移りゆくけど、褪せない色。

三十数年ぶりに、大阪の学生時代、
お世話になった方達と集まった。
週末の渋谷は、個性豊かな人いきれ。
紫陽花のように、群れながら、あちこち違う色が咲いていた。

移し色は、明るい青紫色。
露草の絞った色を布に移すので「移し色」と言い、
また、変色、褪色が激しいことから
「心移り」を連想してつけられたとも言う。

露草ほどの速さではなくても、
街も変わり、人も変わる。
それでも、行きたい街、会いたい人がいる。

その日集まったのは、短大時代のクラブの
関東在住OB、OGメンバー。
私が所属していた語学系のクラブは、
同じキャンパスの四年制大学と短大の学生が
一緒に活動することができた。
おかけで、短大生でありながら、
多くの先輩や仲間と知り合え、
とても充実した楽しい2年間を過ごせたのだった。

貧しい知識、乏しい語学力でありながら、
ただ楽しみたいという無鉄砲な情熱で続けた2年間。
時に叱られ、教えられ、厳しくも明るく楽しく
導いてくれた先輩方に会えるのが、
少し緊張しつつも楽しみだった。

数々の失敗が思い出され、一人苦笑いしていたら、
道に迷い、先輩に探し来てもらうという早速の失態。
相変わらず世話の焼ける後輩のまま、
遅刻して店に着いた。

「五分前集合よ」
と、優しくたしなめられたのも懐かしい。
席に着いた途端、三十数年前と、現在の話題が
入り混じって楽しい会話が始まるのも
SNS時代のおかげだろう。

遅れて来た先輩が、背中をトンと叩いて、
懐かしいあだ名で呼んでくれたのも
昔のままで、嬉しかった。

二次会は、昭和レトロな店に移り、
学生時代過ごした街の話になった。
今は、再開発で街の景色も変わり、
キャンパスも移転して、私たちがいた頃の校舎もない。

それでも、あの店のあのメニュー。
あの店の主人、バイトしてた人。
あの道をまっすぐ行ったところにあった下宿。
などと、一つ一つたどるように話していくと、
街が、キャンパスが、くっきりと蘇った。

もう今は、ないのだけれど、
そこに確かにいた私たちが思い描けた。

ふと気づくと、22時。
下宿の門限の時刻だった。
門限を過ぎると、怖い下宿のおばちゃんが鍵をかけてしまう。
なので、ぐるりと囲まれた高いフェンスを、
見つからないよう、そ〜っと乗り越えて、
擦り傷を作りながら帰宅したものだった。

あの頃は、各下宿へと男子部員が送ってくれたな。
そんなことを思い出しながら、駅に向かう。
それぞれが違う色の電車に乗るべく、
一人、また一人、と、別れていった。

渋谷の交差点で、もう一度振り返って、
去って行った先輩に手を振った。
目の前に広がるのは、
鮮やかなネオン、信号、車のライト、
人々の着飾ったファッションの色など、
眩しいほどの豊かな色のバリエーション。

学生時代に、こんなふうに大人になって
再会して、大都会の交差点で大きく手を振って
別れることなど想像もしなかった。

移り変わった色は、美しく、嬉しく、楽しく、
そして、ちょっと寂しくて
愛しいものだった。

思い出は色褪せていくけれど、
胸に残って、新しい思い出が別の色を
添えていく。
散り散りに散って行った人も、思い出も、
また会えるという喜びに輝きながら。

時がおしえてくれる色。

「二月の雪、三月の風、四月の雨が、美しい五月をつくる」。
新緑の頃、思い出す天気のことわざの一つだ。

英語にも似たことわざがある。
「March winds and April showers bring forth May flowers」
(三月の風と四月の驟雨が五月の花をもたらす)。

虫襖(むしあお)色は、
玉虫の羽のような暗い青みの緑色。
光の角度で玉虫のごとく、色が微妙に違って見える。

短大二年の夏に、アメリカ出身の先生の
京都にある海辺の家へ三泊四日の合宿に行った。
先生夫婦と生徒四人、古民家で英語だけの暮らし。
集まったのは、県選抜の交換留学経験のあるクールなA子、
真面目でもの静かなB子、ホームステイ帰りの陽気なC子。
観光地ではない、静かな田舎町にたどり着いたところから
英語生活はスタート。
街の人たちも、日本人なのに英語を話す私たちを
優しく迎え入れてくれた。

合宿が始まって数時間。
気軽に参加したことを後悔した。
皆、本当によく英語を話す。
とりわけA子は、流暢すぎて何を言ってるのかわからないほどだった。
それでも、和やかな雰囲気の中で、
私一人が時にジェスチャーで、四人協力し、家事や遊びを楽しんだ。

三日目、海で遊んでいると夕立が訪れた。
干していた布団が濡れると慌てて帰ると、
近所のおじさんが取り込んでいてくれた。
そのお礼に行った時、つい「ありがとうございました」と
日本語で言ってしまい、A子にひどく叱られた。
そんなに怒らなくても、とふくれたところ、
A子のこれまでの怒りが爆発。
真剣に学びに来ているのに、いつもあなたのふざけた態度が
それを邪魔する…というようなことを、一気にまくしたてた。
B子もC子も黙っていたから、同じ気持ちだったのだろう。

その日の夜、先生が突然、
「特別な場所に連れて行く」と、先頭立って歩き出した。
街灯もほとんどない街の、静かで暗い夜だった。
背の高い葦が鬱蒼と生えているところに着くと、
先生が「しーっ」と指を立てて、そーっと歩くのだ、
とジェスチャーし始めた。それは私をマネた仕草。
みんな、私の方を見てクスクス笑ってくれた。

葦の中に入ると、暗くて足元が不安定で
怖くなった。
方向も、皆の姿も見失い、
恐怖で動けなくなっていると、
ふわりふわりと
螢が舞うのが見え始めた。

幻想的な光景に感動しながら、
じっとしていると、
三人が探しに来て、手をつないでくれた。
みんなで黙って、ゆっくり前進した。
仲直りしたことをくすぐるような蛍の光に、
照れくさく、嬉しく、安心の涙も少しこぼれ、
暗くてよかったと思った。

そんな光景を思い出しのは、
富山の川沿いを歩いたからだ。
小説「螢川」の舞台となった川、街。
寒い冬のシーンから始まり、
螢舞う季節に移る中で
人や景色が変わってゆく。

同じように見えて、変化してゆく川の表情を
眺めていたいと思った。

そして小説のラストを思い出していた。
美しく妖しい螢の光。
襲いかかるような未来への不安。
最後の一行を読んだ後も、ページをめくり、
次のシーンを探し求めた。

あの時の三人も、今はどんなシーンの中に
いるのだろう。
風を受け、雨に打たれ、その経験を力にして、
美しい五月のような「今」を迎えているだろうか。

いいことも悪いことも、玉虫の羽のように
見方によって、色合いが変わる。

あの時、先生は、暗闇の中、
小さな光を一緒に見つけることで
互いの存在がどれほどありがたく嬉しいものなのかを
教えてくれたのだ。
それは、明るい昼間ではわからなかったことなのかもしれない。

人は言葉でつながり、言葉で別れることもある。
言葉はなくても、つながる瞬間もある。

その時には気づけなかったことを、
あの日から遠い時間、遠い街で、教わった。

川面のきらめきは螢のように、
そして五月の木々は虫襖色に輝いていた。

雨晴、幻の色。

ずっと行きたいと思っていた、
富山に行って来た。

新幹線の車窓から見えた、
白群色(びゃくぐんいろ)の空に浮かぶ雪化粧の立山連峰。
あぁ、ついに見られる!
座席に座っていられないほど、
胸が高鳴った。

白群色は、柔らかい白味を帯びた青色。
岩絵の具の青色の顔料、
アズライトという石を砕き、
その粒子をさらに粉末にしてできた
白っぽい淡青色だ。

富山に入り、真っ先に目指したのは、
雨晴海岸。
遠く立山連峰を背景にした海岸の眺めだった。

その海岸のことは、
シルクロードを旅した人の文と
添えられていた写真で知った。
そこから見える立山連峰が、
旅の途中に見た天山山脈のようで、
どちらも幻に見える…と紹介されていたのだ。

シルクロードは、遠い日の憧れだった。
父が晩酌しながら本を読み、
興に入ると、シルクロードがいかに壮大で、
多くのことを教えてくれ、知的好奇心くすぐられる道で
あるかを地図を示しながら語ってくれた。

いつか二人で行こう、となり、
それならばと、
父が選んだ本を音読するよう命じられた。
読み間違うと、鯨尺で尻を打たれる。
痛くはなかったけれど、
本の内容はわからず、つまらなく、ただの苦痛になり、
宿題を理由にして自分の部屋にこもるようになってしまった。

再び、父一人、本を読む姿に少し胸が痛んだけれど、
思春期の私には、他に楽しいことが増えて、
だんだん気にしなくなっていった。

二十四歳で父が急逝した時に、
母から、生前、父は、シルクロードには行けなかったけれど、
どこかアジアの国を旅して、いろいろ私に教えてやりたいと
話していたことを聞いた。

あんなに本を読んで、聞けば語ることが
山のようにあった父と、シルクロードの旅に行けば
どれほどの感動を共に味わえただろう。
もう叶えることのできない旅への思いが
胸の奥に痛みになって残った。

その後、シルクロードの旅のエッセイなどを読み、
やはり想像以上に過酷な旅であることを知った。
もう、私の人生では、その旅に行くことはできないだろう。

そう思っていた時に出会った
「雨晴海岸から眺める立山連峰の景色」だった。

見られる確率も低いということも知っていた。
見られれば幸運だ、そう思おうと思っていた。

それが、列車からゆっくりと見えて来た。
駅から、焦れるような想いで海岸に出ると
連峰は、白い雲が大きく棚引くように空に広がっていて、
まさに幻のような山々の表情を見せてくれた。

その絶景を、どの距離からも撮りたい!
と、何枚も何枚もシャッターを切り、
ドキドキしながら、笑いながら、
「これだ! これやで!」
と、父に語りかけていた。

行けない所もあるけれど、
行ける所もある。
見られない景色も多いけれど、
こんな絶景に会えることもある。

それが生きていることなのだな、と
父に教えられた気がして、嬉しかった。

抜けるような空の色は、光が反射する美しい青。
白群色は、その時の景色にふさわしい名のような気がした。
雪化粧の白い山々が群れをなして
淡い空の色をより鮮明に、爽やかに映し出していた。

落としたものは、何色ですか?

生色(しょうしき)。
この名から想像できないけれど、
金色の別称だ。

仏教では、金は、錆びずに“生まれたまま”の輝きを
保つことから、生色という名がつけられた。

高校生のとき、友人からもらった財布が、
この色だった。
四角い掌サイズの小銭入れ。

とても気に入っていた。
ところが、夏休みのある日、
電話ボックスに置き忘れてしまった。

気づくのが遅く、
あわてて引き返したけれど、
すでに財布はなかった。

携帯電話などない時代のことだ。
財布がなければ、帰りのバス代もなく、
助けを頼む電話もできない。
さて、困った!
と、泣きそうな思いで、
電話ボックス内に落ちてはいないかと
探したところ…
分厚い電話帳の間に、ぺらんと
はさまれたメモ書きを見つけた。

「ここに財布を置き忘れた方へ。
 警察に届けたので、取りに行ってください」
と。

驚きと、嬉しさで、メモを持つ手が震えたのを覚えている。

警察に行き、落とした時間と物と残金が
一致したことから、落とし主と認められ、
暗い部屋に通された。

しばらくすると、穴をあけ、太いひもに通されたいくつもの
落とし物の財布を見せられた。
色とりどりの財布の中から、金の財布を
指さすときに、ふと、「金の斧、銀の斧」の
物語が頭によぎった。
私の斧(財布)は、本当に金色だったのだけれど。

個人情報にうるさい現代でもそうなのだろうか?
その時は、拾って届けてくれた人の名前と住所を
メモ書きして渡された。

新学期になって、御礼に行くことにした。
一人では少し不安で、友人について来てもらった。

その日も暑くて、探し当てた家の玄関は開け放たれていた。
突然の訪問に、驚きながら現れたその人は、
思っていたよりも若いお母さん。
控えめな明るさで、あたたかく応対してくださり、
奥から、小さな坊やも出て来てくれた。

お小遣いで買ったささやかな菓子も、
固く遠慮されたものの、
無邪気な坊やに渡して、本当にあの日、
助かった、嬉しかった、ありがたかった…
そんな感謝の想いを、拙い言葉で述べ、
早々に帰った。

とても良い、嬉しい思いが胸に満ちていた。

けれど、そばで見ていた友人がぽつりと、
「あの人、いい人すぎて損をして生きてるように見える…」と
率直な思いを話してくれた。

確かに、ずるい気持ちで得するくらなら、
敢えて清貧を選ぶ、そんな強さと清潔さを感じられる人だった。
ほんの数分の会話にも、そう思える美しさに
心惹かれた自分に気づいた。

いつも清々しい想いで、ものを見ること、
人に会うこと、ことにあたること。
そうすることが、どんなに飾り立てた美しさよりも
魅力的な輝きになると、あの日に教わった気がする。

この生色(しょうしき)は、
「しょうじき」と読まれることもある。

錆びないで、生まれたままの輝きを
保つ色の名、「しょうじき」。
この読み方に、多くを語らない教えのようなものを
感じる。

心の錆は、ずるさを許す自分の中からひろがっていく。
私の中の「しょうじき」は、
まだまだ弱く、得られるならば、銀の斧を捨て、
金の斧をわが物にしようと求めてしまう。

身の丈を知り、おてんとさまに恥じないように。
それを教えてくれたあの日の落とし物は、
私にとってかけがえのない拾い物だったのかもしれない。

限りなく美しい未来を描く色。

夏の日射しに負けないほどの
眩しい色、天藍色(てんらんいろ)。
美しく、力強い濃い青。

そんな天藍色に染まる名古屋の街へ
行ってきた。
大好きなバンド、バックナンバーの
ナゴヤドーム公演のチケットに当たったのだ。

実は、コンサートのために遠征するのは
人生初。
そもそも面倒くさがりの自分が、
まさかこんなふうに、あれこれと
段取りをして出かけることになるとは、
思ってもみなかった。
自分で、自分に驚く夏、だった。

若いころは、経済的に余裕がなかったり、
仕事が忙しくて休めなかったり、
はたまた、極度の心配性で
「当日、行けなくなったらもったいない」と
行きたいくせに、
消極的な発想でやめておく、
という面倒くさい性格でもあった。

自分の人生に、「ライブを楽しむ」と
いうことはない、とあきらめていた。

しかし、一度行ってみたら、
心配するほどのこともなく、
それ以上に、ライブでしか
感じられない興奮と感動を
味わってしまったのだ。

これは本当に、「味わってしまった」と
いうしかない、後には引けない悦びと楽しみに
なってしまった。

何かを好きでいるエネルギーは、
物理的にも、精神的にも、
それまで自分の知らなかったところへ
連れていってくれる。

どんなに不安でも、
「好き」という気持ちが、
何があっても、きっと楽しいよ!
と、ポーンと背中を押してくれる。

そうして、やってみたら、
案外カンタンにできたり、
カンタンにいかなくても、
その過程で、自分自身の知らなかった一面に
気づくこともできて楽しい。

一度あきらめた分だけ
悦びも深く、大きいような気もする。

これはコンサートに行くことだけでなく、
人生のなかのさまざまなことにも
共通しているように思う。

それでも、どうにもかなわないこともある。

ライブの帰り道、若い女子グループが
「バックナンバー聴くと、高校の時を
思い出すんだよね。文化祭の準備とかの
とき、ずっとどっかで聴こえてたし」
と、後ろでしみじみと語っていた。

もし、十年後、二十年後、
彼らが活動を続けていたとして、
そのライブの帰り、
彼女たちは、遠ざかる高校時代を
彼らの曲とともに、また懐かしく語り合えるのだろう。

それは、私には、もうできないことである。
たとえ十年後に、行けたとしても、
彼女たちのように曲の背後に青春のシーンはない。

それでも、やはり、人生初の遠征でやって来た
名古屋の街で感じた興奮を、懐かしく思い出すのだろう。

それは、胸の内で語るのかもしれないし、
また、このブログで語るのかもしれない。

いずれにしても、人生は何が起こるかわからない。
いくつになっても、無限の夢と可能性は
捨てようとしない限り、ある。
あると、信じる。

天藍色の「天」は限りなく美しいことを表しているという。

名古屋の街で見た天藍色のあれこれを
まぶたに焼きつけて、また無限の美しい時を
夢見ていこう。

夏、懐、なついろ、ふるさとの色。

今回は、わたしオリジナルのいろ、
なついろ。
夏の、懐かしさの、さまざまな色を
「なついろ」とする。

わが故郷には、日本三景のひとつ、
天橋立がある。
海を分けるようにうねって伸びる砂州の形、
海の青と緑の松のコントラストも鮮やかな景観。
生まれたときから、
日常の景色の中に、その美しい眺めはあった。

高校二年の夏には、
「またのぞき」で
天に架ける橋(天橋立)を
眺める展望台でバイトしていた。
ケーブルカーとリフトの、
のりばの改札係だった。

ケーブルカーの改札では、乗客の安全乗車、
ドアロックを確認して、笛をふき、発車を見送る。
それは、なかなか気持ちよく、楽しい仕事だった。

毎日、眺める天橋立の景色も、
海の色も、時間ごと、日ごとに、
少しずつ異なり、空き時間に
どれだけ眺めていても
飽きることがなかった。

進学、就職、結婚、転勤…と、
どんどん故郷からは距離が離れ、
実家もなく、帰れない街になっても、
その景色は、ずっと心にある。

四年前に久しぶりに一人で
ゆっくりと帰り、街を見て回った。
街はすっかり変わっていて、
驚きの連続だった。
道は広くなり、あったものがなくなり、
なかったものがあり、
どこか知らない街のようだった。

それでも、日本三景の美しい眺めは
変わらずそのままで、
どこから見ても懐かしい景色だった。
それが、とても、とても、嬉しかった。

その街が、大雨にふられ、
過去にない災害に見舞われた。
ネットで見た、大雨による被害、
友だちから知らされる豪雨の恐怖。
まったく想像もしていなかったことが
街を襲ったのだった。

たくさんの穏やかで優しい、
故郷の色が、抗えない自然の大きな力に
さらされていた。

心配で、悲しい気持ちになったけれど、
日々、たくさんの方々が
元の美しい形に戻そうと
奮闘されている。

「風土がひとをつくる」という。
大変ななかでも、明るさを失わず、
励まし合い、力をあわせて
粘り強く闘う姿に、
胆力とは何かをおそわる思いだ。

四年前の七月に訪れた故郷の街も、
ひどく雨が降っていた。
久しぶりに展望台に上がったのに、
雨で景色が見えない…
残念がっていたら、
どんどん雲が流れて、晴れ間が現れた。

そして、雨に濡れて輝く
まさに「天に架かる橋」の景色を
夏空のもと、懐かしい「なついろ」に染めて
見せてくれたのだ。

その瑞々しく美しい姿は、
どんなに荒れた天気の日にも
厚い雲のむこうには、眩しいほどの太陽が
待っている…そのことを改めて教えてくれた。
あれこそが、私たちの強さと
明るさを育んでくれたものなのだ。

災害に遭われた街が、
一日も早く、元の姿に戻りますように。
この夏もたくさんの観光客でにぎわう
故郷の光景も心から願う。

砕けて、ふって、染まる色。

紫がかった深い青色、
群青(ぐんじょう)色。

古くから日本画に用いられた色で、
高価な鉱物を砕いて作られていたため、
宝石に匹敵するほどの貴重な色とされていた。

子どもの頃、16色のクレパスのなかで
「ぐんじょういろ」は、
直感的にわかりにくく、語感が重く、
気軽に使えない気がしていた。

深くて美しい
好きな青色なのに。

改めて調べてみると、
「群青」とは、
「青が群れ集まる」
という意味からこの名になったという。

“群れる、集まる”
というと、こんなにも重厚感が増すものか
とも思う。

「旅は、誰かと行くよりも、
一人で行くほうが
出会う人の数が多くなる」
とは、友人の言葉。

たしかに一人だと、
まわりに目をむけ、心を向けて、
さまざまな発見や、
出会いがあって、
手を差し伸べたり、差し伸べられたりする。
道に迷ったり、困りごとがあれば、
知らない人に声をかけたりして、
思わぬ親切に感動することもある。

一生のうちで、
私は何人の人と出会うだろう。
よい出会いは、
時間の色を深く美しい色に染めてくれる。
だから、心がけたいのは、
さりげない言葉の色。
誰かと話すとき、その言葉は、
やさしい色になっているだろうか。

言葉の数は、歳とともに増えてゆくけれど、
増えれば、増えれるほど、
重ねれば、重ねるほど、
伝わらない苛立ちを感じることも多い。

そう思うと、親しい友人との
楽しい時間と同じくらい、
一人の時間も大切にしなくては、と思う。

一人の時を大切にし、
いい色でいなければ、
集い、群れた時の色も、
美しくならない。

考えること。
人のことを想うこと。
それをきちんと言葉にすること。

そのために、たくさんの想いを味わい、
言葉の痛みやぬくもりについて
向き合う時間が必要なのだ。

傘のなかは、たいてい一人。
もの思うのに、ちょうどいい。

なかなか晴れない梅雨空の雨雲は
大きな鉱石のよう。

その雨雲が砕けて散った
雨粒がつくる景色は、
群青色のパレット。
雨に濡れた舗道には
群青色の街が
さまざまな色をにじませている。

一人だから
見つけられる色もある。

心の中の、ほの暗く重い鉱物を
どうすれば、砕けて美しい
群青色にすることができるのか…。

そんな思いをめぐらせながら、
やがて晴れる青空を思い、
「なんとかなる」と信じるのも、
雨の日の愉しみ方かもしれない。

せんせいのブランコ。

浅青(せんせい)色。
ほんのりくすみのある、明るい青。

あたたかく、
心地良い風のふく五月。

深呼吸して仰ぐ空が、
明るく、まろやかな青さの
浅青(せんせい)色だと、
あぁ、いい季節だ、
と、嬉しくなる。

子どもの頃は、
外遊びが嫌いで
春が来ても嬉しくなかった。

小学校一年の通知表には、
通信欄に
「太陽がこわいようです。
 休み時間は、教室にいないで、
 お友達と外で遊びましょう。」
と書かれていた。

人と話すのが苦手で、図工の時間に
「小豆ひと粒の大きさの絵の具を出しましょう」
と言われたのに、思いがけずたくさん出てしまい、
どうしていいかわからず泣いた。
まわりは驚き、なんで泣くのか理由を訊かれても、
ただ泣くばかり。
隣のクラスから、
幼なじみの友だちが呼ばれ、
なだめられても、泣き続けた。

今思うと、めんどくさい子どもだ。
でも、そのときは、
どうしていいのかわからなかったのだ。

そんなある日、
グランドで、自由に過ごす授業があった。
担任の先生は、歌が好きな女性で、
ブランコに乗って、
“空よ~、水色の空よ~”
と、トワ・エ・モアの「空よ」を
とても気持ちよさそうに歌っていた。

春の心地よい風にのって歌う先生の姿に、
とても素敵な「自由」を感じた。
先生の視線のむこうには、
淡くて明るい青色の広い空。

やさしい風、美しいメロディー、
そして、何かをすくいあげるように揺れるブランコ。

今いるところを、
きゅうくつに感じていた自分が、
ひょいとすくいあげられ、
どこか広いところに放たれるような
のびやかで、おおらかな想いになった。

今もその時の光景を、はっきりと覚えているのは、
あのとき、何かに気づいたのだと思う。

それが何だったかは、
はっきりと言葉にできないけれど。

こんなに空は広くて、
ブランコに乗って、歌うだけでも、
楽しくて朗らかな気持ちになれるんだなぁ、
という小さくても確かな事実に
気づけた喜びなのかもしれない。

その後、ゆっくりと、好きなことは好きなままに、
少しずつ、少しずつ、
自分のやり方で、世界をひろげて行った。

土日は、家でマンガを読んだり、描いたりしながら、
学校帰りには、友だちに自分の作った物語を話した。

今思うと、それもめんどくさい子どもだとは思うが、
マンガ描いて~と、見てくれたり、
物語の続きを楽しみに聴いてくれたりしてくれる
そんな友だちもいてくれることが、わかったのだ。

あの日、ブランコで歌っていた先生は、
消極的な私の中の、静かなエネルギーに
気づいていてくれたのだろうと思う。

高学年になってからも、
いつもどこか心配そうに、
でも、会うとニコニコとやさしく見つめていてくれた。

先生の包み込むようなまなざしが、
私を成長させてくれた。

トワ・エ・モアの「空よ」の歌詞の最後は、
「空よ おしえてほしいの
 あの子はいまどこにいるの」。
先生は、いま、どうしていらっしゃるだろう。

ふるさとから遠く離れた街に住む今は、
空に訊くしかない。
けれど、
浅青色の空をみると、
先生のあの日の歌を思い出す。

あの時と同じ空の色は、
永遠に、同じときに帰してくれ、
会いたい人に会わせてくれる気がするのだ。

ひとときの美しさを魅せる色。

今年も桜が満開に咲き誇り、
見上げる空に、
美しい花模様を見せてくれた。

しだれ桜

み空色(みそらいろ)は、
明るく澄んだ薄い青紫色。
桜を、花を、一番美しく見せてくれる
背景の色だと思う。

映り込み桜

み空は、漢字で「御空」と書く。
この「み」「御」は、尊いものなどを
美しく呼ぶためにつけるもの。
ほかにも「み雪」「み山」などと言う。

春の美しさの象徴ともいえる桜。
ここは是非、「み桜」と呼びたいけれど、
残念ながら、まだその呼び名はないようだ。

陽射し桜

また、「水温む」は春の季語。
四季折々の景色を映し出す水の色は美しいのだから、
きっとあるのではないかと探してみたけれど、
「み」をつけると「み水」。
「みみずいろ」だと、違う色になってしまう気がする。

三浦半島の海

そんな「み空色」。
きっと昔の人も「み」をつけることで、
空に限りない憧れと敬意をもって
こう呼んでいたのだと思う。

空

また、ひらがなの「み」がつくだけで
愛らしい少女のような、無垢で澄明な
春の清々しい空の色を思うことができる。
梅や桃、桜の背景にある空の色は
のどかで、あたたかく、優美なことこの上ない。

愛宕神社

その景色を、ずっと楽しみたくて、
たくさんの人たちが写真を撮るのだろう。
私も、ふわふわと風に散らされてゆく
桜のはなびらほどたくさん撮りながら、
それでも名残惜しくて、
去年は、雨の日にビニール傘にのったはなびらを
そのまま閉じて、真空パックにしてしまった。

はなびら

六月の雨の日に、傘を拡げると
真空パックにしたはなびらがあった。
四月のままの桜色が残っていて、
嬉しかった。

東京タワーと桜

けれど、それは、ひとときの喜び。
はなびらは、「そんな約束ではなかったね」と、
魔法がとけたように、
どんどん枯れた色に変色していった。

桜のはなびらは、散るべきときに、
その色のまま散っていくのが美しいのに、
悲しく枯れた色になり、
その濁りを傘にのこしてゆくはなびらは、
桜との約束をやぶった罰のように思われた。

一升瓶

毎年、春のあたたかさがやって来ると、
何に教えられなくても、素直に、見事に
花開く桜。
今年は雨にふられなくても、時期がくると
さっと散っていった。

映り込み桜

どれだけ写真を撮っても、
とどめたいと願っても、
時間は流れて、花は終わりの時がくる。
全て、決められていること。
自然の約束。

はなびら

観る者は、桜の姿を、色を、
その木の下で笑っている人たちを、
すべて季節の中のひとつの景色として
目に焼き付けて
今年の春を見送るのだ。
それが私たちの約束。

船とかもめ

はじまったら、終わる。
そのことを胸にとめて、
これから次々と咲く花たちを、
刻一刻と姿を変えてゆく春を、
心から愉しもう。

桜と空

春の「み空」は、
名残惜しく景色を眺める私を
きっと微笑んで見ていてくれるだろう。

勝ちたい想いにそえる色。

勝色(かちいろ)。
日本に古くからある、
深くて濃い藍色だ。

青森

名の由来は、染め物から。
藍を濃くしみ込ませるための、
布を叩く作業を「搗つ(かつ)」と言った。

鎌倉時代には、
この「搗つ(かつ)」が「勝つ」に
結びつくと、武士に好まれ、
武具などに多く用いられたのが
「勝色」の名の由来とされている。

小田原城

いざ勝負! という時に「勝ち」に
つながる何かを持ちたくなるのは、
昔も今も変わらないのかもしれない。

受験シーズンに
「勝ち」にちなんだお菓子を
食べたり、贈ったりするのも、
そういうことなのだろう。

ジェットコースター

私の学生時代にも、
そんなお菓子があったのだろうか。
あれば買っていたのだろうが、
食べた記憶がない。
もう四半世紀よりも、もっと昔のことになる。

受験で大阪に向かう日、大雪だった。

水たまり

駅まで遠いので、
前日に頼んでおいた
タクシーの運転手さんが、迎えの時刻に、
「車が出せない」と走ってやってきた。
雪に足をとられ、とられ走る、
運転手のおじさんの服の色は、濃い藍色。
それは、やや敗色がかった勝色だった。

もう間に合わない。
ダメなのか…と心曇らせたところ、
父が、雪の中から車を出して、送ってくれた。

雪景色

駅までの不安な道のり。
黙りこくった私に
「あかんと思ったら、なんでもあかん。
できる思ったら、なんでもできる」
父はそう言って笑った。

夜明け

間に合わないと思った列車には、
ギリギリながら間に合い、
ほら、大丈夫だったろう! と、
車から降りて、笑って見送ってくれた。

しかし、父もあわてていたのだろう。
陽気に手をふってくれたその足もとは、
雪に埋まってしまうサンダルで、
羽織ったカーディガンも
薄手のものだった。

由良川

あの時の、タクシーに乗れない…
もうダメだ、という気持ちと。
そこから、よし行くぞと決めて、
父の笑顔にもらった安心感と。

何かに負けそうな時は、
その二つの気持ちを思い出す。

ダメになりそうな時も
敗色を思うのではなく、
勝つと信じる。
勝色を想う。

明日館

武士のような勇ましさはないけれど、
あきらめない気持ち。
こつこつと叩かれてしみこんだ
勝色をにじませるしぶとさを持って。

この時期、身を縮ませて
テキストを抱えている受験生を
街で見かけると
皆に良い春が来ますように、と願う。

ジェットコースター

寒いけれど、澄んだ青の空。
辛い時も、耐えて、こらえていけば、
心に描く青がうんと深くなる。
その色こそが、
勝色だよ、と、教えてあげたいと思うのだ。