あめを、まく。

黄色い小さな花を見ると、
飴玉を口に入れたような
甘酸っぱさが広がる。

刈安(かりやす)色は、薄い緑みの鮮やかな黄色。
山野に自生する、
イネ科ススキ属の植物「刈安」で
染めた色だ。

社会人になったばかりの春、
法事で、祖母が「ねぇはん」と呼ぶ
大伯母に初めて会った。
母や伯父叔母は、「おばちゃん」と
呼んでいた。

ふくよかな祖母の縮小コピーのような
そっくりな面立ちで、小さな体。

名前は知らなかった。
ただ、ひっそりとした優しい笑顔が
印象的だった。

その優しさに惹きつけられるように
隣に座った。
近況を話すうちに、おばちゃんと私の職場が
すぐ近くにあることがわかった。
長年、製菓会社の社長さん宅の
お手伝いさんをしてきたけれど、
今月いっぱいで辞めるのだと言う。

「土曜だったら、私一人だし、会いに来てな」
おばちゃんは、そう言って、私の手を優しく
握ってくれた。

法事の後、母に聞くと、
おばちゃんは、
大阪で一人暮らしをしていると言う。
高齢になり、近々、田舎の娘夫婦の家に
身を寄せることになったけれど、
引き取り手である家族からは、
あまり歓迎されていないことも知った。

土曜日のお昼休み、
おばちゃんの職場を探した。
すぐに見つかった。
でもそこは、知らない方のご自宅。
本当にお邪魔してもいいのかなぁ…と、
戸惑いながら玄関をあけ、
「こんにちは」と、奥に声をかける。

少し腰の曲がったおばちゃんが
奥からゆっくりと出てきた。
しばらく、誰だろう? と、私を見つめて
「まぁ! 来てくれたん?」
と、手を一つ叩いて、嬉しそうに笑ってくれた。

奥の台所に通されると、
おばちゃんは食事中だったのだろう、
小さなお弁当箱に、ふたが斜めに置かれてあった。
麦茶を飲みながら、この家での仕事など聞く。

何十年も、おばちゃんは、
その小さな体でひとり、
他人の家を磨き、花を飾り、ご飯を作ってきたのだ。
仕事が終わると、午後三時には帰るという。

もの言わず、淡々と仕事をし、
一人の部屋で食事して眠る…
おばちゃんの静かな日常を思った。

昼休みも終わるので、帰ろうとすると、
「おおきに、おおきに、来てくれて」
と、玄関先まで見送ってくれた。

帰り道、振り向くと、おばちゃんはずっと笑って
手を振っていてくれた。

その姿は、ススキのように
強く懐かしく、しなやかに揺れていた。

刈安色は黄色に染めるだけでなく、
藍とあわせて用いられると、
鮮やかな緑色になると言う。

おばちゃんの優しさが、
懐かしい街の人たちを笑顔にして、
景色をやわらかな緑色に染め、
和やかに過ごして欲しい…
心から願った。

それからしばらくして、仕事中に受付から
電話がかかってきた。
私に来客があり、その人がお土産を置いて帰ったと言う。

誰だろう?
と、受付に行くと、
ご来客の方からこれを、と
ダンボール箱を渡された。
開けると、おばちゃんが勤めていた社長さんの
会社の飴がいっぱい入っていた。
刈安色の小さくて愛らしい飴。

おばちゃんは、少し曲がった腰で、
この箱を、きっと大事に抱えて
持ってきてくれたのだ。

その日は、月末。
おばちゃんの退職日だった。

急いでビルを出て、あたりを見渡しても、
もう姿は見えなかった。

席に戻って、
部署内のデスクに、もらった飴を数粒ずつ置いていく。
「わぁ、懐かしい」「これ、知ってる」と
受け取ってくれる人たちに、笑顔の花が咲いた。

おばちゃんは、笑顔の種をたくさん蒔いて、
大阪の街を去って行ったのだった。

光の中で咲いていた花は。

夏は、サザンオールスターズ。
街には、熱風とともに
BGMのように流れていた。
十代の私も、カセットテープが
擦り切れるほど聴いていた。

木槿色(むくげいろ)は、
明るく渋い紅色。
木槿の花の色だ。

木槿の花が咲くには、まだ早い六月初め、
初夏に咲く、その色の花々を見つけて、
暑い夏の日のことを思い出した。

短大二年の夏、
人生初のライブ体験。
しかも、大好きなサザン!
サザンオールスターズの
大阪球場のライブに行けることになったのだ。

チケットを手配してくれたSちゃんは、
本当はそのライブに彼氏と行く予定だった。
ところが、
夏休み前にケンカをしてしまい、
ピンチヒッターとして、私に声がかかった。

嬉しいけれど、喜ぶ顔をしてはいけない。
Sちゃんも、明るく振る舞おうとしながらも、
顔が笑っていない。

ウキウキしていない二人で
大阪球場に出かけた。

球場前は、想像以上にすごい人いきれだった。
圧倒されながら進んで行くと、
高校時代、憧れていた人を見つけた。
当時の仲間と、変わりない笑顔。
気づかれないように、チラチラ眺めて
通り過ぎた。

席を探していると、今度は、
懐かしい呼び名で声をかけられた。
振り返ると、高校時代、仲の良かったKちゃん。
いつも恋バナなどしていた友達。
卒業以来の再会だった。

中学の同級生の男子も見つけた。
「変わらんねぇ~」と心で語りかけた。

席に戻って、
「懐かしい人に次々と会った。
 なんか、あの世に来たみたい…。」
そうSちゃんに言うと、
「あの世っ…!?」と、苦笑いを浮かべていた。

ライブが始まった!
毎日聴いているサザンが、
目の前に! 同じ場所に!!!

紅く、妖しく、光るステージは、
木槿色の美しい彩り。

満開の花が輝くように
スタジアムが光に揺れる。

場内の興奮はピークに達したけれど、
スタジアムのずーっと後ろの席から見る
ステージ上のサザンは、
豆粒よりも小さくしか見えなかった。

「あ~ぁ、虫眼鏡持ってきたらよかった」
というと
「それをいうなら双眼鏡ね」と、
Sちゃんが貸してくれた。
…やはり、よく見えなかった。

歌声も、遠くに響いて消えて行くような。
こんなものなのかなぁ…。
戸惑いながらも、
せっかくのチャンス、
楽しまなくちゃ損だ!!

と、無理に気持ちを奮い立たせても、
どうにも周りの人と同じようにノレない。
Sちゃんも、彼氏と一緒だったら…と
思っていたのだろう。
あまり楽しそうではなかった。

よその町のお祭りに迷い込んだような
どこか馴染めない気持ちのまま、
ライブは終わった。

想像した喜びや興奮とは少し違ったことに、
しょんぼりしながら帰り道を歩く。

木槿の花は、一日花と言われている。
朝に咲いて、夜にはしぼむ。

ライブもそんな花のよう。
朝は楽しみで元気いっぱい
咲こうとするエネルギーに満ちていたのに、
夜には、すっかり萎れてしまう。

幻想的な色と光に包まれていた時間が
少しずつ遠ざかっていった。

その後、何年もライブには行かなかった。

サザンオールスターズも、
気がつくと、あまり聴かなくなっていた。

すっかり忘れたと思っていたのに、
六月の花々や、
真夏のような熱い風が、
あの日の球場の空気を思い出させくれた。

たまらなく聴きたくなって、
スマホのサブスクリプションで、
サザンを再生してみた。

夕暮れの校舎、体育館の前、
開け放たれた下宿の窓から、
聴こえていたサザンのメロディー。

さまざまな夏のシーンの中、
いつも流れていた。

胸がきゅうっと締め付けられるような
想いがこみあげてきた。

そんな時間を
イキイキと思い出させくれる
音楽があってよかった。

泣いたことも、怒ったことも、
がっかりしたりことさえも、
全部、いい時間だった。

想いが、音楽に流されて次々と蘇る。