見逃したくない色は、うつろいやすく。

和の色には、
その名を聞いただけでは、
すぐにわからない色がある。
朱華色(はねずいろ)も、そのひとつ。

もっとも、朱華色(はねずいろ)とは
庭梅の色ともザクロの色とも言われていて、
色調も紅から朱まで幅のある
謎めいた色ではある。

調べていて、一番多く見られたのが
黄色がかった淡い赤色だった。
褪せやすい色であることから、
移ろいやすさの枕詞としても使われていたという。
なかなか正体のつかめないような、
にくらしい色だ。

そんな移ろいやすさを恋する心に見立て、
詠まれた歌が万葉集にある。

「思わじと言ひてしものを朱華色のうつろひやすき我が心かも」

意味は
「もう恋なんてしないと言っていたのに、
朱華色みたいに私の心は移ろいやすいの」
という説と
「あんなひと、もう好きじゃないって言ったのに
朱華色みたいに移ろいやすい私の心…やっぱり好き!」
という説がある。

どちらも現代の歌詞にもありそうな恋心で、
切なく揺れる感情は、
昔も今も人の中に変わらず存在することに
心くすぐられる。
揺さぶられる想いの色は、
喜んだり、悲しんだり、期待と不安の中で、
やはり謎めいたまま、
紅から朱の間の色調を行き来するのだろうか。

去年の夏、下鴨神社に参詣した際、
境内の茶店で
140年ぶりに復元されたというお菓子をいただいた。
葵祭の申(さる)の日に神前にお供えされたという
ほんのりと朱華色(はねずいろ)のお餅、
その名も「申餅(さるもち)」。
いにしえの都人は「葵祭の申餅」と親しんで呼んでいたのだそう。

申餅に添えられたしおりに、
「はねず色とは、明け方の一瞬、空面が薄あかね色に
染まる様子で、命の生まれる瞬間を表すとされています」
と書かれてあった。

明け方の一瞬、命の生まれる瞬間。
なんて美しい瞬間だろう。

毎日、毎朝、その瞬間があり、
その瞬間の色が「朱華色(はねずいろ)」なのだ。

日々、空の色が違うように、
見るところで、その日の心持ちで、
色が変わるように…はっきりとこの色、
と決めなくてもいい。
それぞれの心の中に描く色があり、
決めないほうがいい色もあるのかもしれない。

少し謎めいて曖昧さのある朱華色(はねずいろ)。

明日は、少し早起きして、
自分だけの、今日の命の生まれる瞬間の色を見よう、
そう思った。

憧れと思い出を秘めた色。

秘色。
「ひそく」と読む。
別名は「青磁色」。

青磁は、平安時代に中国からやってきた磁器で、
それはそれは貴重なものとして珍重されていた。
中国では当時、
天子(皇帝)に献上されて、
臣下(家来)には使用が禁じられていたこと、
また、神秘的な美しさから、
その色は「秘色(ひそく)」と呼ばれていた。

子どもの頃、床の間に置かれた
青磁の壷を眺めるのが好きだった。
床の間に飾られたものは、
子どもが触ることは許されなかったので
その壷は、まさに秘色(ひそく)そのものだった。

そのためか、この色には特別な憧れがあり、
似合わないとわかっていても、
服に小物に、と、選んでしまう。
いつまでも、どこか叶わない色なのだ。

秘色(ひそく)という言葉から、
思い出して、取り出してきたものがある。
母から譲り受けた、37歳の父の日記だ。
織物の技術指導で
数ヶ月間、韓国に滞在していたときのもの。
言葉が通じないもどかしさや、
食べ物があわずに体調すぐれぬつらさ、
そして、家族や友人に会いたい想いが、
赤裸々に綴られている。

いつも明るくて、前向きで、
くよくよと悩むことなく生きよ、と、
背中を押してくれていた父の
秘めていた一面が、ここにある。

日記とともに、当時父が送ってくれた手紙があり、
そこには「班長をがんばりなさい」とある。
当時、かなりの引っ込み思案だった私が
班長になり、父に手紙で知らせたのは
自慢したい気持ちと、
元気であることを知らせたかったからだろうか。
その気持ちに応えて、父も明るく応援してくれている。
当時の父よりも大人になった今、
そのやりとりは、少し切ないような想いになる。

父が帰国する日は、学校から走って帰ったものだった。
父が日本を、家族を思うように、
私も寂しかった。父が恋しかったのだ。

当時は知らなかった父の寂しさ。
日記に小さな文字でびっしりと想いを書き綴る、
父の心の中は何色だったのだろうか。

そういえば、と、思い出した。
父は、うぐいす餅(「りゅうひ」と呼んでいた)が
好きで、帰国すると買ってきて、
感に堪えない顔で食べていたことを。
うぐいす餅。うぐいす色。
青大豆からできたきな粉の色。

あぁ、ほんのりと緑色だ。
秘めたる想いを、ひとときほぐしてくれたのは
きっと秘色に似た、その淡い緑色だったにちがいない。

高貴にして、やさしい秘色。
そんな家族の思い出とともに、
これからも憧れ、好きな色でありつづける。

うつろう時を、藍にたくして。

二藍色。
「ふたあいいろ」と読む。

色は、藍に紅花を染め重ねた紫。
ただ、紫といっても、
赤紫から青紫色まで、
紅の強みによって色調に幅がある。

なんとも移ろいやすい色…。
紫陽花にも似た、
色合いのバリエーション。

どうして、こんなふうに一つの名前に
色合いの幅があるのだろう。

それには、ちゃんとワケがあった。

二藍(ふたあい)色とは、
遠い昔の平安時代から、
身にまとう人の年齢によって、
紅みを足したり、藍を足したりと、
色の調整が行われる色だったのだ。

若いほど紅を強めに、歳を重ねるほどに藍を強く。
鮮やかな藍と、落ち着いた藍。

あの「源氏物語」の光源氏も、息子の夕霧に
「あまり紅みの強い二藍では軽く見られる」と
忠告したという場面もあるというから、
年齢と色というのは、
遠い昔から深いかかわりがあるのだろう。

もう少しあっちかな?
ちょっと行き過ぎ、こっちかな?
と、紅と藍の間を行きつ戻りつしているような
二藍(ふたあい)色。
その名も愛らしい。

語感も“ふたあい”というと、
あっちの人がいいかな?
こっちの人のほうがいいかな?
と、心移ろう男女の様子が想像されておもしろい。

古くから男女問わず愛された色だったというが、
衣の色が年ごとに少しずつ藍が濃くなってゆくのを、
当時の人たちは、どんな気持ちで受け容れ、
袖を通していたのだろう。

大人になる喜びや、
もう少し若いままでいたい切なさや、
老いの哀しみや…。

色に込められた意味は、時を越えて
人の気持ちを想像させる喜びも与えてくれる気がする。

また、今ふうに見ると、
二藍(ふたあい)とは、
二つの愛や、
二つのアイ(英語の“私”)などの
意味に通じるようにも思われる。
二藍の名を人に言わないまでも、
身にまとうときに、
ふと、自分なりの意味や思いがよぎって、
密やかな喜びを味わわせてくれるような。

紅かったり青かったり、と、
微妙に移ろう色合いの紫陽花も、
そんな愉しみをたっぷりと含んで
ぽってりと心豊かに咲いているように見える。