久しぶりに使おうとしたら、
カメラが壊れていた。
甚三紅(じんざもみ)は、
黄みがかった紅色。
どんな色かイメージしにくい、
この色名は、
江戸時代の染め屋
「桔梗屋甚三郎(ききょうやじんざぶろう)」の
名にちなんでつけられたという。
壊れたカメラは、
バッグに入るコンパクトサイズで、
六年前に買ったもの。
ちょっと背伸びして買ったお気に入りだった。
が、背伸びが過ぎたようで、
買った当時は、使い方がわからなかった。
取扱説明書を読んでみても、
チンプンカンプン。
ま、いいや、撮っちゃえ!
と、出かけたものの、
あれ? ええっと? どうしよう!?
…そう混乱する中で、
初日から、カメラを落としてしまった。
派手に落としたものの故障はなく、
まずは丈夫なカメラであることが
相棒として頼もしかった。
その後も何度も落としたり、
雨でびしょ濡れにしたり、
吹雪の中で転んだり…。
なかなかハードな使い方により、
突然、レンズフードが閉じなくなったこともある。
あぁ、ついに故障!?
とドキッとしたことは、かず知れず。
江戸時代、紅色は、
鮮やかで人気があった。
ところが、紅花を使った染めは高価で
庶民には手が出ない。
そこで桔梗屋甚三郎は、
茜(蘇芳という説もある)を使って、
紅花染めに近い色を染めることに成功した。
安価なその紅色は、
庶民に大人気となった。
売れに売れた結果、
甚三郎は長者になり、
作った色も「甚三紅」と
呼ばれるようになった。
とはいえ、
本物の紅色でないことから
「紛紅(まがいべに)」とも言われたという。
きちんと学ぶことなく、
基礎知識すら知り得ていない私の撮る写真は、
紛いものと自覚している。
それでも、撮る時は、本気だ。
あの角度から、こちらから、と、
自分なりのよい写真を追求して撮る。
何枚も、何枚も。
これで世に出られるわけもなく、
収入が得られるわけでもないのに。
なぜ撮る?
そんな問いかけもあった夏だった。
なかなか撮りに行けない状況の中、
動けない自分の心と、
動かなくなったカメラのリセットボタンを
何度も押しながら、
自問自答し続けた。
ただ、いい風景をカメラに収めたら、
誰かに見てもらいたい。
そのことだけが、自分を動かす。
桔梗屋甚三郎が
紅花を使わずに、
初めて鮮やかな紅色を
染め上げた瞬間を思う。
嬉しかっただろう。
鮮やかさに心躍ったことだろう。
名をあげる。
収入を得る。
結果、そうなったのだけれど。
目指す色を工夫を重ねて
染め上げた瞬間の喜びは、
“あぁ、人に見せたい!”
ではなかったかと思う。
情熱的な紅色を
たくさん見つけた時、
あぁ撮りたい!
人に見せたい!
と思った。
その時、
もう撮ることのできなくなったカメラの
シャッター音が聞こえた気がした。
迷っても、壊れても、
何かになれなくても、
撮りたい。発信したい…。
その気持ちが、シャッターを押させる。
修理代が高くつくため、
今回、古い型のカメラを買った。
洗濯物を干していると、
赤とんぼが物干し竿に留まった。
その赤色を撮りたい! と思った。
「それは、ほんもの? 紛いもの?」
そう問いかけながら、
これからも色を求め続けていく。
ほんものかどうかは、
のちの日に人が評価する。