時の積み重ねを表す、いろ。

飴色(あめいろ)。
水飴のような、深みのある強い橙色。

カレーのレシピで見る、
「玉ねぎを飴色になるまで炒めて」。

そう、ていねいに時間をかけて、つくる色なのだ。

遠ざかっていても、
飴を味わうように
ずっと大切に思って、
進化させたい、よりよくしたいと思うもの。

それを、また。
迷いつつ、味わいながら、リスタートする。

さめても優しい、春の色。

街を歩くと、
突然、目覚めたように花が咲いている。
あぁ、もう春が来たのか…と、
見とれてしまう。
手もとに、カメラはない。

退紅(あらそめ)は、
淡い赤、
薄紅(うすくれない)の染め色。

新年から二ヶ月余り、
一度も写真を撮らなかった。

あの感染症が昨年以上に
猛威をふるい、
とても撮りに行こう!
という気持ちに
なれなかったのだ。

胸が苦しくなるような戦況を伝える
日々のニュース、
さらには地震、と
心は、ますます動けなくなる。

令和四年、春。
数年前には想像もしなかった世界。
価値観、生活スタイル、心の向き方…
いろんなことが変わってしまった。

友人と食事すること、
満員も気にせず、映画や舞台や
ライブを楽しむこと。

ほんの数年前に、
ごく普通に楽しんでいたことが
もう気軽にできなくなった。

のんきで、明るく、
甘くほのかな紅色のような日々。
もう遠い昔に思える。

桜は花ひらいても、
心はひらかず、
かつてのようには
楽しめないかもしれない。

そんな想いで、
いつかの旅先で撮った
春の写真を見ていた。

少し季節遅れになってしまって、
眠らせたままにしていた何枚もの写真。

それらは、のどかで
見ているだけで、
眠くなるような、
ひだまりのぬくもりを感じられる。

今年はどんな春になるのか。

こんなに世界が変わっても、
写真を撮ったあの場所に、
桜はまた咲くのだろう。

退紅(あらそめ)は、
退色した紅色。
日光に当たったり、
時間の経過で色あせたような、
「褪(さ)めた紅色」であることから
この名がついたという。

春の花の色は
淡く、まろやかで、
退紅の色を思い出す。

それは、色あせたというよりも、
親しみやすく、
目に、心に馴染んだ
懐かしい色。

寒さに耐え、土の中で
時を待って咲く
力強く、慈愛に満ちた春の色。

冬は冬のまま、
悲しいことは悲しいまま。
ただ雪解けを待つ日々は続く。

そんな中でも、
時を経て、ゆっくりと
さぁ春が来たよと、
微笑んでくれる
花々の色。

寒さに鍛えられた
その懐かしく、やさしい色を
今年もあきらめずに見つけたい。

顔をあげて、
あたりを見渡し、
また訪れた春を撮り始めよう。

いつかまた、
穏やかな時間が来た時に、
こんな春があったことを思い出し、
しみじみと幸せを噛み締めたい。

撮った写真は、
過去からのエール。
未来にいる自分を、
静かに励ましてくれている。
これからも、また。

ほんものに、染まれ!

久しぶりに使おうとしたら、
カメラが壊れていた。

甚三紅(じんざもみ)は、
黄みがかった紅色。

どんな色かイメージしにくい、
この色名は、
江戸時代の染め屋
「桔梗屋甚三郎(ききょうやじんざぶろう)」の
名にちなんでつけられたという。

壊れたカメラは、
バッグに入るコンパクトサイズで、
六年前に買ったもの。
ちょっと背伸びして買ったお気に入りだった。

が、背伸びが過ぎたようで、
買った当時は、使い方がわからなかった。
取扱説明書を読んでみても、
チンプンカンプン。

ま、いいや、撮っちゃえ!
と、出かけたものの、
あれ? ええっと? どうしよう!?
…そう混乱する中で、
初日から、カメラを落としてしまった。

派手に落としたものの故障はなく、
まずは丈夫なカメラであることが
相棒として頼もしかった。

その後も何度も落としたり、
雨でびしょ濡れにしたり、
吹雪の中で転んだり…。
なかなかハードな使い方により、
突然、レンズフードが閉じなくなったこともある。

あぁ、ついに故障!?
とドキッとしたことは、かず知れず。

江戸時代、紅色は、
鮮やかで人気があった。

ところが、紅花を使った染めは高価で
庶民には手が出ない。
そこで桔梗屋甚三郎は、
茜(蘇芳という説もある)を使って、
紅花染めに近い色を染めることに成功した。

安価なその紅色は、
庶民に大人気となった。

売れに売れた結果、
甚三郎は長者になり、
作った色も「甚三紅」と
呼ばれるようになった。

とはいえ、
本物の紅色でないことから
「紛紅(まがいべに)」とも言われたという。

きちんと学ぶことなく、
基礎知識すら知り得ていない私の撮る写真は、
紛いものと自覚している。

それでも、撮る時は、本気だ。
あの角度から、こちらから、と、
自分なりのよい写真を追求して撮る。
何枚も、何枚も。

これで世に出られるわけもなく、
収入が得られるわけでもないのに。
なぜ撮る?

そんな問いかけもあった夏だった。

なかなか撮りに行けない状況の中、
動けない自分の心と、
動かなくなったカメラのリセットボタンを
何度も押しながら、
自問自答し続けた。

ただ、いい風景をカメラに収めたら、
誰かに見てもらいたい。

そのことだけが、自分を動かす。

桔梗屋甚三郎が
紅花を使わずに、
初めて鮮やかな紅色を
染め上げた瞬間を思う。

嬉しかっただろう。
鮮やかさに心躍ったことだろう。

名をあげる。
収入を得る。
結果、そうなったのだけれど。

目指す色を工夫を重ねて
染め上げた瞬間の喜びは、

“あぁ、人に見せたい!”

ではなかったかと思う。

情熱的な紅色を
たくさん見つけた時、
あぁ撮りたい!
人に見せたい!
と思った。

その時、
もう撮ることのできなくなったカメラの
シャッター音が聞こえた気がした。

迷っても、壊れても、
何かになれなくても、
撮りたい。発信したい…。
その気持ちが、シャッターを押させる。

修理代が高くつくため、
今回、古い型のカメラを買った。

洗濯物を干していると、
赤とんぼが物干し竿に留まった。
その赤色を撮りたい! と思った。

「それは、ほんもの? 紛いもの?」
そう問いかけながら、
これからも色を求め続けていく。

ほんものかどうかは、
のちの日に人が評価する。

光の中で咲いていた花は。

夏は、サザンオールスターズ。
街には、熱風とともに
BGMのように流れていた。
十代の私も、カセットテープが
擦り切れるほど聴いていた。

木槿色(むくげいろ)は、
明るく渋い紅色。
木槿の花の色だ。

木槿の花が咲くには、まだ早い六月初め、
初夏に咲く、その色の花々を見つけて、
暑い夏の日のことを思い出した。

短大二年の夏、
人生初のライブ体験。
しかも、大好きなサザン!
サザンオールスターズの
大阪球場のライブに行けることになったのだ。

チケットを手配してくれたSちゃんは、
本当はそのライブに彼氏と行く予定だった。
ところが、
夏休み前にケンカをしてしまい、
ピンチヒッターとして、私に声がかかった。

嬉しいけれど、喜ぶ顔をしてはいけない。
Sちゃんも、明るく振る舞おうとしながらも、
顔が笑っていない。

ウキウキしていない二人で
大阪球場に出かけた。

球場前は、想像以上にすごい人いきれだった。
圧倒されながら進んで行くと、
高校時代、憧れていた人を見つけた。
当時の仲間と、変わりない笑顔。
気づかれないように、チラチラ眺めて
通り過ぎた。

席を探していると、今度は、
懐かしい呼び名で声をかけられた。
振り返ると、高校時代、仲の良かったKちゃん。
いつも恋バナなどしていた友達。
卒業以来の再会だった。

中学の同級生の男子も見つけた。
「変わらんねぇ~」と心で語りかけた。

席に戻って、
「懐かしい人に次々と会った。
 なんか、あの世に来たみたい…。」
そうSちゃんに言うと、
「あの世っ…!?」と、苦笑いを浮かべていた。

ライブが始まった!
毎日聴いているサザンが、
目の前に! 同じ場所に!!!

紅く、妖しく、光るステージは、
木槿色の美しい彩り。

満開の花が輝くように
スタジアムが光に揺れる。

場内の興奮はピークに達したけれど、
スタジアムのずーっと後ろの席から見る
ステージ上のサザンは、
豆粒よりも小さくしか見えなかった。

「あ~ぁ、虫眼鏡持ってきたらよかった」
というと
「それをいうなら双眼鏡ね」と、
Sちゃんが貸してくれた。
…やはり、よく見えなかった。

歌声も、遠くに響いて消えて行くような。
こんなものなのかなぁ…。
戸惑いながらも、
せっかくのチャンス、
楽しまなくちゃ損だ!!

と、無理に気持ちを奮い立たせても、
どうにも周りの人と同じようにノレない。
Sちゃんも、彼氏と一緒だったら…と
思っていたのだろう。
あまり楽しそうではなかった。

よその町のお祭りに迷い込んだような
どこか馴染めない気持ちのまま、
ライブは終わった。

想像した喜びや興奮とは少し違ったことに、
しょんぼりしながら帰り道を歩く。

木槿の花は、一日花と言われている。
朝に咲いて、夜にはしぼむ。

ライブもそんな花のよう。
朝は楽しみで元気いっぱい
咲こうとするエネルギーに満ちていたのに、
夜には、すっかり萎れてしまう。

幻想的な色と光に包まれていた時間が
少しずつ遠ざかっていった。

その後、何年もライブには行かなかった。

サザンオールスターズも、
気がつくと、あまり聴かなくなっていた。

すっかり忘れたと思っていたのに、
六月の花々や、
真夏のような熱い風が、
あの日の球場の空気を思い出させくれた。

たまらなく聴きたくなって、
スマホのサブスクリプションで、
サザンを再生してみた。

夕暮れの校舎、体育館の前、
開け放たれた下宿の窓から、
聴こえていたサザンのメロディー。

さまざまな夏のシーンの中、
いつも流れていた。

胸がきゅうっと締め付けられるような
想いがこみあげてきた。

そんな時間を
イキイキと思い出させくれる
音楽があってよかった。

泣いたことも、怒ったことも、
がっかりしたりことさえも、
全部、いい時間だった。

想いが、音楽に流されて次々と蘇る。

「あけ」てと願う、熱い色。

JR池袋駅の改札を出て、
子供の頃、年末年始にデパートが
休みだったことを思い出した。

真緋(あけ)色は、鮮やかな黄みの赤色をさす。
「あけ」とは「あか」と同じ意味。
天平時代より、
僧侶の袈裟の色としては
紫につぐ高い位を表していたという。

いつもなら、改札を出ると
買い物客や乗り換えの人々で
賑やかな駅構内。

その日は緊急事態宣言下で、
デパートは
食品売り場のみ営業中という日だった。
いつもの人混み、活気はなく、
どこか、しんとした寂しさが
漂っていた。

とりたてて用がなくても、
ちょっと寄りたい。
デパートは子供の頃から憧れで、
居心地のいい大好きな空間。

デパートのない街に育ったので、
京都市内の祖母のところに行く時は、
よそゆきの服を着て、
連れて行ってもらうことが楽しみだった。

遠くからも見える看板、
店員さんの口紅、スカーフなど
チラチラと目に入る赤い色が
鮮やかで、心ときめいた。

大食堂で、子供ながらに気取って飲んだ
ミックスジュース。
なんでも好きなものを食べていいよ、
と言われて
「すうどん!」と応えて
祖母を困らせたこと。
なにげないことも、特別に楽しく
きらめいて思い出される。

中学一年の夏。
初めて、従姉妹と二人だけで
デパートへ出かけた。

文房具くらいしか買えなかったけれど、
あちこち自由に見てまわるのが、
とても嬉しかった。
あまりに興奮しすぎて、帰りのバスを
乗り間違えたほど。
日盛りの中、
汗だくで歩いて帰った。

大人になったら、デパートで
自由に買い物できる!
そう思っていたけれど、
安サラリーの一人暮らしでは
とても、好きなものを買う余裕はなかった。
忙しくて、行く暇すらもない毎日。

ある日、仕事からの帰り、
寝不足でふらふらと
デパートの前を歩いていた。
化粧品のサンプルを配っていた店員さんに
「肌荒れがひどいですね」
と、声かけられた。

確かに、手入れも疎かにしていて、
触った肌の感触がザラついていることが
気になっていた。
自分に優しくしたい…
そんな気持ちもあって、勧められるままに
売り場カウンターの椅子に腰掛けていた。

うっとりするほど美しい店員さんに、
スティック状のクリームを
目の下に丁寧に塗ってもらう。
ほ~っ…と、ひと息。
ささやかな贅沢気分。
塗られた部分から、
栄養分がじわじわと、
肌に心に沁みてくる気がした。

デパートで化粧品など
買ったこともなかったけれど、
大人の女性として扱われる、ていねいな接客に
小さな感動を覚え、思い切って購入した。

口紅のような形をしたアイクリームは、
真緋(あけ)のリボンでくくる、
黒いサテンの小さな巾着袋に入れて渡された。

プレゼントを自分に贈るような
喜びが胸に広がった。

疲れてヘトヘトだったのに、
デパートを出るとき、心が浮き立っていた。

おもちゃにお菓子に洋服、
お子様セットに甘いジュース…。
デパートは、
いつだってウキウキとする時間やものがあり、
華やかな気持ちにさせてくれる場所だった。

旅に出ると、その土地のデパートに行く。
聞こえるその土地の方言に
旅心がぐっと昂まる。

食品売り場では、その土地の美味しいものを
教えてくれる会話がある。
話すこと、迷うこと、買うこと…
それがこんなに楽しいこととは、気づいていなかった。

かつてあった当たり前の日常が、
今、とても恋しい。
こんな窮屈で苦しい日々が、
早くあけますように。

真緋(あけ)の色を調べていて、
赤(アカ)は「夜が明ける」の「アク」から
生まれた語であるという説を見つけた。
ならば、「アケ」には強い願いを感じる。

色鮮やかな商品が並ぶ店内を、
あちこちのんびりと見てまわる。
喜びに上気した笑顔は、
真緋(あけ)の色に見えるだろう。

そんな日々が近い将来、またやって来る。
強く信じ、祈る。

ほっと、あたためてくれる色。

師走に入ると、
ツリーにサンタ、ポインセチア、と
赤い色があちこちで煌めいて、
街は一気にクリスマスムードが高まる。

洋紅色(ようこうしょく)は、
深く鮮やかな紅赤色。
江戸後期に西洋から伝わった色で、
別名は「洋紅(ようべに)」、
洋名は「カーマイン」という。

子供の頃、毎年クリスマスの時期に
アイスケーキをくださる方がいた。
そろそろ来られるかな?
という頃になると、
サンタの贈り物を待つようにして、
冷蔵庫のスペースを確保していた。

ある年、その方の贈り物を
慎重に冷蔵庫から出してきて
家族みんなで、さぁ、ケーキだ!
と、箱を開けたら
なんと、3段重ねの赤いボウルが出てきた。

がっかり…ではなく、大笑い。
ケーキとほぼ同じサイズ、重さの
しっかり冷えたボウルを
テーブルの真ん中に置いてみた。

選ぶのに苦心されただろうなぁ
と感心する父、
確認もせず冷蔵庫に入れた私、
楽しみにしていた兄と母。
ケーキはなかったけれど、
その年が、一番笑った
家族のクリスマスの思い出となっている。

実家を離れた短大二年の年末、
バイトの帰りが遅くなる予定の日、
下宿の門限十時に間に合わないので
友達のところに泊めてもらう約束をしていた。

携帯電話もなく、
下宿に電話もなかった時代。
深夜、友達の部屋の扉を開けると、
いるとは思わなかった四人の友達が
「遅い~っ!!」
と現れた。

酔って、眠そうにしながら
バタバタと冷蔵庫からケーキを出してきて
誕生日おめでとう!
と、ローソクをたてて祝ってくれた。

泥酔の一人が、
おめでとう!
と、抱きついてきたけれど、
千鳥足で、部屋の隅にあった
ゴキブリホイホイを踏んでしまい
大騒ぎになった。
その光景は、今思い出しても、
吹き出してしまう。

酔った仲間たちが眠ったあと、
部屋の主の友人と、
ケーキを食べながらおしゃべりをした。

集まってくれた四人は皆、
明日から帰省する。
私が今夜ここに泊まると知って、
こっそりパーティーを企画してくれたらしい。
それなのに、
待てど暮らせで帰らぬ私にしびれを切らし、
ちょっとだけ…と
呑んでいるうちに、
すっかり酔っ払ってしまったのだという。

寒い夜だった。
小さなこたつの中で
足がぶつかり、絡まりながら
眠っている楽しい仲間。
まだカーマイン色の口紅も似合わない
若さが、こたつの温もりで頬を染めていた。
全てがあたたかく、嬉しかった。

プランは完璧にいかなかったけれど、
クリスマスというと、あのドアを開けた瞬間の
驚きと喜びを思い出す。

予定通りに行くのが
大成功とは限らない。

今年は、
色んなことが思い通りにいかない一年だった。
けれど、そんな中にも思いがけない笑いはあって、
心をあたためてくれた日もあった。

先行きに灯りが見えない時は、
そんな瞬間や、遠い昔に笑ったことなど思い出す。

愛すべきことを見つけてみよう。

クリスマスのデコレーションの色は
景色を華やかにしてくれる洋紅色。
心に明かりを灯す暖かい色だ。

こんな時こそ、楽しめる瞬間を大切にしたい。
とびきりの笑顔で
まわりを明るくして、素敵な思い出にしたい。

どんな時も、必ずクリスマスはやってくるのだから。

消えない炎の色。

手紙が好きだった。
中学、高校生の時は、帰ったらまず、
郵便受けを見るのが楽しみだった。
赤く四角い箱型の。
それを開けるとき、私の顔も紅く染まっていたと思う。

真朱(しんしゅ)色は、少し黒味のある赤色。
色名につく「真」は
「混じりもののない自然のままの朱である」という
意味を持つ。

中学の時、友人の紹介で
福岡の男の子と文通することになった。

最初の手紙を郵便受けに見つけた時は、
甘い秘密を持ったようで、ドキドキした。
急いで部屋に持ち帰り、
封を開けたのを覚えている。

写真も同封してくれていた。
福岡市内から離れた町の、
田んぼのあぜ道で、直立して写るペンフレンドは
丸刈りにジャージの素朴な少年。
足元がマジックで黒く塗られていたのを
透かして見ると、おじさんのつっかけを
履いていた。

その素朴さに親しみを感じて、
他愛もない話の手紙のやり取りが始まった。

「真朱」は「まそほ」とも読む。
「しんしゅ」と「まそほ」、二つの名前。

遠い町の知らない男の子と文通している、
などと知られたら、怒られる!
そう思って、
差出人の名前を女の子の名前にしてもらった。

「なおき」君を「なおみ」ちゃんに。
二つの名前をうまく使い分けて
互いの学校のこと、友達や勉強のこと、
遠い分だけ、誰に気遣うこともなく、
素直に率直に話していたように思う。

恋人でもボーイフレンドでもなく、
周りのほとんどの人が知らない交友関係、
ペンフレンド。
手紙が届くたびに特別なときめきがあった。

けれど、数ヶ月で突然、
「彼女ができました。ごめんね」
と、文通は終わることになった。
失恋とは違うけれど、
あぁ、私たちは異性だったのだと気づいた。

これまで通りに、彼女の話をしてくれたらいいのに…
と、思ったけれど、なおき君にすれば
彼女に悪いと思ったのかもしれない。

真朱にはこんな万葉のうたがある。

「ま金吹く 丹生(にふ)の ま朱(そほ)の色に出て 言はなくのみぞ我が恋ふらくは」

鉄を精製する真朱色の土のように、色には出さない、言葉にしないけれど。
私は恋い焦がれている…という意味。

恋とは言えなかったけれど、交流をなくしたことの
欠落感を誰にも言えない寂しさがあった。

もう来ないとわかっていても、
手紙を待って、毎日郵便受けを
のぞいていた。

最後の手紙から二年ほど経って、
高校生になったなおき君から、手紙が来た。

「バンドをやっています」という近況に、
モノクロの彼の写真が添えられていた。
見違えるほど大人っぽくなっていた。
いろんなことがあったのだろう。
私もいろんなことがあったよ。

そう思っても、何から書いていいのか
わからなくて、返事は出せなかった。

数年前、福岡を旅した時に、
もしかしたら、どこかですれ違っているかもしれないな。
そう思うと、ほのぼのと愉快な想いになった。

交流は途絶えても、
真朱のポストに手紙を投函するときの
弾む想い。
帰宅して真っ先に郵便受けを見て
手紙を見つけた時の喜びは、消えない。

誰の心の中にも、
秘めた炎のような思い出があって、
ふとしたきっかけでチロチロと燃えたり、
それを懐かしく見つめる時があるのではないだろうか。

レトロなポストは真朱の炎。
「なおみちゃん」は、元気でいるだろうか。

暑さに溶け出す、あわいの色。

夕暮れの雲に鳥の形を見つけると、
思い出す鳥の名がある。

トキ。
トキは白い鳥なのだけれど、
飛ぶときに見せる翼の内側、
尾羽、風切羽(かぜきりばね)の色が、
黄みがかった淡くやさしい桃色になっている。
それを鴇(とき)色という。

トキは、遠い昔、どこにでもいる鳥だった。
現在では、日本に野生のトキはおらず、
絶滅危惧種の鳥となっている。

テレビや本でしか見たことのない
私にとっては幻の鳥。
なのに、飛ぶ姿や色の美しさが忘れられず、
夕暮れの空に、その姿を探してしまう。

夏の太陽は、強くまばゆく熱を放つ。
汗をふきふき、少しでも暑さ和いで…と、
日が暮れるを待つのに、
沈む夕陽が、あまりに綺麗だと
なんだか名残惜しくなる。

「行き暮れる」という言葉がある。
行く途中で日が暮れる、という意味。
夕陽を夢中になって見ているうちに、
気づけば夜の帳が下りて、
今いるところも、行き先もわからなくなる…
そんな気持ちになってしまう。

暮れなずむ、行き暮れる…。
黄昏の言葉は、美しく、危険な甘さもあって、
熱にほだされたように、うっとりしてしまう。

黄昏どきは、「誰そ彼(誰ですかあなたは)」と
たずねる薄暗い時。
夕陽を背景にした人の姿が
もう会えなくなった人に見えるときがある。
その人ではないとわかってのに、懐かしく慕わしく眺めてしまう。

また、スマホで夕陽を撮っている人も見かける。
思いつめたように送信している人の姿には、
この美しさを見せたい、感動を伝えたい人があるのだという
切なさが溢れていて、つい見とれてしまう。

無邪気に遊ぶ人たちの姿には、
かつての自分の姿を重ねて
微笑みながら、遠い昔を顧みる。

そんなふうに
あやしく美しい夕陽の魔法の中にいて、
気がつくと、あたりが真っ暗になって、
帰り道が見えなくなる。
行き暮れてしまうのだ。

鴇色は、江戸時代の染色の見本帳によっては
「時色」と表記されていることもあるという。
借字とはいえ、
時を忘れさせ、さまざまな時へと誘う色。
魔界へと放たれた鴇、その色らしい文字にも思える。

夏の夜空に弾ける花火にも、
鳥の羽が広がったような形や
鴇色はなかっただろうか。

夏は、きっぱりとした空の青、雲の白、
そして夜の漆黒の暗さを持っていながら、
その間に、心和む夕暮れの色がある。
暑さに疲れた体を癒してくれる
やさしさのような淡い鴇色が
熱と湿った空気を伴って、
身も心も包み込んでくれる。

昼と夜のあわいの色合いをさまざまに
混ぜて溶かして見せながら…。

何もかも、例年とはちがう今年の夏だけれど、
その色のやさしさ美しさは、
変わらない。

行き暮れた日には
家の灯りのように。
失望や悲しみに襲われた時は、
胸の中で負けまいと灯す炎のように。
きっと、明るく輝いている。

散る花びらのゆくえ。

旅先で見た一瞬の光景が、
忘れられないことがある。

一斤染(いっこんぞめ)は、
紅花で染めた淡い紅色をさす。
一疋(いっぴき・二反)を
わずか一斤(約600グラム)で
染めることから、この名がついた。

平安時代、濃い紅花染めは
高価であるため、身分の高い人しか
使用の許されない「禁色」だった。

しかし、うすい紅色ならば、
低い階級の人々も使用が許されたため、
色の薄さを量的に示した
「一斤」をつけた
一斤染の色が生まれたのだ。

当時の人々は、少しでも濃い紅色を
使いたいと願い、憧れたという。

つまり、一斤色は、
人々の要望から生まれたのではない、
身分による線引きの色と言えるかもしれない。

時は流れて、今、一斤色を見ると、
紅色よりも、ひかえめな優しい色合いに
心和み、安らぐ気がする。

桜の花も、二分咲きあたりだと、
空の色によって色味が淡く、はかなげに見える。
満開になる頃に、花全体が
大きく膨らむように一斤染へ染まっていく。

去年の春、富山を旅した時、
桜の時期は過ぎていた。
桜はもう見られないものと思っていた。

ところが、宇奈月温泉駅へと向かう列車で
ぼんやりと窓の外を眺めを見ていると
美しい緑色の自然の中、
一本の満開の枝垂れ桜を見つけた。

雄大な景色の中に、たっぷりと枝を
広げて咲いている桜は幻想的にも見えた。

はっ! と気づいて急いでスマホで写真を
撮ったものの、それがどこの駅だったのか
全く記憶にない。

夢のような景色だった。
偶然にも、その日、その時が満開で、
また乗っていた車両が、
桜の目の前で停まってくれたのだけれど。
待っていてくれた…そんな気がした。

毎年、桜の時期は写真を撮りに行く。
桜の写真は、どれも、特別な時間を映す。
楽しい非日常。
その楽しさは、旅と少し似ている。

今、私たちは、
新型コロナウィルスの感染拡大によって、
予想もしなかった非日常の中にいる。
旅のように、出発した覚えもなく、
この日、ここから、という線引きもなく、
気がつけば放り込まれ、
いつ戻れるかもわからないような非日常だ。

一斤染は、紅色に憧れながら、
使うことを許されなかった人々が、
紅色に憧れて生まれた色。
人々が望んで出来た色ではなかった。
望まれず生まれた色なのに、
その優しく愛らしい色合いが、
春の色として、今では好ましい色になった。

長い年月、さほど愛されずにきた時間を
耐えて、あり続けて、待ったから
今、こんなに愛される色なのだろう。

待てないこともあるけれど、
待つしかない時もある。

一斤染のように、
車窓で見つけた遠い街の一本の桜のように、
待つことの切なさ、大変さ、重みを想う。

意思のままでも、そうでなくても、
流れて行く時間の中で生きていくのなら、
隣り合う人、つながる人と、
語ったり、力をあわせたりして、
できるだけ明るく流されていきたいと願う。

どこかで待っていてくれる、
ひと、時、場所が、明るいものであるように。
いつかまた、光の中で、
一斤染の散る花びらの行方を見たいから。

灯りをつけましょ三月に。

弥生(やよい)、嘉月(かげつ)、花見月(はなみづき)…。
三月は美しい異名を持つ。

紅緋(べにひ)色は、冴えた黄みの赤色。
古代、茜染で作られた緋色(ひいろ)は、
平安時代より重ね染めが行われ、
より鮮やかで赤い、紅緋色となった。
それは、神聖な色として、
巫女さんの袴の色にも使われる。

現在の「緋色」と言えば、この色をさすと言う。

今年は、三月になっても
ひな祭りの曲も聴かれず、
うっかりと忘れていた。

二月の末に宮崎の飫肥(おび)という街に
出かけて、あちこちに雛人形が
飾られているのを見かけた。
そこでやっと、
あぁ、桃の節句が近いんだ…と、
思い出したのだった。

人形を飾る雛壇に敷かれるのは
緋毛氈(ひもうせん)。
緋色は生命力を意味し、
魔除けの効果を期待できることから
この色が敷かれると言う。

私の雛人形は、男雛と女雛、
別々にもらったものだった。
金屏風、雪洞、緋毛氈も、別々にやってきたもの。
けれど、こじんまりとして、とても好きだった。

毎年、床の間に飾られていたが、
ある時、その部屋に応接セットが
置かれることになり、
雛人形は椅子に隠れて
見えなくなってしまった。

学校から帰ってきて、床の間の前に
寝ろこんで、いつまでも眺めていた。
隠れたつもりはないけれど、
宿題やお手伝いをサボっている、
と叱られた。

五段飾りの雛人形には
特別な憧れがあった。
友達や近所の家に
五段飾りの雛人形があると知ると、
見せてもらいに行っては
人形の着物、小さなお道具を、
一つ一つ飽きることなく眺めていた。

飫肥では、あちこちの家々に
様々な時代の雛人形が
工夫を凝らして飾られていた。
雛飾りや、明治の頃のままごと道具も
紅緋色に映えて、
一日中見ていられるような
細やかな美しさに心打たれた。

暮らしに役立つものでもなく、
おもちゃにして遊べるものでもない
雛人形。

子を想い、大切に保存されてきたから、
今、こうして見ず知らずの私も見せてもらえる。
雛人形は、親の願い、愛情、祈りの形だなぁ
と、しみじみ思った。

人形飾りを見て、庭園をまわり、
ふと見上げると、高く大きく枝を広げた木が見えた。
「あれは何の木ですか?」と、
園内を歩いていた受付の女性に訊くと、
「あれはねぇ、桐の木。
 ほら、タンスにする木の。
 大きいでしょう。
 昔は娘が生まれると、この木を庭に植えて
 タンスにして嫁入り道具にしたんですよね」

改めて見上げると、確かに枝の先が、
花札などで目にする桐の花の形をしている。

しばらくぼんやり眺めていた。
「親の願いですよねぇ」と、その人は言った。
「ほんとに」それ以上の言葉がなく
また、二人で黙って見上げていた。

今日、どこかで植えられた苗が
こんなに大きな木になる時、
今の悩みや煩いが、小さなものと
なっていますよう…そう静かに祈った。

風にしなる枝は、流れる時の
重さ、優しさに吹かれながら、
大地に広がる根の強さを信じている。

未来を信じよう。
さぁ、美しい三月が始まる。