時にあらずと声立てぬ色。

春が近いからだろうか。
夕暮れを歩いていると、
「さようなら」が空気の中に
しっとりと含まれているような気がする。

緋褪色(ひさめいろ)は、
明るく渋い赤色。
真紅の緋色を薄めた、
穏やかな温かい色だ。

二十代前半に、会社を辞めて、
しばらくIT関係の小さな会社でアルバイトしていた。
私の仕事は、なんでも係。
その日も、ゴルフコンペのメンバー表と
景品を持って、コンペ後の懇親会となる
飲食店に出かけた。

小さな白いビルの二階の店。
建物横の階段から入るのに
昼間は一階のインターホンを押す。
その店には、何回か連れてきてもらったことがあった。

美人のママは、離婚後離れて過ごしていた愛息と
最近、一緒に暮らすようになった話を
まるで漫談のように話す、話し上手な大人の女性。
ちょっと憧れていた。

「あんたが来たん? 」
と招き入れてくれたママに冷たい飲み物を
ご馳走になり、あれこれ話すうちに、
心ほどけて恋愛相談を始めてしまった。

黙って、話を聞いてくれたママは、
「まぁ、ウサギが好きや言う人に
 カバを好きになれ言うても無理やな」
で、話が終わってしまった。
……わたしは、カバ…?

キョトンとしてる私を無視して、
親子で昼まで寝てしまい、保育園サボったとか、
あんまり言うこと聞かない息子に
「別れるで」と言ったとか。
そんな話で笑わされて、相談を続けられなかった。

バカな小娘の話につきあってられない、
と突き放されたことと、
自分の弱さ、幼さを
見抜かれた恥ずかしさがあった。

と、同時に、
余計なことは言わない、
大人の女性のかっこよさを感じた。

年の暮れの接待の二次会に
ママの店へ行った。
その日は、ママがいつもより華やいで見えた。
Nさんという壮年の男性の隣に座り、
御髪が寂しいのをネタにして
裸電球! 100ワット!
と、はしゃいでいた。

Nさんは、落ち着いた雰囲気の楽しい人。
みんなの人気者のようで
後からお店に行った私たちも
Nさんとママを囲んで大笑いした。

夜も更けて、Nさんが
一足先に帰るわ、と席を立った。
ママも見送って、席を離れた。

するとNさんのテーブルに
ハンカチが忘れてあり、
急いで二人の後を追いかけようとすると、
上司のSさんに「行くな!」と言われた。

意味もわからず、出口を出て、
階段を見下ろすと、
Nさんとママが寄り添う影が見えた。
ママは泣いているようだった。

Sさんが、後ろからやって来て
「Nさんは末期がんなんや、
 年明けに入院したら、家族の手前
 ママはお見舞い行かれへんから、
 今日が最後なんや」
とおしえられた。

Nさんとママの二人の想いも気づかず、
何も考えずに追いかけて行こうとする
自分の鈍感さに恥じ入りながら、
ハンカチを元のNさんの席に戻した。

Nさんを見送ったママが帰ってきた。
「もう~! 100ワットはまぶしすぎて、
 目ぇやられたわぁ~」と、笑っていた。
ハンカチはテーブルの上からなくなっていた。

年があけて、次のステップに進むため、
私は、そのアルバイトを辞めることにした。
家族のように大事にし、
本気で育てようとしてくれた人たちを落胆させた。
「後足で砂かけるように、辞めるのか」
と言う人もいた。

自分でも、
わがままを貫くことへの自己嫌悪があった。

引っ越しも決めて、その準備に追われるある日、
ママの店の前を通った。
準備中の時間だった。
さようならを言っておこうかな…
そう思って、インターホンの前に立った。

叱られるか、嗤われるか。
余計なことは言わず、いつも通りか。

迷った末、店の前を通り過ぎることにした。

Nさんがハンカチを置いていったように、
私もさようならをここに置いていこうと決めた。
いつかまた、さりげなく忘れ物を取りに来たように
訪れようと思ったのだ。

二月の風は冷たく、夕暮れは美しかった。
ほんのり春を感じる、
緋色が醒めた優しい色。

お別れの言葉も、目にした夕暮れも、
やがては溶けて胸の内に馴染んでいく。
ゆっくりと春になるのを待とうと思った。

その後、ママのところには行っていない。
春は名のみの、遠い日の記憶だ。

どこまでも広がっていく色。

━━ きっちり足に合った靴さえあれば、
  じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。

須賀敦子さんのエッセイ「ユルスナールの靴」の
冒頭の一文。
少し長く歩くかなという日に、
靴の履き心地を確かめながら
いつも思い出す、
お気に入りの一節だ。

勿忘草(わすれなぐさ)色は、
可憐な明るい青色。
春に咲くワスレナグサの花の色だ。

勿忘草には、こんな伝説がある。
川辺を散歩中、対岸に咲く青い花を摘んで
恋人に贈ろうとした男性が、
足を滑らせて、川に転落。
女性に花を渡して
「私を忘れないで(フォーゲット・ミー・ノット)」と
言い残し、激流に巻き込まれて姿を消した。
女性は恋人を生涯忘れずに、この青い花を飾り続けたという。

年末に靴を買った。
傾斜やぬかるみがあっても、足元がぐらつかず、
長く歩いても痛みもない、
安定した履き心地のものを探した。
そして、機能性重視ながら、
忘れ物をしませんように、と
祈りも込めて、さし色に
勿忘草色の入ったものを選んだ。

こんな堅牢な靴を買うきっかけとなったのは、
思いがけず、広角レンズを譲ってもらったことにある。
カメラのことを勉強しようと思いながら、
結局、昨年も一冊の本も読まず、
経験だけで過ぎてしまった。

そんな私の撮ったものを見て、
無自覚なままに、
もっと寄りたい、広げたい、
どうしたらいいのかな? と
悪あがきしているのを読み取ってくれた人が、
私の実力には、まだ手にあまるような
レンズを譲ってくれたのだ。

実際に撮ってみた。
まだ、レンズの実力も魅力も引き出せては
いないけれど、確実に違うものを感じる。
新しい扉が開いた感覚。

こんなふうに、
自分のしていること、やりたいことは、
案外、自分自身が
一番わかっていないのかもしれない。

そう思うと、
これまで見逃し、撮りこぼしてきたものは
どれほどの大きさだったのだろう…と思う。

それは、広角レンズを得たことで
撮れるようになるのか、まだわからない。
けれど、
撮れないと思うのか、
撮ってやろうと挑むのか、で
きっと見える景色が違ってくるような気もしている。

広い世界の中の私が見つけられるもの。
それは何だろう?
それを撮るとき、撮れたと思えたときの
気持ちは、勿忘草の伝説の彼が
恋人に花を託したような気持ちなのだろうか。

「私を忘れないで」。

勿忘草は、「恋人たちの花」とも言われ、
ヨーロッパでは、閏年の二月末日に恋人に
この花を贈るらしい。
今年は、閏年。
四年に一度の告白の年だ。

私も、この閏年に、
告白に値するようなもの撮れたらいいな、
と思う。
前回の閏年に、初めて手にした一眼レフカメラ。
今年こそは勉強し、より良いものを
撮っていきたい。
重い荷物をぶら下げて、長い距離を
どこまでも歩いていく。
いつまで、これができるだろうと思う日もある。

けれど、きっちり足にあった靴と、
広い視界のカメラがあれば、大丈夫だ!
とも思う。

広く、楽しく、たくましく。
新しい年も挑み続けよう。