萱草色(かんぞういろ)は、黄色がかった薄い橙色。
ユリ科の「萱草」という花の色に
ちなんでつけられた名前だ。
見ると憂いを忘れるという中国の故事から、
萱草は「忘れ草」とも呼ばれ、
その色も、別れの悲しみを
忘れさせてくれる色とされていた。
(※画像は萱草の花ではありません)
万葉集にも
“恋しい人を忘れるために、この花を身につけたけれど、
どうしても想いが消せない”
という歌がある。
昔も今も、恋する切なさは変わりなく、
萱草は、その苦しさを紛らわせる
おまじないに使われていたのだ。
平安時代には、宮廷の忌事のときに着用された色でもある。
表裏に萱草色を重ねた女子の袴は
「萱草の襲(かんぞうのかさね)」として、
喪服に用いられていた。
こんな派手な橙色を忌事に!? と、驚く。
けれど、
平安貴族にとって
慶びのときに使われるのが華やかな紅色なので、
やや赤みを落としたこの色が、
控えめな印象で、遠慮する心を表していたのだという。
もしかしたら、凶事の悲しみを「忘れる」ために、
この色を身にまとったのかもしれない。
現代の感覚でこの色を見ると、
萱草色は、やさしい夕暮れの色を思い出す。
美しく落ち着いた橙色の夕空を見ていると、
楽しい一日なら、暮れてゆくのが惜しいような、
つらい一日なら、ほっとするような。
やはりどこか「忘れる」ことにつながるような気もする。
祭の夜店で見る電球の色も、これに近い。
にぎやかで楽しい、ウキウキする気持ちと、
祭のあとにやってくる寂しさの予感があって、
「忘れたくない」想いを焼きつけるような色にも見える。
忘れること。
忘れたくないこと。
いろんな想いや思い出を抱えて、日々をすごしてゆく。
一日一日を、色づけして記録するとしたら
何色が多くなるのだろう。
今は忘れたい日も、いつか、忘れたくない、
そんなふうに思えて、
この色に染まるといいな、と思う。
そういえば、赤と黄色の間をたゆたうこの色は、
どんな記憶も、想いも夢も、
やさしく溶かして生まれた色のように見える。