燃え立つように、変わるもの。

五百万本が咲くという
「曼珠沙華まつり」があると
聞いて、観に行った。

それは想像以上に壮観な眺め。
鮮やかな朱色の絨毯が、
一面に敷き詰められたような
目にまぶしい満開の景色だった。

その色は、
紅でもなく、朱でもなく。
黄みの強い赤色、
「銀朱(ぎんしゅ)」
が一番近い色に思われた。
「銀朱」とは、
水銀と硫黄を混ぜて
つくられた人工の朱色だ。
そのせいか、ほんの少し毒気をはらんだような
強い色に感じられる。

群生する銀朱の花々は、
子どもの頃は、決して摘んで帰ってはいけない、
じっと眺めることも禁じられていたものだった。
彼岸の頃に咲くため、彼岸花と呼ばれていて、
当時は墓地でしか見かけなかった。

その赤さと炎を思わせる咲き姿からか、
「持ち帰ると火事になる」とか
「不吉を持ち帰る」「摘むと手が腐る」
などといった迷信もあるらしい。
球根に毒があることから、そんなふうに言い伝え、
子供たちに注意を促していたのかもしれない。

少し怖くて妖しい曼珠沙華。
夏の陽射しをたっぷり浴びて、
熱を放つような色と形で咲く花。
人の心をも惑わすような
妖艶な花姿だ。

こんなに美しいのに、人から忌み嫌われる。
その謎を、その存在を、気になりつつも、
気にすることがいけないことにように思っていた。

この日、たくさんの人が
今が盛りと咲き誇る、
曼珠沙華の美しさに見とれ、
褒め、感動しながら
歩いている様子に時の流れを感じた。

時が変わり、
ところが変われば、
同じものも価値が変わることもある。

もう消えた、と思った情熱も
時期がきて、
ところを得たときに、
一気に燃え上がることも
あるかもしれない。

少し体調を崩した夏だったけれど、
小さな情熱も消さず、臆せず、あきらめず、
進んでいこう、そう思った。

こんなふうに一気に何かを変えてしまうくらいに。
目をつむっても、まぶたに色が残るくらい熱をもって、
銀朱のような秋を燃やしていこう。

あこがれを淡く薄めて許す色。

半色(はしたいろ)は、
深い紫と、浅い紫の中間の色。
「半」というのが、中間の意味だという。

平安時代は、身分によって「位色」が
定められていて、
深紫や深紅のように濃い色は、
高貴な人にしか使うことが許されなかった。
それを禁色(きんじき)という。
その禁色に対して、
浅い色、薄い色などの中間色である
半色(はしたいろ)は、許し色(ゆるしいろ)として
位を問わず、使うことが認められていた。

使うことが許されない美しい色を
淡くしてでも身にまといたい…。
遠い昔の人にも色への憧れや好奇心があったようで、
今と変わらぬオシャレ心に、とても親近感を感じる。

現代では身分にかかわらず、自分の好みで色を選び、
どんな色も身につけることができる。

とはいえ、私が高校生の頃、
この半色(はしたいろ)のセーターと
黒のサテンの光沢あるボトムスを買ってきた時、
ひどく叱られたことがあった。
それほど派手でもなく、シックにまとめたつもりが
どうも両親の目には、色気付いて、はしたない
なんとも情けない娘に育ってしまった…
そう映ったらしい。

娘としての「禁色」を選んでしまったのだった。
両親にとって半色のセーターは、許し色にはならなかった。

なぜ、そんなに怒られたのだろう。

今、思うに、平安の昔でなくても、着るものは
それを身にまとう人の身分、とまでは言わなくても
その人の生き方を表わすことになるのかもしれない。
色やカタチはもちろん、着こなし方も
その人の品とか想いとか、どうありたいかを表現する。

両親には、両親なりの娘にどう生きてほしいか、
どう生きてほしくないか、を
洋服ひとつにも見ていたのかもしれない。

半色(はしたいろ)。
高貴さはそのままに、淡くやさしく、ひかえめな色。
もう何色を着ても、両親に怒られることはないけれど、
年相応に、出会う人に不快感をもたれないよう、
この色をわが身にあててみたい。

夜の都会をぼんやりと染める色。

東京の煌めく夜景を
バスで観に行こうと友人に誘われた。

それは二階建ての屋根のないオープンバス。
いつもより高い観点から、
晩夏の風とともに流れていく
光に満ちた都会の夜の景色を
存分に見られるというものだ。

金茶色(きんちゃいろ)は、金色がかった明るい茶色。
その日、バスから眺めた東京の夜景は、この色で満ちていた。

美しく輝いて、時に点滅して、
夜の闇が引き立てて魅せ、心躍らせる。

「きれいね」「きれいだね」と、
その時、その時、浮かび上がる感動を、
友人と満面の笑みで、確認するように
わかちあっていた。

この美しさを切り取るように残したい…。
どう写るのか撮ってみたい…。
そう思いながらもその日は、
友人がスマートフォンのカメラで撮る時だけ
撮ることに決めていた。
カメラも、いつもの一眼レフカメラではなく、
カバンに小さく収まるコンパクトデジタルカメラだけ持って。

なぜなら、せっかく誘ってくれた友人と
同じものを見て、感動した瞬間を分かち合い、
いきいきと語り合うことを
大切にしたい…そう思ったのだ。

その結果、撮れた写真は、ほとんどピントが合っておらず、
うまく撮れたものは一枚もなかった。

けれど、幻想的に浮かぶ屋形船を撮っていたとき
「あの中で天ぷら揚げてるよ」
「ええ!? なんかムードこわれる〜」
などと話して、ふきだしたことや、
夜の東京タワーを下から見上げると
意外に大きく、想像以上に美しいことに
驚き、大騒ぎしたことや
ひとつひとつの出来事が思い出されて
どれもかけがえのない一枚になった。

きれいに撮れなくても、
自分の中の記憶の美しさを引き出す。
それが写真のチカラでもある、
そんなことに気づかされた。

東京の夜景は、光も多くて、人も多い。
見渡せば、人が誰かを想い、誰かと話し、
誰かとふれあいながら、金茶色に染まっている。

都会の夜景が、美しく、優しく見えるのは、
ビルや建物だけでなく、人との結びつきまでも、
浮かび上がらせる光の色、金茶色だからかもしれない。

不老長寿の聖なる色。

厳しい暑さや寒さにも、
じっと耐えて、変わらない松の色。
この濃い緑を常磐色(ときわいろ)という。

松や杉などの常緑樹を、
常磐(ときわ)木というため、
その葉の色をこう呼ぶ。

冬にも色あせないことから
永遠不滅、不老長寿のシンボルとして、
古くから神聖な色としてされてきた。

“月日に負けない、色褪せない”
とは、心くすぐられる言葉だ。

先日、街で、娘の中学時代の友人に、
十数年ぶりにばったり会った。
変わらぬボーイッシュさと、
その溌剌とした様子に、
嬉しくなって「変わらないね」
と声かけて別れた。

ところがそのあと、いっしょにいた娘に
「“変わらない”が褒め言葉なのは、中年以降だよ!」
と、厳しく指摘された。

確かに、若い女性には、
「きれいになったね」
「大人っぽくなって…」
とその成長ぶりをほめるべきで、
「変わらない」
と言うのは、まだまだ子どもね、と
言っていることと変わりない。
うかつさを反省した。

変わらないこと、
変わること。
それぞれの良さをきちんと理解して、
心にとめておくことが大切だ。

田んぼの稲が、今年もたっぷりと実っている。
毎年同じ色に見えて、変わらないように思うけれど、
今年の夏のたよりない太陽の下、
災害にも遭わず、無事にここまでたどりついた色は、
春の鮮やかさとは、少し異なる深い喜びの色に見える。

去年と変わらないように見えて、
今年の稲は今年だけの色。
私だって、何も変わらないように思うけれど、
今年だけの私でもある。
変わっていないようでいて、
実は確実に変わっている。

老いてもいる。
経験が積み重なってもいる。
考えが狭くなっているかもしれないし、
その分深くなっているかもしれない。

自分のことでもわからないのだけれど、
変わらない常磐色のようにどっしり構えつつ、
変わるべきこと、そうでないことを
ひとつひとつ意識しながら、
目に優しい色に染まっていきたい。

やがて、やさしく変わってゆく色。

平安時代から知られていた色で、
墨色の淡いものから濃いものまで
色合いに幅のある鈍色(にびいろ)。
平安の貴族には
喪の色として欠かせない色だったという。

今年の夏は、少したよりなげな鈍色の空が
多かったように思う。
そんな夏の日に、
アラーキーこと荒木経惟さんの写真展を観に行った。
妻・陽子さんとの愛の軌跡。
新婚旅行、日々の暮らし、他界されたあとの世界。

満たされた想いのときの写真は、
モノクロでも色彩豊かに感じられるのに対し、
別れの時が来ることを感じながら撮られたものは、
鮮やかさが哀しみを際立たせていて胸を打った。

他界された後の空の写真は、
底が抜けてしまったような虚しさと、
行き場のない想いが映し出されていた。

大切な人を亡くしたとき、
空は、世界は、きっとこんな色に見えるのだろう…
そう思われるもので、それらは色づけられても
心の空に重く沈む鈍色が感じられた。

父が急逝したとき、ただ狼狽していた母が、
慌ただしく葬儀一連のことを終えたあと、
ふと工場に入って、涙ぐんで出て来た。

工場にかけられた大きな時計が、
いつも通り動いていて、
自分の大変さも哀しみも、時を止まったことも
無視して動いていた…そのことが
悲しく悔しいと言って。

誰かがどんなに悲しみに打ちひしがれたとしても、
時間は止まってはくれない。
容赦なく、淡々と、いつも通りに動いている。

それは時に残酷だけれど、
確実に積み重なって、
さまざまなことを変化させてくれる。
人が生まれたり、いなくなったり、
環境も変わり、人を強くもする。
母はもうすっかり元気になり、
父の思い出話など笑いながら話している。

どこで悲しみが終わったのか、
悲しみに慣れたものなのか、
誰にもわからない。
もう悲しみに泣くことはなくても、
鈍色の悲しみは、きっとそのままに
それぞれの人の中に
ひっそりと息づいているものなのだろう。

会いたい人が夢に出て来るのは、
悲しみに慣れるために
出て来てくれたのだと
聞いたことがある。

鮮明すぎて、つらい思い出を
ゆっくりと鈍色に染めていくように
悲しみにも慣れていく…。
思い出は切り離せないから、
消すのではなく、変化させるのだ。
そういう曖昧さがあることに
感謝したいと思う。

夏の終りは寂しいけれど、
皆で集まり暖をとるあたたかい幸せもやってくる。
寂しさは、何かに変えるチカラになる。

一日一日、やさしい時を積み重ねて、
夏が過ぎてゆく。