「まいにち ばらいろ」と唱える。

薔薇色(ばらいろ)。
バラの花の色は色々あるけれど、
薔薇色とは、赤系統の花色。
真っ赤よりも、薄紅に近い色をさす。

平安時代には「薔薇」のことを
「そうび」または「しょうび」と読んでいたという。
「薔薇色(ばらいろ)」と読まれるになったのは
明治以降のこと。

誰が見ても美しいこの薔薇に、
私は、少し苦い思い出がある。

小学一年生のときのことだ。
何人かの同級生が、
自宅の庭で咲いた季節の花を、
教室に飾るよう、新聞紙に包んで持ってきていた。
その様子がうらやましくて、
母に私も持って行きたいと頼んだのだ。

母は、うちには学校に持っていけるような花はない、
と、その夜、仕事が終わってから、
近所の花屋さんに駆け込んで、数本の花を買ってきてくれた。
小さな薔薇の入った、派手すぎない花束では
あったけれど、見た瞬間、私は
「これは、ちがう…」。
そう思った。

とはいえ、せっかく買ってきてくれたのに、
持っていかないわけにはいかず、
花屋の包装紙に包まれた花を、
おずおずと先生に渡すと
「え? わざわざ買ってきたの?」
と、驚かれた。
その時の恥ずかしさ、きまりの悪さは、
今も忘れられない。

それから数日間、気まずくて、
教室の花を見ないようにしていた。
「かわいい薔薇ね」といわれるたびに
「かわいいバカね」と言われている気がした。

そんなこともあったからか、花を描くとき、
選ぶとき、いつも薔薇を避けていたように思う。

「薔薇色の人生」…その言葉すら
どこかトゲを感じていた。

薔薇には何も罪はなかったのに。

そんな私の思いとは関係なく、
薔薇の花は、いつでも高貴で美しく、人気の的で、
薔薇色もまた、幸福や喜び、希望に満ちあふれた世界に
たとえられる明るい色だ。

何年前だろうか。
作家・田辺聖子さんが
サイン色紙に「まいにち ばらいろ」と書かれる理由を
新聞のインタビュー記事で読んだ。
そこでは、こう語られていた。

「あの言葉を見ていると、なんか幸せになるでしょ。
 (中略)
 ものすごくきれいな言葉を使って、
 みんなが美しく元気が出て、
 ほかの人にちょっと親切にしよかって
 気が起きたりする」

薔薇色は、言葉でさえ、色と力を放ち、
人を美しく元気に、そしてやさしくするのだ。
そんな花の色が、ほかにあるだろうか。

その記事を読んでから、
何か暗い思いに覆われそうなとき、
「まいにち ばらいろ」と唱えるようになった。
薔薇色を思い描くと、
不思議に心が、ぽっと明るい色に染められる。
暗い部分があたためられて、
元気がわいてくるような気がするのだ。

気高く、美しく、愛らしい薔薇。
つまらぬ羨望や目立ちたがりな心など、遠ざけて、
凛として咲く、薔薇の咲き姿。

あの時、娘の願いだからと、
疲れているのに、花屋さんに駆け込んでくれた
母の思いやりに思い至らなかった
自分を、今は少し恥じる。

薔薇は、どんな思いも受け容れて
微笑み、咲いていてくれる。

その花言葉は「愛情」という。

限りなく美しい未来を描く色。

夏の日射しに負けないほどの
眩しい色、天藍色(てんらんいろ)。
美しく、力強い濃い青。

そんな天藍色に染まる名古屋の街へ
行ってきた。
大好きなバンド、バックナンバーの
ナゴヤドーム公演のチケットに当たったのだ。

実は、コンサートのために遠征するのは
人生初。
そもそも面倒くさがりの自分が、
まさかこんなふうに、あれこれと
段取りをして出かけることになるとは、
思ってもみなかった。
自分で、自分に驚く夏、だった。

若いころは、経済的に余裕がなかったり、
仕事が忙しくて休めなかったり、
はたまた、極度の心配性で
「当日、行けなくなったらもったいない」と
行きたいくせに、
消極的な発想でやめておく、
という面倒くさい性格でもあった。

自分の人生に、「ライブを楽しむ」と
いうことはない、とあきらめていた。

しかし、一度行ってみたら、
心配するほどのこともなく、
それ以上に、ライブでしか
感じられない興奮と感動を
味わってしまったのだ。

これは本当に、「味わってしまった」と
いうしかない、後には引けない悦びと楽しみに
なってしまった。

何かを好きでいるエネルギーは、
物理的にも、精神的にも、
それまで自分の知らなかったところへ
連れていってくれる。

どんなに不安でも、
「好き」という気持ちが、
何があっても、きっと楽しいよ!
と、ポーンと背中を押してくれる。

そうして、やってみたら、
案外カンタンにできたり、
カンタンにいかなくても、
その過程で、自分自身の知らなかった一面に
気づくこともできて楽しい。

一度あきらめた分だけ
悦びも深く、大きいような気もする。

これはコンサートに行くことだけでなく、
人生のなかのさまざまなことにも
共通しているように思う。

それでも、どうにもかなわないこともある。

ライブの帰り道、若い女子グループが
「バックナンバー聴くと、高校の時を
思い出すんだよね。文化祭の準備とかの
とき、ずっとどっかで聴こえてたし」
と、後ろでしみじみと語っていた。

もし、十年後、二十年後、
彼らが活動を続けていたとして、
そのライブの帰り、
彼女たちは、遠ざかる高校時代を
彼らの曲とともに、また懐かしく語り合えるのだろう。

それは、私には、もうできないことである。
たとえ十年後に、行けたとしても、
彼女たちのように曲の背後に青春のシーンはない。

それでも、やはり、人生初の遠征でやって来た
名古屋の街で感じた興奮を、懐かしく思い出すのだろう。

それは、胸の内で語るのかもしれないし、
また、このブログで語るのかもしれない。

いずれにしても、人生は何が起こるかわからない。
いくつになっても、無限の夢と可能性は
捨てようとしない限り、ある。
あると、信じる。

天藍色の「天」は限りなく美しいことを表しているという。

名古屋の街で見た天藍色のあれこれを
まぶたに焼きつけて、また無限の美しい時を
夢見ていこう。