そ〜っとのぞいて見てみたら…。

うすぼんやりとした記憶の中で、
光の粒子がキラキラと輝いている。

瓶覗(かめのぞき)色は、白に近いうすい水色。
瓶覗とは、藍染される布をほんのわずか瓶に浸けただけ、
まるで瓶の中を一瞬覗いただけのような淡い色から
この名がついたという。

短大に入り、学校をちょっと覗いたくらいの五月。
同じ下宿のSちゃんに、英語クラブの
新入生スピーチコンテストに
出ようと誘われた。

そんな自信も度胸もなく、絶対嫌だ! と
コタツにしがみついたが、
ずるずるとコタツごと
部屋の外まで引っ張られた。
あまりの怪力に大笑いして、気がつくと
出場希望者の列にいた。

コンテスタントは二十名ほど。
その中には、数々のスピーチコンテストで
入賞経験がある、というツワモノ(!)もいた。
場違いだ、帰りたい…と思いながら、
先輩方の指導による練習が始まった。
もう引き返せないレールに乗ってしまったのだ。

その日から毎日、放課後、
教壇に立ってスピーチをする。
声は震える、記憶は飛ぶ、腹式呼吸もへなへなと
しおれるような小さな声。
そして、練習の後の反省会。
一列に並び、先輩方のコメントをいただく。
当然、毎日叱られる。
先輩の怒声にビックリして、コメントを取る鉛筆の芯が
ボキッと折れたこともある。

日々の練習の甲斐もなく、
成長も充実感もなく、
あるのは不安と自己嫌悪ばかり。
そんな自分に落ち込んでいたところ、
去年の出場者である同じ下宿のN先輩が、
遊びにおいでと声かけてくれた。

夜、先輩の部屋に行くと、ニコニコと
迎え入れてくれた。
先輩も当時はうまくできなくて、毎日毎日
叱られてつらかったことを聞かせてくれた。
でも、練習最終日、いつも怒鳴られていた先輩に
しみじみと「…うまなったなぁ」と褒められて
涙あふれて、コンタクトが落ち、
感動から一転、みんなでコンタクトを探した!
という爆笑ストーリーも話してくれた。
「大丈夫、みんなうまくなるよ」
というN先輩の言葉。
折れそうだった心に、
優しい水を注がれた気がした。

とはいえ、発音、抑揚、表情、身振り…
それらをマスターすべきスピーチは難しく、
結局、最後までしみじみと褒められるほどの上達はなかった。

そして、コンテスト当日。
校内でも広い階段教室が会場だった。

いざ本番! となると、
頭が真っ白になって、棒立ちしてしまうのではないか。
そんな不安に震え、縮み上がっていた。
ただただ、怖い。

誰のスピーチも耳に入らず、
ずっと脳内で原稿を読み続けていた。

やがて自分の順番が来て、壇上に向かう。
足の感覚がなく、全身がふわふわと宙に浮いてるいるようだった。
定位置について、観客席を見上げた。
耳がキーンと鳴る。

すると、視線のずーっと先、
階段教室の一番奥、最後列の真ん中に
N先輩と友人が見えた。
満面の笑みで大きく手を振ってくれている。

私をリラックスさせようと、
精一杯、静かに、派手に、おもしろく。

その二人の姿に、ふっ…と心が緩んだ。
あ、私、笑顔になってる!
そう思うと、ひとつ、息を吐き出せた。

シュポン! と、栓のあいた炭酸水のように、
なんとか記憶通りにスピーチしていた。

でも、きっと緊張して早口になっていたのだろう。
規定の時間よりも、少し早く終わった。
ほんの数秒の沈黙。

…これで、終わりだ。
そんな解放感もあって、もう一度、
会場をゆっくりと左から右に見渡した。

右手には大きな窓があり、
晴れた六月の空がちらりと見えた。
教室の中は、差し込む光にホコリが
キラキラと光って舞っていた。

結果は、入賞にかすりもしなかった。

けれど、静かな達成感があった。
たくさんの人に励まされたり、叱られたり、
怒ったり、笑ったりしながら、
それまで知らなかった言葉の魅力に出会った一ヶ月だった。

人も、未経験なことも、
遠くから覗いていただけではわからない。

瓶覗色は、もう一つ、瓶の水に映った空の色から
その名がついたという説もある。

空を映す水の色も、入ってみたら透明であるように
なんでも飛び込んでみなければわからない。

ダメでも、何にもならなくても、
挑戦してみることで得られる楽しさ、
清々しさに、すっかり魅了されていた。

六月の空の色。
遠い昔の瓶を覗くように眺めると、
まだまだ濃くなる強くなる、
さぁ頑張ろうと力をくれる。
…そんな優しい色である。

あらい、あらわれ、てらす色。

真っ暗に撮れてしまった写真を、
パソコンで画像調整した。
置き去りにしていた写真の中の朝陽が、
ほんのりとやわらかい明るさで現れた。

洗朱(あらいしゅ)色は、
黄色味を帯びた薄い朱色。
「洗(あらい)」には、
布などを洗うことで
「色が薄くなる」という意味があり、
洗い弱めたような薄い朱色を
この名で呼ぶ。

四年前、人生初の「友人と旅行」をした。
シーズンオフの箱根へ女三人旅。
宿は貸切状態で、
ゆったりと温泉につかった。
あれこれと語る中で、
ウェブデザイナーのRちゃんに、
気になっていたブログ作成について訊いた。
とても、自分でできるとは思えなかったけれど、
お湯の中でRちゃんの話を聞いていると、
「私も始めてみたいな」と、心が湧き、動き始めた。

翌朝、一番に目覚めて、テラスに出ると、
朝陽にゆっくりと染められていく
濃紺の空と景色が広がっていた。
まだ操作もわからない、
買ったばかりのカメラを取り出して
夢中で撮っていた。

けれど、撮れた写真は、
がっかりするほど真っ暗で、
ぼんやり朱色が写っているだけだった。

こんな私に、ほんとにブログ始められるのかな?
と、夢も冷める思いで景色を眺めたのだった。

ステイホームのこの数ヶ月。
二年前に買っていた写真加工のマニュアルを
やっと読むことができた。
ほんの少し知識を得て、過去の写真を加工してみた。

すると、写真の中の朝陽や夕陽が、
ゆっくりと周りを明るく照らして、
その時々に感動した景色を再び見せてくれた。

陽の色は洗われた朱色。
洗朱色だ。

振り返ると、あの四年前の旅行が
なければ、このブログも始めていなかったかもしれない。
Rちゃんの助けがなければ、
途中で投げ出したくなることもたくさんあった。
完成後も、Rちゃんは、より多くの人に読まれるようにと、
様々なアドバイスもくれた。

あの旅がなければ…。

旅に出る前は、友人との旅、ただそれだけだった。
でも、今となって思うと、
ブログを始めるきっかけをくれた、
大切な旅だった。

起こることには意味はない。
それにどんな意味をつけるのか、
どんな感情を抱き、決意するかは、
自分次第。

未来のことなどわからない。
過去のことも、
今いるところから見てみないと
気づけないことがある。

このブログで紹介する和の色も、百色を超えた。

今、思うように撮りに行けない中で、
続けていくために、できることを考えてみる。

きっと、こんなふうに思い悩んだことも、
やってみたことも、いつか懐かしく思い出すのだろう。

どんな過去もさっぱり洗って、
差し出すような、優しい洗朱色を見て思う。

失敗した、と思ったことも、
少しの工夫で、生きてくることがある。
あるいは、時に洗い流されて
今の自分にはわからなかったことを
教えてくれるかもしれない。

時間は、いつも私を包み、
続けることの意味を教えてくれる
永遠の先生だ。

約束しなくても現れる朝陽のように、
これからも当たり前のように
和の色さがしを続けて行こう。

会いたい本に、出会う色。

長年使われて、表面が滑らかになった木に触れると、
小学校の図書館を思い出す。
書架、貸出カウンター、図書カードの棚…。
どれも木の手触りが、優しくて、心地よかった。

礪茶(とのちゃ)色は、赤みがかった茶褐色。
“礪(との)”は、刃物を磨く、
目の粗い砥石のことをいう。

流れた月日に磨かれたような、
礪茶(とのちゃ)色あふれる図書室。
ぐるりと三方にある大きな窓からは、
中庭の緑が見えて、明るく、吹く風も心地よかった。

ただ、全学年の本を網羅するには
狭すぎる書架に、読みたい本はなかった。

私の読みたい本はどこにあるのだろう?

そんなことを考えながら、
本に囲まれた空間にいて、
すべすべとした木に触れながら、
ぼんやりするのが好きだった。

中学、高校の図書館は、
ガリ勉と思われたくなくて
ほとんど行くことがなかった。

当時の日記を読むと、
くよくよしたり、イライラしたり、
支えになる言葉が見つからない苦しさに満ちている。

大阪にある中之島図書館に行ったのは、
短大二年生のとき。
立派な建物に気圧されて、
オロオロしながら、閲覧室の席に着き、
ふと顔を上げた時、ドキッとした。

斜め向かいに座っているのは、
校内で時々見かける、四年制大学の同級生。
人目を引くほど美しい男の子だった。
話したこともなく、相手は私のことを
知っているはずもないのに、見つからないように
隠れるほど、ドキドキした。

重厚で歴史感じる立派な建物、家具、設備、
周りは皆、洗練された人たちに見え、
さらにその同級生まで現れて、
念願の中之島図書館デビューの日は
緊張のあまり何をどうしたのか覚えていない。

その後、何度かその図書館も通い、
落ち着いて調べ物もできるようになった。
同級生の美しい彼とも、その後、
話す機会に恵まれ、会釈しあう友達になれた。
感じもよく、眺めのいい人だったけれど、
親しくはならなかった。

たくさんの人と友達になった。
失恋もした。
気づけば、いつも手もとに本があった。
悩む心、悲しい気持ちに、
しっくりと寄り添ってくれる言葉が
本の中にあった。

我ながら、よく読んだと思う。
けれど、読んだはずでも、
すっかり忘れてしまった本もある。

出会っても、親しくなる人、
深く関わることなく通り過ぎる人が
いるように、
本の出会いにも濃淡がある。

難しかったり、長編であったりして、
挫折しそうになりながら
意地になって読んだのに、
全く内容を思い出せない本がある。
その記憶は、どこに行ってしまったのだろう。

遠い日の夢のように、もう思い出せない本も、
ものを考えたり、言葉を発している時に
ひらひらと現れたりして、
私の中の一部になっているのだろうか。

心の中で砥石となって、
私の中の粗い部分を磨き、削り、
まろやかにしてくれていたら嬉しい。

どんなに素晴らしい本を読んでも、
そのようには生きられないように、
主人公の言葉を、自分の言葉にはできない。

けれど、感動は伝えられる。
伝えようとする時、言葉は自分のものになり、
誰かの力になることも知った。

小さな図書館から始まった本との出会い。
大人になり、欲しい本は買えるようになった。
それでも、やはり図書館は、
行きたいところに変わりはない。
本屋ではもう買えない、
出会うべき本が棚の中で待っている気がするから。

私の読みたい本はどこにあるのだろう?

そう心でつぶやく時、ぐるりと窓に囲まれた
礪茶(とのちゃ)色の心地よい空間が胸に広がる。

移りゆくけど、褪せない色。

三十数年ぶりに、大阪の学生時代、
お世話になった方達と集まった。
週末の渋谷は、個性豊かな人いきれ。
紫陽花のように、群れながら、あちこち違う色が咲いていた。

移し色は、明るい青紫色。
露草の絞った色を布に移すので「移し色」と言い、
また、変色、褪色が激しいことから
「心移り」を連想してつけられたとも言う。

露草ほどの速さではなくても、
街も変わり、人も変わる。
それでも、行きたい街、会いたい人がいる。

その日集まったのは、短大時代のクラブの
関東在住OB、OGメンバー。
私が所属していた語学系のクラブは、
同じキャンパスの四年制大学と短大の学生が
一緒に活動することができた。
おかけで、短大生でありながら、
多くの先輩や仲間と知り合え、
とても充実した楽しい2年間を過ごせたのだった。

貧しい知識、乏しい語学力でありながら、
ただ楽しみたいという無鉄砲な情熱で続けた2年間。
時に叱られ、教えられ、厳しくも明るく楽しく
導いてくれた先輩方に会えるのが、
少し緊張しつつも楽しみだった。

数々の失敗が思い出され、一人苦笑いしていたら、
道に迷い、先輩に探し来てもらうという早速の失態。
相変わらず世話の焼ける後輩のまま、
遅刻して店に着いた。

「五分前集合よ」
と、優しくたしなめられたのも懐かしい。
席に着いた途端、三十数年前と、現在の話題が
入り混じって楽しい会話が始まるのも
SNS時代のおかげだろう。

遅れて来た先輩が、背中をトンと叩いて、
懐かしいあだ名で呼んでくれたのも
昔のままで、嬉しかった。

二次会は、昭和レトロな店に移り、
学生時代過ごした街の話になった。
今は、再開発で街の景色も変わり、
キャンパスも移転して、私たちがいた頃の校舎もない。

それでも、あの店のあのメニュー。
あの店の主人、バイトしてた人。
あの道をまっすぐ行ったところにあった下宿。
などと、一つ一つたどるように話していくと、
街が、キャンパスが、くっきりと蘇った。

もう今は、ないのだけれど、
そこに確かにいた私たちが思い描けた。

ふと気づくと、22時。
下宿の門限の時刻だった。
門限を過ぎると、怖い下宿のおばちゃんが鍵をかけてしまう。
なので、ぐるりと囲まれた高いフェンスを、
見つからないよう、そ〜っと乗り越えて、
擦り傷を作りながら帰宅したものだった。

あの頃は、各下宿へと男子部員が送ってくれたな。
そんなことを思い出しながら、駅に向かう。
それぞれが違う色の電車に乗るべく、
一人、また一人、と、別れていった。

渋谷の交差点で、もう一度振り返って、
去って行った先輩に手を振った。
目の前に広がるのは、
鮮やかなネオン、信号、車のライト、
人々の着飾ったファッションの色など、
眩しいほどの豊かな色のバリエーション。

学生時代に、こんなふうに大人になって
再会して、大都会の交差点で大きく手を振って
別れることなど想像もしなかった。

移り変わった色は、美しく、嬉しく、楽しく、
そして、ちょっと寂しくて
愛しいものだった。

思い出は色褪せていくけれど、
胸に残って、新しい思い出が別の色を
添えていく。
散り散りに散って行った人も、思い出も、
また会えるという喜びに輝きながら。

「親父の一番長い日」のいろ。

黄蘗色(きはだいろ)。
ミカン科キハダの樹皮で染めた
鮮やかな黄色。

幼稚園の帽子も、こんな色だった。
帰り道、ころんだり、通せんぼされたら、
すぐに泣いた私は、
工場にいる父のもとに駆け寄ったものだった。

父は、仕方なさそうに笑って
「泣きゃあでもええ(泣かなくてよい=泣くな)」と、
帽子をかぶったままの頭をなでてくれた。
私の帽子は、父の手についていた機械油の黒色が
染み付いて、名札よりも
その黒色を帽子を探す目印にしていた。

泣き虫だった私は、
いくつになっても、父に
「泣きゃあでもええ」と慰められる娘だった。

いくつもの季節を経て、
泣き虫は少し強くなって、
結婚することになった。

特にこだわりもなく、
身の丈にあったプランで
式の一切を決めてしまった。

驚いたのは両親である。
娘が嫁ぐ日のために
ずっと積立金をしてくれていて、
そこで借りた花嫁衣裳を着せるつもりだったのだ。

それならば、お色直しの着物だけでも!
と、式前日に列車に三時間以上も揺られ、
持ってきてくれた。

黄蘗色の地色に、
牡丹と桜の鮮やかな刺繍が
施された着物と、
目の覚めるような色の帯や小物。

それを見た時、両親は両親なりに
娘の結婚への夢のようなものがあったのだと
気づかされ、申し訳なく、ありがたい想いで
いっぱいになった。

式当日は、お色直しをして、
父と入場することになった。
会場の入り口で、黄蘗色の着物を着た私に
父は、少し困ったような顔で
「馬子にも衣装だ」と笑った。

黄色い帽子と、機械油の黒。
その二つの色は、
花嫁とその父の衣裳の色になって
披露宴会場に入っていった。
そして、黄色い着物の娘は
父の手によって、
黒い礼装の新郎へと託された。

式の最後の花束贈呈では、
花嫁の父は泣くだろうと
何人かが、父にカメラを向けた。
が、口を真一文字に結んだ父は、
その人たち一人ひとりに、
高々とピースサインをきめていた。
きっと、心の中で自分に
「泣きゃあでもええ、泣きゃあでもええ」
そう何度も言っていたのだと思う。

少女の頃、
遠い未来を想像して聴いた、
さだまさしさんの「親父の一番長い日」。
忘れていた、そのメロディーが
胸によみがえった日だった。

黄蘗色を産むキハダの樹皮は、
漢方薬としても用いられている。
この色を見ると、
心に薬が与えられたように
励まされ、元気づけられるのは、
両親の愛情の記憶と、
漢方の力があるのかもしれない。

砕けて、ふって、染まる色。

紫がかった深い青色、
群青(ぐんじょう)色。

古くから日本画に用いられた色で、
高価な鉱物を砕いて作られていたため、
宝石に匹敵するほどの貴重な色とされていた。

子どもの頃、16色のクレパスのなかで
「ぐんじょういろ」は、
直感的にわかりにくく、語感が重く、
気軽に使えない気がしていた。

深くて美しい
好きな青色なのに。

改めて調べてみると、
「群青」とは、
「青が群れ集まる」
という意味からこの名になったという。

“群れる、集まる”
というと、こんなにも重厚感が増すものか
とも思う。

「旅は、誰かと行くよりも、
一人で行くほうが
出会う人の数が多くなる」
とは、友人の言葉。

たしかに一人だと、
まわりに目をむけ、心を向けて、
さまざまな発見や、
出会いがあって、
手を差し伸べたり、差し伸べられたりする。
道に迷ったり、困りごとがあれば、
知らない人に声をかけたりして、
思わぬ親切に感動することもある。

一生のうちで、
私は何人の人と出会うだろう。
よい出会いは、
時間の色を深く美しい色に染めてくれる。
だから、心がけたいのは、
さりげない言葉の色。
誰かと話すとき、その言葉は、
やさしい色になっているだろうか。

言葉の数は、歳とともに増えてゆくけれど、
増えれば、増えれるほど、
重ねれば、重ねるほど、
伝わらない苛立ちを感じることも多い。

そう思うと、親しい友人との
楽しい時間と同じくらい、
一人の時間も大切にしなくては、と思う。

一人の時を大切にし、
いい色でいなければ、
集い、群れた時の色も、
美しくならない。

考えること。
人のことを想うこと。
それをきちんと言葉にすること。

そのために、たくさんの想いを味わい、
言葉の痛みやぬくもりについて
向き合う時間が必要なのだ。

傘のなかは、たいてい一人。
もの思うのに、ちょうどいい。

なかなか晴れない梅雨空の雨雲は
大きな鉱石のよう。

その雨雲が砕けて散った
雨粒がつくる景色は、
群青色のパレット。
雨に濡れた舗道には
群青色の街が
さまざまな色をにじませている。

一人だから
見つけられる色もある。

心の中の、ほの暗く重い鉱物を
どうすれば、砕けて美しい
群青色にすることができるのか…。

そんな思いをめぐらせながら、
やがて晴れる青空を思い、
「なんとかなる」と信じるのも、
雨の日の愉しみ方かもしれない。

つよく、ふかく、心に残る色。

深碧(しんぺき)色は、
力強く深い緑色。

新緑が眩しい季節になると、
自然の中へと
出かけたくなる。

それは、幼い頃、
近所の子どもたちそろって
川遊びした楽しい記憶があるからだろう。

確か小学校に入ったばかりの夏、
一番年上のお兄さんを先頭にして
川を上流にむかって探検をした。
草いきれの中、
緑を、かきわけ、かきわけしながら、
でこぼこの身長の子供たちは、
虫かごやバケツをもって
ドキドキしながら歩いていった。

前をゆく
大きいお兄さんたちは、
とても頼もしくて、
後ろについていてくれるお姉さんは
とても優しくて、
臆病な私も、
前へ前へと進んでいった。

さて、
その先に何があったのか──。
それは、
残念なことに覚えていない。
ただ、お兄さんたちの
光を浴びたシルエットだけが
記憶に残っている。

怖かったけれど、
たくさん笑って、
たくさん歩いた。
太陽と川面の光が反射した
キラキラ輝く記憶だ。

あまりに楽しくて、
「あしたも、また探検しよう」
と、約束し、
翌日、同じ探検をしても
もう楽しくなかったのが
不思議だった。

「またあした」
「また遊ぼう」
そう言って、ずっと続くことを
無邪気に信じていた。
けれど、
時がたつと、みんな成長し、
人も環境も様子がかわっていった。

「またあした」の「あした」は
いつ終わったのだろう。

懐かしいあの通りに
あの時遊んだ人たちは、もういない。

あれから何度も新緑の季節を
迎えては見送って、
記憶は遠くなるのに、
眩しい緑色は、あの日の
川の音や、笑い声を
いきいきと思い出させてくれる。

「みどり」には、
草や木の色をさす「緑・翠」と、
青の美しい石をさす「碧」の
文字がある。

人生のなかの新緑の季節は、
とても短くて、
あっという間に葉は色づき、
やがて枯れてゆく。

それは、ごく自然なこと。
寂しくても、嫌だとあがいても、
誰もみな同じように
時が流れて、同じように枯れてゆく。

大切なのは、過ぎてゆく時間の中で
朽ちずに残る青く美しい石を
小さくてもいいから、
残していくことではないだろうか。
自分のなかに、
できれば、誰かの心のなかに。

今年も新緑の写真をたくさん撮った。
パソコンにずらりと並べると
いくつもの青く美しい石に見える。

誰に借りたものでもなく、
私がそこにいて、誰かに伝えようとした
かけがえのない石たち。
まだまだ美しい石とはいえないけれど、
技術を磨き、想いをのせて、
力強く深い緑色にして
残していこうと思う。

香りが放つ、やさしい色。

ものには、色があり、香りがある。
色が香りを思い出させてくれることもあり、
また、
香りが色を思い出させてくれることもある。

香色は、「こういろ」と読む。
黄みのかかった明るい灰黄赤色。
ベージュといえば、わかりやすいかもしれない。

その名も香り立つように美しいけれど、
平安時代はとても高価なものとされ、
あらたまった訪問の装いにも使われた色という。

この色が香色とされたのは、
木欄(もくらん)という香りのある樹の皮で
染められた色だから。

遠い昔の人たちも、
この色に包まれたときの記憶を、
匂いとともに思い出したりしたのだろうか。

匂いの記憶のはじまりは、
小学校の参観日。

母親たちが教室に入ってくると、
化粧品の香料の匂いが
教室中に充満した。
姿を見ないまでも、
匂いから親たちの視線を感じて
緊張したものだった。

あの時代独特のきつい香料のイメージが強くて、
二十歳を超えても、化粧する気になれなかった。

とはいえ、高校時代は、シャワーコロンが大流行。
安いコロンを盛大にふりかけて、
制服の汗臭さを隠したものだった。

体育のあとの更衣室は、
消臭スプレーとコロンの匂いが
室内いっぱいにたちこめていた。

大騒ぎしながら、さまざまな思いをこめて
シャワーコロンを何本も使い切った。

卒業式のあと、部屋にかかったセーラー服から
消えなくなったコロンの匂いがした時、
この香りも、制服も、終わってしまったんだな…
と、しみじみと眺めた。
寂しさがこみあげた。

今もその時の寂しさを思い出すと、
ほんのりとあの香りが鼻腔によみがえってくる。
柑橘系の若い香り。

香りは、体内に残された写真のように
その日、その時のシーンを生き生きと
思い出させてくれる。

今日の記憶はどんな香りになるのだろう。

誰かが私のことを思い出してくれる時、
鮮やかでなくてもいい、
やさしい、この香色のような記憶が
ほんのりよみがえるような、そんな存在でいたい…
そう願う。

あまいろの空を見上げて。

天色。
「あまいろ」と読む。
晴れ渡った、澄んだ空の、鮮やかな青色。

「あまいろ」という読み方が好きだ。
七夕が近いこの時期、やはり「天の川」を思い出す。

残念ながら、
まだほんものの天の川を見たことはないのだけれど、
子どもの頃から、
一年に一度、晴れれば会えるという
織り姫と彦星のお話には、
幼心にも甘いときめきを感じて、
何度も夜空を見上げたものだった。

織り姫と彦星が無事に会えて、
私の願いもかないますように。

毎年、笹の葉に願いをししためた短冊を
きっちりと落ちぬように結んだ。

「あまいろ」という読み方が
好きな理由が、もうひとつある。

我が故郷「天橋立(あまのはしだて)」も
「てん」ではなく、「あま」と読むから。

天に架かる橋。天橋立。

その街を離れるまで、年上の人たちが、
進学や就職で、天橋立のある街を離れていくのを
何度も、何度も、見送った。

「いってらっしゃい」。

笑って見送りながら、寂しかった。
もう見送るのは嫌だと、ずっと思っていた。

やがて、見送られる立場になって、ほっとしたのと同時に、
「ただいま」が、
それまで感じたことのないほど、
安心と喜びに満ちていることを実感した。

迎えてくれて、見送ってくれる人のいる安心感。幸福。

とはいえ、「ただいま」と「いってらっしゃい」は、
永遠に続くものではないことも知った。

何かのきっかけで、ふっつりと会わなくなったり、
または、生きているこの世界では、二度と会えなくなったり。

どんなに願いを短冊にたくしても、
かなわないことも年々増えていった。

それでも、やはり、あたたかい言葉。

「ただいま」と「いってらっしゃい」。

今年の七夕は、
天色の短冊に願いを書く思いで、
天の川のかかる夜空を見上げることにしよう。

雨がふりませんように。
織り姫、彦星が「ただいま」と笑いあえますように。

共に歩む人を見つけて、
新しい人生をスタートさせる娘にも、
「ただいま」と「いってらっしゃい」を
大切にして、笑顔に満ちた暮らしを築いてほしいと願う。

だから、この言葉を届けよう。

いってらっしゃい!

思ひは、火の色に似て。

鮮烈な思いは、何色をしているだろう。

思色(おもひいろ)は、緋色(ひいろ)の別名、
同じ色だ。

緋色は「火色」とも書く。
明るい、少し黄みがかった赤色で、
「思ひ」の「ひ」と、
「緋色」の「火」をかけて、
火のように燃える情熱を表している色なのだ。

熱く燃ゆるような思ひの色は、
記憶の中で、ぽつんぽつんと赤く点るのだろうか、
それとも、全てを赤く染めていくのだろうか。

高校生の時、赤い傘を持っていた。
柄(がら)のない真っ赤な傘。

あまり大きな傘ではなく、
ひどい雨の日は、制服に雨がしみて重くなった。

それでも、赤い傘は、黒い制服、黒いカバンに
火が点るような明るさを与えてくれた。

嬉しいときは、傘がひらくような
悲しいときは、傘を閉じたまま雨の中を歩くような…
赤い点は、傘の色と重なって見えた。

 

淡い思いが実ったり、壊れたり、
友とわかりあえたり、仲違いしたり、
そのたびに、ポツンポツンと
思いが点ったり、消えたりして
赤い点を残していった。

今、思うと、ささいなことで
本気で怒って喧嘩をしたり、
幼い失恋に、学校へ行くのがつらくなるほど
傷ついて、泣いて、大騒ぎして。
あまりにたくさんの赤い点があることに
おかしくなる。

と、同時に、あの頃のように
心がすぐに燃えて、いきいきと
喜怒哀楽を表していた
やわらかい心は、かけがえのないものだったと
苦々しくも、懐かしく、愛しい気持ちになる。

今も、折り畳み傘は、小さくて柄のない赤。

傘といっしょに記憶もひらいて
当時の切ない気持ちを思い出させてくれる。

ただ一所懸命で、不器用ながら突き進んだ
あの日の自分が積み重なって
今の自分ができている。

傘を開くと、あの日の思ひが頭の上に広がって
クールでいたい大人の私を赤く染める。

大人の分別や冷静さも素敵だけれど、
あの日の思「ひ」は、いつまでも消えないよう
大切に守っていきたい。

そんな思色の「ひ」なのだ。