光の中で咲いていた花は。

夏は、サザンオールスターズ。
街には、熱風とともに
BGMのように流れていた。
十代の私も、カセットテープが
擦り切れるほど聴いていた。

木槿色(むくげいろ)は、
明るく渋い紅色。
木槿の花の色だ。

木槿の花が咲くには、まだ早い六月初め、
初夏に咲く、その色の花々を見つけて、
暑い夏の日のことを思い出した。

短大二年の夏、
人生初のライブ体験。
しかも、大好きなサザン!
サザンオールスターズの
大阪球場のライブに行けることになったのだ。

チケットを手配してくれたSちゃんは、
本当はそのライブに彼氏と行く予定だった。
ところが、
夏休み前にケンカをしてしまい、
ピンチヒッターとして、私に声がかかった。

嬉しいけれど、喜ぶ顔をしてはいけない。
Sちゃんも、明るく振る舞おうとしながらも、
顔が笑っていない。

ウキウキしていない二人で
大阪球場に出かけた。

球場前は、想像以上にすごい人いきれだった。
圧倒されながら進んで行くと、
高校時代、憧れていた人を見つけた。
当時の仲間と、変わりない笑顔。
気づかれないように、チラチラ眺めて
通り過ぎた。

席を探していると、今度は、
懐かしい呼び名で声をかけられた。
振り返ると、高校時代、仲の良かったKちゃん。
いつも恋バナなどしていた友達。
卒業以来の再会だった。

中学の同級生の男子も見つけた。
「変わらんねぇ~」と心で語りかけた。

席に戻って、
「懐かしい人に次々と会った。
 なんか、あの世に来たみたい…。」
そうSちゃんに言うと、
「あの世っ…!?」と、苦笑いを浮かべていた。

ライブが始まった!
毎日聴いているサザンが、
目の前に! 同じ場所に!!!

紅く、妖しく、光るステージは、
木槿色の美しい彩り。

満開の花が輝くように
スタジアムが光に揺れる。

場内の興奮はピークに達したけれど、
スタジアムのずーっと後ろの席から見る
ステージ上のサザンは、
豆粒よりも小さくしか見えなかった。

「あ~ぁ、虫眼鏡持ってきたらよかった」
というと
「それをいうなら双眼鏡ね」と、
Sちゃんが貸してくれた。
…やはり、よく見えなかった。

歌声も、遠くに響いて消えて行くような。
こんなものなのかなぁ…。
戸惑いながらも、
せっかくのチャンス、
楽しまなくちゃ損だ!!

と、無理に気持ちを奮い立たせても、
どうにも周りの人と同じようにノレない。
Sちゃんも、彼氏と一緒だったら…と
思っていたのだろう。
あまり楽しそうではなかった。

よその町のお祭りに迷い込んだような
どこか馴染めない気持ちのまま、
ライブは終わった。

想像した喜びや興奮とは少し違ったことに、
しょんぼりしながら帰り道を歩く。

木槿の花は、一日花と言われている。
朝に咲いて、夜にはしぼむ。

ライブもそんな花のよう。
朝は楽しみで元気いっぱい
咲こうとするエネルギーに満ちていたのに、
夜には、すっかり萎れてしまう。

幻想的な色と光に包まれていた時間が
少しずつ遠ざかっていった。

その後、何年もライブには行かなかった。

サザンオールスターズも、
気がつくと、あまり聴かなくなっていた。

すっかり忘れたと思っていたのに、
六月の花々や、
真夏のような熱い風が、
あの日の球場の空気を思い出させくれた。

たまらなく聴きたくなって、
スマホのサブスクリプションで、
サザンを再生してみた。

夕暮れの校舎、体育館の前、
開け放たれた下宿の窓から、
聴こえていたサザンのメロディー。

さまざまな夏のシーンの中、
いつも流れていた。

胸がきゅうっと締め付けられるような
想いがこみあげてきた。

そんな時間を
イキイキと思い出させくれる
音楽があってよかった。

泣いたことも、怒ったことも、
がっかりしたりことさえも、
全部、いい時間だった。

想いが、音楽に流されて次々と蘇る。

雨を染める春の色。

冷たい雨に打たれて、
早春の花がふるえている。

花の色は、
淡紅色(たんこうしょく)。

紅色に白を混ぜた、優しい色。
淡さが増すと、
はかなさが現れる。
空に溶けそうに、
透けてゆく花びらの色。

まだまだ寒いけれど、
三月の雨は「春雨(はるさめ)」。
その、やわらかな響きは、
細く澄んだ雨が、
煙るように降りながら、
街を、人を、優しく
包み込んでくれるような気がする。

景色の中には、ぽつぼつと
淡紅色の花々があり、
どこか暖かみさえ感じられる。

小学校一、二年生の頃だったか、
学期末のこの頃、夕方に強く雨が降り、
まだ学校にいる兄に傘を持って行くように言われた。

学校へのまっすぐの道を歩いていると、
ずぶ濡れになった中学生のお姉さんが前を歩いていた。
知らない人でもあり、
素気なく断られたらどうしよう。
でも、雨はどんどん強くなり、
寒そうに濡れながら歩いている
お姉さんは風邪ひかないだろうか。
…迷った末に
黙って、傘をさしかけた。

お姉さんは、驚きながらも笑顔で
「ありがとう」と言ってくれた。
そして、私の幼馴染のKちゃんの同級生であり、
仲のいい友達なのだと、話してくれた。

何も言えずに黙っている私に
お姉さんは、あれこれと明るく楽しく話を続けた。

けれど、嬉しいのと、恥ずかしいので、
顔を見られず、お姉さんの問いかけに
時々、うん、うんと頷くだけで、
うつむいて小さく笑うのが精一杯だった。

傘の下では、これまで嗅いだことのない
雨を含んだ制服の匂いがした。
大人でもない、けれど、自分たちのような
子供でもない、お姉さん。
遠くの美しい景色を眺めるような憧れを感じた。

学校近くの角まで来ると、
「ここから走って帰るわ、ありがとう」
と、お姉さんは、バイバイ! と手を振って
颯爽と駆け抜けて、雨の向こうに消えて行った。
「さいならぁ」と
言った記憶もない。

雨と汗と、ほんのり甘さと、
かぐわしいお姉さんの香りが
傘の半分に残っていた。

学校に着くと、まだ咲いていない桜の木が
雨の中で満開のごとく淡紅色に膨らんでいる気がした。

色も匂いも淡く、つかめない。
どこからかやってきて、
気づけば季節が春に変わっている。
その、かすかな空気の変化を
初めて感じた時かもしれない。

「はかない」という言葉も知らなかったけれど、
春の雨は、淡く優しい色に染まる記憶を
思いがけず与えてくれた。

それは、幾つになっても、
憧れとして胸に残っていて、
春雨の中を歩く時、ほんのりと心弾ませてくれる。

春がやって来る。

聴いて、ゆるして、ゆれる色。

コスモスの花が風にゆれている。
のんびり、ふわり、何にもとらわれずに。

風の声や、
見つめる人たちの声を、
うん、うん
とうなずくように揺れながら咲いているコスモス。
その代表的ともいえる淡い紅色は
「聴色(ゆるしいろ)」
だと思う。

「聞く」のではなく
じっくりと「聴く」。
よく聴けば、わかりあえる。
ゆるすことができる。
だから「聴色(ゆるしいろ)」なのだろうか。

よく聴くことは、よく話すことでもある。
言い訳から始まってもいい。
自分の気持ちを精一杯、心をこめて話せば、
やがてわかりあえる、と信じている。

もし、わかりあえなかったとしても、
話し合い、気持ちを伝えあうことで、
互いに知らなかった気持ちを発見したり、
これまでとはちがう感情が生まれるかもしれない。

話すこと、聴くことを、
逃げず、あきらめずにいたい。

だから、コスモスのような姿勢でいよう。
コスモスのように、淡くやさしい気持ちでいよう。

何でも話せるような、
ふわりと受け止めてくれるような
そんな微笑みをたたえていよう。

コスモスを見ていたら、思い出した。
「静かに行くものは健やかに行く
 健やかに行くものは遠くまで行く」
というイタリアのことわざを。

そして、
「健やかな人は、よく聴くことができ、
 よく聴くひとは、
 静かに聴(ゆる)すことができる」
…こんな言葉を思いついた。

生きていたら、色々なことがあるけれど、
よく人の話を聴き、
自分の心の声を聴き、
静かに聴(ゆる)す。
いつか、そんな境地にいけたらいいな、
と思う。

秋の心地良い風が吹いている。
のんびり、ふわりと
風にゆらされるコスモスが
うん、うん
と、うなずいて笑っていた。