寒さのなかにも、
ほっ…と、ぬくもりある陽射しが
感じられるようになった。
花葉色(はなばいろ)は、
陽射しを浴びて咲く花色のような、
赤みのある黄色。
春に用いられてきた色だ。
桃の節句が近づくと、
毎年、思い出す雛人形がある。
小学校の工作で作った
たまごの殼の人形。
生卵の中身をストローで飲む!?
という驚きの経験を経て
作った雛人形は、白くてまるくて愛らしかった。
気に入って、学習机に飾っていたら、
いつまでも飾っておくとお嫁にいけなくなる…
そう言われて、あわててしまったのも
微笑ましい思い出だ。
中学生のとき、
叔母たちと京都の清水寺へ行き、
道中の土産屋で和紙の雛人形を見つけた。
ひと目見て、心奪われた。
見れば見る程、欲しくなったが
持ち合わせの小遣いでは買えない値段だった。
「欲しい」と言えずに、
その場を離れられず、ずっと見ていた。
そんな私の懐具合も性格も
よくわかっていてくれた叔母が、
自分も買うから、と、ついでのようにして
買ってくれたのだった。
嬉しかった。
何度も何度もてのひらにのせて、
飽きることなく眺めていた。
あの時の嬉しさは
いきいきと胸に残っていて、
思い出も人形も色褪せていない。
なので、
今も大切に毎年飾っている。
思えば、子どもの頃、
何か欲しいとねだったり、
駄々をこねた記憶がない。
自分の意思を強く訴えたり、
誰かに何かを主張することを
苦手としていたのだ。
それはたぶん、
消極的なわがままだったかと思う。
言わないけれど、思っていることを
気づいて、察して!
ずっと心の中で、そう訴えていた気がする。
甘え下手といえるのかもしれない。
そして、自分が下手な分だけ、
他人に甘えさせてあげることも
下手だったのだと思う。
もう少し素直にいられたら、
もっと丁寧に人の気持ちに寄り添えていたら…。
人生はもっとふくよかなものに
なっていたのかもしれない。
この先、甘え上手になっていくのだろうか。
健やかに育ちますように、
お嫁にいけますようにと、
雛人形を飾ってもらった少女の頃は
年々遠くなっていく。
それでも、これからも雛人形を飾る。
祈られ、与えられた、さまざまなことが
甘えることのできた証だと、わかっているから。
その記憶が、やがて誰かを
甘えさせてあげる力になると思うから。
表情のない、この雛人形も、
そこに飾るだけで、心和む。
特別に何かできなくても、
ただそこにいるだけで、
ふんわりとあたたかい花葉色の風のように
誰かをやさしく包み込むことができるのだ…
雛人形は黙ってそれを教えてくれている。