新しい時代の色。

花見、花撮り、花盛りを終えた。
この春の関東は、曇り空のもとで
桜を見上げることが多かったように思う。

曇り空の下の桜は、
灰桜色。
やや灰色がかった明るい桜色だ。
上品で華やかでありながら、
控えめで、穏やかな色。

新しい元号が発表された。
「令和」。
その響きに、どんな色が当てはまるだろう、
と考えて、思い出した言葉があった。

「巧言令色鮮なし仁 (こうげんれいしょくすくなしじん)」。
これは、平成の初めの二十代の時、
父から聞いた言葉だった。
その頃、ある人との接し方に悩んでいた。
その人は、知的で分別もあり、いい人だと思うのだけれど、
なぜか、その人が意見すると色々なことが
うまくいかなくなる。時にこじれる。

なぜだろう? と父に相談した時に、
一言、その答えが返ってきたのだった。
巧言令色鮮なし仁、とは、
「言葉巧みで、人から好かれようと愛想振りまく者には、
 人として大事な徳である仁の心が欠けている」
という意味。

その人の、上品な言葉、やさしく丁寧な態度に、
単純に尊敬し、言われることを全て「正解」「善」と
思い込んでいた私には、少なからず衝撃の答えだった。

と同時に、私もそんな人間になりつつあるのでは
と不安になった。
仁の心を持つ人、とまではいかなくても、
大切に思う人には、素直に良い人でありたい。
どうすれば、そうなれるのか?

父が答えてくれたのは、
子供の頃から教えてくれていたことだった。

買い物をした時、
間違って多めにお釣りをもらっても
「得した」などと思わないこと。
一円、十円でも、もらってしまえ! と思ったら、
それが卑しさになって、心に積もっていく。

桜の落ちた花びらも、
ドカドカと無神経に踏み歩くのではなく、
そっと避けてゆく。
そのようにして、
道を歩き、
もし、人の足を踏んでしまったら、
踏まれた人の気持ちを考える。

行動を、言葉を、軽く扱わないように。
小さな積み重ねをバカにしないように。

そんな父の言葉を思い出した
新元号の発表だった。
落ちた花びらの色、
それが私の令和の色かもしれない。

灰桜色の春らしい淡く沈んだ美しい色調は、
古くから、深窓の令嬢にも愛されたという。
令嬢の【令】は、「他人の家族を尊敬していう語」であり、
「よき」の意味があるという。
【和】には、仲良くするに意味があり、足し算の答えは「和」という。
そして、日本の色、和の色の【和】でもある。
「令和」が、優しい色を背景にして、
平和で、喜びが加えられていく時代になりますように。

よき和の色を探し求めて、
平成から令和へ。
これからも、ていねいに、
見る、撮る、歩く、発信していく。

桃ではなく、桜でもなく。

 

二月の終りに河津桜を観に行った。
この色は、いわゆる桜色とされるソメイヨシノの色でなく、
桃の花を思わせる「桃染(ももぞめ)」色にあたると思う。
桃ではないのだけれど、一番ぴたりとくる色だった。
桃色は古来からお祝いごとに重用されてきた色。
春の嬉しい季節によく似合うのは、そのせいかな。

今年の河津桜は、満開の頃が早くて、
この日は花の盛りの終わってしまった桜並木を歩くことになり、
がっかり…。
でも、並木道を一段下がった高架下の
日当りのよくないところに、
まだ咲いたばかり、生まれたばかりの、
生き生きとした花を発見。
少し暗いところにありながら、
ぐっと枝をのばし、しっかりと咲いていた。
誰に言われなくても、自分の意思で咲く。
咲いてみせる。そんな力強さ。

誰かに教えられなくても、急かされなくても、
自分の使命を、約束を、意思的に果たす。
そう決めて咲く。

ふりかえって、自分のことを思うと、
咲くべきときを知り、
その時に咲くことができるよう努力してきたかな…
と思うとなんとも心もとなく、
少し恥ずかしい想い…。

やさしい桃染め色の河津桜に励まされ、背中を押され、
やっとやっと、このサイトを公開することに決めた。

たくさん撮って、和の色のカードをあれやこれやと見つめて
季節のうつろう美しさ、日本語の味わいや愉しさを

つづっていけたらいいな、と願いもこめて。