったら、
それが卑しさになって、心に積もっていく。

桜の落ちた花びらも、
ドカドカと無神経に踏み歩くのではなく、
そっと避けてゆく。
そのようにして、
道を歩き、
もし、人の足を踏んでしまったら、
踏まれた人の気持ちを考える。

行動を、言葉を、軽く扱わないように。
小さな積み重ねをバカにしないように。

そんな父の言葉を思い出した
新元号の発表だった。
落ちた花びらの色、
それが私の令和の色かもしれない。

灰桜色の春らしい淡く沈んだ美しい色調は、
古くから、深窓の令嬢にも愛されたという。
令嬢の【令】は、「他人の家族を尊敬していう語」であり、
「よき」の意味があるという。
【和】には、仲良くするに意味があり、足し算の答えは「和」という。
そして、日本の色、和の色の【和】でもある。
「令和」が、優しい色を背景にして、
平和で、喜びが加えられていく時代になりますように。

よき和の色を探し求めて、
平成から令和へ。
これからも、ていねいに、
見る、撮る、歩く、発信していく。

きら、星の色

「何億光年輝く星にも寿命があると…」。
山口百恵のラストソング「さよならの向こう側」の
歌詞に、抱えきれない時間と星との距離に驚いた十代の頃。

それまでは、星がそんなに遠いとは想像もせず、
「寿命」を「授業」と聞き違えていたほどに
無知だった。

星の色は、寿命の長さによって異なる。
若い星ほど青白く、老いた星ほど
赤みがかっているという。

鶏冠石(けいかんせき)色は、明るい橙色。
「鶏冠石(けいかんせき)」という
鶏のトサカのような赤い鉱物を
粉末にした顔料の色である。

先日、上野の東京文化会館のステージ裏を
ガイド付きで見学できるツアーに参加した。

夜の部をあえて予約したのは、
この建物の照明がガラスに反射して、
上野公園へと広がっていくように見える様子、
「天の川」と呼ばれる、
鶏冠石色の星が輝く景色が見たかったから。

ステージ裏の壁には、
まさに綺羅、星のごとく有名な出演者のサインが
所狭しと書かれていた。


カーテンコール体験もさせてもらった。
幕の間からステージに出て、
眩しいほどの照明を全身で感じる。
スポットライトも、星、だった。

ステージ、照明、サイン、といった
晴れがましい場所に立ったことはない。
いつも遠くから眺めている側だった。

遠く眺める、といえば
故郷を離れて、最初の帰省した夜、
見上げた空の星が、あまりに近くて
驚いたことがある。

都会よりも空が低く、
星々は鮮やかに群をなし、美しく明滅していた。
わーっ! と、小さく叫んで
静かな花火を見るように星空を見上げていた。

鶏冠石は、かつては日本の花火の原材料に
使われていたのだという。
湿気に弱く、置きっ放しにしておくと、
変色してボロボロと崩れてしまうらしい。

文化会館で見つけた、たくさんの星は
鶏冠石色。
たくさんの星は、たくさんの人たちの夢に見えた。

私の夢は、置きっ放しにしていないだろうか。
ボロボロと崩れてしまってはいないだろうか。
星を見失わないように、努めているだろうか。

「さよならの向う側」へと消えた山口百恵も、
たくさんの感謝とともに「私、きっと忘れません」と
歌っていた。

空にも、水たまりにも、星は見つけられる。
今ここにいること、与えられたことに感謝しながら、
目指す方向を見据えよう。

心の中の星も、年を重ねるけれど、
輝きは見たもの、感じたものの分、強くなるはず。
まだまだ学ぶべきことは多い。
私にはやはり、
何億光年の「授業」が必要なのかもしれない。

雨を染める春の色。

冷たい雨に打たれて、
早春の花がふるえている。

花の色は、
淡紅色(たんこうしょく)。

紅色に白を混ぜた、優しい色。
淡さが増すと、
はかなさが現れる。
空に溶けそうに、
透けてゆく花びらの色。

まだまだ寒いけれど、
三月の雨は「春雨(はるさめ)」。
その、やわらかな響きは、
細く澄んだ雨が、
煙るように降りながら、
街を、人を、優しく
包み込んでくれるような気がする。

景色の中には、ぽつぼつと
淡紅色の花々があり、
どこか暖かみさえ感じられる。

小学校一、二年生の頃だったか、
学期末のこの頃、夕方に強く雨が降り、
まだ学校にいる兄に傘を持って行くように言われた。

学校へのまっすぐの道を歩いていると、
ずぶ濡れになった中学生のお姉さんが前を歩いていた。
知らない人でもあり、
素気なく断られたらどうしよう。
でも、雨はどんどん強くなり、
寒そうに濡れながら歩いている
お姉さんは風邪ひかないだろうか。
…迷った末に
黙って、傘をさしかけた。

お姉さんは、驚きながらも笑顔で
「ありがとう」と言ってくれた。
そして、私の幼馴染のKちゃんの同級生であり、
仲のいい友達なのだと、話してくれた。

何も言えずに黙っている私に
お姉さんは、あれこれと明るく楽しく話を続けた。

けれど、嬉しいのと、恥ずかしいので、
顔を見られず、お姉さんの問いかけに
時々、うん、うんと頷くだけで、
うつむいて小さく笑うのが精一杯だった。

傘の下では、これまで嗅いだことのない
雨を含んだ制服の匂いがした。
大人でもない、けれど、自分たちのような
子供でもない、お姉さん。
遠くの美しい景色を眺めるような憧れを感じた。

学校近くの角まで来ると、
「ここから走って帰るわ、ありがとう」
と、お姉さんは、バイバイ! と手を振って
颯爽と駆け抜けて、雨の向こうに消えて行った。
「さいならぁ」と
言った記憶もない。

雨と汗と、ほんのり甘さと、
かぐわしいお姉さんの香りが
傘の半分に残っていた。

学校に着くと、まだ咲いていない桜の木が
雨の中で満開のごとく淡紅色に膨らんでいる気がした。

色も匂いも淡く、つかめない。
どこからかやってきて、
気づけば季節が春に変わっている。
その、かすかな空気の変化を
初めて感じた時かもしれない。

「はかない」という言葉も知らなかったけれど、
春の雨は、淡く優しい色に染まる記憶を
思いがけず与えてくれた。

それは、幾つになっても、
憧れとして胸に残っていて、
春雨の中を歩く時、ほんのりと心弾ませてくれる。

春がやって来る。

今できる、最高を求めて。

焦香(こがれこう)色は、
穏やかで落ち着きのある上品な茶色。

香木を使って、何回も染め重ね、
焦げたような濃い香色である。

木の色が好きだ。
その匂いも、手触りも。
懐かしく、優しい気持ちにしてくれる。

今年も、テーブルウェアフェスティバルという
食器やテーブルを彩る品々を
展示販売するイベントに行ってきた。

広い東京ドームを
友達とあちこち
興味津々見て回った。

心惹かれるものは多く、
吟味して、迷って、
結局、買えずに帰ることが多いのだけれど。

今回、気になるお店を
見て回っていると、
Rちゃんが、あ! と
驚くように手に取ったものがあった。
── miyazono spoon。
すでにそのスプーンを持っている
彼女いわく「ものみな、おいしくなるスプーン」と。

それは、スプーンをこよなく愛する職人さんが
「こんなスプーンがあったらいいな」を追求して、
手作りされたもの。
最高の口当たりを考えて創られた、カタチ、
厚み、触り心地なのだという。

すでに買ったスプーンが10本くらい買えそうな値段。
迷いに迷ったけれど、
一度はこのスプーンを口に入れてみたい!
という好奇心にかられ、思い切って買った。

当たり前のことだが、
そのスプーンで食べることで
ものの味が変わるわけではない。

けれど、口に入れた時に
ちがう「何か」を感じる。

その薄さ、角度、木の感触。
工夫を重ねられた違いを
唇ではっきりと知ることができる。

スプーンが好きで、研究され尽くした果てに
たどり着いた愛着の美、なのかもしれない。

焦香(こがれこう)色も、何度も何度も染料につけて
たどり着いた色。

「焦がれる」想い。
一途に、強く、そうなりたい。
望みを実現したいと心から願う想い。
その想いの結集した一つのスプーンが、
焦香色であるというのも
偶然ではないような気もする。

自分の好きなもの、愛するものを
とことん追求する。
そこに至るまで、妥協せずに
磨き続ける。
そうしなければ、掘り当てられない
「特別な何か」は必ずある。

それは、飽き性で、面倒くさがりの
私の憧れであり、目指す境地でもある。
人生の後半戦、どこまでそれを
追求していけるだろうか。

先のことはわからない。
ただ、好きという気持ちを
喜びにし、励みにしながら、
没頭していくと、
「特別な何か」に
たどり着くことができると信じる。

迷った時は、この焦香色のスプーンで
美味しいものを食べてみよう。
「焦がれる」想いの秘密が
香るように、その秘密を
そっと教えてくれるかもしれない。

景色を染める、想いの色

人と人とのつながりや、
めぐりあわせなどのことを言う「縁」。

目に見えない縁の名を持つ
縁色(ゆかりのいろ)は、
紫色の別称だ。

由来は「古今和歌集」の歌
「むらさきの一本(ひともと)ゆえに武蔵野の
 草はみながら あはれとぞみる」
からきている。
歌の意味は
「紫草がたった一本生えている縁(ゆかり)だけで、
 武蔵野の草がみな愛おしく思える」
という。

想いが、目にする景色を愛しいものにした、
それが縁色(ゆかりのいろ)だ。

数ヶ月に一度、電話するのが楽しみな友人がいる。
その中でも、中学時代からの友人のSちゃんは、
当時から少し大人びた紫色のイメージがある。

いつも一緒にいるわけではないけれど、
昔から、何かあると、さっと手を差し伸べてくれる。
間違っているときは、辛辣な意見もくれる。
遠すぎず、近すぎず、
心地よい距離で見ていてくれる
信頼できる友達だ。

特別な話がなくても、
電話することもある。
ただ「わかってくれている」信頼で
余計な気遣いもなく、
中学生に戻ったり、母になったり、
一人の女性になったり、と、
気持ちを解放して話せる大切な存在だ。

なかなか会えないけれど、
電話のつながりが縁の糸だった。

苦しみや悩みを打ち明けなくても、
後から気づくと、あの時救われていたんだなぁ
と思うことがある。

父も電話が好きな人だった。
母が習い事で夜によく留守にしていたこともあり、
晩酌しながら、あちこちに電話していたようだ。

二人で留守番した夜、
酔って饒舌になった父が、
遠い街に住む、同級生の女性に
時々電話していることを話してくれた。

その昔、父の憧れの人だったのだろうか。
知的で、受け応えが優しくて、
毎回、話すのがとても楽しいのだ、と。

ところが、ある日の電話で、
いつものような明るさがなく、
言葉も固く、重苦しい雰囲気になった。
「電話したら迷惑ですか?」
と尋ねると
「そうね。そろそろ声が聞きたいな、という頃に
 電話くれると嬉しいな」
と、言われたのだそうだ。

その言葉を思い出して口にする父の表情は、
悲しくも幸せそうに見えた。

素敵な言葉だなぁ、と感心した。
適当にごまかさず、冷たく断るのでもなく、
やわらかな、優しい言葉で、
友情を大切にしつつ、大人の女性として
一線を引く。

たった一本の紫草が景色を変える。
たった一本の電話が縁を結ぶ、
人の心の世界を美しく染めてゆく。

父の憧れたひとに、会ったこともなく、
写真も見たことがない。
けれど、私の想像の中のそのひとは、
美しい紫色を姿勢よく着こなされていたような気がする。

今年、父の話を聞いた当時のその方と
同い年になる。
そんなふうに人の心を大切にする
言葉を発せる大人になっているかというと
心もとない。

ただ、縁ある人たちとの交流の中で
美しい結びつきを大切にし、
関わる人の心を優しく染められるような人に
なりたいと思っている。

まちがっていたら、Sちゃんは叱ってくれるだろうか。