新しい色、毎日現る。

唐茶色(からちゃいろ)は、
浅い黄みを帯びた茶色。

「唐」には、
「舶来の」という意味の他に、
「新しい」「美しい」の意味もあるのだという。
つまり、唐茶色とは、
新しい茶色、美しい茶色のことなのだ。

カメラを買って、一年が経った。
あれもこれも勉強しようと、
買ったテキストは、まだ読めないまま、
ただ撮ることに夢中になって
月日が流れてしまった。

一年の終わりに猛省している。
来年こそは、と、もう来る年への
誓いと願いを始めたりしている。

まだ十二月になったばかりだというのに。

街にはあちこちにクリスマスツリーが
見られ、輝くツリーのオーナメントにも
唐茶色のものが見られる。
煌びやかな飾りは、
子供の頃の憧れ。

うちにクリスマスツリーなどなかったけれど、
秋に野山で遊ぶとは、
木の実を拾って帰ったものだった。

痩せた栗の実などを
糸を通して、リボンをつけて、
カバンの飾りにしていた。
ささやかなクリスマス気分だった。

飾りにもできなかった
痩せていびつな木の実は、
ケーキの飾りといっしょに
小さな小箱にしまった。
箱を開ければ、
いつまでもクリスマス気分を
味わうことができた。

年の暮れは、家業も忙しい時期でもあり、
特別に家族で何かパーティーらしき
お祝いをした記憶はない。

けれど、年末のざわざわとした雰囲気と、
キーンと冷えこむ空気、
ケーキのろうそくを消した時に漂う
甘い匂い、
ストーブの火のチロチロと消えそうな色。

時系列は、散らかったカードの
ようにバラバラになっているけれど、
どの記憶も褪せない大切な思い出だ。
一つ一つ異なり、
一瞬一瞬が、
現れては消えていくお茶の湯気のように
体と心をあたためてくれるものでもある。

同じクリスマスでも、
同じ思い出にならないように、
人生に同じ瞬間は、ない。

心惹かれるシーンに遭遇したのに、
あ、撮り逃した!
と思うたびに、カメラもそう教えてくれた。

去年撮った写真を見てみると、
どう撮ればいいのか、
撮ったものを、
どう画像処理したらいいのか、
わからない。
「けど、撮りたいのっ!」
という自分が垣間見えて、おかしくなる。

ただ夢中で、
いい瞬間を捉えたくて、
何枚同じ写真撮ってるんだ…
と我ながら呆れるほどに撮っては、
一枚ごとに喜んだり、落胆していた。

必死だったんだな、と
懐かしさに似た想いで
振り返る。

撮れば、どの瞬間も、
新しく、美しい。

呆れるほど大量の
今年撮った写真を見ながら、
一年後に、今より少しでも成長しているように願う。
そのために、またたくさんの
写真を撮ろう、撮りたいと思う。

新しい瞬間は、年末も新年も関係なく
もう始まっている。

見える色、見えない色。

「どんな薄い紙にも、表と裏がある」。
父は酒に酔うと、よくそう言った。

裏色は、深く渋い青色。
江戸時代中頃より、
夜具や衣服の裏地に使われる色ということから
この名がついたのだという。

先日、紅葉狩りに出かけた折に、
遠くに眺める山々がこの色だった。
人の目を惹く鮮やかな紅葉を表色とするなら、
これは裏色かな?
と、やわらかな稜線を描く裏色の景色を愉しんだ。

四季折々に木々の色は変わるけれど、
勝手に裏色と決めた、
濃淡美しい遠い山々の景色は、
鮮やかさこそないけれど、
やさしく懐かしい色合いだった。

小学一年の時、書き初め展に
応募したことがある。
出品作は、
ザラザラとにじんだ文字になってしまい、
参加賞で返ってきた。
「これは紙のウラですよ」と
達筆な朱い文字で書かれたコメント。
父の言う通り、
薄い紙にも確かに表裏があることを学んだのだった。

紙業を生業にしていたわけではないのに、
父はなぜ、あんなにも紙の表裏について話していたのだろう。

自営業だった父には、
公私共に仲良くつきあう人がいた。
とりわけ剽軽なAさんのことは、
楽しい友人として信頼し、
会う時間を楽しみにしていたようだった。

その日も、仕事の話が終わった後、
母も私も同席して、
Aさんの身振り手振りを加えた楽しい話に
大笑いしていた。
いつもいつも大笑いさせられることに、
母がポロリと
「Aさんには苦がないみたい」
と言った時だった。
一瞬、普段見せたことのない暗い色が
Aさんの表情に差すのを見た。

Aさんが帰った後、父が
「ああ見えて、色々悩んだり、気を遣っとるんだ。
 あんなこと言うてやるな」
と母を戒めた。

その後、父が急逝し、事業の片付けの折に、
Aさんとは色々あって関係がこじれてしまい、
疎遠になってしまった。

私は、そんな風になってしまったことに、
あの日の母の言葉が、Aさんの心の
とても敏感な部分に突き刺さったことも
一つの要因ではなかったかと思っている。

誰にでも見せる表の色と、
ひっそりと隠し持っている裏の色。
見せなくても、そんな色があることを知って、
その人に接することと、知ろうともせずに
つきあうとでは、関わりに大きな違いがある。

父は、紙にたとえてそんなことも教えてくれていたのでは
ないかと思う。

人の裏側を見抜くことは難しい。
裏側ばかり見ようとするのも、はしたない。
けれど、「ある」と知っておくこと。
そうすれば表面だけで決めつけたり、
過信したり、貶めたりすることなく、
人付き合いを、深く味わいのあるものに
するような気がする。

山の裏側というものがあるのかどうか
知らないけれど、あると思うと、
景色も厚みが感じられる。
見えない景色に思いを馳せられる。

限りなく広がっていく山々の眺めは、
見えない人の心であり、
未知なる繋がりであり、
まだ見ぬ未来の景色でもある。

裏色という色の存在は、
目に見えない色を思うことの
難しさと楽しさを教えて、
どこまでも広がっている。

紅葉狩り。見るのは、何色?

錦色(きんしょく)は、
錦のような美しい色。

「錦」とは、
色や模様の美しいもの。
様々な色糸を用いられた織物のこと。

こうした意味から、
錦絵、錦鯉、など
鮮やかで美しいものの名に
「錦」の文字がつけられることもある。

この時期、
「錦秋の景色へ」という
旅のパンフレットをよく見かける。

錦のように色とりどりの紅葉の世界へ、
という意味なのだろうけれど、
私はいつも胸の内で、この「錦秋」を
「錦繍」という文字に変換する。

そうすると、えも言われぬ
鮮やかな景色が心に広がるのだ。

「錦繍(きんしゅう)」とは、
美しい織物。
美しい紅葉や花をたとえていう
意味だ。

こんなに美しい言葉を、
私は三十過ぎまで、
知らなかった。

知ることができたのは、
宮本輝さんの小説「錦繍」を
読んだから。

読めば数ページで、
眩しいほど鮮やかな、
紅葉のグラデーションが、
美しい帯をポーンとなげられたように
心に広がった。

物語は、過去に傷つき、それでも
懸命に生きてく人たちの美しさが
描かれていた。
まさに錦繍に織り込まれれた糸のように
心に響く言葉が散りばめられて。

当時、三十年余りしか生きていない私にも、
主人公の迷い苦しみながら
光を見ようとする姿に深く感銘を受け、
この先、
どんなことがあっても、
自分の人生を、美しい錦の織物のように
したい、するのだ。
そう決意させられた、素晴らしい作品だった。

あの時、あの選択をしなかったら…。
そうすれば、あんな失敗はしなかった…
もっと、いい人生になっていたかもしれない、

悔やむことがある。

けれど、今の自分は、
積み重ねてきた選択でできていて、
それは、そうせざるを得ない
何か、心の癖だとか
あるいは運命的なもので
導かれているのかもしれない。

出会うものは、
避けようとしても
自分の力では避けることができず、
結局出会ってしまう。

だから。
失敗をどう捉えるのか。
失敗のあと、どう行動したらいいのか。
そう考えるところに、私らしい生き方が
あるように思ったのだ。

よりよく生きたい。
どんなに暗く濁った色が混じったとしても、
全体を眺めた時に、
その暗い色をも呑み込んで、
鮮やかな美しい色を活かす織物にしよう。

それが「錦繍」だ。

そんな考えに導かれた小説だった。

それまで紅葉狩りに
あまり興味がなかったが、
「錦繍」という言葉を知ってから
枯れてゆく前に
命の炎のように燃える紅葉を、
美しいなぁと眺めるようになった。

そして、いつもしみじみと思い出すのは
宮本輝さんのエッセイ「錦繍の日々」の一説だ。

「どの時期、どの地、どの境遇を問わず、
人々はみな錦繍の日々を生きている」。

この言葉を思い出すたびに、
これまで出会ってきた様々な人たちの顔が
浮かび上がってくる。
懐かしさや、嬉しさ、時に悲しさ…
様々な感情に目を閉じてしまう。

目を閉じても、目を開けても
広がるのは錦繍の景色。

人生の秋を迎える今、
その彩りを慈しむように、
眺められるようなりたい。

紅葉は終わっても、
私の錦繍の日々は続いていく。

多分、蒼い。

蒼色(そうしょく)は、
少し暗い青緑色。

蒼(そう)には、
「あおい」という意味もあるが、
「草木が茂る」という意味もある。
生い茂る草木の様子を表すときに、
「鬱蒼(うっそう)」と表現するように、
和の色では「蒼色」は緑系の色とされてきた。

夏の終わりに、両国国技館まで
大相撲を観に行った。
毎場所、テレビ観戦を楽しみにしていて
いつかは国技館で…と
強く願っていた観戦が実現したのだ。

しかと見届けたいと、
家にある一番よく見える双眼鏡を用意した。
緑色のその双眼鏡を見た友人が
「房と同じ色だ」と言う。

房?
と、きょとんとする私に、
友人が“房”について説明してくれた。

土俵の上に吊屋根があり、
その四隅、東西南北に
房が下げられている。
房は各方位を司る「四神」を表す。

その色も四神に由来し、
東は、青龍の青、
西は、白虎の白、
南は、朱雀の赤、
北は、玄武の黒、
となっている。

青龍の色は蒼色、つまり緑色だ。
青龍は蒼竜(そうりゅう)と言われることもある。

こうして四方位を神に護られた土俵で
神事である相撲が執り行われるのだ。

力士、行司の
ひとつ一つの美しい所作に
うっとりとする。
そして、いつもテレビで観ている力士が
目の前で躍動感たっぷりに取り組む姿に
興奮し、気づけば双眼鏡そっちのけで
声をあげていた。

ファンである力士の取り組み前に、
応援のパネルとともに声援を送ると、
ちらっと見てくれた気がした。
それが嬉しくて嬉しくて、
いつもより力をこめて応援した。

すると、見事、白星に!
喜びいっぱいバネル高くあげていると
また、ちらっと見てくれたように思われ
「あぁ、応援が届いた!!」と感激した。

それは、心の中にしか録画できない、
宝物のような一瞬。

勝敗に関わらず、
好きな力士を応援すること、
その声が届くこと、
それが、こんなにも嬉しいものなのかと
感動していた。

応援することは、相手のためだけでなく、
自分も楽しくなり、
勇気づけられたりもする。

応援したいと思う人がいてくれることは、
応援する自分の日々を彩り、
元気に楽しくしてくれるのだと
気づかされた。

それは友人も同じだ。
日々、なにげないことを話して、
常につながっているような気になりがちけれど、
実はそれぞれの胸の内にある
苦労や悩み、悲しみ、喜びの全て知っている
わけではない。
気づかず、後になって、大変な思いをしていたと
知って驚くこともある。

どんなにその人のことを大切に思っていても
何の力になれないことのほうが
多いのかもしれない。

無理に役立とうとしても
かえって迷惑になることもある。
そうわかっていても、心は寄り添いたい。

いい時も、そうでない時も、
ひっそりと応援しあいながら、
しみじみと互いを思い、
語り合う時を大切にしたいと思うのだ。

数年前に
フルマラソンで走る友だちを
仲良し数人で沿道で待って応援した。
遠くからもわかるように、
鬱蒼とした森のようなかつらをかぶって
待っていた。

見つけてくれた時の嬉しさといったら…。
青龍になって伴走していくような
喜びとファイトが湧いてきた。

応援することは、見守りながら、
強くありたいと気づかされること。
応援し、応援されて、朗らかに、
これからも続く青々とした道を歩いていきたい。

匂い立つころを過ぎても。

滅赤(けしあか)色は、灰色がかった赤色。
「滅」は、色味を渋く抑えたトーンを表す。

あたりが輝くような華やかさ、艶やかさを表すとき、
「匂い立つ」という言葉が使われる。

「匂う」という言葉は、
もともと「赤い色が鮮やかに表われる」の意味をもち、
香りよりも色を表す言葉だったのだ。

そんな匂い立つような色から、
鮮やかさ、華やかさを取り去り、
渋みのある色にするとき、
和の色では、
この「滅」の字を当てている。

先日、学生時代からの友人と会った。
三年ぶりの再会。

ネット時代はありがたく、
何年会わなくても、互いの姿も日々のことも、
きちんと更新されている。
昨日会った友人のように話のつづきができるのも
不思議で、愉快なことである。

彼女は三年前よりも、さらに進化して
ジャズを歌うひとになっている。
歌う苦労も喜びも、
ひろがり、深くなっているようだった。

彼女の音楽への
愛の深さについて聴きながら、
学生時代のことを思い出していた。

二十歳前の年末だった。
彼女の下宿で
仲のいい友だち数人と
一晩中語り明かして
そのままこたつで眠ったのだった。

翌朝、バイトのため私は
早く起きなければならなかった。
静かに起きたつもりが、
彼女はもう起きていて、
ギターを静かに弾いて
近づくライブの練習をしていた。

ポロン、ポロンと
やさしい音とともに
「またね」と見送ってくれた。

数日後、彼女の部屋を訪ねると、
空っぽになっていた。
実家から通うことになり、
部屋を引き払った、とのことで
にぎやかだった空間には、もう何もなかった。

楽しい時間はそこにあったのに、
大好きなお友達は引っ越してしまった。
そんな置いてきぼりされた子どものような
気持ちで、部屋をながめていた。
ぽっかりと穴があいたような寂しさで。

ポロン、ポロン…
あの日聴こえたギターの音は、
時に寂しく思い出され、
今は、やさしく懐かしく思い出す。

あの音ひとつひとつを、彼女は大切に抱き、
離さなかったから、今、また歌うひとになったのだろう。

歌う彼女の口紅は、匂い立つ赤。

あの日、またね、と別れてから、
それぞれに色々なことがあった。

消してしまいたいことも、
消えて欲しくないことも、
両手に抱えて。
たくさん得ては手放して、
出会って、別れて、
いくつかの選択のなかで
残ったものを大切に握りしめて
今の私たちになったのだ。

匂い立つものは、
やがて褪せていくのだろう。
私たちも、学生時代のような
眩しい若さは失せている。

けれど、「とき」という風にふかれ、
若さゆえの乱暴さがゆっくりと研磨されて、
目には見えない香りや、
やさしい色の空気になって、
時に誰かを包んでいるのではないだろうか。

彼女とわたし。
それぞれに違う道にいるけれど、
別々の目指す道のなかで、
自分らしい色を、
歌にして、言葉にして、
より多くの人に届けられるように。

また会う時が、楽しみだ。

空っぽの木に咲く想い出の色。

卯の花色(うのはないろ)は、
空木(うつぎ)に咲く花、“卯の花”の色。
古くから、雪や白波にもたとえられてきた白をさす。

先日、骨折して入院した母を見舞い、
しばらく母の部屋で過ごした。
電話では元気そうだった母も、
最近は、思うように動けなかったのか、
部屋のあちこちにほこりが積もっていた。

食器棚を開けると、ころんだ時に折れた前歯が
大切に紙に包んでしまわれていた。
それを見て、
幼い時に歯医者さんで
診察を受けた日のことを思い出した。

いくつだったのか記憶にないけれど、
その日、恐怖に泣く私の治療中、
母が痛いくらい
力強く手を握ってくれていたのを覚えている。

いつも家族を心配して、怒って、
笑って、ちょっと毒舌だった母が、
今は、たよりなく病室のベッドで
天井を見て溜息をついているのは、
見ていて、どこか切なかった。

帰る日に、じゃあまた来るね、
と、手を握ったら、
いつのまにか細く小さくなった手は
私が握る手の力に、
弱々しく返してくれることしか
できなくなっていた。

月日は知らぬ間に、流れていた。

胸の奥にチクリと痛む切なさを抱えたまま、
次の場所へと移動して、
きっとぼんやりしていたのだろう。
思い切り前のめりに転んでしまい、
したたか顔をうちつけて
前歯が欠けてしまった。

ギザギザに欠けた歯を
舌で確かめると、
失くした痛みを
思い知らされるような
ざらつきがあった。

一本まるごと失くしたわけではないのに、
小さな一部分が欠けただけで、
心にも体にも痛みが襲ってきた。

卯の花は、小さな白い花が枝いっぱいに咲き、
夏の花ながら、雪のように見えるのだという。

たっぷりと白で覆われるその光景は、
健康な白い歯がのぞく口元にも似ている気がする。
それは、若くて元気だった父や母がいた頃の
私たち家族の姿にも重なる。

その後、私の歯は治療して、
元の形に戻った。
けれど、あまり固いものを食べてはいけませんよ、
と医師からアドバイスを受けた。
見た目は同じに見えても、
もう欠ける前の歯ではない。

母も、少しずつ老いてゆく。
何もかも、月日を重ねれば、
元の通りになるものはない。

卯の花の咲く空木(うつぎ)は、
枝の内部が空(から)であることから
「空ろな木=空木」と名付けられたいう。

母のいない母の部屋は、
物はあっても空っぽの空木のように感じられた。

そんな空っぽに感じられた部屋も、
片づけていると、
棚いっぱいのアルバムがあるのを見つけた。
母の子ども時代から、私たち家族の想い出まで
長く愛しい時間がぎっしりと詰まっていた。

そうだ、人は、生きる限り、
空(から)になんかならない。
今の気持ちも、いつか家族の想い出となって
力を与えてくれる。
そう思って、卯の花色の母のシーツを
お日様に干したのだった。

落としたものは、何色ですか?

生色(しょうしき)。
この名から想像できないけれど、
金色の別称だ。

仏教では、金は、錆びずに“生まれたまま”の輝きを
保つことから、生色という名がつけられた。

高校生のとき、友人からもらった財布が、
この色だった。
四角い掌サイズの小銭入れ。

とても気に入っていた。
ところが、夏休みのある日、
電話ボックスに置き忘れてしまった。

気づくのが遅く、
あわてて引き返したけれど、
すでに財布はなかった。

携帯電話などない時代のことだ。
財布がなければ、帰りのバス代もなく、
助けを頼む電話もできない。
さて、困った!
と、泣きそうな思いで、
電話ボックス内に落ちてはいないかと
探したところ…
分厚い電話帳の間に、ぺらんと
はさまれたメモ書きを見つけた。

「ここに財布を置き忘れた方へ。
 警察に届けたので、取りに行ってください」
と。

驚きと、嬉しさで、メモを持つ手が震えたのを覚えている。

警察に行き、落とした時間と物と残金が
一致したことから、落とし主と認められ、
暗い部屋に通された。

しばらくすると、穴をあけ、太いひもに通されたいくつもの
落とし物の財布を見せられた。
色とりどりの財布の中から、金の財布を
指さすときに、ふと、「金の斧、銀の斧」の
物語が頭によぎった。
私の斧(財布)は、本当に金色だったのだけれど。

個人情報にうるさい現代でもそうなのだろうか?
その時は、拾って届けてくれた人の名前と住所を
メモ書きして渡された。

新学期になって、御礼に行くことにした。
一人では少し不安で、友人について来てもらった。

その日も暑くて、探し当てた家の玄関は開け放たれていた。
突然の訪問に、驚きながら現れたその人は、
思っていたよりも若いお母さん。
控えめな明るさで、あたたかく応対してくださり、
奥から、小さな坊やも出て来てくれた。

お小遣いで買ったささやかな菓子も、
固く遠慮されたものの、
無邪気な坊やに渡して、本当にあの日、
助かった、嬉しかった、ありがたかった…
そんな感謝の想いを、拙い言葉で述べ、
早々に帰った。

とても良い、嬉しい思いが胸に満ちていた。

けれど、そばで見ていた友人がぽつりと、
「あの人、いい人すぎて損をして生きてるように見える…」と
率直な思いを話してくれた。

確かに、ずるい気持ちで得するくらなら、
敢えて清貧を選ぶ、そんな強さと清潔さを感じられる人だった。
ほんの数分の会話にも、そう思える美しさに
心惹かれた自分に気づいた。

いつも清々しい想いで、ものを見ること、
人に会うこと、ことにあたること。
そうすることが、どんなに飾り立てた美しさよりも
魅力的な輝きになると、あの日に教わった気がする。

この生色(しょうしき)は、
「しょうじき」と読まれることもある。

錆びないで、生まれたままの輝きを
保つ色の名、「しょうじき」。
この読み方に、多くを語らない教えのようなものを
感じる。

心の錆は、ずるさを許す自分の中からひろがっていく。
私の中の「しょうじき」は、
まだまだ弱く、得られるならば、銀の斧を捨て、
金の斧をわが物にしようと求めてしまう。

身の丈を知り、おてんとさまに恥じないように。
それを教えてくれたあの日の落とし物は、
私にとってかけがえのない拾い物だったのかもしれない。

「まいにち ばらいろ」と唱える。

薔薇色(ばらいろ)。
バラの花の色は色々あるけれど、
薔薇色とは、赤系統の花色。
真っ赤よりも、薄紅に近い色をさす。

平安時代には「薔薇」のことを
「そうび」または「しょうび」と読んでいたという。
「薔薇色(ばらいろ)」と読まれるになったのは
明治以降のこと。

誰が見ても美しいこの薔薇に、
私は、少し苦い思い出がある。

小学一年生のときのことだ。
何人かの同級生が、
自宅の庭で咲いた季節の花を、
教室に飾るよう、新聞紙に包んで持ってきていた。
その様子がうらやましくて、
母に私も持って行きたいと頼んだのだ。

母は、うちには学校に持っていけるような花はない、
と、その夜、仕事が終わってから、
近所の花屋さんに駆け込んで、数本の花を買ってきてくれた。
小さな薔薇の入った、派手すぎない花束では
あったけれど、見た瞬間、私は
「これは、ちがう…」。
そう思った。

とはいえ、せっかく買ってきてくれたのに、
持っていかないわけにはいかず、
花屋の包装紙に包まれた花を、
おずおずと先生に渡すと
「え? わざわざ買ってきたの?」
と、驚かれた。
その時の恥ずかしさ、きまりの悪さは、
今も忘れられない。

それから数日間、気まずくて、
教室の花を見ないようにしていた。
「かわいい薔薇ね」といわれるたびに
「かわいいバカね」と言われている気がした。

そんなこともあったからか、花を描くとき、
選ぶとき、いつも薔薇を避けていたように思う。

「薔薇色の人生」…その言葉すら
どこかトゲを感じていた。

薔薇には何も罪はなかったのに。

そんな私の思いとは関係なく、
薔薇の花は、いつでも高貴で美しく、人気の的で、
薔薇色もまた、幸福や喜び、希望に満ちあふれた世界に
たとえられる明るい色だ。

何年前だろうか。
作家・田辺聖子さんが
サイン色紙に「まいにち ばらいろ」と書かれる理由を
新聞のインタビュー記事で読んだ。
そこでは、こう語られていた。

「あの言葉を見ていると、なんか幸せになるでしょ。
 (中略)
 ものすごくきれいな言葉を使って、
 みんなが美しく元気が出て、
 ほかの人にちょっと親切にしよかって
 気が起きたりする」

薔薇色は、言葉でさえ、色と力を放ち、
人を美しく元気に、そしてやさしくするのだ。
そんな花の色が、ほかにあるだろうか。

その記事を読んでから、
何か暗い思いに覆われそうなとき、
「まいにち ばらいろ」と唱えるようになった。
薔薇色を思い描くと、
不思議に心が、ぽっと明るい色に染められる。
暗い部分があたためられて、
元気がわいてくるような気がするのだ。

気高く、美しく、愛らしい薔薇。
つまらぬ羨望や目立ちたがりな心など、遠ざけて、
凛として咲く、薔薇の咲き姿。

あの時、娘の願いだからと、
疲れているのに、花屋さんに駆け込んでくれた
母の思いやりに思い至らなかった
自分を、今は少し恥じる。

薔薇は、どんな思いも受け容れて
微笑み、咲いていてくれる。

その花言葉は「愛情」という。

限りなく美しい未来を描く色。

夏の日射しに負けないほどの
眩しい色、天藍色(てんらんいろ)。
美しく、力強い濃い青。

そんな天藍色に染まる名古屋の街へ
行ってきた。
大好きなバンド、バックナンバーの
ナゴヤドーム公演のチケットに当たったのだ。

実は、コンサートのために遠征するのは
人生初。
そもそも面倒くさがりの自分が、
まさかこんなふうに、あれこれと
段取りをして出かけることになるとは、
思ってもみなかった。
自分で、自分に驚く夏、だった。

若いころは、経済的に余裕がなかったり、
仕事が忙しくて休めなかったり、
はたまた、極度の心配性で
「当日、行けなくなったらもったいない」と
行きたいくせに、
消極的な発想でやめておく、
という面倒くさい性格でもあった。

自分の人生に、「ライブを楽しむ」と
いうことはない、とあきらめていた。

しかし、一度行ってみたら、
心配するほどのこともなく、
それ以上に、ライブでしか
感じられない興奮と感動を
味わってしまったのだ。

これは本当に、「味わってしまった」と
いうしかない、後には引けない悦びと楽しみに
なってしまった。

何かを好きでいるエネルギーは、
物理的にも、精神的にも、
それまで自分の知らなかったところへ
連れていってくれる。

どんなに不安でも、
「好き」という気持ちが、
何があっても、きっと楽しいよ!
と、ポーンと背中を押してくれる。

そうして、やってみたら、
案外カンタンにできたり、
カンタンにいかなくても、
その過程で、自分自身の知らなかった一面に
気づくこともできて楽しい。

一度あきらめた分だけ
悦びも深く、大きいような気もする。

これはコンサートに行くことだけでなく、
人生のなかのさまざまなことにも
共通しているように思う。

それでも、どうにもかなわないこともある。

ライブの帰り道、若い女子グループが
「バックナンバー聴くと、高校の時を
思い出すんだよね。文化祭の準備とかの
とき、ずっとどっかで聴こえてたし」
と、後ろでしみじみと語っていた。

もし、十年後、二十年後、
彼らが活動を続けていたとして、
そのライブの帰り、
彼女たちは、遠ざかる高校時代を
彼らの曲とともに、また懐かしく語り合えるのだろう。

それは、私には、もうできないことである。
たとえ十年後に、行けたとしても、
彼女たちのように曲の背後に青春のシーンはない。

それでも、やはり、人生初の遠征でやって来た
名古屋の街で感じた興奮を、懐かしく思い出すのだろう。

それは、胸の内で語るのかもしれないし、
また、このブログで語るのかもしれない。

いずれにしても、人生は何が起こるかわからない。
いくつになっても、無限の夢と可能性は
捨てようとしない限り、ある。
あると、信じる。

天藍色の「天」は限りなく美しいことを表しているという。

名古屋の街で見た天藍色のあれこれを
まぶたに焼きつけて、また無限の美しい時を
夢見ていこう。

夕暮れは、天狗さんの色。

燃えるように暑い、この夏。
夕陽も一日の暑さを描くように
景色を紅色に染めている。

炎色(ほのおいろ)は、
その名の通り、炎の色。
明るい赤色。

どんなに日没が遅くなっても、
子どもの頃は、五時が門限だった。
五時になると町内放送で
「夕焼け小焼け」が鳴り響き、
それまでに帰らないと叱られた。

五時を過ぎても遊んでいると
天狗にさらわれる、と
言われ、本気で信じていた。
「学校近くの垣根で見た!」
という目撃情報に、
ドキドキしたのも
今思えば、
幼く、かわいい思い出だ。

あれは、小学一年生の頃だったか、
買ってもらったばかりの、
小さなゴムボールで遊んでいたら、
近所のいじめっ子に
そのボールを取られ、隠されてしまった。

五時の鐘が鳴り、気持ちは焦るのに
いじめっ子は、にやにやと笑い
高い木を指差して、あの上に飛んでいった、
と言う。
五時に間に合わない、両親に叱られる、
天狗にさらわれる…
恐ろしい思いがさまざまにめぐり、
泣きそうになっていた。

すると、
背の高い、知らないお兄さんが
やってきて、いじめっ子の
頬を驚くような強さでぶった。
あまりの勢いに驚いたことと、
恐怖で身を縮めていると、
二人の間で、しばらくやりとりがあり、
いじめっ子は、隠していたボールを
ふんっ! と投げて去っていった。

背の高いお兄さんは、
それをさっと拾い上げ、
身体を折り曲げるようにして
ボールを手渡してくれた。
夕焼けの空を背景にして、
幼い私にその人は、天狗に見えた。
そのせいか、激しいやりとりの恐怖からか、
うまくお礼が言えなかったような気がする。

それでも、恐れていた天狗が、
さらうどころか、五時に帰らないとダメだと
助けにきてくれたような気がして
どこか安心するような嬉しさもあった。

その「天狗さん」は、
結局、どこの誰かはわからないままだ。

後日、花火大会の日に
ちらっと見かけて
「あ、天狗さんだ」と
思ったけれど、声をかけるという発想もなく、
遠くから見ていた。
花火に照らされた天狗さんは、
炎色に染まっていた。

あれから何十年もたって、
天狗も、夕暮れも、怖くなくなった。
そして、「天狗にさらわれる」と言って、
自由に遊ばせつつも心配して
帰りを待っていてくれた両親や、
「ほら、日が暮れるよ」とゆっくりと
沈んでいく夕陽のやさしさがわかるようになった。

本当に怖いのは、心配するもの、
心配してくれるものが、なくなることだ。
今年も、炎色した夏の夕暮れが
心配する人、される人たちを照らして
やさしく燃えている。