あらい、あらわれ、てらす色。

真っ暗に撮れてしまった写真を、
パソコンで画像調整した。
置き去りにしていた写真の中の朝陽が、
ほんのりとやわらかい明るさで現れた。

洗朱(あらいしゅ)色は、
黄色味を帯びた薄い朱色。
「洗(あらい)」には、
布などを洗うことで
「色が薄くなる」という意味があり、
洗い弱めたような薄い朱色を
この名で呼ぶ。

四年前、人生初の「友人と旅行」をした。
シーズンオフの箱根へ女三人旅。
宿は貸切状態で、
ゆったりと温泉につかった。
あれこれと語る中で、
ウェブデザイナーのRちゃんに、
気になっていたブログ作成について訊いた。
とても、自分でできるとは思えなかったけれど、
お湯の中でRちゃんの話を聞いていると、
「私も始めてみたいな」と、心が湧き、動き始めた。

翌朝、一番に目覚めて、テラスに出ると、
朝陽にゆっくりと染められていく
濃紺の空と景色が広がっていた。
まだ操作もわからない、
買ったばかりのカメラを取り出して
夢中で撮っていた。

けれど、撮れた写真は、
がっかりするほど真っ暗で、
ぼんやり朱色が写っているだけだった。

こんな私に、ほんとにブログ始められるのかな?
と、夢も冷める思いで景色を眺めたのだった。

ステイホームのこの数ヶ月。
二年前に買っていた写真加工のマニュアルを
やっと読むことができた。
ほんの少し知識を得て、過去の写真を加工してみた。

すると、写真の中の朝陽や夕陽が、
ゆっくりと周りを明るく照らして、
その時々に感動した景色を再び見せてくれた。

陽の色は洗われた朱色。
洗朱色だ。

振り返ると、あの四年前の旅行が
なければ、このブログも始めていなかったかもしれない。
Rちゃんの助けがなければ、
途中で投げ出したくなることもたくさんあった。
完成後も、Rちゃんは、より多くの人に読まれるようにと、
様々なアドバイスもくれた。

あの旅がなければ…。

旅に出る前は、友人との旅、ただそれだけだった。
でも、今となって思うと、
ブログを始めるきっかけをくれた、
大切な旅だった。

起こることには意味はない。
それにどんな意味をつけるのか、
どんな感情を抱き、決意するかは、
自分次第。

未来のことなどわからない。
過去のことも、
今いるところから見てみないと
気づけないことがある。

このブログで紹介する和の色も、百色を超えた。

今、思うように撮りに行けない中で、
続けていくために、できることを考えてみる。

きっと、こんなふうに思い悩んだことも、
やってみたことも、いつか懐かしく思い出すのだろう。

どんな過去もさっぱり洗って、
差し出すような、優しい洗朱色を見て思う。

失敗した、と思ったことも、
少しの工夫で、生きてくることがある。
あるいは、時に洗い流されて
今の自分にはわからなかったことを
教えてくれるかもしれない。

時間は、いつも私を包み、
続けることの意味を教えてくれる
永遠の先生だ。

約束しなくても現れる朝陽のように、
これからも当たり前のように
和の色さがしを続けて行こう。