匂い立つころを過ぎても。

滅赤(けしあか)色は、灰色がかった赤色。
「滅」は、色味を渋く抑えたトーンを表す。

あたりが輝くような華やかさ、艶やかさを表すとき、
「匂い立つ」という言葉が使われる。

「匂う」という言葉は、
もともと「赤い色が鮮やかに表われる」の意味をもち、
香りよりも色を表す言葉だったのだ。

そんな匂い立つような色から、
鮮やかさ、華やかさを取り去り、
渋みのある色にするとき、
和の色では、
この「滅」の字を当てている。

先日、学生時代からの友人と会った。
三年ぶりの再会。

ネット時代はありがたく、
何年会わなくても、互いの姿も日々のことも、
きちんと更新されている。
昨日会った友人のように話のつづきができるのも
不思議で、愉快なことである。

彼女は三年前よりも、さらに進化して
ジャズを歌うひとになっている。
歌う苦労も喜びも、
ひろがり、深くなっているようだった。

彼女の音楽への
愛の深さについて聴きながら、
学生時代のことを思い出していた。

二十歳前の年末だった。
彼女の下宿で
仲のいい友だち数人と
一晩中語り明かして
そのままこたつで眠ったのだった。

翌朝、バイトのため私は
早く起きなければならなかった。
静かに起きたつもりが、
彼女はもう起きていて、
ギターを静かに弾いて
近づくライブの練習をしていた。

ポロン、ポロンと
やさしい音とともに
「またね」と見送ってくれた。

数日後、彼女の部屋を訪ねると、
空っぽになっていた。
実家から通うことになり、
部屋を引き払った、とのことで
にぎやかだった空間には、もう何もなかった。

楽しい時間はそこにあったのに、
大好きなお友達は引っ越してしまった。
そんな置いてきぼりされた子どものような
気持ちで、部屋をながめていた。
ぽっかりと穴があいたような寂しさで。

ポロン、ポロン…
あの日聴こえたギターの音は、
時に寂しく思い出され、
今は、やさしく懐かしく思い出す。

あの音ひとつひとつを、彼女は大切に抱き、
離さなかったから、今、また歌うひとになったのだろう。

歌う彼女の口紅は、匂い立つ赤。

あの日、またね、と別れてから、
それぞれに色々なことがあった。

消してしまいたいことも、
消えて欲しくないことも、
両手に抱えて。
たくさん得ては手放して、
出会って、別れて、
いくつかの選択のなかで
残ったものを大切に握りしめて
今の私たちになったのだ。

匂い立つものは、
やがて褪せていくのだろう。
私たちも、学生時代のような
眩しい若さは失せている。

けれど、「とき」という風にふかれ、
若さゆえの乱暴さがゆっくりと研磨されて、
目には見えない香りや、
やさしい色の空気になって、
時に誰かを包んでいるのではないだろうか。

彼女とわたし。
それぞれに違う道にいるけれど、
別々の目指す道のなかで、
自分らしい色を、
歌にして、言葉にして、
より多くの人に届けられるように。

また会う時が、楽しみだ。

空っぽの木に咲く想い出の色。

卯の花色(うのはないろ)は、
空木(うつぎ)に咲く花、“卯の花”の色。
古くから、雪や白波にもたとえられてきた白をさす。

先日、骨折して入院した母を見舞い、
しばらく母の部屋で過ごした。
電話では元気そうだった母も、
最近は、思うように動けなかったのか、
部屋のあちこちにほこりが積もっていた。

食器棚を開けると、ころんだ時に折れた前歯が
大切に紙に包んでしまわれていた。
それを見て、
幼い時に歯医者さんで
診察を受けた日のことを思い出した。

いくつだったのか記憶にないけれど、
その日、恐怖に泣く私の治療中、
母が痛いくらい
力強く手を握ってくれていたのを覚えている。

いつも家族を心配して、怒って、
笑って、ちょっと毒舌だった母が、
今は、たよりなく病室のベッドで
天井を見て溜息をついているのは、
見ていて、どこか切なかった。

帰る日に、じゃあまた来るね、
と、手を握ったら、
いつのまにか細く小さくなった手は
私が握る手の力に、
弱々しく返してくれることしか
できなくなっていた。

月日は知らぬ間に、流れていた。

胸の奥にチクリと痛む切なさを抱えたまま、
次の場所へと移動して、
きっとぼんやりしていたのだろう。
思い切り前のめりに転んでしまい、
したたか顔をうちつけて
前歯が欠けてしまった。

ギザギザに欠けた歯を
舌で確かめると、
失くした痛みを
思い知らされるような
ざらつきがあった。

一本まるごと失くしたわけではないのに、
小さな一部分が欠けただけで、
心にも体にも痛みが襲ってきた。

卯の花は、小さな白い花が枝いっぱいに咲き、
夏の花ながら、雪のように見えるのだという。

たっぷりと白で覆われるその光景は、
健康な白い歯がのぞく口元にも似ている気がする。
それは、若くて元気だった父や母がいた頃の
私たち家族の姿にも重なる。

その後、私の歯は治療して、
元の形に戻った。
けれど、あまり固いものを食べてはいけませんよ、
と医師からアドバイスを受けた。
見た目は同じに見えても、
もう欠ける前の歯ではない。

母も、少しずつ老いてゆく。
何もかも、月日を重ねれば、
元の通りになるものはない。

卯の花の咲く空木(うつぎ)は、
枝の内部が空(から)であることから
「空ろな木=空木」と名付けられたいう。

母のいない母の部屋は、
物はあっても空っぽの空木のように感じられた。

そんな空っぽに感じられた部屋も、
片づけていると、
棚いっぱいのアルバムがあるのを見つけた。
母の子ども時代から、私たち家族の想い出まで
長く愛しい時間がぎっしりと詰まっていた。

そうだ、人は、生きる限り、
空(から)になんかならない。
今の気持ちも、いつか家族の想い出となって
力を与えてくれる。
そう思って、卯の花色の母のシーツを
お日様に干したのだった。

落としたものは、何色ですか?

生色(しょうしき)。
この名から想像できないけれど、
金色の別称だ。

仏教では、金は、錆びずに“生まれたまま”の輝きを
保つことから、生色という名がつけられた。

高校生のとき、友人からもらった財布が、
この色だった。
四角い掌サイズの小銭入れ。

とても気に入っていた。
ところが、夏休みのある日、
電話ボックスに置き忘れてしまった。

気づくのが遅く、
あわてて引き返したけれど、
すでに財布はなかった。

携帯電話などない時代のことだ。
財布がなければ、帰りのバス代もなく、
助けを頼む電話もできない。
さて、困った!
と、泣きそうな思いで、
電話ボックス内に落ちてはいないかと
探したところ…
分厚い電話帳の間に、ぺらんと
はさまれたメモ書きを見つけた。

「ここに財布を置き忘れた方へ。
 警察に届けたので、取りに行ってください」
と。

驚きと、嬉しさで、メモを持つ手が震えたのを覚えている。

警察に行き、落とした時間と物と残金が
一致したことから、落とし主と認められ、
暗い部屋に通された。

しばらくすると、穴をあけ、太いひもに通されたいくつもの
落とし物の財布を見せられた。
色とりどりの財布の中から、金の財布を
指さすときに、ふと、「金の斧、銀の斧」の
物語が頭によぎった。
私の斧(財布)は、本当に金色だったのだけれど。

個人情報にうるさい現代でもそうなのだろうか?
その時は、拾って届けてくれた人の名前と住所を
メモ書きして渡された。

新学期になって、御礼に行くことにした。
一人では少し不安で、友人について来てもらった。

その日も暑くて、探し当てた家の玄関は開け放たれていた。
突然の訪問に、驚きながら現れたその人は、
思っていたよりも若いお母さん。
控えめな明るさで、あたたかく応対してくださり、
奥から、小さな坊やも出て来てくれた。

お小遣いで買ったささやかな菓子も、
固く遠慮されたものの、
無邪気な坊やに渡して、本当にあの日、
助かった、嬉しかった、ありがたかった…
そんな想いを、拙い言葉で感謝を述べ、
早々に帰った。

とても良い、嬉しい思いが胸に満ちていた。

けれど、そばで見ていた友人がぽつりと、
「あの人、いい人すぎて損をして生きてるように見える…」と
率直な思いを話してくれた。

確かに、ずるい気持ちで得するくらなら、
敢えて清貧を選ぶ、そんな強さと清潔さを感じられる人だった。
ほんの数分の会話にも、そう思える美しさに
心惹かれた自分に気づいた。

いつも清々しい想いで、ものを見ること、
人に会うこと、ことにあたること。
そうすることが、どんなに飾り立てた美しさよりも
魅力的な輝きになると、あの日に教わった気がする。

この生色(しょうしき)は、
「しょうじき」と読まれることもある。

錆びないで、生まれたままの輝きを
保つ色の名、「しょうじき」。
この読み方に、多くを語らない教えのようなものを
感じる。

心の錆は、ずるさを許す自分の中からひろがっていく。
私の中の「しょうじき」は、
まだまだ弱く、得られるならば、銀の斧を捨て、
金の斧をわが物にしようと求めてしまう。

身の丈を知り、おてんとさまに恥じないように。
それを教えてくれたあの日の落とし物は、
私にとってかけがえのない拾い物だったのだのかもしれない。

「まいにち ばらいろ」と唱える。

薔薇色(ばらいろ)。
バラの花の色は色々あるけれど、
薔薇色とは、赤系統の花色。
真っ赤よりも、薄紅に近い色をさす。

平安時代には「薔薇」のことを
「そうび」または「しょうび」と読んでいたという。
「薔薇色(ばらいろ)」と読まれるになったのは
明治以降のこと。

誰が見ても美しいこの薔薇に、
私は、少し苦い思い出がある。

小学一年生のときのことだ。
何人かの同級生が、
自宅の庭で咲いた季節の花を、
教室に飾るよう、新聞紙に包んで持ってきていた。
その様子がうらやましくて、
母に私も持って行きたいと頼んだのだ。

母は、うちには学校に持っていけるような花はない、
と、その夜、仕事が終わってから、
近所の花屋さんに駆け込んで、数本の花を買ってきてくれた。
小さな薔薇の入った、派手すぎない花束では
あったけれど、見た瞬間、私は
「これは、ちがう…」。
そう思った。

とはいえ、せっかく買ってきてくれたのに、
持っていかないわけにはいかず、
花屋の包装紙に包まれた花を、
おずおずと先生に渡すと
「え? わざわざ買ってきたの?」
と、驚かれた。
その時の恥ずかしさ、きまりの悪さは、
今も忘れられない。

それから数日間、気まずくて、
教室の花を見ないようにしていた。
「かわいい薔薇ね」といわれるたびに
「かわいいバカね」と言われている気がした。

そんなこともあったからか、花を描くとき、
選ぶとき、いつも薔薇を避けていたように思う。

「薔薇色の人生」…その言葉すら
どこかトゲを感じていた。

薔薇には何も罪はなかったのに。

そんな私の思いとは関係なく、
薔薇の花は、いつでも高貴で美しく、人気の的で、
薔薇色もまた、幸福や喜び、希望に満ちあふれた世界に
たとえられる明るい色だ。

何年前だろうか。
作家・田辺聖子さんが
サイン色紙に「まいにち ばらいろ」と書かれる理由を
新聞のインタビュー記事で読んだ。
そこでは、こう語られていた。

「あの言葉を見ていると、なんか幸せになるでしょ。
 (中略)
 ものすごくきれいな言葉を使って、
 みんなが美しく元気が出て、
 ほかの人にちょっと親切にしよかって
 気が起きたりする」

薔薇色は、言葉でさえ、色と力を放ち、
人を美しく元気に、そしてやさしくするのだ。
そんな花の色が、ほかにあるだろうか。

その記事を読んでから、
何か暗い思いに覆われそうなとき、
「まいにち ばらいろ」と唱えるようになった。
薔薇色を思い描くと、
不思議に心が、ぽっと明るい色に染められる。
暗い部分があたためられて、
元気がわいてくるような気がするのだ。

気高く、美しく、愛らしい薔薇。
つまらぬ羨望や目立ちたがりな心など、遠ざけて、
凛として咲く、薔薇の咲き姿。

あの時、娘の願いだからと、
疲れているのに、花屋さんに駆け込んでくれた
母の思いやりに思い至らなかった
自分を、今は少し恥じる。

薔薇は、どんな思いも受け容れて
微笑み、咲いていてくれる。

その花言葉は「愛情」という。

限りなく美しい未来を描く色。

夏の日射しに負けないほどの
眩しい色、天藍色(てんらんいろ)。
美しく、力強い濃い青。

そんな天藍色に染まる名古屋の街へ
行ってきた。
大好きなバンド、バックナンバーの
ナゴヤドーム公演のチケットに当たったのだ。

実は、コンサートのために遠征するのは
人生初。
そもそも面倒くさがりの自分が、
まさかこんなふうに、あれこれと
段取りをして出かけることになるとは、
思ってもみなかった。
自分で、自分に驚く夏、だった。

若いころは、経済的に余裕がなかったり、
仕事が忙しくて休めなかったり、
はたまた、極度の心配性で
「当日、行けなくなったらもったいない」と
行きたいくせに、
消極的な発想でやめておく、
という面倒くさい性格でもあった。

自分の人生に、「ライブを楽しむ」と
いうことはない、とあきらめていた。

しかし、一度行ってみたら、
心配するほどのこともなく、
それ以上に、ライブでしか
感じられない興奮と感動を
味わってしまったのだ。

これは本当に、「味わってしまった」と
いうしかない、後には引けない悦びと楽しみに
なってしまった。

何かを好きでいるエネルギーは、
物理的にも、精神的にも、
それまで自分の知らなかったところへ
連れていってくれる。

どんなに不安でも、
「好き」という気持ちが、
何があっても、きっと楽しいよ!
と、ポーンと背中を押してくれる。

そうして、やってみたら、
案外カンタンにできたり、
カンタンにいかなくても、
その過程で、自分自身の知らなかった一面に
気づくこともできて楽しい。

一度あきらめた分だけ
悦びも深く、大きいような気もする。

これはコンサートに行くことだけでなく、
人生のなかのさまざまなことにも
共通しているように思う。

それでも、どうにもかなわないこともある。

ライブの帰り道、若い女子グループが
「バックナンバー聴くと、高校の時を
思い出すんだよね。文化祭の準備とかの
とき、ずっとどっかで聴こえてたし」
と、後ろでしみじみと語っていた。

もし、十年後、二十年後、
彼らが活動を続けていたとして、
そのライブの帰り、
彼女たちは、遠ざかる高校時代を
彼らの曲とともに、また懐かしく語り合えるのだろう。

それは、私には、もうできないことである。
たとえ十年後に、行けたとしても、
彼女たちのように曲の背後に青春のシーンはない。

それでも、やはり、人生初の遠征でやって来た
名古屋の街で感じた興奮を、懐かしく思い出すのだろう。

それは、胸の内で語るのかもしれないし、
また、このブログで語るのかもしれない。

いずれにしても、人生は何が起こるかわからない。
いくつになっても、無限の夢と可能性は
捨てようとしない限り、ある。
あると、信じる。

天藍色の「天」は限りなく美しいことを表しているという。

名古屋の街で見た天藍色のあれこれを
まぶたに焼きつけて、また無限の美しい時を
夢見ていこう。

夕暮れは、天狗さんの色。

燃えるように暑い、この夏。
夕陽も一日の暑さを描くように
景色を紅色に染めている。

炎色(ほのおいろ)は、
その名の通り、炎の色。
明るい赤色。

どんなに日没が遅くなっても、
子どもの頃は、五時が門限だった。
五時になると町内放送で
「夕焼け小焼け」が鳴り響き、
それまでに帰らないと叱られた。

五時を過ぎても遊んでいると
天狗にさらわれる、と
言われ、本気で信じていた。
「学校近くの垣根で見た!」
という目撃情報に、
ドキドキしたのも
今思えば、
幼く、かわいい思い出だ。

あれは、小学一年生の頃だったか、
買ってもらったばかりの、
小さなゴムボールで遊んでいたら、
近所のいじめっ子に
そのボールを取られ、隠されてしまった。

五時の鐘が鳴り、気持ちは焦るのに
いじめっ子は、にやにやと笑い
高い木を指差して、あの上に飛んでいった、
と言う。
五時に間に合わない、両親に叱られる、
天狗にさらわれる…
恐ろしい思いがさまざまにめぐり、
泣きそうになっていた。

すると、
背の高い、知らないお兄さんが
やってきて、いじめっ子の
頬を驚くような強さでぶった。
あまりの勢いに驚いたことと、
恐怖で身を縮めていると、
二人の間で、しばらくやりとりがあり、
いじめっ子は、隠していたボールを
ふんっ! と投げて去っていった。

背の高いお兄さんは、
それをさっと拾い上げ、
身体を折り曲げるようにして
ボールを手渡してくれた。
夕焼けの空を背景にして、
幼い私にその人は、天狗に見えた。
そのせいか、激しいやりとりの恐怖からか、
うまくお礼が言えなかったような気がする。

それでも、恐れていた天狗が、
さらうどころか、五時に帰らないとダメだと
助けにきてくれたような気がして
どこか安心するような嬉しさもあった。

その「天狗さん」は、
結局、どこの誰かはわからないままだ。

後日、花火大会の日に
ちらっと見かけて
「あ、天狗さんだ」と
思ったけれど、声をかけるという発想もなく、
遠くから見ていた。
花火に照らされた天狗さんは、
炎色に染まっていた。

あれから何十年もたって、
天狗も、夕暮れも、怖くなくなった。
そして、「天狗にさらわれる」と言って、
自由に遊ばせつつも心配して
帰りを待っていてくれた両親や、
「ほら、日が暮れるよ」とゆっくりと
沈んでいく夕陽のやさしさがわかるようになった。

本当に怖いのは、心配するもの、
心配してくれるものが、なくなることだ。
今年も、炎色した夏の夕暮れが
心配する人、される人たちを照らして
やさしく燃えている。

夏、懐、なついろ、ふるさとの色。

今回は、わたしオリジナルのいろ、
なついろ。
夏の、懐かしさの、さまざまな色を
「なついろ」とする。

わが故郷には、日本三景のひとつ、
天橋立がある。
海を分けるようにうねって伸びる砂州の形、
海の青と緑の松のコントラストも鮮やかな景観。
生まれたときから、
日常の景色の中に、その美しい眺めはあった。

高校二年の夏には、
「またのぞき」で
天に架ける橋(天橋立)を
眺める展望台でバイトしていた。
ケーブルカーとリフトの、
のりばの改札係だった。

ケーブルカーの改札では、乗客の安全乗車、
ドアロックを確認して、笛をふき、発車を見送る。
それは、なかなか気持ちよく、楽しい仕事だった。

毎日、眺める天橋立の景色も、
海の色も、時間ごと、日ごとに、
少しずつ異なり、空き時間に
どれだけ眺めていても
飽きることがなかった。

進学、就職、結婚、転勤…と、
どんどん故郷からは距離が離れ、
実家もなく、帰れない街になっても、
その景色は、ずっと心にある。

四年前に久しぶりに一人で
ゆっくりと帰り、街を見て回った。
街はすっかり変わっていて、
驚きの連続だった。
道は広くなり、あったものがなくなり、
なかったものがあり、
どこか知らない街のようだった。

それでも、日本三景の美しい眺めは
変わらずそのままで、
どこから見ても懐かしい景色だった。
それが、とても、とても、嬉しかった。

その街が、大雨にふられ、
過去にない災害に見舞われた。
ネットで見た、大雨による被害、
友だちから知らされる豪雨の恐怖。
まったく想像もしていなかったことが
街を襲ったのだった。

たくさんの穏やかで優しい、
故郷の色が、抗えない自然の大きな力に
さらされていた。

心配で、悲しい気持ちになったけれど、
日々、たくさんの方々が
元の美しい形に戻そうと
奮闘されている。

「風土がひとをつくる」という。
大変ななかでも、明るさを失わず、
励まし合い、力をあわせて
粘り強く闘う姿に、
胆力とは何かをおそわる思いだ。

四年前の七月に訪れた故郷の街も、
ひどく雨が降っていた。
久しぶりに展望台に上がったのに、
雨で景色が見えない…
残念がっていたら、
どんどん雲が流れて、晴れ間が現れた。

そして、雨に濡れて輝く
まさに「天に架かる橋」の景色を
夏空のもと、懐かしい「なついろ」に染めて
見せてくれたのだ。

その瑞々しく美しい姿は、
どんなに荒れた天気の日にも
厚い雲のむこうには、眩しいほどの太陽が
待っている…そのことを改めて教えてくれた。
あれこそが、私たちの強さと
明るさを育んでくれたものなのだ。

災害に遭われた街が、
一日も早く、元の姿に戻りますように。
この夏もたくさんの観光客でにぎわう
故郷の光景も心から願う。

「親父の一番長い日」のいろ。

黄蘗色(きはだいろ)。
ミカン科キハダの樹皮で染めた
鮮やかな黄色。

幼稚園の帽子も、こんな色だった。
帰り道、ころんだり、通せんぼされたら、
すぐに泣いた私は、
工場にいる父のもとに駆け寄ったものだった。

父は、仕方なさそうに笑って
「泣きゃあでもええ(泣かなくてよい=泣くな)」と、
帽子をかぶったままの頭をなでてくれた。
私の帽子は、父の手についていた機械油の黒色が
染み付いて、名札よりも
その黒色を帽子を探す目印にしていた。

泣き虫だった私は、
いくつになっても、父に
「泣きゃあでもええ」と慰められる娘だった。

いくつもの季節を経て、
泣き虫は少し強くなって、
結婚することになった。

特にこだわりもなく、
身の丈にあったプランで
式の一切を決めてしまった。

驚いたのは両親である。
娘が嫁ぐ日のために
ずっと積立金をしてくれていて、
そこで借りた花嫁衣裳を着せるつもりだったのだ。

それならば、お色直しの着物だけでも!
と、式前日に列車に三時間以上も揺られ、
持ってきてくれた。

黄蘗色の地色に、
牡丹と桜の鮮やかな刺繍が
施された着物と、
目の覚めるような色の帯や小物。

それを見た時、両親は両親なりに
娘の結婚への夢のようなものがあったのだと
気づかされ、申し訳なく、ありがたい想いで
いっぱいになった。

式当日は、お色直しをして、
父と入場することになった。
会場の入り口で、黄蘗色の着物を着た私に
父は、少し困ったような顔で
「馬子にも衣装だ」と笑った。

黄色い帽子と、機械油の黒。
その二つの色は、
花嫁とその父の衣裳の色になって
披露宴会場に入っていった。
そして、黄色い着物の娘は
父の手によって、
黒い礼装の新郎へと託された。

式の最後の花束贈呈では、
花嫁の父は泣くだろうと
何人かが、父にカメラを向けた。
が、口を真一文字に結んだ父は、
その人たち一人ひとりに、
高々とピースサインをきめていた。
きっと、心の中で自分に
「泣きゃあでもええ、泣きゃあでもええ」
そう何度も言っていたのだと思う。

少女の頃、
遠い未来を想像して聴いた、
さだまさしさんの「親父の一番長い日」。
忘れていた、そのメロディーが
胸によみがえった日だった。

黄蘗色を産むキハダの樹皮は、
漢方薬としても用いられている。
この色を見ると、
心に薬が与えられたように
励まされ、元気づけられるのは、
両親の愛情の記憶と、
漢方の力があるのかもしれない。

砕けて、ふって、染まる色。

紫がかった深い青色、
群青(ぐんじょう)色。

古くから日本画に用いられた色で、
高価な鉱物を砕いて作られていたため、
宝石に匹敵するほどの貴重な色とされていた。

子どもの頃、16色のクレパスのなかで
「ぐんじょういろ」は、
直感的にわかりにくく、語感が重く、
気軽に使えない気がしていた。

深くて美しい
好きな青色なのに。

改めて調べてみると、
「群青」とは、
「青が群れ集まる」
という意味からこの名になったという。

“群れる、集まる”
というと、こんなにも重厚感が増すものか
とも思う。

「旅は、誰かと行くよりも、
一人で行くほうが
出会う人の数が多くなる」
とは、友人の言葉。

たしかに一人だと、
まわりに目をむけ、心を向けて、
さまざまな発見や、
出会いがあって、
手を差し伸べたり、差し伸べられたりする。
道に迷ったり、困りごとがあれば、
知らない人に声をかけたりして、
思わぬ親切に感動することもある。

一生のうちで、
私は何人の人と出会うだろう。
よい出会いは、
時間の色を深く美しい色に染めてくれる。
だから、心がけたいのは、
さりげない言葉の色。
誰かと話すとき、その言葉は、
やさしい色になっているだろうか。

言葉の数は、歳とともに増えてゆくけれど、
増えれば、増えれるほど、
重ねれば、重ねるほど、
伝わらない苛立ちを感じることも多い。

そう思うと、親しい友人との
楽しい時間と同じくらい、
一人の時間も大切にしなくては、と思う。

一人の時を大切にし、
いい色でいなければ、
集い、群れた時の色も、
美しくならない。

考えること。
人のことを想うこと。
それをきちんと言葉にすること。

そのために、たくさんの想いを味わい、
言葉の痛みやぬくもりについて
向き合う時間が必要なのだ。

傘のなかは、たいてい一人。
もの思うのに、ちょうどいい。

なかなか晴れない梅雨空の雨雲は
大きな鉱石のよう。

その雨雲が砕けて散った
雨粒がつくる景色は、
群青色のパレット。
雨に濡れた舗道には
群青色の街が
さまざまな色をにじませている。

一人だから
見つけられる色もある。

心の中の、ほの暗く重い鉱物を
どうすれば、砕けて美しい
群青色にすることができるのか…。

そんな思いをめぐらせながら、
やがて晴れる青空を思い、
「なんとかなる」と信じるのも、
雨の日の愉しみ方かもしれない。

つよく、ふかく、心に残る色。

深碧(しんぺき)色は、
力強く深い緑色。

新緑が眩しい季節になると、
自然の中へと
出かけたくなる。

それは、幼い頃、
近所の子どもたちそろって
川遊びした楽しい記憶があるからだろう。

確か小学校に入ったばかりの夏、
一番年上のお兄さんを先頭にして
川を上流にむかって探検をした。
草いきれの中、
緑を、かきわけ、かきわけしながら、
でこぼこの身長の子供たちは、
虫かごやバケツをもって
ドキドキしながら歩いていった。

前をゆく
大きいお兄さんたちは、
とても頼もしくて、
後ろについていてくれるお姉さんは
とても優しくて、
臆病な私も、
前へ前へと進んでいった。

さて、
その先に何があったのか──。
それは、
残念なことに覚えていない。
ただ、お兄さんたちの
光を浴びたシルエットだけが
記憶に残っている。

怖かったけれど、
たくさん笑って、
たくさん歩いた。
太陽と川面の光が反射した
キラキラ輝く記憶だ。

あまりに楽しくて、
「あしたも、また探検しよう」
と、約束し、
翌日、同じ探検をしても
もう楽しくなかったのが
不思議だった。

「またあした」
「また遊ぼう」
そう言って、ずっと続くことを
無邪気に信じていた。
けれど、
時がたつと、みんな成長し、
人も環境も様子がかわっていった。

「またあした」の「あした」は
いつ終わったのだろう。

懐かしいあの通りに
あの時遊んだ人たちは、もういない。

あれから何度も新緑の季節を
迎えては見送って、
記憶は遠くなるのに、
眩しい緑色は、あの日の
川の音や、笑い声を
いきいきと思い出させてくれる。

「みどり」には、
草や木の色をさす「緑・翠」と、
青の美しい石をさす「碧」の
文字がある。

人生のなかの新緑の季節は、
とても短くて、
あっという間に葉は色づき、
やがて枯れてゆく。

それは、ごく自然なこと。
寂しくても、嫌だとあがいても、
誰もみな同じように
時が流れて、同じように枯れてゆく。

大切なのは、過ぎてゆく時間の中で
朽ちずに残る青く美しい石を
小さくてもいいから、
残していくことではないだろうか。
自分のなかに、
できれば、誰かの心のなかに。

今年も新緑の写真をたくさん撮った。
パソコンにずらりと並べると
いくつもの青く美しい石に見える。

誰に借りたものでもなく、
私がそこにいて、誰かに伝えようとした
かけがえのない石たち。
まだまだ美しい石とはいえないけれど、
技術を磨き、想いをのせて、
力強く深い緑色にして
残していこうと思う。