不老長寿の聖なる色。

厳しい暑さや寒さにも、
じっと耐えて、変わらない松の色。
この濃い緑を常磐色(ときわいろ)という。

松や杉などの常緑樹を、
常磐(ときわ)木というため、
その葉の色をこう呼ぶ。

冬にも色あせないことから
永遠不滅、不老長寿のシンボルとして、
古くから神聖な色としてされてきた。

“月日に負けない、色褪せない”
とは、心くすぐられる言葉だ。

先日、街で、娘の中学時代の友人に、
十数年ぶりにばったり会った。
変わらぬボーイッシュさと、
その溌剌とした様子に、
嬉しくなって「変わらないね」
と声かけて別れた。

ところがそのあと、いっしょにいた娘に
「“変わらない”が褒め言葉なのは、中年以降だよ!」
と、厳しく指摘された。

確かに、若い女性には、
「きれいになったね」
「大人っぽくなって…」
とその成長ぶりをほめるべきで、
「変わらない」
と言うのは、まだまだ子どもね、と
言っていることと変わりない。
うかつさを反省した。

変わらないこと、
変わること。
それぞれの良さをきちんと理解して、
心にとめておくことが大切だ。

田んぼの稲が、今年もたっぷりと実っている。
毎年同じ色に見えて、変わらないように思うけれど、
今年の夏のたよりない太陽の下、
災害にも遭わず、無事にここまでたどりついた色は、
春の鮮やかさとは、少し異なる深い喜びの色に見える。

去年と変わらないように見えて、
今年の稲は今年だけの色。
私だって、何も変わらないように思うけれど、
今年だけの私でもある。
変わっていないようでいて、
実は確実に変わっている。

老いてもいる。
経験が積み重なってもいる。
考えが狭くなっているかもしれないし、
その分深くなっているかもしれない。

自分のことでもわからないのだけれど、
変わらない常磐色のようにどっしり構えつつ、
変わるべきこと、そうでないことを
ひとつひとつ意識しながら、
目に優しい色に染まっていきたい。

匂いに守られて。

なんと読むのだろう。
はじめに、そう思った。
木賊色。
「とくさいろ」と読む。

トクサという草からつけられた名前で、
落ち着いた緑色。
別名を「陰萌黄(かげもえぎ)」とも言う。
萌黄色の若々しさに比べると、
大人の陰りと湿り気を感じられるような名だ。

お盆がやってくる…。
そう思うと、
子どもの頃は、従姉妹に会えるのが楽しみで
ドキドキして眠れないほど楽しみだった。
盆暮れにだけ会える、歳近い従姉妹二人。
海へ行って、すいかを食べて、
虫取りをして、花火をした。
布団に入ってからも、
お化けの話などして、いつまでもふざけあっていた。
やがて真打ち登場、
祖母のそれはそれは恐ろしい怪談に、
暑いのにくっついて眠りにつく…。
部屋の隅には、蚊取り線香。

ひとつ、ひとつの出来事には
はっきりと、それを思い出す匂いがあった。
夏は他の季節に比べて、匂いが色濃かった気がする。
海は潮の香り。
花火は火薬の匂い。
ツヤツヤとしたカブト虫の、
ほかの虫とはちがう独特のにおい。
蚊取り線香とセットで
虫さされの薬の鼻にツンとくる臭い。
近所も窓を開け放っていて、
あちこちから総菜の香りがしてきた。

そんなさまざまな匂いに包まれた夏の日々。
いつまでも続くと暢気に思っていて、
変わる日がくることなんて思いもしなかった。
けれど、
ある時から、受験だ、部活だ…と
従姉妹たちもそれぞれに過ごし方が変わり、
お盆の過ごし方もちがうものに変わっていった。
夏の香りは変わらないのに。

あの日から遠く離れて、
今思い出すと、
包まれたいたあの夏の香りは、
守られていた匂いなのだと気づく。

子どもたちが楽しく健やかで過ごせるよう
見守り、
食べさせて、
蚊取り線香を焚き、
虫にさされたら、やさしく薬を塗ってやる。

大人たちも、そうやって子ども時代を過ごしたように、
私たちに健やかな楽しみを、
見守りながら与えてくれていたのだ。

気づかないほど、当たり前に守られる愛情が
何代も昔から与えられ、引き継がれ、
今の自分がいる。

今は会えなくなったけれど、
変わりなく見守り、
愛情を注いでくれている人たちの気配を
いつもよりも強く感じられるお盆。

深い緑、木賊色の林や、川辺のあたりから
懐かしい人たちが、
やさしくほほえんでくれている気がする。

憧れと思い出を秘めた色。

秘色。
「ひそく」と読む。
別名は「青磁色」。

青磁は、平安時代に中国からやってきた磁器で、
それはそれは貴重なものとして珍重されていた。
中国では当時、
天子(皇帝)に献上されて、
臣下(家来)には使用が禁じられていたこと、
また、神秘的な美しさから、
その色は「秘色(ひそく)」と呼ばれていた。

子どもの頃、床の間に置かれた
青磁の壷を眺めるのが好きだった。
床の間に飾られたものは、
子どもが触ることは許されなかったので
その壷は、まさに秘色(ひそく)そのものだった。

そのためか、この色には特別な憧れがあり、
似合わないとわかっていても、
服に小物に、と、選んでしまう。
いつまでも、どこか叶わない色なのだ。

秘色(ひそく)という言葉から、
思い出して、取り出してきたものがある。
母から譲り受けた、37歳の父の日記だ。
織物の技術指導で
数ヶ月間、韓国に滞在していたときのもの。
言葉が通じないもどかしさや、
食べ物があわずに体調すぐれぬつらさ、
そして、家族や友人に会いたい想いが、
赤裸々に綴られている。

いつも明るくて、前向きで、
くよくよと悩むことなく生きよ、と、
背中を押してくれていた父の
秘めていた一面が、ここにある。

日記とともに、当時父が送ってくれた手紙があり、
そこには「班長をがんばりなさい」とある。
当時、かなりの引っ込み思案だった私が
班長になり、父に手紙で知らせたのは
自慢したい気持ちと、
元気であることを知らせたかったからだろうか。
その気持ちに応えて、父も明るく応援してくれている。
当時の父よりも大人になった今、
そのやりとりは、少し切ないような想いになる。

父が帰国する日は、学校から走って帰ったものだった。
父が日本を、家族を思うように、
私も寂しかった。父が恋しかったのだ。

当時は知らなかった父の寂しさ。
日記に小さな文字でびっしりと想いを書き綴る、
父の心の中は何色だったのだろうか。

そういえば、と、思い出した。
父は、うぐいす餅(「りゅうひ」と呼んでいた)が
好きで、帰国すると買ってきて、
感に堪えない顔で食べていたことを。
うぐいす餅。うぐいす色。
青大豆からできたきな粉の色。

あぁ、ほんのりと緑色だ。
秘めたる想いを、ひとときほぐしてくれたのは
きっと秘色に似た、その淡い緑色だったにちがいない。

高貴にして、やさしい秘色。
そんな家族の思い出とともに、
これからも憧れ、好きな色でありつづける。

萌えろ! いい色、もえぎ色。

もえぎいろ。
萌黄色、あるいは、萌木色とも書く。

黄色の強い緑色なので「萌黄」。
平安時代から用いられたこの名の色は、
時に老いを隠す変装にも使われるほど
ひと目で若さを表現できる色だった。

一方、「萌木」色とは、
若芽の萌え出た木、新緑の色からつけられた名と考えられる。

 

 
そんな若さ感じる「もえぎ色」。

その名を聞くと、子どもの頃、
友だちの誕生会におよばれして行ったことを思い出す。

誕生会は春夏秋冬、それぞれの季節にあったはずなのに、
思い出すのは、新緑の中で、おにごっこやかくれんぼした、
もえぎ色の記憶なのだ。

誕生会で集まる友だちは、クラスの中のひとつのグループであり、
その固い結びつきの中にいられることが
安心感でもあり、息苦しさでもあった。

そこで笑ったこと、喧嘩したこと、経験したことは、
その当時の世界のすべてだった。

成長するにしたがって、世界は少しずつ広がり、
グループにとらわれることが居心地悪くなっていった。
ここがダメでも、別の場所があり、
変わること、離れることで、
ひととき胸に痛みがはしっても、
求めれば、新しい世界が大きく手を広げて
待っていてくれることを知った。

幼くて、たよりなくて、
小さな世界で悩んで、
でも、若くエネルギーに満ちて輝いていたあの頃。
その姿が萌え木と重なって見える。

だから、懐かしく、やさしく、愛しく見えるのかもしれない。

生きてみなければ、わからないことが
まだまだいっぱいあるよ、
と、若く瑞々しいもえぎ色が
葉を揺らせ、くすぐるように笑いながら、
今年もさわさわと語りかけてくれる。