滴る色がくれるもの。

関東でも雪予報になった寒い日、
風邪をひいて寝込んだ。
雪の気配のせいか、
小学校を休んだ日のことを思い出した。

蒼白色(そうはくしょく)は、青みを帯びた白色。
蒼白とは、特定の色を指すのではなく、
青みがかかった様子全般のことを言う。
「顔面蒼白」などというように、
蒼白には、不安や恐怖、不健康な響きがある。

子どもの頃は、よく風邪をひいた。
また、学校に行くのが
たまに気が重く感じられる日があり、
そんな日には、
こっそりとコタツに体温計を入れて、
熱のある演技をした。

そんな私の気持ちを知ってか知らずか、
家内工業でもあるからか、
両親は「休むか?」と、欠席させてくれた。

学校を休むとなれば、一日は自由だ。
誰もこない部屋で、うとうとしながら、
マンガを読んで過ごした。

お昼前になると
父と近くの病院に行く。
白い壁と、ほんのり青いリノリウムの床。
病院独特の匂い。
一気に自分の顔色が青ざめて
病人らしくなった気がした。

診察室に入る時は、
いつもドキドキした。
もの静かな先生、
聴診器を当てられる冷たさも
怖くて緊張した。
看護士さんの白衣、
キビキビとした動きも
背筋をすーっと寒くした。

病院から帰ると、再び一人の時間。
茶の間のコタツで寝ていると、
父を訪う人が次々とやって来た。

玄関からまっすぐに土間を抜けて
工場に行けるようになっていたので
客人は皆
「こんにちは~」
と、言いながら返事を待たずに工場に向かう。

物売りの人たちもやって来る。

近くのうどん屋さんが
へぎにのせた茹でたてのうどんを
配達してくれたり、
立ち売り箱にパンや練り物をのせて
売りに来るおばさんもいた。

工場の入り口にあるトイレの前で
そんなおじさんや、おばさんにばったり会うと、
「まあ、おねえちゃん、学校は?」と訊かれ、
悪いことをしていないのに、きまり悪かった。

一人のんびり過ごす自由と、
なんとなく居心地の悪い不自由さの間を
あっちこっちしながら、過ごす一日。

お昼を過ぎると、天気のいい日は
照る陽に温められて、
つららからポトポトポトポトと、
水滴が落ち始める。

下校時間を過ぎると、
その陽射しの中を雪合戦しながら
きゃっきゃと楽しそうに帰って来る友だちの声が
聞こえて来る。

たった一日休んだだけなのに、
懐かしくて、うらやましい、
少し遠くに感じる声。

私の知らないことが、色々あったんだろうな。
おもしろいことあったのかな?
そう思うと、取り残されたようで寂しかった。

「明日は行けそうか?」と
両親に訊かれると、元気に答えていけないと
思いながら、うん、と答えた。

取り戻した健やかさと、隠し持った楽しみで、
きっとその時の私の顔は、
うっすらと赤かっただろう。

蒼白色は、不思議な色名で、
紅みの明るい灰色もさす。
同じ一日、同じ私が、
青の蒼白色から、紅みの蒼白色に変わる。

つららから落ちる水滴も、
光の角度や、見る角度で色が変わった。
色でさえ、同じ名前で違う色を持つ。

たまには、同じものであれ、
ちがうところから見る大切さを
あの時間は教えてくれていた。

見つめていた時間は、
つららから落ちる水滴のように
私の心に何かを落としてくれていたのだ。

ベランダの水滴は、
それを思い出させてくれた。
私は、今もポトポトと滴る時間に
教えられている。

時にあらずと声立てぬ色。

春が近いからだろうか。
夕暮れを歩いていると、
「さようなら」が空気の中に
しっとりと含まれているような気がする。

緋褪色(ひさめいろ)は、
明るく渋い赤色。
真紅の緋色を薄めた、
穏やかな温かい色だ。

二十代前半に、会社を辞めて、
しばらくIT関係の小さな会社でアルバイトしていた。
私の仕事は、なんでも係。
その日も、ゴルフコンペのメンバー表と
景品を持って、コンペ後の懇親会となる
飲食店に出かけた。

小さな白いビルの二階の店。
建物横の階段から入るのに
昼間は一階のインターホンを押す。
その店には、何回か連れてきてもらったことがあった。

美人のママは、離婚後離れて過ごしていた愛息と
最近、一緒に暮らすようになった話を
まるで漫談のように話す、話し上手な大人の女性。
ちょっと憧れていた。

「あんたが来たん? 」
と招き入れてくれたママに冷たい飲み物を
ご馳走になり、あれこれ話すうちに、
心ほどけて恋愛相談を始めてしまった。

黙って、話を聞いてくれたママは、
「まぁ、ウサギが好きや言う人に
 カバを好きになれ言うても無理やな」
で、話が終わってしまった。
……わたしは、カバ…?

キョトンとしてる私を無視して、
親子で昼まで寝てしまい、保育園サボったとか、
あんまり言うこと聞かない息子に
「別れるで」と言ったとか。
そんな話で笑わされて、相談を続けられなかった。

バカな小娘の話につきあってられない、
と突き放されたことと、
自分の弱さ、幼さを
見抜かれた恥ずかしさがあった。

と、同時に、
余計なことは言わない、
大人の女性のかっこよさを感じた。

年の暮れの接待の二次会に
ママの店へ行った。
その日は、ママがいつもより華やいで見えた。
Nさんという壮年の男性の隣に座り、
御髪が寂しいのをネタにして
裸電球! 100ワット!
と、はしゃいでいた。

Nさんは、落ち着いた雰囲気の楽しい人。
みんなの人気者のようで
後からお店に行った私たちも
Nさんとママを囲んで大笑いした。

夜も更けて、Nさんが
一足先に帰るわ、と席を立った。
ママも見送って、席を離れた。

するとNさんのテーブルに
ハンカチが忘れてあり、
急いで二人の後を追いかけようとすると、
上司のSさんに「行くな!」と言われた。

意味もわからず、出口を出て、
階段を見下ろすと、
Nさんとママが寄り添う影が見えた。
ママは泣いているようだった。

Sさんが、後ろからやって来て
「Nさんは末期がんなんや、
 年明けに入院したら、家族の手前
 ママはお見舞い行かれへんから、
 今日が最後なんや」
とおしえられた。

Nさんとママの二人の想いも気づかず、
何も考えずに追いかけて行こうとする
自分の鈍感さに恥じ入りながら、
ハンカチを元のNさんの席に戻した。

Nさんを見送ったママが帰ってきた。
「もう~! 100ワットはまぶしすぎて、
 目ぇやられたわぁ~」と、笑っていた。
ハンカチはテーブルの上からなくなっていた。

年があけて、次のステップに進むため、
私は、そのアルバイトを辞めることにした。
家族のように大事にし、
本気で育てようとしてくれた人たちを落胆させた。
「後足で砂かけるように、辞めるのか」
と言う人もいた。

自分でも、
わがままを貫くことへの自己嫌悪があった。

引っ越しも決めて、その準備に追われるある日、
ママの店の前を通った。
準備中の時間だった。
さようならを言っておこうかな…
そう思って、インターホンの前に立った。

叱られるか、嗤われるか。
余計なことは言わず、いつも通りか。

迷った末、店の前を通り過ぎることにした。

Nさんがハンカチを置いていったように、
私もさようならをここに置いていこうと決めた。
いつかまた、さりげなく忘れ物を取りに来たように
訪れようと思ったのだ。

二月の風は冷たく、夕暮れは美しかった。
ほんのり春を感じる、
緋色が醒めた優しい色。

お別れの言葉も、目にした夕暮れも、
やがては溶けて胸の内に馴染んでいく。
ゆっくりと春になるのを待とうと思った。

その後、ママのところには行っていない。
春は名のみの、遠い日の記憶だ。

どこまでも広がっていく色。

━━ きっちり足に合った靴さえあれば、
  じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。

須賀敦子さんのエッセイ「ユルスナールの靴」の
冒頭の一文。
少し長く歩くかなという日に、
靴の履き心地を確かめながら
いつも思い出す、
お気に入りの一節だ。

勿忘草(わすれなぐさ)色は、
可憐な明るい青色。
春に咲くワスレナグサの花の色だ。

勿忘草には、こんな伝説がある。
川辺を散歩中、対岸に咲く青い花を摘んで
恋人に贈ろうとした男性が、
足を滑らせて、川に転落。
女性に花を渡して
「私を忘れないで(フォーゲット・ミー・ノット)」と
言い残し、激流に巻き込まれて姿を消した。
女性は恋人を生涯忘れずに、この青い花を飾り続けたという。

年末に靴を買った。
傾斜やぬかるみがあっても、足元がぐらつかず、
長く歩いても痛みもない、
安定した履き心地のものを探した。
そして、機能性重視ながら、
忘れ物をしませんように、と
祈りも込めて、さし色に
勿忘草色の入ったものを選んだ。

こんな堅牢な靴を買うきっかけとなったのは、
思いがけず、広角レンズを譲ってもらったことにある。
カメラのことを勉強しようと思いながら、
結局、昨年も一冊の本も読まず、
経験だけで過ぎてしまった。

そんな私の撮ったものを見て、
無自覚なままに、
もっと寄りたい、広げたい、
どうしたらいいのかな? と
悪あがきしているのを読み取ってくれた人が、
私の実力には、まだ手にあまるような
レンズを譲ってくれたのだ。

実際に撮ってみた。
まだ、レンズの実力も魅力も引き出せては
いないけれど、確実に違うものを感じる。
新しい扉が開いた感覚。

こんなふうに、
自分のしていること、やりたいことは、
案外、自分自身が
一番わかっていないのかもしれない。

そう思うと、
これまで見逃し、撮りこぼしてきたものは
どれほどの大きさだったのだろう…と思う。

それは、広角レンズを得たことで
撮れるようになるのか、まだわからない。
けれど、
撮れないと思うのか、
撮ってやろうと挑むのか、で
きっと見える景色が違ってくるような気もしている。

広い世界の中の私が見つけられるもの。
それは何だろう?
それを撮るとき、撮れたと思えたときの
気持ちは、勿忘草の伝説の彼が
恋人に花を託したような気持ちなのだろうか。

「私を忘れないで」。

勿忘草は、「恋人たちの花」とも言われ、
ヨーロッパでは、閏年の二月末日に恋人に
この花を贈るらしい。
今年は、閏年。
四年に一度の告白の年だ。

私も、この閏年に、
告白に値するようなもの撮れたらいいな、
と思う。
前回の閏年に、初めて手にした一眼レフカメラ。
今年こそは勉強し、より良いものを
撮っていきたい。
重い荷物をぶら下げて、長い距離を
どこまでも歩いていく。
いつまで、これができるだろうと思う日もある。

けれど、きっちり足にあった靴と、
広い視界のカメラがあれば、大丈夫だ!
とも思う。

広く、楽しく、たくましく。
新しい年も挑み続けよう。

まなざしの行方の色。

今年も残り少なくなった。
振り返ると、新しい出会いや、
久しぶりの再会を果たせたりと、
楽しい時間に恵まれた。

窃黄色(せっこういろ)は、
くすんだ淡い黄色。
窃は「ひそか」を意味する。
こっそり盗む「窃盗」にも
使われる文字。
あまり聞いたことはないが、
「窃慕」は、ひそかに思い慕うことを意味する。
「窃(ひそか)」は、
静けさを与える文字に思われる。

出会いの喜びとともに、
別れの悲しみもあった。

note」と言うSNSがある。
クリエイターが作品を発表する場だ。
作品が気に入ったら
他のSNSの「いいね」のような
「スキ」ボタンが押される。

私もそこに参加していて、
作品に「スキ」が押されると、
通知が来る設定にしている。

「スキ」を押してくれる人の中に、
Pさんという人がいた。
直接に会ったことはなかったけれど、
日々、目にするその名前に親しみを感じ、
自信をなくす時は力をもらっていた。

機会があれば、いつかお礼を言おう。
そう思いながら、
感謝の言葉ひとつ言わずに、日々が過ぎていった。

ところが先日、
Pさんが急逝されたと知らせる記事が
noteにアップされた。

パソコンの画面の前で、呆然とした。
その前日にも、Pさんは私の作品に「スキ」を
押していてくれていた。

いてくれるのが、
当たり前のように思っていたのに。
━━━ もう、会えなくなってしまった。

信じられない想いで、
Pさんのnoteのページを開いた。

Pさんは、note内の作品の中で、
気に入ったものを「お気に入り」と言う形で
まとめていた(マガジン機能という)。
Pさんの「お気に入り」を通して、
出会った人たちも多いと思う。

「お気に入り」はvol.9まであった。
その中でvol.1である「お気に入り」を
開いてみた。
2014年、noteのサービスが
スタートした頃のものだ。
当時、作品を頻繁にアップしていて、
今もいる人、いない人たちの作品を
久しぶりに楽しむことができた。

あぁ、まとめておいてもらったおかげで
こんなふうにnoteの歴史を楽しめるのだ、
と、懐かしく、しみじみとした想いで眺めていた。

すると、その中に、
今となっては恥ずかしい、
五年前の自分の作品を見つけた。
あ!
と、手で口を塞ぎ、恥ずかしさに
笑いそうになったのと同時に、
涙が止まらなくなった。

忘れていたけれど、
こうして、暖かい眼差しで見ていてくれた人がいた…
ということが、たまらなく嬉しかった。
と、同時に、
もう会えないのが悔しく、悲しかった。

Pさんの「お気に入りマガジン」で、
最後に選んでくれた私の作品は
これだった。

タイトルは「そのまなざしの行方」。
サブコピーは
「どこにいても見つめるのは、未来と自由」。

ほら、自分でそう言ったのだから実行しようよ。
そう語りかけてくれている気がした。

もう話す機会はない。
けれど、
心の中でひそかに話すことはできる。

Pさんだけではなく、
会えなくなった人みんなにもできるはずだ。

秋が終わったのに、今年はまだ
晩秋の窃黄色が街のそこここを色付けている。
それは、命の色にも見える。

色あせても、やわらかく静かに
毎日、毎分、毎秒、生きていることの
強さ、喜びを感じる木々の葉。

枯れて落ちることを受け止めながら
私も精一杯努力を続けよう。

会えなくなった人にも
胸張って笑えるように。

来る年も「未来と自由」を見つめて
前進していこうと思う。

クリスマスプレゼントは、何色?

毎年、この時期になると
街を彩るイルミネーションに
心躍る。

山吹茶(やまぶきちゃ)色は、
金色に近い、茶がかった黄色。
クリスマスツリーや
イルミネーションにも見られる
この色、キラキラと光を反射して
金色に輝いて見える。

子供の頃は、クリスマスの朝、目がさめると
枕もとに包みがあった。
それはサンタさんからのプレゼント。
小さなぬり絵帳一冊でも嬉しいものだった。

サンタクロースがいないとわかったのは、
小学二年生のとき。
暮れで忙しい母が、本屋さんに
週刊少女漫画誌を電話で注文しているのを
聞いてしまったからだ。
「あ、それなら月刊の方にしてほしいのに…」と
思ったことも、懐かしい思い出だ。

忘れられないクリスマスプレゼントは、
高校生の時、好きな人からもらった
ドナルドダックのぬいぐるみ。
白いふわふわのヒップがとても可愛くて、
汚れないように大切にしていた。

けれど、そのプレゼントをもらって
数週間後には、ふられてしまった。
残ったぬいぐるみに罪はなく、
その後もずっと大切にしていた。

二十歳を過ぎて、社会人になり
一人暮らしの部屋に、
友人と、友人の幼い甥っ子が遊びに来た。
おもちゃ代わりにと渡した、
ドナルドダックを甥っ子くんは
とても気に入って、
持って帰りたい…と、泣いた。
その時は、思い出のものだから、と
あげることはできなかった。

「連れて帰りたい~っ!」
という、泣き声が耳に残った。
欲しいものを、欲しいと言って
泣けるのは、ちょっと羨ましかった。

素直さに嫉妬したのかな?
と反省し、もう大人なんだから、
思い出のぬいぐるみなど、
甥っ子くんにあげようと決めた。

プレゼントをもらった時の喜びも、
いつの間にか過去のものになっていた。

遠い日の想いと埃を、
払い落とした人形が
すっぽり入る紙袋を探し、
少し特別なプレゼントぽく
山吹茶のリボンをつけて
友人の家に届けた。

後日、
「おにんぎょう、ありがとう。だいじにします」
と、かわいいイラストを添えたハガキが届いた。

贈られたプレゼントを、別の人に贈り、
またちがうプレゼントを受け取ったのだった。

これまでもらったクリスマスプレゼントは
どんなものがあったかな?
と、思い巡らせてみた。
たくさんあるはずなのに、
それほど思い出せなかった。

毎年あった特別な時間、楽しみが
流れる時間に溶けていて、
うまく浮かび上がってこない。

それでも「クリスマス」という言葉は、
ケーキのように甘く、
ツリーのように輝く。
いくつになっても、幸せな時間を
期待する特別な響きだ。

クリスマスは、私の誕生日でもある。

私には、当初決まっていた別の名前があった。
出生届の締め切り日に、
その名を父が役所に届けたところ、
漢字一字が当用漢字になくて、
却下されてしまった。

そこで父は、かつて好きだった人の
名前を私につけることにした。
きっと、そんな人になって欲しいという願いも
込められての、人生最初のプレゼントだった。

父が好きだった人も、ご両親からそのプレゼントを
受け取り、健やかに育ち、周りの人に楽しい時間を
贈ってきた人なのだろう。

プレゼントは、贈り、贈られて、喜びが広がってゆく。
その景色や、プレゼントにかけられたリボンが
山吹茶色に輝くのが、クリスマス。

今年もその日が、とびきりの美しさに煌めきますように。

染めて、守って、引き継ぐ色。

山形の秋は、関東よりも早く進んでいて、
吹く風は、キリリと冷たかった。

代赭色(たいしゃいろ)は、
黄色みの強い赤褐色。
「代」は、赤土の名産地、中国代州の地名から、
「赭」は、赤いものを意味する。

朝早いバスで山形に着いて、
まず訪れたのは旧県庁舎である「文翔館」。
復原された大正の洋風建築だ。
じっくりと見て回り、帰ろうとしたところ
「ガイドはいりませんか? 」。
と、矍鑠としたボランティアガイドの紳士に声かけられた。

見せたいもの、知ってほしいことが
この建物の中にはいっぱいあります、とのこと。
その明るさに、ワクワクするものを感じて、
もう一度見て回ることにした。

まず、一旦外に出て、その地形から
山形の歴史、街づくりの経緯を熱く語られる。
ほんのりとお国言葉が聞き取れて、
この地に来た嬉しさがこみ上げる。

建物内に入り、
施された装飾の意味、
復原に当たっての苦労について聞く。
触ることがためらわれた、
古い変わり窓なども全て開けて、
つくりについて説明してもらった。

建物に使われている煉瓦、
室内の暖炉、寄木貼り、家具。
そして、窓の外の木々の葉も枯れて、
秋らしい代赭色にあふれていた。
暖房もついていないのに、
どこか暖かい。
まるで代赭色に染める鍋に
放り込まれた気分になっていた。

ある部屋に山形の川に浮かぶ船の絵が飾られていた。
それを見て、
川が街の発展にどれほど大切だったかという話と、
ガイドさんの子供時代の川遊びの話を聞いた。
とてもおおらかで、楽しい話だった。

それは、
この建物でかつて働いていた高等官たちと
市井に生きる人たちと、
共に同じ山形という地で生きた人たちの話。

一人で来ていたら見ることもなく、
知らずに帰っていたエピソードまで聞けて、
驚いたり感心したりのひとときだった。

ちょうどお昼になり、別の場所に行きます、
というと、地図を出して、観光案内よろしく
あちこちの見どころを教えてくれた。
お昼は、ここがとってもおいしいです、と
うまいもの情報も。

また来てね、と
見送ってくれた笑顔は、郷土愛にあふれていて、
とても爽やかに、旅する背中をポン! と
押された心持ちになった。

その街にずっと暮らし、その街を愛し、
来る人を歓迎し、見送ること。
それを続けていく。

どんな大きな建物も、時が経てば、
少しずつ傷み、朽ち、弱っていく。
だから、丁寧に手入れし、守り、愛していくこと。
それを続けていく。

続けていく人間だって、時が経つと
老いて、弱り、いつか消えていく。
だから、伝える、愛情を育む。
そうすることで建物、文化、郷土愛は、
受け継がれ、守られていくのだろう。

ガイドさんが教えてくれたのは、
山形の文化であり、ご自身の郷土愛であり、
続けていこうとする情熱なのかな…
そんな気がした。

たくさん笑った後、冷たい風の中でも
頬がホカホカと熱く、火照っていた。
きっと、代赭色に染められたのだろう。

ところで、帰りに聞いたおいしいもの情報。
勧められたお蕎麦屋さんで、
あぁ、おいしかった! と、
満足し、改めて箸の袋を見ると、
なんと、おそわった店ではなかった。

あらら。と、思ったが、もう満腹。
また、山形に来なくては、と思った。

景色に染まる、まぶしい色。

いつか行きたい…
そう思っていた場所に行く。
その喜びが大きいと、つい、
羽目を外してしまうことがある。

雪色(せっしょく)は、
雪の色、雪のような白い色。
とはいえ、単純な白でなく、
紫や紅みがかったりして、
様々な色に見える色だという。

十一月の山形で、
雪を見るとは思わなかった。

目指したのは、蔵王。
小説「錦繍」の冒頭
「前略 蔵王のダリア園から、
 ドッコ沼に登るゴンドラ・リフトの中で、
 まさかあなたと再会するなんて、
 本当に想像すらできないことでした」
という美しい文章に心惹かれて、
いつかそのゴンドラリフトに乗ってみたい
とずっと思っていた。

たとえ、紅葉のシーズンを過ぎていたとしても。

そうして、たどり着いたものの、
「運休中」の看板。
ショックだけれど、落ち込んでいる時間はなく、
すぐに別のロープウェイ乗り場に向かった。

蔵王のロープウェイに乗れればいい。
そう思って、乗り込んだ。

紅葉の時期は過ぎているのに、
朝9時発のロープウェイは満員だった。
あまりに賑やか過ぎて、乗り継ぎの便は
少しあたりを散歩してから乗ることにした。

そして、見上げた行き先に驚いた。
なんと白く凍った木々茂る山だった。

旅に出る前、見るとはなく見たガイドブックに
「蔵王の樹氷」という文字を見たのを思い出した。

まさか、そこに行くことになるとは思いもしなかった。

麓から見ると、白く凍ったように見えた山頂も
近くで見ると、着氷したばかりのようで
太陽の光を浴びて、ぽとぽとと雫を落としている。

美しい!
青空の色や、山の緑が透けて見える雪色が、
ほのかに色を変えながら輝いていた。
雫がダイヤモンドのように光る瞬間もあった。

思いがけない出会いに興奮して、
さらに高く登って見たら、
どんな景色が見えるだろう…。
その好奇心が抑えられなくなった。

そこに、山を撮りに来たと思われる装備で、
熊よけの鈴をつけた壮年の男性が、
展望台のような小さな山に向かって登って行く姿を見た。
よし! と、勝手について行くことにした。

晴れて日が差し、樹氷が溶けて来て
道がぬかるんでいる。
これは、スニーカーの私には無理だったか。
少し焦ったが、
「慎重に、ゆっくりと」と、唱えながら登った。
20分ほどで三宝荒神山の山頂についた。
やはり、来てよかった!
という素晴らしい眺め。

鈴をつけた男性も、あちこち移動しながら
シャッターを切っている。
思い切って「月山はどこですか?」
と、訊いてみた。
「今日は雲が出ていて見えないね」との答え。

そうか、雲の向こうか…。
今回の旅では会えないのか…と、
名残惜しく眺めていたら、その男性は
足取りも軽く降りて行った。

山頂でのんびりしていたら、
晴れて気温が上がり、氷が溶けて
ぬかるみがさらにひどくなっている。

樹氷に覆われたこの山に登る人は少なく、
これは、転んだら誰にも気づいてもらえない。
そう思って、登りよりも慎重に歩を進めた。
それでも、何度か
ぬかるみに足を取られそうになった。

旅先の自然は、いつも予想以上に美しくして、
「あなたが来ようと思うなら、
 その時、一番美しい景色を見せてあげましょう」
そう言ってくれている気がする。

でも、その優しさに調子にのってはいけないのだ。

美しさも怖さも、
まさか出会うとは思いもしていなかったところに
ポッと現れる、襲いかかる。

自然の中では、本当に怖いと思った時は、
すでに遅い。
という言葉を思い出していた。

旅はたくさんのことを知り、学ぶ場では
あるけれど、人に迷惑をかけてはいけない。
旅の出会いは、楽しくなければ。

そう反省しながら、帰りのロープウェイの
乗り口に、やっとの思いでたどり着くと、
数名の救急隊員が
駆け上っていくのに遭遇した。

下山した駐車場には救急車、
担架で救出に迎おうとする隊員が数人集まっていて、
不穏な空気に包まれていた。

どうか無事に救出されますように…。
反省の思いが、人ごととは思えず
心の中で祈りとなった。

美しい景色を見せてくれた蔵王を振り返り、
感謝しながら、「錦繍」という小説は、
生きて、出会うことの喜びを教えてくれたのだった
と、思い出していた。
また、読み返そう。
そして、
次に来る時のために、登山靴を買おうと思った。

秋。眠かった時間に導かれ。

紅葉色(もみじいろ)。
晩秋に色づく楓の鮮やかな赤色。

ずっと行きたいと思っていた
岩手県の平泉へ行った。
早朝に平泉の駅に着き、
まだ誰も歩いていない街を歩いた。

案内版が見つからず、
途中、洗濯物を干すおじさんに道を訊くと、
「何もない跡地にがっかりしないで。
 “夢の跡”だからね。」
と、土地の訛りの混じった
優しい言葉で教えてくれた。

高館から北上川を眼下に見た後、
中尊寺に行く。
広い境内を、のんびりと歩きながら、
この平泉、中尊寺の名前を初めて知った
中学時代のことを思い出していた。

中学三年の時だったか、
好きだった国語の先生が、妊娠中の体調不良により
長期休職されることになった。
いつも明るく元気な先生の代わりに
H先生という若い女性教諭が来られた。

H先生は、初めて教室に入って来た時から
不機嫌そうな表情だった。
眉間にシワを寄せて、決して笑わない。
男子がふざけて話しかけても、「静かに!」と、
言って淡々と授業を進めた。

余談が多くて、笑うことの多かったそれまでの
国語の授業と比べると、つまらなかった。
ちょうど、その時に「おくのほそ道」の
授業で、来る日も来る日も、全員で音読させられた。

あくびをかみ殺して、ウトウトとしながら、
心ここにあらずで読んでいた。
音読よりも、これにまつわる面白い話を
聞かせてくれればいいのに…と不満だった。

H先生は、授業中はもちろん、廊下で出会っても、
いつも怒ったような顔をしていた。
話しかけづらく、苦手だった。
だから、余計に授業がつまらなかった。

けれど、実際に中尊寺を歩いてみると、
あの日、何度も何度も音読させられた文が、
胸に鮮やかに蘇ってくるのに驚いた。

経堂、金色堂へと向かう途中、
太陽を背に受けて、現れた自分の影が、
音読に飽き飽きしている中学生の自分の姿に
見えて、一人笑いを浮かべていた。

初めて来たのに、懐かしい。
そう思えたのは、あの日のH先生の
教えのおかげだったのだ。

笑わないH先生だったけれど、
ある日、男子の珍回答に
ふっ…と一瞬笑って、
すぐに表情を厳しくしているのを
見たことがあった。

あ、笑うんだ。
笑顔、美人なのになぁ。
そう思ったのを覚えている。

まだ青さの残る楓の葉の中の赤い色。
紅葉色。
これは、あの日の教室のH先生の色。

今思えば、H先生は、
体は大きくても、
心も知識もまだ青い生徒たちに、
舐められないよう、
授業をきちんと進められるよう
孤軍奮闘されていたのだろう。

受験を控えた中学生に、
きちんと知識を与えること、
授業を全うすることは、
一人、血が逆流するような怒りや
不安や苦労があったことだろう。

金色堂は、教科書で読んで想像したよりも、
ずっと煌びやかで、豪華で、
素晴らしいものだった。

忘れたと思っていたけれど、
あの日の暗誦した文や、記憶は、
美しいまま残っていて、
ここに導いてくれた。

「五月雨の降り残してや光堂」

まるで光のような記憶。
汚されず、朽ちず、
美しいまま心に残った景色、文。
名前も忘れてしまった先生だけれど、
心の中で、感謝を述べた。

暗い堂内を出て、
改めて眺める金色堂。

見えていなかったことが
光を得たように見えた喜びがあった。
その背景には紅葉色。
秋に来たことを忘れないで、と燃えていた。

声を彩る色は何色?

台風の翌日、
近所の畑の木々に鳥が集まり、
賑やかに鳴いていた。

美人祭(びじんさい)色は、
明るく淡い紅色。
美人瞼色も、ほぼ同じ色とあり、
おそらく遠い昔の美女の瞼を彩る色
だったのかもしれない。

先日、このブログの拙文を、
友人が朗読してくれた。

朗読会での動画を見せてもらった。
女性らしい声の友人が、
時に少年ぽく登場人物にあわせて、
声のトーンや強弱を変えながら、
生き生きと、
臨場感たっぷりに読んでくれていた。

単調な文が呼吸して、
色づけられた気がした。
私が書いたものではなく、
別の物語に聴こえた。

声の音色、調子のことを
声色(こわいろ)という。
感情によって、
明るくなったり、暗くなったり、
低く高く、重くなる声の色。

それを見事に使い分けて、
登場人物の気持ちを表し、
地の文の味わいを豊かにし、
盛り上がりをつけていく…。

それまで知らなかった朗読という世界の
深さ、広がりに、驚き、感動した。

振り返って、私は自分の声を
そんなふうに表情豊かに使っているだろうか、
と考えてみた。

私の声は、出欠確認や面接の時、
初対面の人には「え?」と
改めて顔を見られるほど、
太く低く、愛嬌も華もない声だ。

たぶん、嬉しい時に少しだけ高くなるくらいで、
言葉を誰かに届ける時に
声音について考えたことはなかったように思う。

嬉しい時、喜びを伝えたい時、
そして、誰かを強く励ましたい時、
心の内に、この「美人祭色」を描いて
一番いい声音で声かけることができたら。
少しは、気持ちも伝わるのかもしれない。

台風が過ぎて、賑やかに鳥が鳴く様子は
きっと「生きてるかー」「元気だよー」と
交信しているんだね、と友人と話した。

そう思って聴くと、鳥の声音も
美人祭色に華やいだ。

発する時だけでなく、
聴く時も、声音の彩りを想うことの
大切さを知ったのだった。

たたかう手のひらの色。

「手のひらを太陽に」
という歌が好きだ。
夏の陽射しに手のひらをかざすと、
真っ赤に流れる血潮が見える気がした。

猩々緋(しょうじょうひ)色は、
鮮やかな赤色。
猩々とは、中国の伝説上の猿に似た生き物で、
赤い体毛を持ち、その血がとても赤いことから、
猩々緋という名がつけられた。

力強い命の色。

小学四年の夏、
羽がちぎれて、ひっくり返り、
風に吹かれている小さなトンボを見つけた。

かわいそうに思って、空き瓶の蓋に
砂糖水を含ませた脱脂綿を置いて
ちょこんと乗せてみた。
必死につかんで砂糖水を飲むトンボに
強い生命力を感じた。

人に踏まれないように、
玄関先の植木鉢の上にそれを乗せて
元気に明日は飛んでいくかなぁ…と
願って眠った。

朝になって、トンボを見て驚いた。
トンボは砂糖水に集まったアリに
真っ二つにされて、植木鉢に作った
巣に入れられようとしていた。

羽がちぎれ、飛ぶこともできず、
砂糖水さえなければ助かったかもしれないのに!

残酷なことをしてしまった自分を責めた。
悲しかった。
襲われる瞬間のトンボの気持ちを思うと、
怖かった。
そんな恐ろしさと後悔で、
植木鉢の前で沈んでいる私に、父が
「せいぞんきょうそうだ」
と、静かに言った。

意味は全くわからなかったけれど、
その言葉を宿題の日記に書き留めている。
翌日は「強い者だけが勝つのか?」と
書いて、先生には提出しなかった。

夏の赤色がどんどん淡くなっていく。
太陽もやさしい光になって、
手をかざしても、もう突き抜けるような
強さはない。
「氷」や「ラムネ」の赤い文字の旗も、
街からひっそりと消えてゆく。

季節はめぐってゆく。

あの日、トンボは、砂糖水がなくても
ゆっくり命は消えていったのかもしれない。

生存競争の「競争」は、弱肉強食のような
奪い合い、戦いだけではないと
最近になって知った。
動物であれ、植物であれ、
命そのものが、いかに生き延びるか
同じ生きもの同士それぞれに競い合い、
進化するために、弱いものは負けて
消えてゆく。
それも生存競争なのだと。

私は進化してるのだろうか。
根気がなく、気が弱く、体力もそれほどなく、
競争に勝てるとは到底思えない。

太陽に向かって広げた手のひらを、
力強く、ぐっと握ってみる。

何ができた、とか、できる、というものも、
いまだにないけれど。

私は私の手ですることを信じよう。
誰かがしたことを黙って借りたり、
盗んだり、ズルをしない限り、
それは私の競争に勝ったことになる。

自分の力でやってみること。
それを続けること。やめないこと。
そうすれば、やがて自分のやり方が見つかる。
何かが生まれる。

時々、自信をなくしたり、
忙しさに、続ける意味が見つけられなくなったりするけれど。

そんな時は、ぐっと握り拳を見つめて
たぎる血を思おう。

戦国時代、武士たちは猩々緋の布を用いて
陣羽織を仕立てたという。

戦国の武士の想いになって、小さく勝鬨をあげて
自分を鼓舞するのだ。

生きていく限り、私の生存競争はつづいてゆく。