今年も桜が満開に咲き誇り、
見上げる空に、
美しい花模様を見せてくれた。
み空色(みそらいろ)は、
明るく澄んだ薄い青紫色。
桜を、花を、一番美しく見せてくれる
背景の色だと思う。
み空は、漢字で「御空」と書く。
この「み」「御」は、尊いものなどを
美しく呼ぶためにつけるもの。
ほかにも「み雪」「み山」などと言う。
春の美しさの象徴ともいえる桜。
ここは是非、「み桜」と呼びたいけれど、
残念ながら、まだその呼び名はないようだ。
また、「水温む」は春の季語。
四季折々の景色を映し出す水の色は美しいのだから、
きっとあるのではないかと探してみたけれど、
「み」をつけると「み水」。
「みみずいろ」だと、違う色になってしまう気がする。
そんな「み空色」。
きっと昔の人も「み」をつけることで、
空に限りない憧れと敬意をもって
こう呼んでいたのだと思う。
また、ひらがなの「み」がつくだけで
愛らしい少女のような、無垢で澄明な
春の清々しい空の色を思うことができる。
梅や桃、桜の背景にある空の色は
のどかで、あたたかく、優美なことこの上ない。
その景色を、ずっと楽しみたくて、
たくさんの人たちが写真を撮るのだろう。
私も、ふわふわと風に散らされてゆく
桜のはなびらほどたくさん撮りながら、
それでも名残惜しくて、
去年は、雨の日にビニール傘にのったはなびらを
そのまま閉じて、真空パックにしてしまった。
六月の雨の日に、傘を拡げると
真空パックにしたはなびらがあった。
四月のままの桜色が残っていて、
嬉しかった。
けれど、それは、ひとときの喜び。
はなびらは、「そんな約束ではなかったね」と、
魔法がとけたように、
どんどん枯れた色に変色していった。
桜のはなびらは、散るべきときに、
その色のまま散っていくのが美しいのに、
悲しく枯れた色になり、
その濁りを傘にのこしてゆくはなびらは、
桜との約束をやぶった罰のように思われた。
毎年、春のあたたかさがやって来ると、
何に教えられなくても、素直に、見事に
花開く桜。
今年は雨にふられなくても、時期がくると
さっと散っていった。
どれだけ写真を撮っても、
とどめたいと願っても、
時間は流れて、花は終わりの時がくる。
全て、決められていること。
自然の約束。
観る者は、桜の姿を、色を、
その木の下で笑っている人たちを、
すべて季節の中のひとつの景色として
目に焼き付けて
今年の春を見送るのだ。
それが私たちの約束。
はじまったら、終わる。
そのことを胸にとめて、
これから次々と咲く花たちを、
刻一刻と姿を変えてゆく春を、
心から愉しもう。
春の「み空」は、
名残惜しく景色を眺める私を
きっと微笑んで見ていてくれるだろう。