青春ではなく、アオハルの旅!

青島に行ったのなら、
青色について書こう。

原色のひとつである青色は、
空や海の色。
古代では、
「あか」は明るいこと、
「くろ」が暗いこと、
「あを」は、薄暗いことを意味したという。

薄暗い? ご冗談でしょう!
と、青島の青は、海も空も、波に濡れる岩も、
目に眩しいほど美しく輝いていた。

青島は、宮崎市の南東部にある
陸とつながる小さな島。
「鬼の洗濯板」と呼ばれる階段状の岩が
島をぐるりと囲む。
自然のままの荒々しさと、
どこかユーモラスな景色。

干潮時であれば
岩の間から、小さな生き物も見られる。
訪れた日は、天気がよくて
光る海とゴツゴツした岩場を背景に、
ポーズをとって写真を撮る人達もいた。

青島は、昭和の一時期、
ハネムーンのメッカであり、
日本のハワイとも言われていたという。

ずらり並ぶヤシの木、波の音、
ビロウ樹の葉のパタパタと乾いた音…。
あぁ、南国ムードとは、このことか、と
広々とした海を眺めた。

サーフィンのシーズンに向けての
準備なのか、ボードを抱えて沖に向かう
数人の人たち。
海に向け、釣りをする人。
眺めていると、みんな、どんどん小さくなって
青の一部になっていった。

「白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」
若山牧水の歌が思い出された。
牧水は、宮崎出身の歌人なので、
この海や空の青を詠んだのだろうか。

今回の旅では、
「鬼の洗濯板」を見る! と、
ここを一番の楽しみにしていた。

事前に調べ過ぎたからか、
見事な岩場を目の当たりにすると、
すでに見たものの確認のようで
あぁ、やっぱりすごいね。
という感想を抱くことになってしまった。

それよりも、今日この瞬間だから見られた!
と、感動したのは、
海の色だった。

これまで訪れたどの地、どの海にも、
独特の色と空気があった。
この色はなんと言うのだろうと
調べるのが楽しみな色もあった。

青島の海は、名前のイメージに
とらわれているからかもしれないが、
ストレートな青。
濁りも暗さもない、
気持ちいい青色だった。

列車が日に数本しかなく、
この日の旅のプランは、青島だけを楽しもうと
島を一周歩き、浜辺を歩けるだけ歩いた。

特別な発見はなかった。
けれど、子供の頃、近くの海に
泳ぎに行った記憶や、
高校生の頃、海風にさらされて、
ずっとおしゃべりしていたこと。
一人で旅するようになって、
訪れたあちこちで、出会った人たちのことが
思い出された。

一つひとつ懐かしく恋しい。
砂浜で見つけた貝殻のようだった。

旅は、特別な時間。
だから、あれもこれもと
予定を詰め込む旅も楽しいけれど、
時には、時間の無駄遣いをするように
飽きるほどその場所を味わうのもいい。

春まだきではあるけれど、
宮崎の昼間は思ったよりも長く、
景色の色はなかなか変わらない。

青島の青を覚えて帰りなさい。
そう言われているようで、
日没を待たずに、たっぷりと島を
堪能して帰りの列車を待った。

歩いている人を見かけなかった駅で、
列車の時刻になると、人が集まり始めた。
高校生たちの宮崎弁が、耳に心地よかった。

青島で、青い海と空を見て、
青春真っ只中の若者と一両列車に揺られていく。
少しだけ、自分も青く染まったような
くすぐったい時間だった。

灯りをつけましょ三月に。

弥生(やよい)、嘉月(かげつ)、花見月(はなみづき)…。
三月は美しい異名を持つ。

紅緋(べにひ)色は、冴えた黄みの赤色。
古代、茜染で作られた緋色(ひいろ)は、
平安時代より重ね染めが行われ、
より鮮やかで赤い、紅緋色となった。
それは、神聖な色として、
巫女さんの袴の色にも使われる。

現在の「緋色」と言えば、この色をさすと言う。

今年は、三月になっても
ひな祭りの曲も聴かれず、
うっかりと忘れていた。

二月の末に宮崎の飫肥(おび)という街に
出かけて、あちこちに雛人形が
飾られているのを見かけた。
そこでやっと、
あぁ、桃の節句が近いんだ…と、
思い出したのだった。

人形を飾る雛壇に敷かれるのは
緋毛氈(ひもうせん)。
緋色は生命力を意味し、
魔除けの効果を期待できることから
この色が敷かれると言う。

私の雛人形は、男雛と女雛、
別々にもらったものだった。
金屏風、雪洞、緋毛氈も、別々にやってきたもの。
けれど、こじんまりとして、とても好きだった。

毎年、床の間に飾られていたが、
ある時、その部屋に応接セットが
置かれることになり、
雛人形は椅子に隠れて
見えなくなってしまった。

学校から帰ってきて、床の間の前に
寝ろこんで、いつまでも眺めていた。
隠れたつもりはないけれど、
宿題やお手伝いをサボっている、
と叱られた。

五段飾りの雛人形には
特別な憧れがあった。
友達や近所の家に
五段飾りの雛人形があると知ると、
見せてもらいに行っては
人形の着物、小さなお道具を、
一つ一つ飽きることなく眺めていた。

飫肥では、あちこちの家々に
様々な時代の雛人形が
工夫を凝らして飾られていた。
雛飾りや、明治の頃のままごと道具も
紅緋色に映えて、
一日中見ていられるような
細やかな美しさに心打たれた。

暮らしに役立つものでもなく、
おもちゃにして遊べるものでもない
雛人形。

子を想い、大切に保存されてきたから、
今、こうして見ず知らずの私も見せてもらえる。
雛人形は、親の願い、愛情、祈りの形だなぁ
と、しみじみ思った。

人形飾りを見て、庭園をまわり、
ふと見上げると、高く大きく枝を広げた木が見えた。
「あれは何の木ですか?」と、
園内を歩いていた受付の女性に訊くと、
「あれはねぇ、桐の木。
 ほら、タンスにする木の。
 大きいでしょう。
 昔は娘が生まれると、この木を庭に植えて
 タンスにして嫁入り道具にしたんですよね」

改めて見上げると、確かに枝の先が、
花札などで目にする桐の花の形をしている。

しばらくぼんやり眺めていた。
「親の願いですよねぇ」と、その人は言った。
「ほんとに」それ以上の言葉がなく
また、二人で黙って見上げていた。

今日、どこかで植えられた苗が
こんなに大きな木になる時、
今の悩みや煩いが、小さなものと
なっていますよう…そう静かに祈った。

風にしなる枝は、流れる時の
重さ、優しさ、強さに吹かれながら、
大地に広がる根の強さを信じている。

未来を信じよう。
さぁ、美しい三月が始まる。

きら、星の色

「何億光年輝く星にも寿命があると…」。
山口百恵のラストソング「さよならの向こう側」の
歌詞に、抱えきれない時間と星との距離に驚いた十代の頃。

それまでは、星がそんなに遠いとは想像もせず、
「寿命」を「授業」と聞き違えていたほどに
無知だった。

星の色は、寿命の長さによって異なる。
若い星ほど青白く、老いた星ほど
赤みがかっているという。

鶏冠石(けいかんせき)色は、明るい橙色。
「鶏冠石(けいかんせき)」という
鶏のトサカのような赤い鉱物を
粉末にした顔料の色である。

先日、上野の東京文化会館のステージ裏を
ガイド付きで見学できるツアーに参加した。

夜の部をあえて予約したのは、
この建物の照明がガラスに反射して、
上野公園へと広がっていくように見える様子、
「天の川」と呼ばれる、
鶏冠石色の星が輝く景色が見たかったから。

ステージ裏の壁には、
まさに綺羅、星のごとく有名な出演者のサインが
所狭しと書かれていた。


カーテンコール体験もさせてもらった。
幕の間からステージに出て、
眩しいほどの照明を全身で感じる。
スポットライトも、星、だった。

ステージ、照明、サイン、といった
晴れがましい場所に立ったことはない。
いつも遠くから眺めている側だった。

遠く眺める、といえば
故郷を離れて、最初の帰省した夜、
見上げた空の星が、あまりに近くて
驚いたことがある。

都会よりも空が低く、
星々は鮮やかに群をなし、美しく明滅していた。
わーっ! と、小さく叫んで
静かな花火を見るように星空を見上げていた。

鶏冠石は、かつては日本の花火の原材料に
使われていたのだという。
湿気に弱く、置きっ放しにしておくと、
変色してボロボロと崩れてしまうらしい。

文化会館で見つけた、たくさんの星は
鶏冠石色。
たくさんの星は、たくさんの人たちの夢に見えた。

私の夢は、置きっ放しにしていないだろうか。
ボロボロと崩れてしまってはいないだろうか。
星を見失わないように、努めているだろうか。

「さよならの向う側」へと消えた山口百恵も、
たくさんの感謝とともに「私、きっと忘れません」と
歌っていた。

空にも、水たまりにも、星は見つけられる。
今ここにいること、与えられたことに感謝しながら、
目指す方向を見据えよう。

心の中の星も、年を重ねるけれど、
輝きは見たもの、感じたものの分、強くなるはず。
まだまだ学ぶべきことは多い。
私にはやはり、
何億光年の「授業」が必要なのかもしれない。

雨を染める春の色。

冷たい雨に打たれて、
早春の花がふるえている。

花の色は、
淡紅色(たんこうしょく)。

紅色に白を混ぜた、優しい色。
淡さが増すと、
はかなさが現れる。
空に溶けそうに、
透けてゆく花びらの色。

まだまだ寒いけれど、
三月の雨は「春雨(はるさめ)」。
その、やわらかな響きは、
細く澄んだ雨が、
煙るように降りながら、
街を、人を、優しく
包み込んでくれるような気がする。

景色の中には、ぽつぼつと
淡紅色の花々があり、
どこか暖かみさえ感じられる。

小学校一、二年生の頃だったか、
学期末のこの頃、夕方に強く雨が降り、
まだ学校にいる兄に傘を持って行くように言われた。

学校へのまっすぐの道を歩いていると、
ずぶ濡れになった中学生のお姉さんが前を歩いていた。
知らない人でもあり、
素気なく断られたらどうしよう。
でも、雨はどんどん強くなり、
寒そうに濡れながら歩いている
お姉さんは風邪ひかないだろうか。
…迷った末に
黙って、傘をさしかけた。

お姉さんは、驚きながらも笑顔で
「ありがとう」と言ってくれた。
そして、私の幼馴染のKちゃんの同級生であり、
仲のいい友達なのだと、話してくれた。

何も言えずに黙っている私に
お姉さんは、あれこれと明るく楽しく話を続けた。

けれど、嬉しいのと、恥ずかしいので、
顔を見られず、お姉さんの問いかけに
時々、うん、うんと頷くだけで、
うつむいて小さく笑うのが精一杯だった。

傘の下では、これまで嗅いだことのない
雨を含んだ制服の匂いがした。
大人でもない、けれど、自分たちのような
子供でもない、お姉さん。
遠くの美しい景色を眺めるような憧れを感じた。

学校近くの角まで来ると、
「ここから走って帰るわ、ありがとう」
と、お姉さんは、バイバイ! と手を振って
颯爽と駆け抜けて、雨の向こうに消えて行った。
「さいならぁ」と
言った記憶もない。

雨と汗と、ほんのり甘さと、
かぐわしいお姉さんの香りが
傘の半分に残っていた。

学校に着くと、まだ咲いていない桜の木が
雨の中で満開のごとく淡紅色に膨らんでいる気がした。

色も匂いも淡く、つかめない。
どこからかやってきて、
気づけば季節が春に変わっている。
その、かすかな空気の変化を
初めて感じた時かもしれない。

「はかない」という言葉も知らなかったけれど、
春の雨は、淡く優しい色に染まる記憶を
思いがけず与えてくれた。

それは、幾つになっても、
憧れとして胸に残っていて、
春雨の中を歩く時、ほんのりと心弾ませてくれる。

春がやって来る。

花笑う、春の色。

季節の変化を、目に肌に、
感じられる頃になった。
「あたたかくなりましたね」
「そろそろ咲きますね」
という会話も嬉しい。

枝垂れ梅

七十二候(しちじゅうにこう)という
季節の表す言葉がある。

「立春」や「春分」などといった
季節を分けて表すのが二十四節気。
それをさらに約五日ずつわけた期間を
表す言葉だ。

梅

三月十日から十四日ごろは
七十二候で
「桃始めて笑く(ももはじめてさく)」
と表す。
花が咲くことを、昔の人は「笑う」と
言ったのだという。
桃の花が咲き出して、
その花を眺める人たちが
昔も今も笑っているのを
想像できて楽しい。

梅の蕾

似桃色(にせももいろ)は、
鮮やかで明るい桃色。
高価な紅花に代わり、
代用の植物で染めた
桃色に似せた色。

この時期は、
梅、桃、桜…と
似た色の花々が次々と
まさに笑うように咲き、
心を春色に染めてくれる。

梅

小学生のとき、
なかよしのグループで
花見に行った。
約束していた日は
例年よりも肌寒く、桜もつぼみ。
それでも、朝からお弁当をもって集まり、
お花見ならぬ、つぼみ見を楽しんでいた。

公園内には、同じように、
予想外に開花しなかった桜を見て、
楽しむ大人たちがいた。

花見提灯

お弁当を食べ終わり、
かくれんぼをしている時に、
遠方から来られたらしい見知らぬご婦人に
声かけられた。

「お花は咲いてないけど、
遠くから見ると、つぼみの色が
にじむように見えて
空気がぼんやりと桜色でしょう? 」
と。

やさしい口調に驚いて、
ぼんやりと桜を見上げると
たしかに、ふんわりと桜に似た桃色の世界が
広がっているような気がした。

梅

遠くから見ること。
空気の色を感じること。

知らない世界が、
それまで当たり前に見ている世界のなかにあった。

ふだん目にするものも
遠くからぼんやり眺めてみれば
またちがう何かが見えてくるのかもしれない。

梅

そんな記憶とともに思い出したのは、
当時、お気に入りだった白いブラウスの
えりに施された花の刺繍だ。
梅でも桃でも桜でもなかったけれど、
春らしい、淡くてかわいい小さな花だった。

梅

何を思い出しても、
記憶の中の焦点を
近くにしても、
遠くにしても、
春は愛らしく美しい。
そして、心の芯を
寒さを越えたやさしさで、
ゆっくりと、あたためてくれる。

はじまりは、白。

白。

和の色(日本の伝統色)の中には、胡分(こふん)、鉛白(えんぱく)、
卯の花色…と、白にもさまざまな色と名前がある。
しかし、いわゆる「真っ白」な色に与えられている名前は、
シンプルに「白」なのだ。
それは迷いも、にごりもない、まっさらの色。

この花の色は、その名にふさわしい、きっぱりとした無垢な「白」。
はじまりは、ここから。