“た“とする色を、たどってみたら…。

「あなたの存在を多としております」。
どこで見つけたのか、手帳に書き留めておいた言葉。
「多(た)とする」とは、
「ありがたく思う」の意味。

紅絹(もみ)色は、鮮やかな黄色がかった紅色。
黄色で下染めしたものを紅花で染めた色で、
花をもんで染めることから、この名がついた。

久しぶりに幼なじみの友人から電話があり、
近況報告しあった。
連休前に富山に行ったことを話すと、
友人も、来月、富山へ行くと言う。
「どこへ行ったの?」
「どこに行くの?」
やや興奮気味にお互いに質問し、
雨晴海岸!」
と、同時に答えたのも、おかしかった。

それまで二人とも、富山へ旅行したこともなく、
「富山に行く」と話したこともなかったのに、
遠い街で、偶然、同じ時期に同じ場所に
思いを馳せていたのだ。
雨晴海岸はもちろん、
黒部峡谷のトロッコ列車も勧めておいた。

ずっと乗ってみたかったトロッコ列車は、
残念ながら、この春の運行が始まったばかりで
まだ短い距離しか乗れなかった。
けれど、列車から見た景色だけでなく、
駅周辺もあちこち歩いてみると
峡谷ならでは迫力と自然美に
心惹かれた。

緑に映える橋は、紅絹色。
鮮やかでやさしい、とても自然に馴染む色。
トンネルの向こうの、見えないどこかへ向かう
紅絹色の橋は、展望台から眺めると赤い糸に見えた。

いつか結ばれる相手とはつながっているという
「赤い糸」。
それは、男女だけでなく、友人や、土地や仕事、
さまざまなものとつながって、
何本もあるのではないかと思う。
今は見えなくても、遠いところでつながっている。
そう思うと、未来はまだまだ楽しく希望に満ちている。

富山を走る鉄道は「あいの風とやま鉄道」。
あいの風とは、
日本海沿岸で、東から吹くほど良い風のことをいうらしい。
「愛の風」「会いの風」にも聞こえて
耳にするたびに心温まる想いがした。

話しかけた人、乗り遅れそうになった列車で
親切にしてくれた人、皆、やさしい人たちだった。
だから、あいの風吹く富山は、
さまざまな人たちの赤い糸を引きつけて、
招いてくれてるように思える。

昔、占いで
「あなたの人生を変えるきっかけは旅です」とあり、
よくある話だなぁ、と、軽く受け流していた。
けれど、今回の旅の後、小さな変化がいくつかあって、
自分の気持ちも、風向きが変わってきている気がする。

そして思い出した、
「あなたの存在を多としております」という言葉。
これまで関わってきたもの、新たに出会ったものが、
全て「多としております」という想いになって、
旅の後の自分がいる。

少しあきらめそうになっていたことも、
全くできそうにないと思い込んでいたことも、
細くても、強い糸になって、
初夏の空に、ぱっと紅絹色を散らすように飛び始めた。

その糸をたぐりよせながら、
強い風にも、激しい雨にも、
流されず立っていられるよう、
力をつけて、笑っていよう。
いつか私も、
誰かの「多とする存在」になれるように。

時がおしえてくれる色。

「二月の雪、三月の風、四月の雨が、美しい五月をつくる」。
新緑の頃、思い出す天気のことわざの一つだ。

英語にも似たことわざがある。
「March winds and April showers bring forth May flowers」
(三月の風と四月の驟雨が五月の花をもたらす)。

虫襖(むしあお)色は、
玉虫の羽のような暗い青みの緑色。
光の角度で玉虫のごとく、色が微妙に違って見える。

短大二年の夏に、アメリカ出身の先生の
京都にある海辺の家へ三泊四日の合宿に行った。
先生夫婦と生徒四人、古民家で英語だけの暮らし。
集まったのは、県選抜の交換留学経験のあるクールなA子、
真面目でもの静かなB子、ホームステイ帰りの陽気なC子。
観光地ではない、静かな田舎町にたどり着いたところから
英語生活はスタート。
街の人たちも、日本人なのに英語を話す私たちを
優しく迎え入れてくれた。

合宿が始まって数時間。
気軽に参加したことを後悔した。
皆、本当によく英語を話す。
とりわけA子は、流暢すぎて何を言ってるのかわからないほどだった。
それでも、和やかな雰囲気の中で、
私一人が時にジェスチャーで、四人協力し、家事や遊びを楽しんだ。

三日目、海で遊んでいると夕立が訪れた。
干していた布団が濡れると慌てて帰ると、
近所のおじさんが取り込んでいてくれた。
そのお礼に行った時、つい「ありがとうございました」と
日本語で言ってしまい、A子にひどく叱られた。
そんなに怒らなくても、とふくれたところ、
A子のこれまでの怒りが爆発。
真剣に学びに来ているのに、いつもあなたのふざけた態度が
それを邪魔する…というようなことを、一気にまくしたてた。
B子もC子も黙っていたから、同じ気持ちだったのだろう。

その日の夜、先生が突然、
「特別な場所に連れて行く」と、先頭立って歩き出した。
街灯もほとんどない街の、静かで暗い夜だった。
背の高い葦が鬱蒼と生えているところに着くと、
先生が「しーっ」と指を立てて、そーっと歩くのだ、
とジェスチャーし始めた。それは私をマネた仕草。
みんな、私の方を見てクスクス笑ってくれた。

葦の中に入ると、暗くて足元が不安定で
怖くなった。
方向も、皆の姿も見失い、
恐怖で動けなくなっていると、
ふわりふわりと
螢が舞うのが見え始めた。

幻想的な光景に感動しながら、
じっとしていると、
三人が探しに来て、手をつないでくれた。
みんなで黙って、ゆっくり前進した。
仲直りしたことをくすぐるような蛍の光に、
照れくさく、嬉しく、安心の涙も少しこぼれ、
暗くてよかったと思った。

そんな光景を思い出しのは、
富山の川沿いを歩いたからだ。
小説「螢川」の舞台となった川、街。
寒い冬のシーンから始まり、
螢舞う季節に移る中で
人や景色が変わってゆく。

同じように見えて、変化してゆく川の表情を
眺めていたいと思った。

そして小説のラストを思い出していた。
美しく妖しい螢の光。
襲いかかるような未来への不安。
最後の一行を読んだ後も、ページをめくり、
次のシーンを探し求めた。

あの時の三人も、今はどんなシーンの中に
いるのだろう。
風を受け、雨に打たれ、その経験を力にして、
美しい五月のような「今」を迎えているだろうか。

いいことも悪いことも、玉虫の羽のように
見方によって、色合いが変わる。

あの時、先生は、暗闇の中、
小さな光を一緒に見つけることで
互いの存在がどれほどありがたく嬉しいものなのかを
教えてくれたのだ。
それは、明るい昼間ではわからなかったことなのかもしれない。

人は言葉でつながり、言葉で別れることもある。
言葉はなくても、つながる瞬間もある。

その時には気づけなかったことを、
あの日から遠い時間、遠い街で、教わった。

川面のきらめきは螢のように、
そして五月の木々は虫襖色に輝いていた。

田園発、心潤す色。

富山では、どうしても見たい景色があった。
宮本輝さんの小説「田園発港行き自転車」で
主人公たちが訪れる場所だ。

「──私は自分のふるさとが好きだ。
ふるさとは私の誇りだ。」

冒頭、登場人物の“千春”が、生まれ故郷が
いかに美しく、心慰めてくれるかを語るシーン。
彼女の紹介してくれた街の情景に
すっかり魅せられて、
いつか必ず行こうと決めていた。

潤色(うるみいろ)は、濁ってくすんだ色。
灰色やねずみ色ではなく、さまざまな色が
合わさって見える色だ。

富山では、あちこちで、
「潤色」を見つけた。
私はこの色を、
湿気をたっぷりと含んで景色の彩りを
にじませた色と思った。

“千春”は、東京での仕事に慣れず、
故郷富山に帰る日の送別会で、
生まれ育った町、入善町の美しさ、
素晴らしさを生き生きと語る。

冒頭のそのシーンから、
水清らかで、緑やさしい光景をもつ入善の街は
ゆっくりと胸に広がり、読み進むほどに
強く心から離れなくなった。

広い、広い田園風景。
そこに映る立山連峰。
両手を広げても、
自分のちっぽけさを感じさせる
スケール感に、感嘆の声をあげた。
神々しく、雄大でありながら、
ガラス細工のように繊細に見える
水田の透明さ。

「愛本橋って、黒部峡谷からの風の通り道ね」
と、作品中語られるが、
遠い峡谷から、冷たい風が通って
川を下り、海へと流れていく。

水だけでなく、風も、匂いも、ここを通って
海へ向かっていく。
海の方を見ていると、風になって
遠くまで飛んでいけるような心地。

山中の赤い橋。
作品を読まなければ、もしかしたら
通過していたかもしれない。
けれど、立ち止まって、
橋から見る景色を味わい、
遠くからこの橋の眺める。

その姿は、周りの豊かな自然に
馴染みながら、華やかな気品があった。
作品中でも「清潔な色香を漂わせた芸妓」“ふみ弥”に
喩えられていて、
ひと目見たら、
吸い込まれそうな、
心奪われてしまうような
妖しくも溶けるような魅力を感じた。
いつまでも見ていたい、
見飽きることのない橋だった。

振り返ると、
「川べりにゴミひとつ落ちていない」
と、“千春”が語っていた黒部川は、
流れも美しく、本当にゴミがない。
清澄な空気と水に、そこに立つだけで
人も、景色も、すべて
洗われていくような気がした。

どこを見ても、美しく、懐かしい。
そうだ、この田園風景も
海へと続く町並みも、私の故郷に少し似ている。
“千春”が語る。
「離れて見ないとわからんことがたくさんあるわ」。

そして、立山連峰にかかる雪や、
山々をふいに明るくさせたり、暗くする厚い雲が
田園の虫一匹にまで恩恵を与えていることに気づくのだ。

“千春”が気づいたように、
今の自分の身体も、心も、
故郷の自然が育ててくれたもの。
そこにあった人、もの、自然、あらゆるものから、
恩恵を受けていたことに気づいたのだった。

富山から帰って、もうすぐ二週間。
鼻の奥にかすかに残っていた富山の香りも消えつつある。
さみしいけれど
「私はいつでも、まっさらになれる」という“千春”の言葉に
力をもらう。

また、まっさらになって、心潤しにあの街に行こう。

こぼれて注ぐ、夜明けの色。

水の美しい富山で、
水面に映る夕陽を見てみたいと
環水公園に行った。

豊かな水を、全身で感じられる
水のカーテンがお出迎えしてくれた。

ゆっくりと傾く夕陽を水面に映して、
キラキラと輝く時間。
こぼれてくる太陽と水の反射が、
サーチライトのように照らしてくれる。

お日さまの色は、
明るい黄赤色の東雲色(しののめいろ)。

ここは北陸、富山。
空気も湿り気があって心地よい。
と、思った時、
あ! と思い出す光景があった。

三十年くらい前のこと。
夫の転勤で、赤ん坊と三人、
知り合いのない金沢の街に住んでいた。
まだ未熟な母の私は、
ある時、息子を
ひどく叱りつけてしまった。
泣きじゃくる息子は、夜中に
突然、激しく嘔吐し始めた。

驚き、慌てた。
何軒かの近くの小児科に電話し、
やっとつながった医師に、
藁をもすがる思いで、診察をお願いした。

「いいですよ、連れていらっしゃい」と、
S先生は快く引き受けてくれた。
心配と自責の念から、
異常な緊張状態のまま、
車で二、三十分のその病院へと向かった。

すると、静かに寝静まっている住宅地に
病院の前だけ明々と灯りがついていて、
エンジン音を聞きつけて、
S先生が出てきてくれた。

深夜にも関わらず、
おおらかに、優しく診察し、
親子ともに落ち着かせてくれた。

帰宅する頃には、
息子もスヤスヤ眠っていた。
夜も明け始め、
子供がいたずらで開けた障子の穴から
朝日がこぼれていた。

東雲色は、夜明けの色。
「東雲」の語源は、
昔の住居の明かりとりである
「篠の目(しののめ)」からきている。

篠竹という竹を使って
戸や壁に網目を作る「篠の目」、
そこから暗い室内に
夜明けの色が差し込んだことから
「東雲色」と呼ばれるようになったという。

控えめに射す東雲色の光に包まれて、
息子と私は疲れて眠った。

翌日の昼、S先生から電話があった。
「今、昼休みだから電話したんだけどね。
 また、何かあったらいつでも診せに来るんですよ。
 そして、お母さん、あなたが元気でないといけないから、
 赤ちゃんと一緒にちゃんと休みなさいよ。
 気をつけてね」
と。

ずっと、叱りすぎた自分を責めていた心が
緩んで、溶けて、涙が止まらなくなった。

尖った心には、戒めよりも、
やさしさが、何よりも導きになる。
そのあと続く子育てに、
大切な教えをもらったのだった。

忘れていたそんな思い出を
公園の夕陽が思い出させてくれた。
帰ってきて、あのS先生はどうされているのか
ネットで検索すると、二年前のクチコミに
「夜中に診察をお願いしたら『すぐに連れて来なさい』と
快く診てくれました」とあった。
そして、昨年の情報として「閉院しました」と。

最後まで、きっとたくさんのお母さんたちを
安心させ、やさしく頼り甲斐のある先生でいらしたのだろう。

誰かの力になること。光になること。
S先生のようにはなれなくても、
この夕景のように、そこにあるだけで
誰かの心を癒すことができるような
そんな強さを持ちたいと思った。

遠い日の苦い思い出も包み込んで、
北陸の風はやさしかった。

またとない色を求めて。

烏色(うしょく)は、
柳田国男の「日本の昔話」のなかの
「梟(ふくろう)の染め屋」というお話に出てくる、
炭のような黒色。

烏(う)は、からすのことで、
染め物屋のふくろうが、
真っ白な着物を着ている洒落者のからすから
「またとないような色に」と染めを依頼される。
仕上がった着物の色は、黒。
からすは怒ったが、
白にはもどせずに今も黒いままなのだ
というお話。

黒は、どことなくミステリアスな色。
烏色に染まる夜の外出は、
昼間にない世界を見せてくれる。

数年前、博多を一人で旅したときに、
道に迷って、目的地でないビルの地下に入ってしまった。
空腹で、のども渇いて、どこか入りやすい店を…
と、探していると、和服の女将さんがカウンターで
きびきびと働く、感じのいい店を見つけて、
のれんをくぐった。

店の隅のテーブルにつくと、
「そんな隅っこおらんと、こっちこんね!」
と、カウンター席のご婦人に声をかけられた。
聞けば、アルゼンチンタンゴの練習の帰りと
いうそのご婦人は、74歳だという。

「この人、遠くから来たんだから、とっておき出して!」
と、ご婦人のリクエストで、
女将さんが秘蔵のお酒を注いでくれた。
思いがけない歓待を受け、心はほどけた。

しばらくすると、店は満席。
ご婦人と私だけ、異空間にいるように
二人だけ静かに語り合っていて、
気がつけば、ご婦人の
来し方について話を聞いていた。

ごく普通の事務員だった二十歳のときに、
老舗の跡取りに見初められ、
生まれて初めてのパーティーや、プレゼント。
ご近所もご本人も
驚くほど派手な結婚の支度や儀式。
そして、嫁いだあとの
老舗の若女将ならではの
数々の苦労。

おそらく、無垢で、純粋で、真っ白だった
その人は、結婚して、さまざまな感情や
出来事にもまれて、逃げ出したくなるような
つらい日が、たくさんあったのだろう。

からすに喩えては失礼ではあるけれど、
愛情に包まれて、またとない色に染まるつもりが、
闇のような烏色を着せられてしまったような、
いっそ闇のなかに消えたいほどの想いを
日々重ねられて、ご自身の色も白から黒へ
大きな転換をはかれたのではないだろうか。

ご主人を早くに亡くされた話では
ほろりと落涙しながら
あんなに大事にしてくれたから、
ずっと主人のことを思って
天国にいくの、と。

それでも、ただ、その日を待つのではない。
「わたし、あとひとつ、どうしてもやりたいことがあるの」
と、キラリとした笑顔。

いいなぁ、と、思った。
話していくうちに、そのチャーミングさに
心惹かれていた。
若さも、飾りつけも必要としない、
内面からあふれる、「人としての魅力」。
「またとない色」とは、
他人に染めてもらうものではなく、
自分で染めるものなのだと教えられた。

それが、真っ黒であったとしても、
その中にキラキラと輝く光があれば、
光をうけて、黒さえも輝く。

最後は私もこれからの夢を語り、
「あんたもしっかりやらんね」と
励まされて、店をあとにした。

外は、真っ黒な夜。
見知らぬ街の、見知らぬ店で、名前も名乗らず別れた人たち。

せめて名前だけでも聞きに引き返そうとして、やめた。
同じ店を訪れても、
「そんな人はいませんでしたよ」と言われそうで。
もしかしたら、もう店ごと存在していないかもしれない…
そんな気がしたから。

夜の街はミステリアス。
あったこともなかったことにして、
全て闇の中に消えてしまう気がする。

ただ、夢であれ、現実であれ、
感じたことや想いは、ずっと胸のなかに残る。

せんせいのブランコ。

浅青(せんせい)色。
ほんのりくすみのある、明るい青。

あたたかく、
心地良い風のふく五月。

深呼吸して仰ぐ空が、
明るく、まろやかな青さの
浅青(せんせい)色だと、
あぁ、いい季節だ、
と、嬉しくなる。

子どもの頃は、
外遊びが嫌いで
春が来ても嬉しくなかった。

小学校一年の通知表には、
通信欄に
「太陽がこわいようです。
 休み時間は、教室にいないで、
 お友達と外で遊びましょう。」
と書かれていた。

人と話すのが苦手で、図工の時間に
「小豆ひと粒の大きさの絵の具を出しましょう」
と言われたのに、思いがけずたくさん出てしまい、
どうしていいかわからず泣いた。
まわりは驚き、なんで泣くのか理由を訊かれても、
ただ泣くばかり。
隣のクラスから、
幼なじみの友だちが呼ばれ、
なだめられても、泣き続けた。

今思うと、めんどくさい子どもだ。
でも、そのときは、
どうしていいのかわからなかったのだ。

そんなある日、
グランドで、自由に過ごす授業があった。
担任の先生は、歌が好きな女性で、
ブランコに乗って、
“空よ~、水色の空よ~”
と、トワ・エ・モアの「空よ」を
とても気持ちよさそうに歌っていた。

春の心地よい風にのって歌う先生の姿に、
とても素敵な「自由」を感じた。
先生の視線のむこうには、
淡くて明るい青色の広い空。

やさしい風、美しいメロディー、
そして、何かをすくいあげるように揺れるブランコ。

今いるところを、
きゅうくつに感じていた自分が、
ひょいとすくいあげられ、
どこか広いところに放たれるような
のびやかで、おおらかな想いになった。

今もその時の光景を、はっきりと覚えているのは、
あのとき、何かに気づいたのだと思う。

それが何だったかは、
はっきりと言葉にできないけれど。

こんなに空は広くて、
ブランコに乗って、歌うだけでも、
楽しくて朗らかな気持ちになれるんだなぁ、
という小さくても確かな事実に
気づけた喜びなのかもしれない。

その後、ゆっくりと、好きなことは好きなままに、
少しずつ、少しずつ、
自分のやり方で、世界をひろげて行った。

土日は、家でマンガを読んだり、描いたりしながら、
学校帰りには、友だちに自分の作った物語を話した。

今思うと、それもめんどくさい子どもだとは思うが、
マンガ描いて~と、見てくれたり、
物語の続きを楽しみに聴いてくれたりしてくれる
そんな友だちもいてくれることが、わかったのだ。

あの日、ブランコで歌っていた先生は、
消極的な私の中の、静かなエネルギーに
気づいていてくれたのだろうと思う。

高学年になってからも、
いつもどこか心配そうに、
でも、会うとニコニコとやさしく見つめていてくれた。

先生の包み込むようなまなざしが、
私を成長させてくれた。

トワ・エ・モアの「空よ」の歌詞の最後は、
「空よ おしえてほしいの
 あの子はいまどこにいるの」。
先生は、いま、どうしていらっしゃるだろう。

ふるさとから遠く離れた街に住む今は、
空に訊くしかない。
けれど、
浅青色の空をみると、
先生のあの日の歌を思い出す。

あの時と同じ空の色は、
永遠に、同じときに帰してくれ、
会いたい人に会わせてくれる気がするのだ。

思い焦がれて、染まる色。

焦色。
「こがれいろ」と読む。

焼け焦げて黒色に近い「焦茶色」とはひと味ちがう、
深く渋い赤色。

「思い焦がれる」という言葉もあるように、
赤い「思色」に通じる、
感情の「焦がれ」を表しているからか、
基本の色は燃える色、赤色なのだ。

そんなにも情熱的な名前でありながら、
思いが時を経て、やさしい記憶になったような、
滋味ある色にも見える。

この色を見ると、一枚の写真を思い出す。
家族みんなが精一杯よそゆきの服を来て
奈良の遊園地へ行ったときのものだ。

父に手をひかれて、たよりない足取りで歩く小さい私。
見るたびに父の愛情を感じて、
懐かしく、あたたかい思いになる。

その気持ちは、焦がれるように、
この時に帰りたいと思うものではない。

きっと、この色が与えてくれる懐かしさが、
時の経過のなかで
失くしたものを思い出させ、
同時に得たものの大切さ、重さを教えてくれるのだろう。

今では、この時の父の年齢も超えてしまった。
父の生きた年数も、もうすぐ超えようとしている。

けれど、この写真をみると、
「人ができることは、自分もできると信じて頑張りなさい」
と、いつも励ましてくれた父の言葉をいきいきと思い出して、
“さぁ、これから、これから! ”
と、娘にかえったように若く瑞々しい意欲が漲ってくるのだ。

もうすぐ父の日。
会えないけれど、今年も、心からの感謝を伝えようと思う。

忘れるために。見る色、着る色、想う色。

萱草色(かんぞういろ)は、黄色がかった薄い橙色。
ユリ科の「萱草」という花の色に
ちなんでつけられた名前だ。

見ると憂いを忘れるという中国の故事から、
萱草は「忘れ草」とも呼ばれ、
その色も、別れの悲しみを
忘れさせてくれる色とされていた。


(※画像は萱草の花ではありません)

万葉集にも
“恋しい人を忘れるために、この花を身につけたけれど、
どうしても想いが消せない”
という歌がある。

昔も今も、恋する切なさは変わりなく、
萱草は、その苦しさを紛らわせる
おまじないに使われていたのだ。

平安時代には、宮廷の忌事のときに着用された色でもある。
表裏に萱草色を重ねた女子の袴は
「萱草の襲(かんぞうのかさね)」として、
喪服に用いられていた。

こんな派手な橙色を忌事に!? と、驚く。
けれど、
平安貴族にとって
慶びのときに使われるのが華やかな紅色なので、
やや赤みを落としたこの色が、
控えめな印象で、遠慮する心を表していたのだという。
もしかしたら、凶事の悲しみを「忘れる」ために、
この色を身にまとったのかもしれない。

現代の感覚でこの色を見ると、
萱草色は、やさしい夕暮れの色を思い出す。

美しく落ち着いた橙色の夕空を見ていると、
楽しい一日なら、暮れてゆくのが惜しいような、
つらい一日なら、ほっとするような。
やはりどこか「忘れる」ことにつながるような気もする。

祭の夜店で見る電球の色も、これに近い。
にぎやかで楽しい、ウキウキする気持ちと、
祭のあとにやってくる寂しさの予感があって、
「忘れたくない」想いを焼きつけるような色にも見える。

忘れること。
忘れたくないこと。

いろんな想いや思い出を抱えて、日々をすごしてゆく。
一日一日を、色づけして記録するとしたら
何色が多くなるのだろう。

今は忘れたい日も、いつか、忘れたくない、
そんなふうに思えて、
この色に染まるといいな、と思う。

そういえば、赤と黄色の間をたゆたうこの色は、
どんな記憶も、想いも夢も、
やさしく溶かして生まれた色のように見える。

萌えろ! いい色、もえぎ色。

もえぎいろ。
萌黄色、あるいは、萌木色とも書く。

黄色の強い緑色なので「萌黄」。
平安時代から用いられたこの名の色は、
時に老いを隠す変装にも使われるほど
ひと目で若さを表現できる色だった。

一方、「萌木」色とは、
若芽の萌え出た木、新緑の色からつけられた名と考えられる。

 

 
そんな若さ感じる「もえぎ色」。

その名を聞くと、子どもの頃、
友だちの誕生会におよばれして行ったことを思い出す。

誕生会は春夏秋冬、それぞれの季節にあったはずなのに、
思い出すのは、新緑の中で、おにごっこやかくれんぼした、
もえぎ色の記憶なのだ。

誕生会で集まる友だちは、クラスの中のひとつのグループであり、
その固い結びつきの中にいられることが
安心感でもあり、息苦しさでもあった。

そこで笑ったこと、喧嘩したこと、経験したことは、
その当時の世界のすべてだった。

成長するにしたがって、世界は少しずつ広がり、
グループにとらわれることが居心地悪くなっていった。
ここがダメでも、別の場所があり、
変わること、離れることで、
ひととき胸に痛みがはしっても、
求めれば、新しい世界が大きく手を広げて
待っていてくれることを知った。

幼くて、たよりなくて、
小さな世界で悩んで、
でも、若くエネルギーに満ちて輝いていたあの頃。
その姿が萌え木と重なって見える。

だから、懐かしく、やさしく、愛しく見えるのかもしれない。

生きてみなければ、わからないことが
まだまだいっぱいあるよ、
と、若く瑞々しいもえぎ色が
葉を揺らせ、くすぐるように笑いながら、
今年もさわさわと語りかけてくれる。

空にかからぬ虹の色。

虹を見たら、なぜそれを人に言いたくなのだろう。

いつ消えてしまうかわからない儚さからか。
やっと出会えた、そんなときめきがあるからか。

「虹色」は、虹の七色全てだろうかと思いきや、
意外にも一色。淡い紅色のことをさす。
紅花で染めた薄い絹地の色だ。
薄い絹地は、光の反射により、青みが強かったり、
紫みが強く見えたりするという。
光を織り込んだような絹地の色は、
見る角度によって移ろうように見えるから「虹色」なのだ。

光や角度によって表情を変える
虹色の無限性、不思議さ。

それは、ひとの気持ちにも似ている気がする。
たとえば「好き」という気持ち。

自分の気持ちも、我知らず月日の流れによって変化するし、
相手の気持ちも、その日、その時の様子で
色や温度が変化したり、さまざまな色合いが入り混じって見える。

光と色がある限り、刻一刻と変化する。
揺れ動く感情と同じで、
誰にも止めることができない。

もし、それをひととき見ることができたら…。
視界の中にとどめることができたなら…。

虹を見つけた喜びはそれに似ているのかもしれない。
そして虹色は、見つけた喜びに高揚する頬の色にも見える。