涙のリクエストが、聴こえた日。

大阪・梅田の地下街を
スーツ姿で走っていた。
はやる気持ちに蹴り上げられて、
パンプスのヒールがはがれて飛んだ。

山藍摺(やまあいずり)は、灰色がかった青緑色。
山藍(やまあい)という染色植物を、
衣にこすりつける摺(すり)染めから生まれた色だ。

その日は、就職試験の三次面接。
一次面接落ちの連敗続きで、
やっと、三次までこぎつけた大切な日だった。
なのに、遅刻しそうで、大慌て。

なくなったヒールを探す余裕もなく、
全力疾走で面接会場に向かった。
無事に到着し、
片方の高さが違うパンプスで、
まるで透明なヒールがあるかのように
つま先立てて歩き、面接に臨んだ。

不自然さは目にも止められず、
厳しい質問が続いた。

その会社では、営業職しか求められていなかったのに、
私がその会社でやりたいのは、書く仕事。
念を押すように
「本当に営業できますか? 別の業務に就けなくてもやり通せますか?」
と訊かれ、
営業の経験を活かして、将来的には書く仕事に就きたい。
と本音を言った。

面接官は、苦笑いし、ダメだな…と言わんばかりに
下を向いて、首をふっていた。

あ、落とされるな。
と、わかった。
面接を終えた時、ヒールのないことを忘れ、
バランスを崩して、ガクッと片足が低く下がった。
何もかも、カッコ悪くて恥ずかしくて、
苦笑いして、会場を後にした。

ないものを、あるように見せるのは
くたびれる。

その後、ヒールのない靴のまま
ファストフード店の隅の席に着き、
ぼんやりしていた。
ふと、テーブルに目をやると、
「フミヤくん、22歳のお誕生日おめでとう」
と、油性ペンで書かれたメッセージ。

おそらく、当時、大人気だったアーティストの誕生日を
祝う言葉だったのだろう。

「ここには、ちゃんと愛があるなぁ」
と、思った。
本人に届かなくても、伝えたくてたまらない、
書かずにいられなかった、心の奥底から声。

熱っぽく強い、
その人の想いが確かにある。

これだ!
と、思った。

心の中にある、強くて熱いもの。
それは、目には見えなくても、
きっと、人に伝わる。

また、それがなければ、
どんなに言葉を並べても、
空虚な響きになって、
どこにも届かず、色もなく、消えてゆく…。

さて、
私が面接で語った言葉に、
その強い気持ちはあっただろうか。

連敗に次ぐ連敗で、
とにかく入社できればいい…
そう思って、面接官に気に入ってもらえる
答えばかりを探していた。

そんな薄っぺらな考えを見透かされ、
問い詰められて、本音を言ってしまったのだ。
熱意もなく、
ごまかした心の裏にある気持ちを。

用意しておくべきは、
気に入られるような言葉ではなかった。

青摺(あおずり)と言われた、
山藍の摺染めは、
色の留まりも悪く、薄く染めることしか
できなかった。
それでも、神事などには用いられ、
その色が伝承されてきたという。

はかなくも、葉のもつ色を精一杯染めようと
色を出す山藍。
いつか消えるとわかっていても、
愛される色。

卒業しても、実家には帰らずに、
自分のやりたい仕事をします。

そう両親に言って、大阪に向かう日、
未来への期待を胸いっぱいに
列車に揺られた日のことを
思い出した。

当時の私は、
自分が何色を持っているのかもわからなかった。
両親に大口をたたいてみたものの、
さて、何ができるのか。

ただ、人に会い、ことに当たって、ものを知り、
染めたり、染められたりして
過ごした日々を、生かせる仕事に就きたいと
思っていた。

あれこれ思い出すと、摺染めで
染められて行くように自分の色が見えてきた。

ずっと書くことが好きだった。
それは、淡くても消えなかった、
確かにある色、だった。

愛されるのかはわからない。
けれど、愛されたい、自分の色。

それを仕事にしたいと
決めたはずだったのに、
面接対策ばかりで
すっかり忘れていたことに気づいたのだった。

あの日、無くしたヒールは、小さな点となって
私の心に色を落としてくれた。

想いが色褪せる日には、
「お前も、ないと困る存在になってみよ!」
そんな励ましの声が、
どこか遠くから聞こえてくる。

「あけ」てと願う、熱い色。

JR池袋駅の改札を出て、
子供の頃、年末年始にデパートが
休みだったことを思い出した。

真緋(あけ)色は、鮮やかな黄みの赤色をさす。
「あけ」とは「あか」と同じ意味。
天平時代より、
僧侶の袈裟の色としては
紫につぐ高い位を表していたという。

いつもなら、改札を出ると
買い物客や乗り換えの人々で
賑やかな駅構内。

その日は緊急事態宣言下で、
デパートは
食品売り場のみ営業中という日だった。
いつもの人混み、活気はなく、
どこか、しんとした寂しさが
漂っていた。

とりたてて用がなくても、
ちょっと寄りたい。
デパートは子供の頃から憧れで、
居心地のいい大好きな空間。

デパートのない街に育ったので、
京都市内の祖母のところに行く時は、
よそゆきの服を着て、
連れて行ってもらうことが楽しみだった。

遠くからも見える看板、
店員さんの口紅、スカーフなど
チラチラと目に入る赤い色が
鮮やかで、心ときめいた。

大食堂で、子供ながらに気取って飲んだ
ミックスジュース。
なんでも好きなものを食べていいよ、
と言われて
「すうどん!」と応えて
祖母を困らせたこと。
なにげないことも、特別に楽しく
きらめいて思い出される。

中学一年の夏。
初めて、従姉妹と二人だけで
デパートへ出かけた。

文房具くらいしか買えなかったけれど、
あちこち自由に見てまわるのが、
とても嬉しかった。
あまりに興奮しすぎて、帰りのバスを
乗り間違えたほど。
日盛りの中、
汗だくで歩いて帰った。

大人になったら、デパートで
自由に買い物できる!
そう思っていたけれど、
安サラリーの一人暮らしでは
とても、好きなものを買う余裕はなかった。
忙しくて、行く暇すらもない毎日。

ある日、仕事からの帰り、
寝不足でふらふらと
デパートの前を歩いていた。
化粧品のサンプルを配っていた店員さんに
「肌荒れがひどいですね」
と、声かけられた。

確かに、手入れも疎かにしていて、
触った肌の感触がザラついていることが
気になっていた。
自分に優しくしたい…
そんな気持ちもあって、勧められるままに
売り場カウンターの椅子に腰掛けていた。

うっとりするほど美しい店員さんに、
スティック状のクリームを
目の下に丁寧に塗ってもらう。
ほ~っ…と、ひと息。
ささやかな贅沢気分。
塗られた部分から、
栄養分がじわじわと、
肌に心に沁みてくる気がした。

デパートで化粧品など
買ったこともなかったけれど、
大人の女性として扱われる、ていねいな接客に
小さな感動を覚え、思い切って購入した。

口紅のような形をしたアイクリームは、
真緋(あけ)のリボンでくくる、
黒いサテンの小さな巾着袋に入れて渡された。

プレゼントを自分に贈るような
喜びが胸に広がった。

疲れてヘトヘトだったのに、
デパートを出るとき、心が浮き立っていた。

おもちゃにお菓子に洋服、
お子様セットに甘いジュース…。
デパートは、
いつだってウキウキとする時間やものがあり、
華やかな気持ちにさせてくれる場所だった。

旅に出ると、その土地のデパートに行く。
聞こえるその土地の方言に
旅心がぐっと昂まる。

食品売り場では、その土地の美味しいものを
教えてくれる会話がある。
話すこと、迷うこと、買うこと…
それがこんなに楽しいこととは、気づいていなかった。

かつてあった当たり前の日常が、
今、とても恋しい。
こんな窮屈で苦しい日々が、
早くあけますように。

真緋(あけ)の色を調べていて、
赤(アカ)は「夜が明ける」の「アク」から
生まれた語であるという説を見つけた。
ならば、「アケ」には強い願いを感じる。

色鮮やかな商品が並ぶ店内を、
あちこちのんびりと見てまわる。
喜びに上気した笑顔は、
真緋(あけ)の色に見えるだろう。

そんな日々が近い将来、またやって来る。
強く信じ、祈る。

走りつづけて見つける色。

中学の時、
十キロ近い距離を走る
マラソン大会があった。
近くの山からスタートして
ゴールは学校。
クネクネ曲がる山道を
走る、苦しい行事だった。

薄花(うすはな)色は、
明るくうすい青紫色。
花色」の薄い色として、
その名がつけられた。

運動は全体的にダメだった。
球技も、リレーも、水泳も、
クラスの足手まといになり、
体育の時間は憂鬱だった。

しかし、マラソン大会は個人戦。
黙々と走っていれば、
目立つことなくゴールできる。
少しほっとする競技だった。

すっすっ、はっはっ。
吸って吸って、吐いて吐いての
呼吸で、山の中を走る。

ほぼ同じペースで走る友人と
二人で走った。
全校生徒、六百人近くいただろうか。
学年別、男女別、
何組かに分かれてスタートする。

大勢でスタートするけれど
長い山道のコースでは、
時々、迷ったかのように
人がいなくなる時がある。

それが心細い時もあり、
伴走してくれる友人が
いてくれると安心した。

きっと、速い人は、トップを目指し、
誰にも負けまい、抜かれまい、と
気を抜くことなく、全力で走っているのだろう。

私は、完走を目指すだけ。
遅くなりすぎぬよう走り抜きたい。

それでも途中、
上り道の辛さに、歩きたくなる。
伴走してくれる友人に
「先に行って」と、歩き出す。

しばらく行くと、友人が
待っていてくれる姿を見つけ、
スピードあげて、走る。

後からスタートした人たちに
勢いよく追い抜かれていく。

「ほら、頑張って!」と
明るく声かけてくれる先輩たち。
その言葉に力づけてもらいながら
歩きたいのを堪えて走る。

下りの道は、転倒に注意。
勢いがつき過ぎると、
人にぶつかることもある。

とにかく、マイペースで走る。
抜かれても、焦らない。
すっすっはっは、の呼吸を続ける。

走ることに慣れてきて、
ほんの少し、ラクになった時、
空を見上げてみる。

木々の間からのぞく空は
遠く、高く、
薄花色のやさしい空の色だった。

その色は、雲に隠れ、透かされ、
青い色が、淡くやわらかく変わってゆく。

つかめそうでつかめない
遥かかなたの色だった。

再び、辺りに視界を戻すと、
後から来た人たちが、
次々に、追い抜いていく。

気になっていた人が後ろからやって来た。

あ! と思う暇もなく、
その人は走り過ぎ、
前方を走っていた、可愛い女の子に
話しかけ、
またスピードあげて駆けていった。

勝ち目ないよなぁ…と、
苦しさに悲しみも足された。

学校に近づく頃には、
伴走していた友人と暗黙の了解で、
それぞれのベストのペースで
別れて走った。

私なりのラストスパートで、
ゴール。
…やった、完走だ!

先生から、遅い順位のカードをもらって、
グランドの隅で息を整える。

先頭チームの人たちは、
グランドの真ん中で
大の字にひっくり返って
空を仰いで、キラキラと輝いていた。

かっこいいなぁ。
あんなふうに颯爽とゴールしてみたいなぁ。

そう思いながら、遠くから見ていた。

苦しい上り、下り。
マイペースで進む。

共に走ってくれる友。
かけられた暖かい言葉。

抜かれて焦る気持ち。
遠くから眺める憧れ。
ささやかな達成感。

あの日、見たもの、感じたものは、
その後の人生で出会ったものに似ている。

走らなければ、気づかなかったこと。
生きなれば、わからなかったこと。

今、私は人生のどのあたりを走っているのだろう。

朗らかに走れる時もあれば、
思いもしないことに足止めさせられたり、
時に、道に迷う時もある。

けれど、もう知っている。

どんな時も呼吸を整えて、
一歩一歩走っていくしかないことを。

負けそうな時にも
走ることをやめなければ、
必ずどこかに、たどり着けることを。

うつむく時も、見上げる時も、
薄花色の空は、いつも優しく見守っていてくれる。

サビない時、サビの時。

新緑美しい五月になった。
ベランダから眺める緑も濃淡鮮やかに、
心地よい季節の到来を知らせてくれる。

山葵(わさび)色は、明るく渋い緑色。
すり下ろした、わさびの色だ。
江戸中期の頃、わさびが庶民に普及するのに
合わせて生まれた色という。

大型連休に入ったけれど、
ずっと家にいる。
本を読んだり、
ネット配信の映画を観たり。
台所の棚の整理をかねて料理したり。
ここ数年の五月の連休には考えられなかった
過ごし方だ。

自分で作る料理は飽きてくるので、
アクセントにわさびを使う。
蕎麦に、お肉に、練り物に。
はっ! と目の覚めるような
味わいが嬉しい。

わさびというと思い出すのが、
わさび漬だ。

高校生の時、お腹ぺこぺこで帰宅し、
台所の小鉢に残っていたものを
「あ! 白和えだ」と
大口でつまみ食いしたところ、
それはわさび漬。
ツーーーーーーン!
どころではなく、
鼻がちぎれ落ちそうな衝撃。
涙あふれながらも、
落ちないように鼻を押さえて悶絶した。

あの痛みと衝撃は、ちょっと忘れられなくて、
以来、わさび漬を食べていない。
とはいえ、わさびが嫌いになったわけでもなく、
毎度、涙ぐみながらも、美味しくいただいている。

それほどわさびを食べているわけではないけれど、
このところ、よく泣いている。

自宅の気安さもあって、
映画や本に感動して、
おいおい泣いているのだ。
今さらながら、
泣くのって、気持ちいいなぁ…と
思う存分泣いている。

思い切り泣くことが、感情を解放してくれ、
ウィルス不安に占領されそうな気持ちが、
幾分ラクになるような気もする。

それでも気のふさぐ時などは、
好きな音楽を、
身体を揺らしたり、時に鼻歌で
一緒に歌ったりと、
自宅ならではの楽しみ方で
たっぷり聴いて元気づけてもらっている。

楽曲の聴かせどころを「サビ」という。
語源は不詳と言うが、
この「サビ」とは、「わさび」から
生まれたという説もある。

寿司でわさび抜きを頼むとき
「サビ抜きで」と言うように、
わさびは「サビ」。
少量でも刺激的な味がするわさびに因んで、
曲の中の最もインパクトのある部分を「サビ」
と言うようになったという。

また、謡曲・語りもので、
独特の謡い口調のことを「寂(さび)」と呼ぶ。
その声帯を強く震わせて発する、
低くて渋みのある声は、
「最も盛り上がるところ」に使われ、
それが時を経て、強調する部分を
「サビ」と言われるようになったというのだ。

ツンと刺激のあるサビと、
寂しいという文字から生まれたサビ。
盛り上がりながら、
どこか、鼻の奥がツンとするような、
人に会えない寂しさを抱えた、
今の気持ちを表現しているようにも思われる。

外出自粛は、
家の中で様々な発見もさせてくれる。
ふだんはバタバタとして
忘れていたことが、
棚や引き出し、パソコンから、
ほら! と現れてくる。

せっかくだから、
鼻の奥がツンとくるような
胸の奥がキュンとなるような
そんな刺激や思い出も
久しぶりに取り出してみよう。

どんな時も、どんな日も、
二度と戻れない、かけがえのない瞬間。

「わさびは笑いながらすれ」とも言う。
ツンときて、泣かされるわさびも、
笑いながらやさしくすれば、
まろやかに美味しくなる。
多分、言葉も同じ。

尖るような気分の時こそ、
やわらかい言葉を心がけたい。

心も頭もやわらかく、
今を充実させて、
いつかまた
人生のサビの部分を
大好きな人たちと、高らかに歌おうと思う。

“た“とする色を、たどってみたら…。

「あなたの存在を多としております」。
どこで見つけたのか、手帳に書き留めておいた言葉。
「多(た)とする」とは、
「ありがたく思う」の意味。

紅絹(もみ)色は、鮮やかな黄色がかった紅色。
黄色で下染めしたものを紅花で染めた色で、
花をもんで染めることから、この名がついた。

久しぶりに幼なじみの友人から電話があり、
近況報告しあった。
連休前に富山に行ったことを話すと、
友人も、来月、富山へ行くと言う。
「どこへ行ったの?」
「どこに行くの?」
やや興奮気味にお互いに質問し、
雨晴海岸!」
と、同時に答えたのも、おかしかった。

それまで二人とも、富山へ旅行したこともなく、
「富山に行く」と話したこともなかったのに、
遠い街で、偶然、同じ時期に同じ場所に
思いを馳せていたのだ。
雨晴海岸はもちろん、
黒部峡谷のトロッコ列車も勧めておいた。

ずっと乗ってみたかったトロッコ列車は、
残念ながら、この春の運行が始まったばかりで
まだ短い距離しか乗れなかった。
けれど、列車から見た景色だけでなく、
駅周辺もあちこち歩いてみると
峡谷ならでは迫力と自然美に
心惹かれた。

緑に映える橋は、紅絹色。
鮮やかでやさしい、とても自然に馴染む色。
トンネルの向こうの、見えないどこかへ向かう
紅絹色の橋は、展望台から眺めると赤い糸に見えた。

いつか結ばれる相手とはつながっているという
「赤い糸」。
それは、男女だけでなく、友人や、土地や仕事、
さまざまなものとつながって、
何本もあるのではないかと思う。
今は見えなくても、遠いところでつながっている。
そう思うと、未来はまだまだ楽しく希望に満ちている。

富山を走る鉄道は「あいの風とやま鉄道」。
あいの風とは、
日本海沿岸で、東から吹くほど良い風のことをいうらしい。
「愛の風」「会いの風」にも聞こえて
耳にするたびに心温まる想いがした。

話しかけた人、乗り遅れそうになった列車で
親切にしてくれた人、皆、やさしい人たちだった。
だから、あいの風吹く富山は、
さまざまな人たちの赤い糸を引きつけて、
招いてくれてるように思える。

昔、占いで
「あなたの人生を変えるきっかけは旅です」とあり、
よくある話だなぁ、と、軽く受け流していた。
けれど、今回の旅の後、小さな変化がいくつかあって、
自分の気持ちも、風向きが変わってきている気がする。

そして思い出した、
「あなたの存在を多としております」という言葉。
これまで関わってきたもの、新たに出会ったものが、
全て「多としております」という想いになって、
旅の後の自分がいる。

少しあきらめそうになっていたことも、
全くできそうにないと思い込んでいたことも、
細くても、強い糸になって、
初夏の空に、ぱっと紅絹色を散らすように飛び始めた。

その糸をたぐりよせながら、
強い風にも、激しい雨にも、
流されず立っていられるよう、
力をつけて、笑っていよう。
いつか私も、
誰かの「多とする存在」になれるように。

時がおしえてくれる色。

「二月の雪、三月の風、四月の雨が、美しい五月をつくる」。
新緑の頃、思い出す天気のことわざの一つだ。

英語にも似たことわざがある。
「March winds and April showers bring forth May flowers」
(三月の風と四月の驟雨が五月の花をもたらす)。

虫襖(むしあお)色は、
玉虫の羽のような暗い青みの緑色。
光の角度で玉虫のごとく、色が微妙に違って見える。

短大二年の夏に、アメリカ出身の先生の
京都にある海辺の家へ三泊四日の合宿に行った。
先生夫婦と生徒四人、古民家で英語だけの暮らし。
集まったのは、県選抜の交換留学経験のあるクールなA子、
真面目でもの静かなB子、ホームステイ帰りの陽気なC子。
観光地ではない、静かな田舎町にたどり着いたところから
英語生活はスタート。
街の人たちも、日本人なのに英語を話す私たちを
優しく迎え入れてくれた。

合宿が始まって数時間。
気軽に参加したことを後悔した。
皆、本当によく英語を話す。
とりわけA子は、流暢すぎて何を言ってるのかわからないほどだった。
それでも、和やかな雰囲気の中で、
私一人が時にジェスチャーで、四人協力し、家事や遊びを楽しんだ。

三日目、海で遊んでいると夕立が訪れた。
干していた布団が濡れると慌てて帰ると、
近所のおじさんが取り込んでいてくれた。
そのお礼に行った時、つい「ありがとうございました」と
日本語で言ってしまい、A子にひどく叱られた。
そんなに怒らなくても、とふくれたところ、
A子のこれまでの怒りが爆発。
真剣に学びに来ているのに、いつもあなたのふざけた態度が
それを邪魔する…というようなことを、一気にまくしたてた。
B子もC子も黙っていたから、同じ気持ちだったのだろう。

その日の夜、先生が突然、
「特別な場所に連れて行く」と、先頭立って歩き出した。
街灯もほとんどない街の、静かで暗い夜だった。
背の高い葦が鬱蒼と生えているところに着くと、
先生が「しーっ」と指を立てて、そーっと歩くのだ、
とジェスチャーし始めた。それは私をマネた仕草。
みんな、私の方を見てクスクス笑ってくれた。

葦の中に入ると、暗くて足元が不安定で
怖くなった。
方向も、皆の姿も見失い、
恐怖で動けなくなっていると、
ふわりふわりと
螢が舞うのが見え始めた。

幻想的な光景に感動しながら、
じっとしていると、
三人が探しに来て、手をつないでくれた。
みんなで黙って、ゆっくり前進した。
仲直りしたことをくすぐるような蛍の光に、
照れくさく、嬉しく、安心の涙も少しこぼれ、
暗くてよかったと思った。

そんな光景を思い出しのは、
富山の川沿いを歩いたからだ。
小説「螢川」の舞台となった川、街。
寒い冬のシーンから始まり、
螢舞う季節に移る中で
人や景色が変わってゆく。

同じように見えて、変化してゆく川の表情を
眺めていたいと思った。

そして小説のラストを思い出していた。
美しく妖しい螢の光。
襲いかかるような未来への不安。
最後の一行を読んだ後も、ページをめくり、
次のシーンを探し求めた。

あの時の三人も、今はどんなシーンの中に
いるのだろう。
風を受け、雨に打たれ、その経験を力にして、
美しい五月のような「今」を迎えているだろうか。

いいことも悪いことも、玉虫の羽のように
見方によって、色合いが変わる。

あの時、先生は、暗闇の中、
小さな光を一緒に見つけることで
互いの存在がどれほどありがたく嬉しいものなのかを
教えてくれたのだ。
それは、明るい昼間ではわからなかったことなのかもしれない。

人は言葉でつながり、言葉で別れることもある。
言葉はなくても、つながる瞬間もある。

その時には気づけなかったことを、
あの日から遠い時間、遠い街で、教わった。

川面のきらめきは螢のように、
そして五月の木々は虫襖色に輝いていた。

田園発、心潤す色。

富山では、どうしても見たい景色があった。
宮本輝さんの小説「田園発港行き自転車」で
主人公たちが訪れる場所だ。

「──私は自分のふるさとが好きだ。
ふるさとは私の誇りだ。」

冒頭、登場人物の“千春”が、生まれ故郷が
いかに美しく、心慰めてくれるかを語るシーン。
彼女の紹介してくれた街の情景に
すっかり魅せられて、
いつか必ず行こうと決めていた。

潤色(うるみいろ)は、濁ってくすんだ色。
灰色やねずみ色ではなく、さまざまな色が
合わさって見える色だ。

富山では、あちこちで、
「潤色」を見つけた。
私はこの色を、
湿気をたっぷりと含んで景色の彩りを
にじませた色と思った。

“千春”は、東京での仕事に慣れず、
故郷富山に帰る日の送別会で、
生まれ育った町、入善町の美しさ、
素晴らしさを生き生きと語る。

冒頭のそのシーンから、
水清らかで、緑やさしい光景をもつ入善の街は
ゆっくりと胸に広がり、読み進むほどに
強く心から離れなくなった。

広い、広い田園風景。
そこに映る立山連峰。
両手を広げても、
自分のちっぽけさを感じさせる
スケール感に、感嘆の声をあげた。
神々しく、雄大でありながら、
ガラス細工のように繊細に見える
水田の透明さ。

「愛本橋って、黒部峡谷からの風の通り道ね」
と、作品中語られるが、
遠い峡谷から、冷たい風が通って
川を下り、海へと流れていく。

水だけでなく、風も、匂いも、ここを通って
海へ向かっていく。
海の方を見ていると、風になって
遠くまで飛んでいけるような心地。

山中の赤い橋。
作品を読まなければ、もしかしたら
通過していたかもしれない。
けれど、立ち止まって、
橋から見る景色を味わい、
遠くからこの橋の眺める。

その姿は、周りの豊かな自然に
馴染みながら、華やかな気品があった。
作品中でも「清潔な色香を漂わせた芸妓」“ふみ弥”に
喩えられていて、
ひと目見たら、
吸い込まれそうな、
心奪われてしまうような
妖しくも溶けるような魅力を感じた。
いつまでも見ていたい、
見飽きることのない橋だった。

振り返ると、
「川べりにゴミひとつ落ちていない」
と、“千春”が語っていた黒部川は、
流れも美しく、本当にゴミがない。
清澄な空気と水に、そこに立つだけで
人も、景色も、すべて
洗われていくような気がした。

どこを見ても、美しく、懐かしい。
そうだ、この田園風景も
海へと続く町並みも、私の故郷に少し似ている。
“千春”が語る。
「離れて見ないとわからんことがたくさんあるわ」。

そして、立山連峰にかかる雪や、
山々をふいに明るくさせたり、暗くする厚い雲が
田園の虫一匹にまで恩恵を与えていることに気づくのだ。

“千春”が気づいたように、
今の自分の身体も、心も、
故郷の自然が育ててくれたもの。
そこにあった人、もの、自然、あらゆるものから、
恩恵を受けていたことに気づいたのだった。

富山から帰って、もうすぐ二週間。
鼻の奥にかすかに残っていた富山の香りも消えつつある。
さみしいけれど
「私はいつでも、まっさらになれる」という“千春”の言葉に
力をもらう。

また、まっさらになって、心潤しにあの街に行こう。

こぼれて注ぐ、夜明けの色。

水の美しい富山で、
水面に映る夕陽を見てみたいと
環水公園に行った。

豊かな水を、全身で感じられる
水のカーテンがお出迎えしてくれた。

ゆっくりと傾く夕陽を水面に映して、
キラキラと輝く時間。
こぼれてくる太陽と水の反射が、
サーチライトのように照らしてくれる。

お日さまの色は、
明るい黄赤色の東雲色(しののめいろ)。

ここは北陸、富山。
空気も湿り気があって心地よい。
と、思った時、
あ! と思い出す光景があった。

三十年くらい前のこと。
夫の転勤で、赤ん坊と三人、
知り合いのない金沢の街に住んでいた。
まだ未熟な母の私は、
ある時、息子を
ひどく叱りつけてしまった。
泣きじゃくる息子は、夜中に
突然、激しく嘔吐し始めた。

驚き、慌てた。
何軒かの近くの小児科に電話し、
やっとつながった医師に、
藁をもすがる思いで、診察をお願いした。

「いいですよ、連れていらっしゃい」と、
S先生は快く引き受けてくれた。
心配と自責の念から、
異常な緊張状態のまま、
車で二、三十分のその病院へと向かった。

すると、静かに寝静まっている住宅地に
病院の前だけ明々と灯りがついていて、
エンジン音を聞きつけて、
S先生が出てきてくれた。

深夜にも関わらず、
おおらかに、優しく診察し、
親子ともに落ち着かせてくれた。

帰宅する頃には、
息子もスヤスヤ眠っていた。
夜も明け始め、
子供がいたずらで開けた障子の穴から
朝日がこぼれていた。

東雲色は、夜明けの色。
「東雲」の語源は、
昔の住居の明かりとりである
「篠の目(しののめ)」からきている。

篠竹という竹を使って
戸や壁に網目を作る「篠の目」、
そこから暗い室内に
夜明けの色が差し込んだことから
「東雲色」と呼ばれるようになったという。

控えめに射す東雲色の光に包まれて、
息子と私は疲れて眠った。

翌日の昼、S先生から電話があった。
「今、昼休みだから電話したんだけどね。
 また、何かあったらいつでも診せに来るんですよ。
 そして、お母さん、あなたが元気でないといけないから、
 赤ちゃんと一緒にちゃんと休みなさいよ。
 気をつけてね」
と。

ずっと、叱りすぎた自分を責めていた心が
緩んで、溶けて、涙が止まらなくなった。

尖った心には、戒めよりも、
やさしさが、何よりも導きになる。
そのあと続く子育てに、
大切な教えをもらったのだった。

忘れていたそんな思い出を
公園の夕陽が思い出させてくれた。
帰ってきて、あのS先生はどうされているのか
ネットで検索すると、二年前のクチコミに
「夜中に診察をお願いしたら『すぐに連れて来なさい』と
快く診てくれました」とあった。
そして、昨年の情報として「閉院しました」と。

最後まで、きっとたくさんのお母さんたちを
安心させ、やさしく頼り甲斐のある先生でいらしたのだろう。

誰かの力になること。光になること。
S先生のようにはなれなくても、
この夕景のように、そこにあるだけで
誰かの心を癒すことができるような
そんな強さを持ちたいと思った。

遠い日の苦い思い出も包み込んで、
北陸の風はやさしかった。

またとない色を求めて。

烏色(うしょく)は、
柳田国男の「日本の昔話」のなかの
「梟(ふくろう)の染め屋」というお話に出てくる、
炭のような黒色。

烏(う)は、からすのことで、
染め物屋のふくろうが、
真っ白な着物を着ている洒落者のからすから
「またとないような色に」と染めを依頼される。
仕上がった着物の色は、黒。
からすは怒ったが、
白にはもどせずに今も黒いままなのだ
というお話。

黒は、どことなくミステリアスな色。
烏色に染まる夜の外出は、
昼間にない世界を見せてくれる。

数年前、博多を一人で旅したときに、
道に迷って、目的地でないビルの地下に入ってしまった。
空腹で、のども渇いて、どこか入りやすい店を…
と、探していると、和服の女将さんがカウンターで
きびきびと働く、感じのいい店を見つけて、
のれんをくぐった。

店の隅のテーブルにつくと、
「そんな隅っこおらんと、こっちこんね!」
と、カウンター席のご婦人に声をかけられた。
聞けば、アルゼンチンタンゴの練習の帰りと
いうそのご婦人は、74歳だという。

「この人、遠くから来たんだから、とっておき出して!」
と、ご婦人のリクエストで、
女将さんが秘蔵のお酒を注いでくれた。
思いがけない歓待を受け、心はほどけた。

しばらくすると、店は満席。
ご婦人と私だけ、異空間にいるように
二人だけ静かに語り合っていて、
気がつけば、ご婦人の
来し方について話を聞いていた。

ごく普通の事務員だった二十歳のときに、
老舗の跡取りに見初められ、
生まれて初めてのパーティーや、プレゼント。
ご近所もご本人も
驚くほど派手な結婚の支度や儀式。
そして、嫁いだあとの
老舗の若女将ならではの
数々の苦労。

おそらく、無垢で、純粋で、真っ白だった
その人は、結婚して、さまざまな感情や
出来事にもまれて、逃げ出したくなるような
つらい日が、たくさんあったのだろう。

からすに喩えては失礼ではあるけれど、
愛情に包まれて、またとない色に染まるつもりが、
闇のような烏色を着せられてしまったような、
いっそ闇のなかに消えたいほどの想いを
日々重ねられて、ご自身の色も白から黒へ
大きな転換をはかれたのではないだろうか。

ご主人を早くに亡くされた話では
ほろりと落涙しながら
あんなに大事にしてくれたから、
ずっと主人のことを思って
天国にいくの、と。

それでも、ただ、その日を待つのではない。
「わたし、あとひとつ、どうしてもやりたいことがあるの」
と、キラリとした笑顔。

いいなぁ、と、思った。
話していくうちに、そのチャーミングさに
心惹かれていた。
若さも、飾りつけも必要としない、
内面からあふれる、「人としての魅力」。
「またとない色」とは、
他人に染めてもらうものではなく、
自分で染めるものなのだと教えられた。

それが、真っ黒であったとしても、
その中にキラキラと輝く光があれば、
光をうけて、黒さえも輝く。

最後は私もこれからの夢を語り、
「あんたもしっかりやらんね」と
励まされて、店をあとにした。

外は、真っ黒な夜。
見知らぬ街の、見知らぬ店で、名前も名乗らず別れた人たち。

せめて名前だけでも聞きに引き返そうとして、やめた。
同じ店を訪れても、
「そんな人はいませんでしたよ」と言われそうで。
もしかしたら、もう店ごと存在していないかもしれない…
そんな気がしたから。

夜の街はミステリアス。
あったこともなかったことにして、
全て闇の中に消えてしまう気がする。

ただ、夢であれ、現実であれ、
感じたことや想いは、ずっと胸のなかに残る。

せんせいのブランコ。

浅青(せんせい)色。
ほんのりくすみのある、明るい青。

あたたかく、
心地良い風のふく五月。

深呼吸して仰ぐ空が、
明るく、まろやかな青さの
浅青(せんせい)色だと、
あぁ、いい季節だ、
と、嬉しくなる。

子どもの頃は、
外遊びが嫌いで
春が来ても嬉しくなかった。

小学校一年の通知表には、
通信欄に
「太陽がこわいようです。
 休み時間は、教室にいないで、
 お友達と外で遊びましょう。」
と書かれていた。

人と話すのが苦手で、図工の時間に
「小豆ひと粒の大きさの絵の具を出しましょう」
と言われたのに、思いがけずたくさん出てしまい、
どうしていいかわからず泣いた。
まわりは驚き、なんで泣くのか理由を訊かれても、
ただ泣くばかり。
隣のクラスから、
幼なじみの友だちが呼ばれ、
なだめられても、泣き続けた。

今思うと、めんどくさい子どもだ。
でも、そのときは、
どうしていいのかわからなかったのだ。

そんなある日、
グランドで、自由に過ごす授業があった。
担任の先生は、歌が好きな女性で、
ブランコに乗って、
“空よ~、水色の空よ~”
と、トワ・エ・モアの「空よ」を
とても気持ちよさそうに歌っていた。

春の心地よい風にのって歌う先生の姿に、
とても素敵な「自由」を感じた。
先生の視線のむこうには、
淡くて明るい青色の広い空。

やさしい風、美しいメロディー、
そして、何かをすくいあげるように揺れるブランコ。

今いるところを、
きゅうくつに感じていた自分が、
ひょいとすくいあげられ、
どこか広いところに放たれるような
のびやかで、おおらかな想いになった。

今もその時の光景を、はっきりと覚えているのは、
あのとき、何かに気づいたのだと思う。

それが何だったかは、
はっきりと言葉にできないけれど。

こんなに空は広くて、
ブランコに乗って、歌うだけでも、
楽しくて朗らかな気持ちになれるんだなぁ、
という小さくても確かな事実に
気づけた喜びなのかもしれない。

その後、ゆっくりと、好きなことは好きなままに、
少しずつ、少しずつ、
自分のやり方で、世界をひろげて行った。

土日は、家でマンガを読んだり、描いたりしながら、
学校帰りには、友だちに自分の作った物語を話した。

今思うと、それもめんどくさい子どもだとは思うが、
マンガ描いて~と、見てくれたり、
物語の続きを楽しみに聴いてくれたりしてくれる
そんな友だちもいてくれることが、わかったのだ。

あの日、ブランコで歌っていた先生は、
消極的な私の中の、静かなエネルギーに
気づいていてくれたのだろうと思う。

高学年になってからも、
いつもどこか心配そうに、
でも、会うとニコニコとやさしく見つめていてくれた。

先生の包み込むようなまなざしが、
私を成長させてくれた。

トワ・エ・モアの「空よ」の歌詞の最後は、
「空よ おしえてほしいの
 あの子はいまどこにいるの」。
先生は、いま、どうしていらっしゃるだろう。

ふるさとから遠く離れた街に住む今は、
空に訊くしかない。
けれど、
浅青色の空をみると、
先生のあの日の歌を思い出す。

あの時と同じ空の色は、
永遠に、同じときに帰してくれ、
会いたい人に会わせてくれる気がするのだ。