「親父の一番長い日」のいろ。

黄蘗色(きはだいろ)。
ミカン科キハダの樹皮で染めた
鮮やかな黄色。

幼稚園の帽子も、こんな色だった。
帰り道、ころんだり、通せんぼされたら、
すぐに泣いた私は、
工場にいる父のもとに駆け寄ったものだった。

父は、仕方なさそうに笑って
「泣きゃあでもええ(泣かなくてよい=泣くな)」と、
帽子をかぶったままの頭をなでてくれた。
私の帽子は、父の手についていた機械油の黒色が
染み付いて、名札よりも
その黒色を帽子を探す目印にしていた。

泣き虫だった私は、
いくつになっても、父に
「泣きゃあでもええ」と慰められる娘だった。

いくつもの季節を経て、
泣き虫は少し強くなって、
結婚することになった。

特にこだわりもなく、
身の丈にあったプランで
式の一切を決めてしまった。

驚いたのは両親である。
娘が嫁ぐ日のために
ずっと積立金をしてくれていて、
そこで借りた花嫁衣裳を着せるつもりだったのだ。

それならば、お色直しの着物だけでも!
と、式前日に列車に三時間以上も揺られ、
持ってきてくれた。

黄蘗色の地色に、
牡丹と桜の鮮やかな刺繍が
施された着物と、
目の覚めるような色の帯や小物。

それを見た時、両親は両親なりに
娘の結婚への夢のようなものがあったのだと
気づかされ、申し訳なく、ありがたい想いで
いっぱいになった。

式当日は、お色直しをして、
父と入場することになった。
会場の入り口で、黄蘗色の着物を着た私に
父は、少し困ったような顔で
「馬子にも衣装だ」と笑った。

黄色い帽子と、機械油の黒。
その二つの色は、
花嫁とその父の衣裳の色になって
披露宴会場に入っていった。
そして、黄色い着物の娘は
父の手によって、
黒い礼装の新郎へと託された。

式の最後の花束贈呈では、
花嫁の父は泣くだろうと
何人かが、父にカメラを向けた。
が、口を真一文字に結んだ父は、
その人たち一人ひとりに、
高々とピースサインをきめていた。
きっと、心の中で自分に
「泣きゃあでもええ、泣きゃあでもええ」
そう何度も言っていたのだと思う。

少女の頃、
遠い未来を想像して聴いた、
さだまさしさんの「親父の一番長い日」。
忘れていた、そのメロディーが
胸によみがえった日だった。

黄蘗色を産むキハダの樹皮は、
漢方薬としても用いられている。
この色を見ると、
心に薬が与えられたように
励まされ、元気づけられるのは、
両親の愛情の記憶と、
漢方の力があるのかもしれない。

砕けて、ふって、染まる色。

紫がかった深い青色、
群青(ぐんじょう)色。

古くから日本画に用いられた色で、
高価な鉱物を砕いて作られていたため、
宝石に匹敵するほどの貴重な色とされていた。

子どもの頃、16色のクレパスのなかで
「ぐんじょういろ」は、
直感的にわかりにくく、語感が重く、
気軽に使えない気がしていた。

深くて美しい
好きな青色なのに。

改めて調べてみると、
「群青」とは、
「青が群れ集まる」
という意味からこの名になったという。

“群れる、集まる”
というと、こんなにも重厚感が増すものか
とも思う。

「旅は、誰かと行くよりも、
一人で行くほうが
出会う人の数が多くなる」
とは、友人の言葉。

たしかに一人だと、
まわりに目をむけ、心を向けて、
さまざまな発見や、
出会いがあって、
手を差し伸べたり、差し伸べられたりする。
道に迷ったり、困りごとがあれば、
知らない人に声をかけたりして、
思わぬ親切に感動することもある。

一生のうちで、
私は何人の人と出会うだろう。
よい出会いは、
時間の色を深く美しい色に染めてくれる。
だから、心がけたいのは、
さりげない言葉の色。
誰かと話すとき、その言葉は、
やさしい色になっているだろうか。

言葉の数は、歳とともに増えてゆくけれど、
増えれば、増えれるほど、
重ねれば、重ねるほど、
伝わらない苛立ちを感じることも多い。

そう思うと、親しい友人との
楽しい時間と同じくらい、
一人の時間も大切にしなくては、と思う。

一人の時を大切にし、
いい色でいなければ、
集い、群れた時の色も、
美しくならない。

考えること。
人のことを想うこと。
それをきちんと言葉にすること。

そのために、たくさんの想いを味わい、
言葉の痛みやぬくもりについて
向き合う時間が必要なのだ。

傘のなかは、たいてい一人。
もの思うのに、ちょうどいい。

なかなか晴れない梅雨空の雨雲は
大きな鉱石のよう。

その雨雲が砕けて散った
雨粒がつくる景色は、
群青色のパレット。
雨に濡れた舗道には
群青色の街が
さまざまな色をにじませている。

一人だから
見つけられる色もある。

心の中の、ほの暗く重い鉱物を
どうすれば、砕けて美しい
群青色にすることができるのか…。

そんな思いをめぐらせながら、
やがて晴れる青空を思い、
「なんとかなる」と信じるのも、
雨の日の愉しみ方かもしれない。

つよく、ふかく、心に残る色。

深碧(しんぺき)色は、
力強く深い緑色。

新緑が眩しい季節になると、
自然の中へと
出かけたくなる。

それは、幼い頃、
近所の子どもたちそろって
川遊びした楽しい記憶があるからだろう。

確か小学校に入ったばかりの夏、
一番年上のお兄さんを先頭にして
川を上流にむかって探検をした。
草いきれの中、
緑を、かきわけ、かきわけしながら、
でこぼこの身長の子供たちは、
虫かごやバケツをもって
ドキドキしながら歩いていった。

前をゆく
大きいお兄さんたちは、
とても頼もしくて、
後ろについていてくれるお姉さんは
とても優しくて、
臆病な私も、
前へ前へと進んでいった。

さて、
その先に何があったのか──。
それは、
残念なことに覚えていない。
ただ、お兄さんたちの
光を浴びたシルエットだけが
記憶に残っている。

怖かったけれど、
たくさん笑って、
たくさん歩いた。
太陽と川面の光が反射した
キラキラ輝く記憶だ。

あまりに楽しくて、
「あしたも、また探検しよう」
と、約束し、
翌日、同じ探検をしても
もう楽しくなかったのが
不思議だった。

「またあした」
「また遊ぼう」
そう言って、ずっと続くことを
無邪気に信じていた。
けれど、
時がたつと、みんな成長し、
人も環境も様子がかわっていった。

「またあした」の「あした」は
いつ終わったのだろう。

懐かしいあの通りに
あの時遊んだ人たちは、もういない。

あれから何度も新緑の季節を
迎えては見送って、
記憶は遠くなるのに、
眩しい緑色は、あの日の
川の音や、笑い声を
いきいきと思い出させてくれる。

「みどり」には、
草や木の色をさす「緑・翠」と、
青の美しい石をさす「碧」の
文字がある。

人生のなかの新緑の季節は、
とても短くて、
あっという間に葉は色づき、
やがて枯れてゆく。

それは、ごく自然なこと。
寂しくても、嫌だとあがいても、
誰もみな同じように
時が流れて、同じように枯れてゆく。

大切なのは、過ぎてゆく時間の中で
朽ちずに残る青く美しい石を
小さくてもいいから、
残していくことではないだろうか。
自分のなかに、
できれば、誰かの心のなかに。

今年も新緑の写真をたくさん撮った。
パソコンにずらりと並べると
いくつもの青く美しい石に見える。

誰に借りたものでもなく、
私がそこにいて、誰かに伝えようとした
かけがえのない石たち。
まだまだ美しい石とはいえないけれど、
技術を磨き、想いをのせて、
力強く深い緑色にして
残していこうと思う。