まなざしの行方の色。

今年も残り少なくなった。
振り返ると、新しい出会いや、
久しぶりの再会を果たせたりと、
楽しい時間に恵まれた。

窃黄色(せっこういろ)は、
くすんだ淡い黄色。
窃は「ひそか」を意味する。
こっそり盗む「窃盗」にも
使われる文字。
あまり聞いたことはないが、
「窃慕」は、ひそかに思い慕うことを意味する。
「窃(ひそか)」は、
静けさを与える文字に思われる。

出会いの喜びとともに、
別れの悲しみもあった。

note」と言うSNSがある。
クリエイターが作品を発表する場だ。
作品が気に入ったら
他のSNSの「いいね」のような
「スキ」ボタンが押される。

私もそこに参加していて、
作品に「スキ」が押されると、
通知が来る設定にしている。

「スキ」を押してくれる人の中に、
Pさんという人がいた。
直接に会ったことはなかったけれど、
日々、目にするその名前に親しみを感じ、
自信をなくす時は力をもらっていた。

機会があれば、いつかお礼を言おう。
そう思いながら、
感謝の言葉ひとつ言わずに、日々が過ぎていった。

ところが先日、
Pさんが急逝されたと知らせる記事が
noteにアップされた。

パソコンの画面の前で、呆然とした。
その前日にも、Pさんは私の作品に「スキ」を
押していてくれていた。

いてくれるのが、
当たり前のように思っていたのに。
━━━ もう、会えなくなってしまった。

信じられない想いで、
Pさんのnoteのページを開いた。

Pさんは、note内の作品の中で、
気に入ったものを「お気に入り」と言う形で
まとめていた(マガジン機能という)。
Pさんの「お気に入り」を通して、
出会った人たちも多いと思う。

「お気に入り」はvol.9まであった。
その中でvol.1である「お気に入り」を
開いてみた。
2014年、noteのサービスが
スタートした頃のものだ。
当時、作品を頻繁にアップしていて、
今もいる人、いない人たちの作品を
久しぶりに楽しむことができた。

あぁ、まとめておいてもらったおかげで
こんなふうにnoteの歴史を楽しめるのだ、
と、懐かしく、しみじみとした想いで眺めていた。

すると、その中に、
今となっては恥ずかしい、
五年前の自分の作品を見つけた。
あ!
と、手で口を塞ぎ、恥ずかしさに
笑いそうになったのと同時に、
涙が止まらなくなった。

忘れていたけれど、
こうして、暖かい眼差しで見ていてくれた人がいた…
ということが、たまらなく嬉しかった。
と、同時に、
もう会えないのが悔しく、悲しかった。

Pさんの「お気に入りマガジン」で、
最後に選んでくれた私の作品は
これだった。

タイトルは「そのまなざしの行方」。
サブコピーは
「どこにいても見つめるのは、未来と自由」。

ほら、自分でそう言ったのだから実行しようよ。
そう語りかけてくれている気がした。

もう話す機会はない。
けれど、
心の中でひそかに話すことはできる。

Pさんだけではなく、
会えなくなった人みんなにもできるはずだ。

秋が終わったのに、今年はまだ
晩秋の窃黄色が街のそこここを色付けている。
それは、命の色にも見える。

色あせても、やわらかく静かに
毎日、毎分、毎秒、生きていることの
強さ、喜びを感じる木々の葉。

枯れて落ちることを受け止めながら
私も精一杯努力を続けよう。

会えなくなった人にも
胸張って笑えるように。

来る年も「未来と自由」を見つめて
前進していこうと思う。

クリスマスプレゼントは、何色?

毎年、この時期になると
街を彩るイルミネーションに
心躍る。

山吹茶(やまぶきちゃ)色は、
金色に近い、茶がかった黄色。
クリスマスツリーや
イルミネーションにも見られる
この色、キラキラと光を反射して
金色に輝いて見える。

子供の頃は、クリスマスの朝、目がさめると
枕もとに包みがあった。
それはサンタさんからのプレゼント。
小さなぬり絵帳一冊でも嬉しいものだった。

サンタクロースがいないとわかったのは、
小学二年生のとき。
暮れで忙しい母が、本屋さんに
週刊少女漫画誌を電話で注文しているのを
聞いてしまったからだ。
「あ、それなら月刊の方にしてほしいのに…」と
思ったことも、懐かしい思い出だ。

忘れられないクリスマスプレゼントは、
高校生の時、好きな人からもらった
ドナルドダックのぬいぐるみ。
白いふわふわのヒップがとても可愛くて、
汚れないように大切にしていた。

けれど、そのプレゼントをもらって
数週間後には、ふられてしまった。
残ったぬいぐるみに罪はなく、
その後もずっと大切にしていた。

二十歳を過ぎて、社会人になり
一人暮らしの部屋に、
友人と、友人の幼い甥っ子が遊びに来た。
おもちゃ代わりにと渡した、
ドナルドダックを甥っ子くんは
とても気に入って、
持って帰りたい…と、泣いた。
その時は、思い出のものだから、と
あげることはできなかった。

「連れて帰りたい~っ!」
という、泣き声が耳に残った。
欲しいものを、欲しいと言って
泣けるのは、ちょっと羨ましかった。

素直さに嫉妬したのかな?
と反省し、もう大人なんだから、
思い出のぬいぐるみなど、
甥っ子くんにあげようと決めた。

プレゼントをもらった時の喜びも、
いつの間にか過去のものになっていた。

遠い日の想いと埃を、
払い落とした人形が
すっぽり入る紙袋を探し、
少し特別なプレゼントぽく
山吹茶のリボンをつけて
友人の家に届けた。

後日、
「おにんぎょう、ありがとう。だいじにします」
と、かわいいイラストを添えたハガキが届いた。

贈られたプレゼントを、別の人に贈り、
またちがうプレゼントを受け取ったのだった。

これまでもらったクリスマスプレゼントは
どんなものがあったかな?
と、思い巡らせてみた。
たくさんあるはずなのに、
それほど思い出せなかった。

毎年あった特別な時間、楽しみが
流れる時間に溶けていて、
うまく浮かび上がってこない。

それでも「クリスマス」という言葉は、
ケーキのように甘く、
ツリーのように輝く。
いくつになっても、幸せな時間を
期待する特別な響きだ。

クリスマスは、私の誕生日でもある。

私には、当初決まっていた別の名前があった。
出生届の締め切り日に、
その名を父が役所に届けたところ、
漢字一字が当用漢字になくて、
却下されてしまった。

そこで父は、かつて好きだった人の
名前を私につけることにした。
きっと、そんな人になって欲しいという願いも
込められての、人生最初のプレゼントだった。

父が好きだった人も、ご両親からそのプレゼントを
受け取り、健やかに育ち、周りの人に楽しい時間を
贈ってきた人なのだろう。

プレゼントは、贈り、贈られて、喜びが広がってゆく。
その景色や、プレゼントにかけられたリボンが
山吹茶色に輝くのが、クリスマス。

今年もその日が、とびきりの美しさに煌めきますように。