会いたい本に、出会う色。

長年使われて、表面が滑らかになった木に触れると、
小学校の図書館を思い出す。
書架、貸出カウンター、図書カードの棚…。
どれも木の手触りが、優しくて、心地よかった。

礪茶(とのちゃ)色は、赤みがかった茶褐色。
“礪(との)”は、刃物を磨く、
目の粗い砥石のことをいう。

流れた月日に磨かれたような、
礪茶(とのちゃ)色あふれる図書室。
ぐるりと三方にある大きな窓からは、
中庭の緑が見えて、明るく、吹く風も心地よかった。

ただ、全学年の本を網羅するには
狭すぎる書架に、読みたい本はなかった。

私の読みたい本はどこにあるのだろう?

そんなことを考えながら、
本に囲まれた空間にいて、
すべすべとした木に触れながら、
ぼんやりするのが好きだった。

中学、高校の図書館は、
ガリ勉と思われたくなくて
ほとんど行くことがなかった。

当時の日記を読むと、
くよくよしたり、イライラしたり、
支えになる言葉が見つからない苦しさに満ちている。

大阪にある中之島図書館に行ったのは、
短大二年生のとき。
立派な建物に気圧されて、
オロオロしながら、閲覧室の席に着き、
ふと顔を上げた時、ドキッとした。

斜め向かいに座っているのは、
校内で時々見かける、四年制大学の同級生。
人目を引くほど美しい男の子だった。
話したこともなく、相手は私のことを
知っているはずもないのに、見つからないように
隠れるほど、ドキドキした。

重厚で歴史感じる立派な建物、家具、設備、
周りは皆、洗練された人たちに見え、
さらにその同級生まで現れて、
念願の中之島図書館デビューの日は
緊張のあまり何をどうしたのか覚えていない。

その後、何度かその図書館も通い、
落ち着いて調べ物もできるようになった。
同級生の美しい彼とも、その後、
話す機会に恵まれ、会釈しあう友達になれた。
感じもよく、眺めのいい人だったけれど、
親しくはならなかった。

たくさんの人と友達になった。
失恋もした。
気づけば、いつも手もとに本があった。
悩む心、悲しい気持ちに、
しっくりと寄り添ってくれる言葉が
本の中にあった。

我ながら、よく読んだと思う。
けれど、読んだはずでも、
すっかり忘れてしまった本もある。

出会っても、親しくなる人、
深く関わることなく通り過ぎる人が
いるように、
本の出会いにも濃淡がある。

難しかったり、長編であったりして、
挫折しそうになりながら
意地になって読んだのに、
全く内容を思い出せない本がある。
その記憶は、どこに行ってしまったのだろう。

遠い日の夢のように、もう思い出せない本も、
ものを考えたり、言葉を発している時に
ひらひらと現れたりして、
私の中の一部になっているのだろうか。

心の中で砥石となって、
私の中の粗い部分を磨き、削り、
まろやかにしてくれていたら嬉しい。

どんなに素晴らしい本を読んでも、
そのようには生きられないように、
主人公の言葉を、自分の言葉にはできない。

けれど、感動は伝えられる。
伝えようとする時、言葉は自分のものになり、
誰かの力になることも知った。

小さな図書館から始まった本との出会い。
大人になり、欲しい本は買えるようになった。
それでも、やはり図書館は、
行きたいところに変わりはない。
本屋ではもう買えない、
出会うべき本が棚の中で待っている気がするから。

私の読みたい本はどこにあるのだろう?

そう心でつぶやく時、ぐるりと窓に囲まれた
礪茶(とのちゃ)色の心地よい空間が胸に広がる。

移りゆくけど、褪せない色。

三十数年ぶりに、大阪の学生時代、
お世話になった方達と集まった。
週末の渋谷は、個性豊かな人いきれ。
紫陽花のように、群れながら、あちこち違う色が咲いていた。

移し色は、明るい青紫色。
露草の絞った色を布に移すので「移し色」と言い、
また、変色、褪色が激しいことから
「心移り」を連想してつけられたとも言う。

露草ほどの速さではなくても、
街も変わり、人も変わる。
それでも、行きたい街、会いたい人がいる。

その日集まったのは、短大時代のクラブの
関東在住OB、OGメンバー。
私が所属していた語学系のクラブは、
同じキャンパスの四年制大学と短大の学生が
一緒に活動することができた。
おかけで、短大生でありながら、
多くの先輩や仲間と知り合え、
とても充実した楽しい2年間を過ごせたのだった。

貧しい知識、乏しい語学力でありながら、
ただ楽しみたいという無鉄砲な情熱で続けた2年間。
時に叱られ、教えられ、厳しくも明るく楽しく
導いてくれた先輩方に会えるのが、
少し緊張しつつも楽しみだった。

数々の失敗が思い出され、一人苦笑いしていたら、
道に迷い、先輩に探し来てもらうという早速の失態。
相変わらず世話の焼ける後輩のまま、
遅刻して店に着いた。

「五分前集合よ」
と、優しくたしなめられたのも懐かしい。
席に着いた途端、三十数年前と、現在の話題が
入り混じって楽しい会話が始まるのも
SNS時代のおかげだろう。

遅れて来た先輩が、背中をトンと叩いて、
懐かしいあだ名で呼んでくれたのも
昔のままで、嬉しかった。

二次会は、昭和レトロな店に移り、
学生時代過ごした街の話になった。
今は、再開発で街の景色も変わり、
キャンパスも移転して、私たちがいた頃の校舎もない。

それでも、あの店のあのメニュー。
あの店の主人、バイトしてた人。
あの道をまっすぐ行ったところにあった下宿。
などと、一つ一つたどるように話していくと、
街が、キャンパスが、くっきりと蘇った。

もう今は、ないのだけれど、
そこに確かにいた私たちが思い描けた。

ふと気づくと、22時。
下宿の門限の時刻だった。
門限を過ぎると、怖い下宿のおばちゃんが鍵をかけてしまう。
なので、ぐるりと囲まれた高いフェンスを、
見つからないよう、そ〜っと乗り越えて、
擦り傷を作りながら帰宅したものだった。

あの頃は、各下宿へと男子部員が送ってくれたな。
そんなことを思い出しながら、駅に向かう。
それぞれが違う色の電車に乗るべく、
一人、また一人、と、別れていった。

渋谷の交差点で、もう一度振り返って、
去って行った先輩に手を振った。
目の前に広がるのは、
鮮やかなネオン、信号、車のライト、
人々の着飾ったファッションの色など、
眩しいほどの豊かな色のバリエーション。

学生時代に、こんなふうに大人になって
再会して、大都会の交差点で大きく手を振って
別れることなど想像もしなかった。

移り変わった色は、美しく、嬉しく、楽しく、
そして、ちょっと寂しくて
愛しいものだった。

思い出は色褪せていくけれど、
胸に残って、新しい思い出が別の色を
添えていく。
散り散りに散って行った人も、思い出も、
また会えるという喜びに輝きながら。

中からは見えない色。

銀座のギャラリー前で声をかけられた。
作品を見ていってくれと言う。
そんなふうに誘われて、
一目ぼれした絵があったことを思い出した。

青袋鼠(せいたいねず)色は、
淡く渋い青色。
水色に少し墨を加えた、
明るい灰色とも言われている。

学生時代、大阪・本町の雑居ビルで
アルバイトをしていた。
教材の訪問販売の会社で、
営業マンが、セールスに回るために使う
地図をコピーをとるのが私の仕事だった。

学生アルバイトは私一人。
なんとなく気詰まりなので、
昼休みは外で一人、パンを食べたり、
オフィス街のランチタイムの様子を
眺めながら歩き回っていた。

ある日、ギャラリーの前で一枚の絵に
目が止まった。
深い緑の森の中、鶸色の小鳥が一羽、羽根を休めている。
静かで、清らかな時を感じられる絵に心奪われた。

あまりに見入っているので、
中に入ってゆっくり観るように声かけられた。
そして、ローンでの購入を勧められた。
「一日、珈琲一杯分のお値段で買えますよ」。

珈琲一杯飲むお金もない貧乏学生なのに、
なんとかならないかと考えてしまうほど
その絵が欲しくなっていた。

とはいえ、その日は、後ろ髪引かれる思いで
ギャラリーを後にし、オフィスに戻った。

午後、迷い悩んで、ぼんやりしている私に、
営業部長が、外出に同行するように
言って連れ出してくれた。

部長は、歳近い娘さんがいることもあって、
私のことを、おもしろがりながら、
気にかけてくれていた。

用事をすませて、喫茶店に入ると、
微笑みながら、
何があった? と、訊いてくれた。

絵の話をした。熱っぽく語ったと思う。
すると、部長は厳しい表情で、
「これ、知ってるか?」と、
鞄から会社四季報という分厚い本を取り出した。

就職活動を目前にしながら、その本の存在も
知らなかった私に、くっくっ…と笑いながら、
「ここに載ってる会社のことくらいは
知っておきなさい。
これは、社会の地図みたいなもんや。
営業マンも地図がないと
どこにおるのか、どこに向いて行くのか
わからんようになるやろ。
それといっしょや。
今、買うべきは絵やない、地図、この本やな」。

返す言葉もなかった。
時給とほぼ同額の一杯の珈琲は、苦かった。

絵に恋わずらいした時間は、それでおしまい。
少し気も晴れて
部長といっしょに帰る白いビルは、
改めて眺めて見ると、古びていて、
少し濁った青袋鼠色だった。

「もっともっと世の中のことをちゃんと知りなさい。
本も、新聞もしっかり読んで、勉強しなさい。
うちのような会社におったら、あかんよ」
部長は、そう言って笑った。

ビルの内部の壁もひび割れて、汚れが目についた。
けれど、ずっとその中にいたら、
それを白色だと思い込んでしまうのかもしれない。
バイトを辞めよう、と思った。

銀座のギャラリーでは、
熱心な営業トークを聴かされた。
絵には心動かされなかった。
今、あの一目ぼれした絵に再び会ったら
どう思うだろう。

多分、今なら、あの絵には惹かれない。
学びと出会いと経験から、
「好き」の感覚も自分なりに磨かれたと思う。

あのビルにいた頃の私は、
青い袋の中にいた鼠。
そして今、袋から出て、青袋鼠の空を見上げている。
それは、袋の中にいては見えなかった
いいことも悪いことも混ぜてできた、味わいのある色だ。

“た“とする色を、たどってみたら…。

「あなたの存在を多としております」。
どこで見つけたのか、手帳に書き留めておいた言葉。
「多(た)とする」とは、
「ありがたく思う」の意味。

紅絹(もみ)色は、鮮やかな黄色がかった紅色。
黄色で下染めしたものを紅花で染めた色で、
花をもんで染めることから、この名がついた。

久しぶりに幼なじみの友人から電話があり、
近況報告しあった。
連休前に富山に行ったことを話すと、
友人も、来月、富山へ行くと言う。
「どこへ行ったの?」
「どこに行くの?」
やや興奮気味にお互いに質問し、
雨晴海岸!」
と、同時に答えたのも、おかしかった。

それまで二人とも、富山へ旅行したこともなく、
「富山に行く」と話したこともなかったのに、
遠い街で、偶然、同じ時期に同じ場所に
思いを馳せていたのだ。
雨晴海岸はもちろん、
黒部峡谷のトロッコ列車も勧めておいた。

ずっと乗ってみたかったトロッコ列車は、
残念ながら、この春の運行が始まったばかりで
まだ短い距離しか乗れなかった。
けれど、列車から見た景色だけでなく、
駅周辺もあちこち歩いてみると
峡谷ならでは迫力と自然美に
心惹かれた。

緑に映える橋は、紅絹色。
鮮やかでやさしい、とても自然に馴染む色。
トンネルの向こうの、見えないどこかへ向かう
紅絹色の橋は、展望台から眺めると赤い糸に見えた。

いつか結ばれる相手とはつながっているという
「赤い糸」。
それは、男女だけでなく、友人や、土地や仕事、
さまざまなものとつながって、
何本もあるのではないかと思う。
今は見えなくても、遠いところでつながっている。
そう思うと、未来はまだまだ楽しく希望に満ちている。

富山を走る鉄道は「あいの風とやま鉄道」。
あいの風とは、
日本海沿岸で、東から吹くほど良い風のことをいうらしい。
「愛の風」「会いの風」にも聞こえて
耳にするたびに心温まる想いがした。

話しかけた人、乗り遅れそうになった列車で
親切にしてくれた人、皆、やさしい人たちだった。
だから、あいの風吹く富山は、
さまざまな人たちの赤い糸を引きつけて、
招いてくれてるように思える。

昔、占いで
「あなたの人生を変えるきっかけは旅です」とあり、
よくある話だなぁ、と、軽く受け流していた。
けれど、今回の旅の後、小さな変化がいくつかあって、
自分の気持ちも、風向きが変わってきている気がする。

そして思い出した、
「あなたの存在を多としております」という言葉。
これまで関わってきたもの、新たに出会ったものが、
全て「多としております」という想いになって、
旅の後の自分がいる。

少しあきらめそうになっていたことも、
全くできそうにないと思い込んでいたことも、
細くても、強い糸になって、
初夏の空に、ぱっと紅絹色を散らすように飛び始めた。

その糸をたぐりよせながら、
強い風にも、激しい雨にも、
流されず立っていられるよう、
力をつけて、笑っていよう。
いつか私も、
誰かの「多とする存在」になれるように。

時がおしえてくれる色。

「二月の雪、三月の風、四月の雨が、美しい五月をつくる」。
新緑の頃、思い出す天気のことわざの一つだ。

英語にも似たことわざがある。
「March winds and April showers bring forth May flowers」
(三月の風と四月の驟雨が五月の花をもたらす)。

虫襖(むしあお)色は、
玉虫の羽のような暗い青みの緑色。
光の角度で玉虫のごとく、色が微妙に違って見える。

短大二年の夏に、アメリカ出身の先生の
京都にある海辺の家へ三泊四日の合宿に行った。
先生夫婦と生徒四人、古民家で英語だけの暮らし。
集まったのは、県選抜の交換留学経験のあるクールなA子、
真面目でもの静かなB子、ホームステイ帰りの陽気なC子。
観光地ではない、静かな田舎町にたどり着いたところから
英語生活はスタート。
街の人たちも、日本人なのに英語を話す私たちを
優しく迎え入れてくれた。

合宿が始まって数時間。
気軽に参加したことを後悔した。
皆、本当によく英語を話す。
とりわけA子は、流暢すぎて何を言ってるのかわからないほどだった。
それでも、和やかな雰囲気の中で、
私一人が時にジェスチャーで、四人協力し、家事や遊びを楽しんだ。

三日目、海で遊んでいると夕立が訪れた。
干していた布団が濡れると慌てて帰ると、
近所のおじさんが取り込んでいてくれた。
そのお礼に行った時、つい「ありがとうございました」と
日本語で言ってしまい、A子にひどく叱られた。
そんなに怒らなくても、とふくれたところ、
A子のこれまでの怒りが爆発。
真剣に学びに来ているのに、いつもあなたのふざけた態度が
それを邪魔する…というようなことを、一気にまくしたてた。
B子もC子も黙っていたから、同じ気持ちだったのだろう。

その日の夜、先生が突然、
「特別な場所に連れて行く」と、先頭立って歩き出した。
街灯もほとんどない街の、静かで暗い夜だった。
背の高い葦が鬱蒼と生えているところに着くと、
先生が「しーっ」と指を立てて、そーっと歩くのだ、
とジェスチャーし始めた。それは私をマネた仕草。
みんな、私の方を見てクスクス笑ってくれた。

葦の中に入ると、暗くて足元が不安定で
怖くなった。
方向も、皆の姿も見失い、
恐怖で動けなくなっていると、
ふわりふわりと
螢が舞うのが見え始めた。

幻想的な光景に感動しながら、
じっとしていると、
三人が探しに来て、手をつないでくれた。
みんなで黙って、ゆっくり前進した。
仲直りしたことをくすぐるような蛍の光に、
照れくさく、嬉しく、安心の涙も少しこぼれ、
暗くてよかったと思った。

そんな光景を思い出しのは、
富山の川沿いを歩いたからだ。
小説「螢川」の舞台となった川、街。
寒い冬のシーンから始まり、
螢舞う季節に移る中で
人や景色が変わってゆく。

同じように見えて、変化してゆく川の表情を
眺めていたいと思った。

そして小説のラストを思い出していた。
美しく妖しい螢の光。
襲いかかるような未来への不安。
最後の一行を読んだ後も、ページをめくり、
次のシーンを探し求めた。

あの時の三人も、今はどんなシーンの中に
いるのだろう。
風を受け、雨に打たれ、その経験を力にして、
美しい五月のような「今」を迎えているだろうか。

いいことも悪いことも、玉虫の羽のように
見方によって、色合いが変わる。

あの時、先生は、暗闇の中、
小さな光を一緒に見つけることで
互いの存在がどれほどありがたく嬉しいものなのかを
教えてくれたのだ。
それは、明るい昼間ではわからなかったことなのかもしれない。

人は言葉でつながり、言葉で別れることもある。
言葉はなくても、つながる瞬間もある。

その時には気づけなかったことを、
あの日から遠い時間、遠い街で、教わった。

川面のきらめきは螢のように、
そして五月の木々は虫襖色に輝いていた。

田園発、心潤す色。

富山では、どうしても見たい景色があった。
宮本輝さんの小説「田園発港行き自転車」で
主人公たちが訪れる場所だ。

「──私は自分のふるさとが好きだ。
ふるさとは私の誇りだ。」

冒頭、登場人物の“千春”が、生まれ故郷が
いかに美しく、心慰めてくれるかを語るシーン。
彼女の紹介してくれた街の情景に
すっかり魅せられて、
いつか必ず行こうと決めていた。

潤色(うるみいろ)は、濁ってくすんだ色。
灰色やねずみ色ではなく、さまざまな色が
合わさって見える色だ。

富山では、あちこちで、
「潤色」を見つけた。
私はこの色を、
湿気をたっぷりと含んで景色の彩りを
にじませた色と思った。

“千春”は、東京での仕事に慣れず、
故郷富山に帰る日の送別会で、
生まれ育った町、入善町の美しさ、
素晴らしさを生き生きと語る。

冒頭のそのシーンから、
水清らかで、緑やさしい光景をもつ入善の街は
ゆっくりと胸に広がり、読み進むほどに
強く心から離れなくなった。

広い、広い田園風景。
そこに映る立山連峰。
両手を広げても、
自分のちっぽけさを感じさせる
スケール感に、感嘆の声をあげた。
神々しく、雄大でありながら、
ガラス細工のように繊細に見える
水田の透明さ。

「愛本橋って、黒部峡谷からの風の通り道ね」
と、作品中語られるが、
遠い峡谷から、冷たい風が通って
川を下り、海へと流れていく。

水だけでなく、風も、匂いも、ここを通って
海へ向かっていく。
海の方を見ていると、風になって
遠くまで飛んでいけるような心地。

山中の赤い橋。
作品を読まなければ、もしかしたら
通過していたかもしれない。
けれど、立ち止まって、
橋から見る景色を味わい、
遠くからこの橋の眺める。

その姿は、周りの豊かな自然に
馴染みながら、華やかな気品があった。
作品中でも「清潔な色香を漂わせた芸妓」“ふみ弥”に
喩えられていて、
ひと目見たら、
吸い込まれそうな、
心奪われてしまうような
妖しくも溶けるような魅力を感じた。
いつまでも見ていたい、
見飽きることのない橋だった。

振り返ると、
「川べりにゴミひとつ落ちていない」
と、“千春”が語っていた黒部川は、
流れも美しく、本当にゴミがない。
清澄な空気と水に、そこに立つだけで
人も、景色も、すべて
洗われていくような気がした。

どこを見ても、美しく、懐かしい。
そうだ、この田園風景も
海へと続く町並みも、私の故郷に少し似ている。
“千春”が語る。
「離れて見ないとわからんことがたくさんあるわ」。

そして、立山連峰にかかる雪や、
山々をふいに明るくさせたり、暗くする厚い雲が
田園の虫一匹にまで恩恵を与えていることに気づくのだ。

“千春”が気づいたように、
今の自分の身体も、心も、
故郷の自然が育ててくれたもの。
そこにあった人、もの、自然、あらゆるものから、
恩恵を受けていたことに気づいたのだった。

富山から帰って、もうすぐ二週間。
鼻の奥にかすかに残っていた富山の香りも消えつつある。
さみしいけれど
「私はいつでも、まっさらになれる」という“千春”の言葉に
力をもらう。

また、まっさらになって、心潤しにあの街に行こう。

こぼれて注ぐ、夜明けの色。

水の美しい富山で、
水面に映る夕陽を見てみたいと
環水公園に行った。

豊かな水を、全身で感じられる
水のカーテンがお出迎えしてくれた。

ゆっくりと傾く夕陽を水面に映して、
キラキラと輝く時間。
こぼれてくる太陽と水の反射が、
サーチライトのように照らしてくれる。

お日さまの色は、
明るい黄赤色の東雲色(しののめいろ)。

ここは北陸、富山。
空気も湿り気があって心地よい。
と、思った時、
あ! と思い出す光景があった。

三十年くらい前のこと。
夫の転勤で、赤ん坊と三人、
知り合いのない金沢の街に住んでいた。
まだ未熟な母の私は、
ある時、息子を
ひどく叱りつけてしまった。
泣きじゃくる息子は、夜中に
突然、激しく嘔吐し始めた。

驚き、慌てた。
何軒かの近くの小児科に電話し、
やっとつながった医師に、
藁をもすがる思いで、診察をお願いした。

「いいですよ、連れていらっしゃい」と、
S先生は快く引き受けてくれた。
心配と自責の念から、
異常な緊張状態のまま、
車で二、三十分のその病院へと向かった。

すると、静かに寝静まっている住宅地に
病院の前だけ明々と灯りがついていて、
エンジン音を聞きつけて、
S先生が出てきてくれた。

深夜にも関わらず、
おおらかに、優しく診察し、
親子ともに落ち着かせてくれた。

帰宅する頃には、
息子もスヤスヤ眠っていた。
夜も明け始め、
子供がいたずらで開けた障子の穴から
朝日がこぼれていた。

東雲色は、夜明けの色。
「東雲」の語源は、
昔の住居の明かりとりである
「篠の目(しののめ)」からきている。

篠竹という竹を使って
戸や壁に網目を作る「篠の目」、
そこから暗い室内に
夜明けの色が差し込んだことから
「東雲色」と呼ばれるようになったという。

控えめに射す東雲色の光に包まれて、
息子と私は疲れて眠った。

翌日の昼、S先生から電話があった。
「今、昼休みだから電話したんだけどね。
 また、何かあったらいつでも診せに来るんですよ。
 そして、お母さん、あなたが元気でないといけないから、
 赤ちゃんと一緒にちゃんと休みなさいよ。
 気をつけてね」
と。

ずっと、叱りすぎた自分を責めていた心が
緩んで、溶けて、涙が止まらなくなった。

尖った心には、戒めよりも、
やさしさが、何よりも導きになる。
そのあと続く子育てに、
大切な教えをもらったのだった。

忘れていたそんな思い出を
公園の夕陽が思い出させてくれた。
帰ってきて、あのS先生はどうされているのか
ネットで検索すると、二年前のクチコミに
「夜中に診察をお願いしたら『すぐに連れて来なさい』と
快く診てくれました」とあった。
そして、昨年の情報として「閉院しました」と。

最後まで、きっとたくさんのお母さんたちを
安心させ、やさしく頼り甲斐のある先生でいらしたのだろう。

誰かの力になること。光になること。
S先生のようにはなれなくても、
この夕景のように、そこにあるだけで
誰かの心を癒すことができるような
そんな強さを持ちたいと思った。

遠い日の苦い思い出も包み込んで、
北陸の風はやさしかった。

雨晴、幻の色。

ずっと行きたいと思っていた、
富山に行って来た。

新幹線の車窓から見えた、
白群色(びゃくぐんいろ)の空に浮かぶ雪化粧の立山連峰。
あぁ、ついに見られる!
座席に座っていられないほど、
胸が高鳴った。

白群色は、柔らかい白味を帯びた青色。
岩絵の具の青色の顔料、
アズライトという石を砕き、
その粒子をさらに粉末にしてできた
白っぽい淡青色だ。

富山に入り、真っ先に目指したのは、
雨晴海岸。
遠く立山連峰を背景にした海岸の眺めだった。

その海岸のことは、
シルクロードを旅した人の文と
添えられていた写真で知った。
そこから見える立山連峰が、
旅の途中に見た天山山脈のようで、
どちらも幻に見える…と紹介されていたのだ。

シルクロードは、遠い日の憧れだった。
父が晩酌しながら本を読み、
興に入ると、シルクロードがいかに壮大で、
多くのことを教えてくれ、知的好奇心くすぐられる道で
あるかを地図を示しながら語ってくれた。

いつか二人で行こう、となり、
それならばと、
父が選んだ本を音読するよう命じられた。
読み間違うと、鯨尺で尻を打たれる。
痛くはなかったけれど、
本の内容はわからず、つまらなく、ただの苦痛になり、
宿題を理由にして自分の部屋にこもるようになってしまった。

再び、父一人、本を読む姿に少し胸が痛んだけれど、
思春期の私には、他に楽しいことが増えて、
だんだん気にしなくなっていった。

二十四歳で父が急逝した時に、
母から、生前、父は、シルクロードには行けなかったけれど、
どこかアジアの国を旅して、いろいろ私に教えてやりたいと
話していたことを聞いた。

あんなに本を読んで、聞けば語ることが
山のようにあった父と、シルクロードの旅に行けば
どれほどの感動を共に味わえただろう。
もう叶えることのできない旅への思いが
胸の奥に痛みになって残った。

その後、シルクロードの旅のエッセイなどを読み、
やはり想像以上に過酷な旅であることを知った。
もう、私の人生では、その旅に行くことはできないだろう。

そう思っていた時に出会った
「雨晴海岸から眺める立山連峰の景色」だった。

見られる確率も低いということも知っていた。
見られれば幸運だ、そう思おうと思っていた。

それが、列車からゆっくりと見えて来た。
駅から、焦れるような想いで海岸に出ると
連峰は、白い雲が大きく棚引くように空に広がっていて、
まさに幻のような山々の表情を見せてくれた。

その絶景を、どの距離からも撮りたい!
と、何枚も何枚もシャッターを切り、
ドキドキしながら、笑いながら、
「これだ! これやで!」
と、父に語りかけていた。

行けない所もあるけれど、
行ける所もある。
見られない景色も多いけれど、
こんな絶景に会えることもある。

それが生きていることなのだな、と
父に教えられた気がして、嬉しかった。

抜けるような空の色は、光が反射する美しい青。
白群色は、その時の景色にふさわしい名のような気がした。
雪化粧の白い山々が群れをなして
淡い空の色をより鮮明に、爽やかに映し出していた。

新しい時代の色。

花見、花撮り、花盛りを終えた。
この春の関東は、曇り空のもとで
桜を見上げることが多かったように思う。

曇り空の下の桜は、
灰桜色。
やや灰色がかった明るい桜色だ。
上品で華やかでありながら、
控えめで、穏やかな色。

新しい元号が発表された。
「令和」。
その響きに、どんな色が当てはまるだろう、
と考えて、思い出した言葉があった。

「巧言令色鮮なし仁 (こうげんれいしょくすくなしじん)」。
これは、平成の初めの二十代の時、
父から聞いた言葉だった。
その頃、ある人との接し方に悩んでいた。
その人は、知的で分別もあり、いい人だと思うのだけれど、
なぜか、その人が意見すると色々なことが
うまくいかなくなる。時にこじれる。

なぜだろう? と父に相談した時に、
一言、その答えが返ってきたのだった。
巧言令色鮮なし仁、とは、
「言葉巧みで、人から好かれようと愛想振りまく者には、
 人として大事な徳である仁の心が欠けている」
という意味。

その人の、上品な言葉、やさしく丁寧な態度に、
単純に尊敬し、言われることを全て「正解」「善」と
思い込んでいた私には、少なからず衝撃の答えだった。

と同時に、私もそんな人間になりつつあるのでは
と不安になった。
仁の心を持つ人、とまではいかなくても、
大切に思う人には、素直に良い人でありたい。
どうすれば、そうなれるのか?

父が答えてくれたのは、
子供の頃から教えてくれていたことだった。

買い物をした時、
間違って多めにお釣りをもらっても
「得した」などと思わないこと。
一円、十円でも、もらってしまえ! と思ったら、
それが卑しさになって、心に積もっていく。

桜の落ちた花びらも、
ドカドカと無神経に踏み歩くのではなく、
そっと避けてゆく。
そのようにして、
道を歩き、
もし、人の足を踏んでしまったら、
踏まれた人の気持ちを考える。

行動を、言葉を、軽く扱わないように。
小さな積み重ねをバカにしないように。

そんな父の言葉を思い出した
新元号の発表だった。
落ちた花びらの色、
それが私の令和の色かもしれない。

灰桜色の春らしい淡く沈んだ美しい色調は、
古くから、深窓の令嬢にも愛されたという。
令嬢の【令】は、「他人の家族を尊敬していう語」であり、
「よき」の意味があるという。
【和】には、仲良くするに意味があり、足し算の答えは「和」という。
そして、日本の色、和の色の【和】でもある。
「令和」が、優しい色を背景にして、
平和で、喜びが加えられていく時代になりますように。

よき和の色を探し求めて、
平成から令和へ。
これからも、ていねいに、
見る、撮る、歩く、発信していく。

きら、星の色

「何億光年輝く星にも寿命があると…」。
山口百恵のラストソング「さよならの向こう側」の
歌詞に、抱えきれない時間と星との距離に驚いた十代の頃。

それまでは、星がそんなに遠いとは想像もせず、
「寿命」を「授業」と聞き違えていたほどに
無知だった。

星の色は、寿命の長さによって異なる。
若い星ほど青白く、老いた星ほど
赤みがかっているという。

鶏冠石(けいかんせき)色は、明るい橙色。
「鶏冠石(けいかんせき)」という
鶏のトサカのような赤い鉱物を
粉末にした顔料の色である。

先日、上野の東京文化会館のステージ裏を
ガイド付きで見学できるツアーに参加した。

夜の部をあえて予約したのは、
この建物の照明がガラスに反射して、
上野公園へと広がっていくように見える様子、
「天の川」と呼ばれる、
鶏冠石色の星が輝く景色が見たかったから。

ステージ裏の壁には、
まさに綺羅、星のごとく有名な出演者のサインが
所狭しと書かれていた。


カーテンコール体験もさせてもらった。
幕の間からステージに出て、
眩しいほどの照明を全身で感じる。
スポットライトも、星、だった。

ステージ、照明、サイン、といった
晴れがましい場所に立ったことはない。
いつも遠くから眺めている側だった。

遠く眺める、といえば
故郷を離れて、最初の帰省した夜、
見上げた空の星が、あまりに近くて
驚いたことがある。

都会よりも空が低く、
星々は鮮やかに群をなし、美しく明滅していた。
わーっ! と、小さく叫んで
静かな花火を見るように星空を見上げていた。

鶏冠石は、かつては日本の花火の原材料に
使われていたのだという。
湿気に弱く、置きっ放しにしておくと、
変色してボロボロと崩れてしまうらしい。

文化会館で見つけた、たくさんの星は
鶏冠石色。
たくさんの星は、たくさんの人たちの夢に見えた。

私の夢は、置きっ放しにしていないだろうか。
ボロボロと崩れてしまってはいないだろうか。
星を見失わないように、努めているだろうか。

「さよならの向う側」へと消えた山口百恵も、
たくさんの感謝とともに「私、きっと忘れません」と
歌っていた。

空にも、水たまりにも、星は見つけられる。
今ここにいること、与えられたことに感謝しながら、
目指す方向を見据えよう。

心の中の星も、年を重ねるけれど、
輝きは見たもの、感じたものの分、強くなるはず。
まだまだ学ぶべきことは多い。
私にはやはり、
何億光年の「授業」が必要なのかもしれない。