思ひは、火の色に似て。

鮮烈な思いは、何色をしているだろう。

思色(おもひいろ)は、緋色(ひいろ)の別名、
同じ色だ。

緋色は「火色」とも書く。
明るい、少し黄みがかった赤色で、
「思ひ」の「ひ」と、
「緋色」の「火」をかけて、
火のように燃える情熱を表している色なのだ。

熱く燃ゆるような思ひの色は、
記憶の中で、ぽつんぽつんと赤く点るのだろうか、
それとも、全てを赤く染めていくのだろうか。

高校生の時、赤い傘を持っていた。
柄(がら)のない真っ赤な傘。

あまり大きな傘ではなく、
ひどい雨の日は、制服に雨がしみて重くなった。

それでも、赤い傘は、黒い制服、黒いカバンに
火が点るような明るさを与えてくれた。

嬉しいときは、傘がひらくような
悲しいときは、傘を閉じたまま雨の中を歩くような…
赤い点は、傘の色と重なって見えた。

 

淡い思いが実ったり、壊れたり、
友とわかりあえたり、仲違いしたり、
そのたびに、ポツンポツンと
思いが点ったり、消えたりして
赤い点を残していった。

今、思うと、ささいなことで
本気で怒って喧嘩をしたり、
幼い失恋に、学校へ行くのがつらくなるほど
傷ついて、泣いて、大騒ぎして。
あまりにたくさんの赤い点があることに
おかしくなる。

と、同時に、あの頃のように
心がすぐに燃えて、いきいきと
喜怒哀楽を表していた
やわらかい心は、かけがえのないものだったと
苦々しくも、懐かしく、愛しい気持ちになる。

今も、折り畳み傘は、小さくて柄のない赤。

傘といっしょに記憶もひらいて
当時の切ない気持ちを思い出させてくれる。

ただ一所懸命で、不器用ながら突き進んだ
あの日の自分が積み重なって
今の自分ができている。

傘を開くと、あの日の思ひが頭の上に広がって
クールでいたい大人の私を赤く染める。

大人の分別や冷静さも素敵だけれど、
あの日の思「ひ」は、いつまでも消えないよう
大切に守っていきたい。

そんな思色の「ひ」なのだ。

思い焦がれて、染まる色。

焦色。
「こがれいろ」と読む。

焼け焦げて黒色に近い「焦茶色」とはひと味ちがう、
深く渋い赤色。

「思い焦がれる」という言葉もあるように、
赤い「思色」に通じる、
感情の「焦がれ」を表しているからか、
基本の色は燃える色、赤色なのだ。

そんなにも情熱的な名前でありながら、
思いが時を経て、やさしい記憶になったような、
滋味ある色にも見える。

この色を見ると、一枚の写真を思い出す。
家族みんなが精一杯よそゆきの服を来て
奈良の遊園地へ行ったときのものだ。

父に手をひかれて、たよりない足取りで歩く小さい私。
見るたびに父の愛情を感じて、
懐かしく、あたたかい思いになる。

その気持ちは、焦がれるように、
この時に帰りたいと思うものではない。

きっと、この色が与えてくれる懐かしさが、
時の経過のなかで
失くしたものを思い出させ、
同時に得たものの大切さ、重さを教えてくれるのだろう。

今では、この時の父の年齢も超えてしまった。
父の生きた年数も、もうすぐ超えようとしている。

けれど、この写真をみると、
「人ができることは、自分もできると信じて頑張りなさい」
と、いつも励ましてくれた父の言葉をいきいきと思い出して、
“さぁ、これから、これから! ”
と、娘にかえったように若く瑞々しい意欲が漲ってくるのだ。

もうすぐ父の日。
会えないけれど、今年も、心からの感謝を伝えようと思う。

空にかからぬ虹の色。

虹を見たら、なぜそれを人に言いたくなのだろう。

いつ消えてしまうかわからない儚さからか。
やっと出会えた、そんなときめきがあるからか。

「虹色」は、虹の七色全てだろうかと思いきや、
意外にも一色。淡い紅色のことをさす。
紅花で染めた薄い絹地の色だ。
薄い絹地は、光の反射により、青みが強かったり、
紫みが強く見えたりするという。
光を織り込んだような絹地の色は、
見る角度によって移ろうように見えるから「虹色」なのだ。

光や角度によって表情を変える
虹色の無限性、不思議さ。

それは、ひとの気持ちにも似ている気がする。
たとえば「好き」という気持ち。

自分の気持ちも、我知らず月日の流れによって変化するし、
相手の気持ちも、その日、その時の様子で
色や温度が変化したり、さまざまな色合いが入り混じって見える。

光と色がある限り、刻一刻と変化する。
揺れ動く感情と同じで、
誰にも止めることができない。

もし、それをひととき見ることができたら…。
視界の中にとどめることができたなら…。

虹を見つけた喜びはそれに似ているのかもしれない。
そして虹色は、見つけた喜びに高揚する頬の色にも見える。