“た“とする色を、たどってみたら…。

「あなたの存在を多としております」。
どこで見つけたのか、手帳に書き留めておいた言葉。
「多(た)とする」とは、
「ありがたく思う」の意味。

紅絹(もみ)色は、鮮やかな黄色がかった紅色。
黄色で下染めしたものを紅花で染めた色で、
花をもんで染めることから、この名がついた。

久しぶりに幼なじみの友人から電話があり、
近況報告しあった。
連休前に富山に行ったことを話すと、
友人も、来月、富山へ行くと言う。
「どこへ行ったの?」
「どこに行くの?」
やや興奮気味にお互いに質問し、
雨晴海岸!」
と、同時に答えたのも、おかしかった。

それまで二人とも、富山へ旅行したこともなく、
「富山に行く」と話したこともなかったのに、
遠い街で、偶然、同じ時期に同じ場所に
思いを馳せていたのだ。
雨晴海岸はもちろん、
黒部峡谷のトロッコ列車も勧めておいた。

ずっと乗ってみたかったトロッコ列車は、
残念ながら、この春の運行が始まったばかりで
まだ短い距離しか乗れなかった。
けれど、列車から見た景色だけでなく、
駅周辺もあちこち歩いてみると
峡谷ならでは迫力と自然美に
心惹かれた。

緑に映える橋は、紅絹色。
鮮やかでやさしい、とても自然に馴染む色。
トンネルの向こうの、見えないどこかへ向かう
紅絹色の橋は、展望台から眺めると赤い糸に見えた。

いつか結ばれる相手とはつながっているという
「赤い糸」。
それは、男女だけでなく、友人や、土地や仕事、
さまざまなものとつながって、
何本もあるのではないかと思う。
今は見えなくても、遠いところでつながっている。
そう思うと、未来はまだまだ楽しく希望に満ちている。

富山を走る鉄道は「あいの風とやま鉄道」。
あいの風とは、
日本海沿岸で、東から吹くほど良い風のことをいうらしい。
「愛の風」「会いの風」にも聞こえて
耳にするたびに心温まる想いがした。

話しかけた人、乗り遅れそうになった列車で
親切にしてくれた人、皆、やさしい人たちだった。
だから、あいの風吹く富山は、
さまざまな人たちの赤い糸を引きつけて、
招いてくれてるように思える。

昔、占いで
「あなたの人生を変えるきっかけは旅です」とあり、
よくある話だなぁ、と、軽く受け流していた。
けれど、今回の旅の後、小さな変化がいくつかあって、
自分の気持ちも、風向きが変わってきている気がする。

そして思い出した、
「あなたの存在を多としております」という言葉。
これまで関わってきたもの、新たに出会ったものが、
全て「多としております」という想いになって、
旅の後の自分がいる。

少しあきらめそうになっていたことも、
全くできそうにないと思い込んでいたことも、
細くても、強い糸になって、
初夏の空に、ぱっと紅絹色を散らすように飛び始めた。

その糸をたぐりよせながら、
強い風にも、激しい雨にも、
流されず立っていられるよう、
力をつけて、笑っていよう。
いつか私も、
誰かの「多とする存在」になれるように。

こぼれて注ぐ、夜明けの色。

水の美しい富山で、
水面に映る夕陽を見てみたいと
環水公園に行った。

豊かな水を、全身で感じられる
水のカーテンがお出迎えしてくれた。

ゆっくりと傾く夕陽を水面に映して、
キラキラと輝く時間。
こぼれてくる太陽と水の反射が、
サーチライトのように照らしてくれる。

お日さまの色は、
明るい黄赤色の東雲色(しののめいろ)。

ここは北陸、富山。
空気も湿り気があって心地よい。
と、思った時、
あ! と思い出す光景があった。

三十年くらい前のこと。
夫の転勤で、赤ん坊と三人、
知り合いのない金沢の街に住んでいた。
まだ未熟な母の私は、
ある時、息子を
ひどく叱りつけてしまった。
泣きじゃくる息子は、夜中に
突然、激しく嘔吐し始めた。

驚き、慌てた。
何軒かの近くの小児科に電話し、
やっとつながった医師に、
藁をもすがる思いで、診察をお願いした。

「いいですよ、連れていらっしゃい」と、
S先生は快く引き受けてくれた。
心配と自責の念から、
異常な緊張状態のまま、
車で二、三十分のその病院へと向かった。

すると、静かに寝静まっている住宅地に
病院の前だけ明々と灯りがついていて、
エンジン音を聞きつけて、
S先生が出てきてくれた。

深夜にも関わらず、
おおらかに、優しく診察し、
親子ともに落ち着かせてくれた。

帰宅する頃には、
息子もスヤスヤ眠っていた。
夜も明け始め、
子供がいたずらで開けた障子の穴から
朝日がこぼれていた。

東雲色は、夜明けの色。
「東雲」の語源は、
昔の住居の明かりとりである
「篠の目(しののめ)」からきている。

篠竹という竹を使って
戸や壁に網目を作る「篠の目」、
そこから暗い室内に
夜明けの色が差し込んだことから
「東雲色」と呼ばれるようになったという。

控えめに射す東雲色の光に包まれて、
息子と私は疲れて眠った。

翌日の昼、S先生から電話があった。
「今、昼休みだから電話したんだけどね。
 また、何かあったらいつでも診せに来るんですよ。
 そして、お母さん、あなたが元気でないといけないから、
 赤ちゃんと一緒にちゃんと休みなさいよ。
 気をつけてね」
と。

ずっと、叱りすぎた自分を責めていた心が
緩んで、溶けて、涙が止まらなくなった。

尖った心には、戒めよりも、
やさしさが、何よりも導きになる。
そのあと続く子育てに、
大切な教えをもらったのだった。

忘れていたそんな思い出を
公園の夕陽が思い出させてくれた。
帰ってきて、あのS先生はどうされているのか
ネットで検索すると、二年前のクチコミに
「夜中に診察をお願いしたら『すぐに連れて来なさい』と
快く診てくれました」とあった。
そして、昨年の情報として「閉院しました」と。

最後まで、きっとたくさんのお母さんたちを
安心させ、やさしく頼り甲斐のある先生でいらしたのだろう。

誰かの力になること。光になること。
S先生のようにはなれなくても、
この夕景のように、そこにあるだけで
誰かの心を癒すことができるような
そんな強さを持ちたいと思った。

遠い日の苦い思い出も包み込んで、
北陸の風はやさしかった。

新しい時代の色。

花見、花撮り、花盛りを終えた。
この春の関東は、曇り空のもとで
桜を見上げることが多かったように思う。

曇り空の下の桜は、
灰桜色。
やや灰色がかった明るい桜色だ。
上品で華やかでありながら、
控えめで、穏やかな色。

新しい元号が発表された。
「令和」。
その響きに、どんな色が当てはまるだろう、
と考えて、思い出した言葉があった。

「巧言令色鮮なし仁 (こうげんれいしょくすくなしじん)」。
これは、平成の初めの二十代の時、
父から聞いた言葉だった。
その頃、ある人との接し方に悩んでいた。
その人は、知的で分別もあり、いい人だと思うのだけれど、
なぜか、その人が意見すると色々なことが
うまくいかなくなる。時にこじれる。

なぜだろう? と父に相談した時に、
一言、その答えが返ってきたのだった。
巧言令色鮮なし仁、とは、
「言葉巧みで、人から好かれようと愛想振りまく者には、
 人として大事な徳である仁の心が欠けている」
という意味。

その人の、上品な言葉、やさしく丁寧な態度に、
単純に尊敬し、言われることを全て「正解」「善」と
思い込んでいた私には、少なからず衝撃の答えだった。

と同時に、私もそんな人間になりつつあるのでは
と不安になった。
仁の心を持つ人、とまではいかなくても、
大切に思う人には、素直に良い人でありたい。
どうすれば、そうなれるのか?

父が答えてくれたのは、
子供の頃から教えてくれていたことだった。

買い物をした時、
間違って多めにお釣りをもらっても
「得した」などと思わないこと。
一円、十円でも、もらってしまえ! と思ったら、
それが卑しさになって、心に積もっていく。

桜の落ちた花びらも、
ドカドカと無神経に踏み歩くのではなく、
そっと避けてゆく。
そのようにして、
道を歩き、
もし、人の足を踏んでしまったら、
踏まれた人の気持ちを考える。

行動を、言葉を、軽く扱わないように。
小さな積み重ねをバカにしないように。

そんな父の言葉を思い出した
新元号の発表だった。
落ちた花びらの色、
それが私の令和の色かもしれない。

灰桜色の春らしい淡く沈んだ美しい色調は、
古くから、深窓の令嬢にも愛されたという。
令嬢の【令】は、「他人の家族を尊敬していう語」であり、
「よき」の意味があるという。
【和】には、仲良くするに意味があり、足し算の答えは「和」という。
そして、日本の色、和の色の【和】でもある。
「令和」が、優しい色を背景にして、
平和で、喜びが加えられていく時代になりますように。

よき和の色を探し求めて、
平成から令和へ。
これからも、ていねいに、
見る、撮る、歩く、発信していく。

雨を染める春の色。

冷たい雨に打たれて、
早春の花がふるえている。

花の色は、
淡紅色(たんこうしょく)。

紅色に白を混ぜた、優しい色。
淡さが増すと、
はかなさが現れる。
空に溶けそうに、
透けてゆく花びらの色。

まだまだ寒いけれど、
三月の雨は「春雨(はるさめ)」。
その、やわらかな響きは、
細く澄んだ雨が、
煙るように降りながら、
街を、人を、優しく
包み込んでくれるような気がする。

景色の中には、ぽつぼつと
淡紅色の花々があり、
どこか暖かみさえ感じられる。

小学校一、二年生の頃だったか、
学期末のこの頃、夕方に強く雨が降り、
まだ学校にいる兄に傘を持って行くように言われた。

学校へのまっすぐの道を歩いていると、
ずぶ濡れになった中学生のお姉さんが前を歩いていた。
知らない人でもあり、
素気なく断られたらどうしよう。
でも、雨はどんどん強くなり、
寒そうに濡れながら歩いている
お姉さんは風邪ひかないだろうか。
…迷った末に
黙って、傘をさしかけた。

お姉さんは、驚きながらも笑顔で
「ありがとう」と言ってくれた。
そして、私の幼馴染のKちゃんの同級生であり、
仲のいい友達なのだと、話してくれた。

何も言えずに黙っている私に
お姉さんは、あれこれと明るく楽しく話を続けた。

けれど、嬉しいのと、恥ずかしいので、
顔を見られず、お姉さんの問いかけに
時々、うん、うんと頷くだけで、
うつむいて小さく笑うのが精一杯だった。

傘の下では、これまで嗅いだことのない
雨を含んだ制服の匂いがした。
大人でもない、けれど、自分たちのような
子供でもない、お姉さん。
遠くの美しい景色を眺めるような憧れを感じた。

学校近くの角まで来ると、
「ここから走って帰るわ、ありがとう」
と、お姉さんは、バイバイ! と手を振って
颯爽と駆け抜けて、雨の向こうに消えて行った。
「さいならぁ」と
言った記憶もない。

雨と汗と、ほんのり甘さと、
かぐわしいお姉さんの香りが
傘の半分に残っていた。

学校に着くと、まだ咲いていない桜の木が
雨の中で満開のごとく淡紅色に膨らんでいる気がした。

色も匂いも淡く、つかめない。
どこからかやってきて、
気づけば季節が春に変わっている。
その、かすかな空気の変化を
初めて感じた時かもしれない。

「はかない」という言葉も知らなかったけれど、
春の雨は、淡く優しい色に染まる記憶を
思いがけず与えてくれた。

それは、幾つになっても、
憧れとして胸に残っていて、
春雨の中を歩く時、ほんのりと心弾ませてくれる。

春がやって来る。

匂い立つころを過ぎても。

滅赤(けしあか)色は、灰色がかった赤色。
「滅」は、色味を渋く抑えたトーンを表す。

あたりが輝くような華やかさ、艶やかさを表すとき、
「匂い立つ」という言葉が使われる。

「匂う」という言葉は、
もともと「赤い色が鮮やかに表われる」の意味をもち、
香りよりも色を表す言葉だったのだ。

そんな匂い立つような色から、
鮮やかさ、華やかさを取り去り、
渋みのある色にするとき、
和の色では、
この「滅」の字を当てている。

先日、学生時代からの友人と会った。
三年ぶりの再会。

ネット時代はありがたく、
何年会わなくても、互いの姿も日々のことも、
きちんと更新されている。
昨日会った友人のように話のつづきができるのも
不思議で、愉快なことである。

彼女は三年前よりも、さらに進化して
ジャズを歌うひとになっている。
歌う苦労も喜びも、
ひろがり、深くなっているようだった。

彼女の音楽への
愛の深さについて聴きながら、
学生時代のことを思い出していた。

二十歳前の年末だった。
彼女の下宿で
仲のいい友だち数人と
一晩中語り明かして
そのままこたつで眠ったのだった。

翌朝、バイトのため私は
早く起きなければならなかった。
静かに起きたつもりが、
彼女はもう起きていて、
ギターを静かに弾いて
近づくライブの練習をしていた。

ポロン、ポロンと
やさしい音とともに
「またね」と見送ってくれた。

数日後、彼女の部屋を訪ねると、
空っぽになっていた。
実家から通うことになり、
部屋を引き払った、とのことで
にぎやかだった空間には、もう何もなかった。

楽しい時間はそこにあったのに、
大好きなお友達は引っ越してしまった。
そんな置いてきぼりされた子どものような
気持ちで、部屋をながめていた。
ぽっかりと穴があいたような寂しさで。

ポロン、ポロン…
あの日聴こえたギターの音は、
時に寂しく思い出され、
今は、やさしく懐かしく思い出す。

あの音ひとつひとつを、彼女は大切に抱き、
離さなかったから、今、また歌うひとになったのだろう。

歌う彼女の口紅は、匂い立つ赤。

あの日、またね、と別れてから、
それぞれに色々なことがあった。

消してしまいたいことも、
消えて欲しくないことも、
両手に抱えて。
たくさん得ては手放して、
出会って、別れて、
いくつかの選択のなかで
残ったものを大切に握りしめて
今の私たちになったのだ。

匂い立つものは、
やがて褪せていくのだろう。
私たちも、学生時代のような
眩しい若さは失せている。

けれど、「とき」という風にふかれ、
若さゆえの乱暴さがゆっくりと研磨されて、
目には見えない香りや、
やさしい色の空気になって、
時に誰かを包んでいるのではないだろうか。

彼女とわたし。
それぞれに違う道にいるけれど、
別々の目指す道のなかで、
自分らしい色を、
歌にして、言葉にして、
より多くの人に届けられるように。

また会う時が、楽しみだ。

「まいにち ばらいろ」と唱える。

薔薇色(ばらいろ)。
バラの花の色は色々あるけれど、
薔薇色とは、赤系統の花色。
真っ赤よりも、薄紅に近い色をさす。

平安時代には「薔薇」のことを
「そうび」または「しょうび」と読んでいたという。
「薔薇色(ばらいろ)」と読まれるになったのは
明治以降のこと。

誰が見ても美しいこの薔薇に、
私は、少し苦い思い出がある。

小学一年生のときのことだ。
何人かの同級生が、
自宅の庭で咲いた季節の花を、
教室に飾るよう、新聞紙に包んで持ってきていた。
その様子がうらやましくて、
母に私も持って行きたいと頼んだのだ。

母は、うちには学校に持っていけるような花はない、
と、その夜、仕事が終わってから、
近所の花屋さんに駆け込んで、数本の花を買ってきてくれた。
小さな薔薇の入った、派手すぎない花束では
あったけれど、見た瞬間、私は
「これは、ちがう…」。
そう思った。

とはいえ、せっかく買ってきてくれたのに、
持っていかないわけにはいかず、
花屋の包装紙に包まれた花を、
おずおずと先生に渡すと
「え? わざわざ買ってきたの?」
と、驚かれた。
その時の恥ずかしさ、きまりの悪さは、
今も忘れられない。

それから数日間、気まずくて、
教室の花を見ないようにしていた。
「かわいい薔薇ね」といわれるたびに
「かわいいバカね」と言われている気がした。

そんなこともあったからか、花を描くとき、
選ぶとき、いつも薔薇を避けていたように思う。

「薔薇色の人生」…その言葉すら
どこかトゲを感じていた。

薔薇には何も罪はなかったのに。

そんな私の思いとは関係なく、
薔薇の花は、いつでも高貴で美しく、人気の的で、
薔薇色もまた、幸福や喜び、希望に満ちあふれた世界に
たとえられる明るい色だ。

何年前だろうか。
作家・田辺聖子さんが
サイン色紙に「まいにち ばらいろ」と書かれる理由を
新聞のインタビュー記事で読んだ。
そこでは、こう語られていた。

「あの言葉を見ていると、なんか幸せになるでしょ。
 (中略)
 ものすごくきれいな言葉を使って、
 みんなが美しく元気が出て、
 ほかの人にちょっと親切にしよかって
 気が起きたりする」

薔薇色は、言葉でさえ、色と力を放ち、
人を美しく元気に、そしてやさしくするのだ。
そんな花の色が、ほかにあるだろうか。

その記事を読んでから、
何か暗い思いに覆われそうなとき、
「まいにち ばらいろ」と唱えるようになった。
薔薇色を思い描くと、
不思議に心が、ぽっと明るい色に染められる。
暗い部分があたためられて、
元気がわいてくるような気がするのだ。

気高く、美しく、愛らしい薔薇。
つまらぬ羨望や目立ちたがりな心など、遠ざけて、
凛として咲く、薔薇の咲き姿。

あの時、娘の願いだからと、
疲れているのに、花屋さんに駆け込んでくれた
母の思いやりに思い至らなかった
自分を、今は少し恥じる。

薔薇は、どんな思いも受け容れて
微笑み、咲いていてくれる。

その花言葉は「愛情」という。

夕暮れは、天狗さんの色。

燃えるように暑い、この夏。
夕陽も一日の暑さを描くように
景色を紅色に染めている。

炎色(ほのおいろ)は、
その名の通り、炎の色。
明るい赤色。

どんなに日没が遅くなっても、
子どもの頃は、五時が門限だった。
五時になると町内放送で
「夕焼け小焼け」が鳴り響き、
それまでに帰らないと叱られた。

五時を過ぎても遊んでいると
天狗にさらわれる、と
言われ、本気で信じていた。
「学校近くの垣根で見た!」
という目撃情報に、
ドキドキしたのも
今思えば、
幼く、かわいい思い出だ。

あれは、小学一年生の頃だったか、
買ってもらったばかりの、
小さなゴムボールで遊んでいたら、
近所のいじめっ子に
そのボールを取られ、隠されてしまった。

五時の鐘が鳴り、気持ちは焦るのに
いじめっ子は、にやにやと笑い
高い木を指差して、あの上に飛んでいった、
と言う。
五時に間に合わない、両親に叱られる、
天狗にさらわれる…
恐ろしい思いがさまざまにめぐり、
泣きそうになっていた。

すると、
背の高い、知らないお兄さんが
やってきて、いじめっ子の
頬を驚くような強さでぶった。
あまりの勢いに驚いたことと、
恐怖で身を縮めていると、
二人の間で、しばらくやりとりがあり、
いじめっ子は、隠していたボールを
ふんっ! と投げて去っていった。

背の高いお兄さんは、
それをさっと拾い上げ、
身体を折り曲げるようにして
ボールを手渡してくれた。
夕焼けの空を背景にして、
幼い私にその人は、天狗に見えた。
そのせいか、激しいやりとりの恐怖からか、
うまくお礼が言えなかったような気がする。

それでも、恐れていた天狗が、
さらうどころか、五時に帰らないとダメだと
助けにきてくれたような気がして
どこか安心するような嬉しさもあった。

その「天狗さん」は、
結局、どこの誰かはわからないままだ。

後日、花火大会の日に
ちらっと見かけて
「あ、天狗さんだ」と
思ったけれど、声をかけるという発想もなく、
遠くから見ていた。
花火に照らされた天狗さんは、
炎色に染まっていた。

あれから何十年もたって、
天狗も、夕暮れも、怖くなくなった。
そして、「天狗にさらわれる」と言って、
自由に遊ばせつつも心配して
帰りを待っていてくれた両親や、
「ほら、日が暮れるよ」とゆっくりと
沈んでいく夕陽のやさしさがわかるようになった。

本当に怖いのは、心配するもの、
心配してくれるものが、なくなることだ。
今年も、炎色した夏の夕暮れが
心配する人、される人たちを照らして
やさしく燃えている。

ハレの日を、鮮やかに彩る色。

つつじ色は、鮮やかな赤紫色。
白も黄色もあるけれど、
つつじの花の色といえば、
この赤紫色とされている。

つつじ

つつじは「躑躅」と書く。
「てきちょく」と読み、
「躑躅(てきちょく)」には、
「躊躇(ちゅうちょ)=ためらう」の意味がある。

それは、見過ごして去るのがためらわれるような、
足を引き止めるほどの美しさ、ということ。
まさにつつじの花の美しさ…
だから、この漢字を「つつじ」と
読ませたという説がある。

山つつじ

もうひとつ、
「躑躅(てきちょく)」とは「足踏み」のことで、
羊がこの花を食べたあと、
躑躅(足踏み)…おそらく、苦しみから足をばたつかせて
死んだことから名付けられたとされ、
本来のつつじの漢名は「羊躑躅」といわれている。

羊

「行く方も躑躅(つつじ)なり。来し方も躑躅(つつじ)なり」とは
泉鏡花の「龍潭譚(りゅうたんだん)」の一節。

姉の教えに背いた主人公の男児が、
つつじの丘で道に迷い、毒虫にさされて形相まで変わり、
不思議な体験をする…という妖しげな物語。

芝桜の丘

目を閉じてもその色がまぶたの裏に残るような
色鮮やかなつつじ色の花に包まれていると、
この物語のように、
異次元に連れ去られてもおかしくはない…
そんな気にもなる。

ピンクの花

幼い頃のよそゆきの服は、
つつじ色のパンタロンスーツだった。
これを着るときは、少し緊張感もありながら
ドキドキとうれしい心持ちになった。

よそゆきの服を着る、ということは、
幼い子にも、特別な日である「ハレ」の日、
日常である「ケ」の日の違いを
言葉以上におしえてくれるものだった。

つくし

特別な日だから、何かが起こりそうな、
もしかしたら、どこかへ連れ去られような心持ちになる。
よそゆきの服の色として
つつじ色はふさわしかったのかもしれない。

つつじ

今となっては、
つつじ色を身にまとうことは、
色の強さに気圧されて、できそうにない。
ただ、さし色として、よそゆきの心を表現すべく
つけてみたいとは思う。
誰も躑躅(てきちょく)…立ち止まることのないほどの
さりげなさで。

雑貨

大好きだった、よそゆきの服は
その後どうなったのだろう。
記憶のなかで、今も鮮明に輝きを放つ、
ハレの服。
それを着たときの誇らしい気持ちは、
服が消えた今も、
胸の内の想い出の箱の中にある。

はなびら

気の晴れない日には、
その記憶のはぎれを取り出して、
ぱっと心を明るくして、出かけよう。
街には今、あちこちに、
つつじの花が、目に眩しいほどに咲いていて、
幼い日の私が跳ねまわるように見える。
ハレの日の記憶は、ずっと私を守り、
元気づけて、応援してくれるものだ。

花笑う、春の色。

季節の変化を、目に肌に、
感じられる頃になった。
「あたたかくなりましたね」
「そろそろ咲きますね」
という会話も嬉しい。

枝垂れ梅

七十二候(しちじゅうにこう)という
季節の表す言葉がある。

「立春」や「春分」などといった
季節を分けて表すのが二十四節気。
それをさらに約五日ずつわけた期間を
表す言葉だ。

梅

三月十日から十四日ごろは
七十二候で
「桃始めて笑く(ももはじめてさく)」
と表す。
花が咲くことを、昔の人は「笑う」と
言ったのだという。
桃の花が咲き出して、
その花を眺める人たちが
昔も今も笑っているのを
想像できて楽しい。

梅の蕾

似桃色(にせももいろ)は、
鮮やかで明るい桃色。
高価な紅花に代わり、
代用の植物で染めた
桃色に似せた色。

この時期は、
梅、桃、桜…と
似た色の花々が次々と
まさに笑うように咲き、
心を春色に染めてくれる。

梅

小学生のとき、
なかよしのグループで
花見に行った。
約束していた日は
例年よりも肌寒く、桜もつぼみ。
それでも、朝からお弁当をもって集まり、
お花見ならぬ、つぼみ見を楽しんでいた。

公園内には、同じように、
予想外に開花しなかった桜を見て、
楽しむ大人たちがいた。

花見提灯

お弁当を食べ終わり、
かくれんぼをしている時に、
遠方から来られたらしい見知らぬご婦人に
声かけられた。

「お花は咲いてないけど、
遠くから見ると、つぼみの色が
にじむように見えて
空気がぼんやりと桜色でしょう? 」
と。

やさしい口調に驚いて、
ぼんやりと桜を見上げると
たしかに、ふんわりと桜に似た桃色の世界が
広がっているような気がした。

梅

遠くから見ること。
空気の色を感じること。

知らない世界が、
それまで当たり前に見ている世界のなかにあった。

ふだん目にするものも
遠くからぼんやり眺めてみれば
またちがう何かが見えてくるのかもしれない。

梅

そんな記憶とともに思い出したのは、
当時、お気に入りだった白いブラウスの
えりに施された花の刺繍だ。
梅でも桃でも桜でもなかったけれど、
春らしい、淡くてかわいい小さな花だった。

梅

何を思い出しても、
記憶の中の焦点を
近くにしても、
遠くにしても、
春は愛らしく美しい。
そして、心の芯を
寒さを越えたやさしさで、
ゆっくりと、あたためてくれる。

よりよき始まりを彩る色。

毎年、新年を迎えると、
その年の恵方にある神社へ参拝している。
今年は晴天の日に参拝できた。

穴神社

空の青に映えるのは、
丹塗(にぬ)りの鳥居の色。
丹色(にいろ)だ。

神社

もともと赤い色は
「魔除け、厄除け、祈願」
の色とされていた。
この丹色で彩ることで、
魔除け、神性を表すことから、
鳥居の色にも用いられたという。

神社

年の初めの月には、
この丹色の正月飾りを
あちこちで見かける。
それを見ると、
新しい年の空気を感じ、
神聖で、改まった心持ちになる。

正月飾り

今年の初詣には、
年末に買った新しいカメラを
持って出かけた。
慌しい暮れに、
大急ぎで家事をこなし、
嬉々としてカメラ操作を確認したのだった。
おかげで、少し取り扱いが理解でき、
実質の初撮りとなった。

南天

過去にも一月に神社に
撮りに行ったことがあった。
それは、二年前のこと。
扱える自信がなくて、
買うことはないと思っていた
一眼レフカメラを
譲ってもらうことになり、
京都の伏見稲荷大社へ
初めての撮影に行ったのだ。

伏見稲荷

取り扱い説明書に
ささっと目を通してはいたものの、
実際、撮るとなると、
何が何やら大混乱!
戸惑いながら一眼レフカメラの難しさと
格闘していたのを思い出す。

伏見稲荷

これからこのカメラを使いこなし、
うまく撮れるように
なるのだろうか。
撮れたらいいなぁ。
そんな気持ちを抱いた記憶は、
伏見稲荷の鮮やかな丹色に染められた。

伏見稲荷

今年、初詣の写真を撮りながら、
どこか改まる思いになったのは、
その時の記憶が色を通して
蘇ってきたからかもしれない。

あの日格闘した一眼レフカメラは
私の無知という荒っぽさに耐えて、
たくさんのことを教えてくれ、
そして、次にバトンを渡すように
動かなくなった。

紅葉

最後に撮った写真は、
クリスマスの華やかな赤い色。

その赤色とは少し趣の異なる
黄色みを帯びた赤い色「丹色」から
新しいカメラとの生活が
いよいよ始まった。

「丹」は赤土の古語でもあり、
さらに色とは少し離れて、
「まごころ」の意味も持つ。
「丹精」「丹心」の「丹」だ。

椿

新しい年、新しいカメラで
変わりなく、まごころもって
撮っていこう。

新しくなるのは、よりよくなるため。
今年も、よりよい年にしたい。