夕暮れは、天狗さんの色。

燃えるように暑い、この夏。
夕陽も一日の暑さを描くように
景色を紅色に染めている。

炎色(ほのおいろ)は、
その名の通り、炎の色。
明るい赤色。

どんなに日没が遅くなっても、
子どもの頃は、五時が門限だった。
五時になると町内放送で
「夕焼け小焼け」が鳴り響き、
それまでに帰らないと叱られた。

五時を過ぎても遊んでいると
天狗にさらわれる、と
言われ、本気で信じていた。
「学校近くの垣根で見た!」
という目撃情報に、
ドキドキしたのも
今思えば、
幼く、かわいい思い出だ。

あれは、小学一年生の頃だったか、
買ってもらったばかりの、
小さなゴムボールで遊んでいたら、
近所のいじめっ子に
そのボールを取られ、隠されてしまった。

五時の鐘が鳴り、気持ちは焦るのに
いじめっ子は、にやにやと笑い
高い木を指差して、あの上に飛んでいった、
と言う。
五時に間に合わない、両親に叱られる、
天狗にさらわれる…
恐ろしい思いがさまざまにめぐり、
泣きそうになっていた。

すると、
背の高い、知らないお兄さんが
やってきて、いじめっ子の
頬を驚くような強さでぶった。
あまりの勢いに驚いたことと、
恐怖で身を縮めていると、
二人の間で、しばらくやりとりがあり、
いじめっ子は、隠していたボールを
ふんっ! と投げて去っていった。

背の高いお兄さんは、
それをさっと拾い上げ、
身体を折り曲げるようにして
ボールを手渡してくれた。
夕焼けの空を背景にして、
幼い私にその人は、天狗に見えた。
そのせいか、激しいやりとりの恐怖からか、
うまくお礼が言えなかったような気がする。

それでも、恐れていた天狗が、
さらうどころか、五時に帰らないとダメだと
助けにきてくれたような気がして
どこか安心するような嬉しさもあった。

その「天狗さん」は、
結局、どこの誰かはわからないままだ。

後日、花火大会の日に
ちらっと見かけて
「あ、天狗さんだ」と
思ったけれど、声をかけるという発想もなく、
遠くから見ていた。
花火に照らされた天狗さんは、
炎色に染まっていた。

あれから何十年もたって、
天狗も、夕暮れも、怖くなくなった。
そして、「天狗にさらわれる」と言って、
自由に遊ばせつつも心配して
帰りを待っていてくれた両親や、
「ほら、日が暮れるよ」とゆっくりと
沈んでいく夕陽のやさしさがわかるようになった。

本当に怖いのは、心配するもの、
心配してくれるものが、なくなることだ。
今年も、炎色した夏の夕暮れが
心配する人、される人たちを照らして
やさしく燃えている。

夏、懐、なついろ、ふるさとの色。

今回は、わたしオリジナルのいろ、
なついろ。
夏の、懐かしさの、さまざまな色を
「なついろ」とする。

わが故郷には、日本三景のひとつ、
天橋立がある。
海を分けるようにうねって伸びる砂州の形、
海の青と緑の松のコントラストも鮮やかな景観。
生まれたときから、
日常の景色の中に、その美しい眺めはあった。

高校二年の夏には、
「またのぞき」で
天に架ける橋(天橋立)を
眺める展望台でバイトしていた。
ケーブルカーとリフトの、
のりばの改札係だった。

ケーブルカーの改札では、乗客の安全乗車、
ドアロックを確認して、笛をふき、発車を見送る。
それは、なかなか気持ちよく、楽しい仕事だった。

毎日、眺める天橋立の景色も、
海の色も、時間ごと、日ごとに、
少しずつ異なり、空き時間に
どれだけ眺めていても
飽きることがなかった。

進学、就職、結婚、転勤…と、
どんどん故郷からは距離が離れ、
実家もなく、帰れない街になっても、
その景色は、ずっと心にある。

四年前に久しぶりに一人で
ゆっくりと帰り、街を見て回った。
街はすっかり変わっていて、
驚きの連続だった。
道は広くなり、あったものがなくなり、
なかったものがあり、
どこか知らない街のようだった。

それでも、日本三景の美しい眺めは
変わらずそのままで、
どこから見ても懐かしい景色だった。
それが、とても、とても、嬉しかった。

その街が、大雨にふられ、
過去にない災害に見舞われた。
ネットで見た、大雨による被害、
友だちから知らされる豪雨の恐怖。
まったく想像もしていなかったことが
街を襲ったのだった。

たくさんの穏やかで優しい、
故郷の色が、抗えない自然の大きな力に
さらされていた。

心配で、悲しい気持ちになったけれど、
日々、たくさんの方々が
元の美しい形に戻そうと
奮闘されている。

「風土がひとをつくる」という。
大変ななかでも、明るさを失わず、
励まし合い、力をあわせて
粘り強く闘う姿に、
胆力とは何かをおそわる思いだ。

四年前の七月に訪れた故郷の街も、
ひどく雨が降っていた。
久しぶりに展望台に上がったのに、
雨で景色が見えない…
残念がっていたら、
どんどん雲が流れて、晴れ間が現れた。

そして、雨に濡れて輝く
まさに「天に架かる橋」の景色を
夏空のもと、懐かしい「なついろ」に染めて
見せてくれたのだ。

その瑞々しく美しい姿は、
どんなに荒れた天気の日にも
厚い雲のむこうには、眩しいほどの太陽が
待っている…そのことを改めて教えてくれた。
あれこそが、私たちの強さと
明るさを育んでくれたものなのだ。

災害に遭われた街が、
一日も早く、元の姿に戻りますように。
この夏もたくさんの観光客でにぎわう
故郷の光景も心から願う。