わからないから怖いこと。
知っているから怖いこと。
夏の終わりとともに、
怖いことも、
では、さらば! と別れたいのだけれど…。
白和幣(しらにぎて)は、
カジの皮の繊維で織った布の白い色。
和幣(にぎて)とは、神に供える布のことを言う。
20代の頃、まだ一人暮らしをしていた時に
風邪をこじらせた。
薬が効かない…。
気管支が弱かったこともあり、
熱も出て、咳も悪化していった。
深夜にひどく咳き込んだ時、
息が吸えなくなった。
布団の中で、強く目をつむり、
このまま息ができなくなるのかな?
という苦しさに襲われた。
ぎゅっと、強く目をつむっていると、
白いぼんやりした形が見えた。
いくつの時だっただろう。
小学生になったばかりの頃か、
家族で山に登った。
大きな白い百合を摘んで
上機嫌で歩いていたが、
下山の時、足が痛くなって、
父に背負ってもらった。
手にしている百合が
父の顔に当たり、
匂いにむせるからと、
山道の脇の草むらに、
置いていくように言われた。
美しい花を手放すのは、
とても惜しかったけれど、
もう歩けないから…。
と、泣く泣く置いて帰った。
咳がひどくて息のできない時、
瞼にぼんやり浮かんできたのは、
その時の百合の花だった。
生き生きと咲いていたのに、
手放す時は、大輪のまま
哀しそうに萎れていた。
いつも徹夜、不摂生も、
ものともせず、
走り回っていたのに。
今や、心細く布団にくるまって
息も絶え絶えに萎れている…。
そんな自分の姿と重ねた。
このところ、
自宅療養をして苦しむ人たちの
ニュースを見ると、あの日の自分を
思い出す。
息ができなくなる苦しさ、恐怖。
一人でいることの、心細さ。
知っているから理解でき、
それだけに怖くて、胸が痛む。
どんどん変異するウィルスが
これからどうなるのか。
それもわからなくて、怖い。
しかし、
恐怖に身を縮めていても、
完璧に避けることはできそうになく、
ウィルスがこの世からなくなることも
ないようだ。
理解して、用心しながら、
少しずつ前に進むしかない。
息ができずに、
「死」を意識した瞬間に
思ったことは、
── まだ出会うべき人がいる。
出会うべき時がある。
生きたい、出会ってみたい──
だった。
その願いは切実で、
生きようとする力をくれるものだった。
遠い日に、泣きながら
置いて帰って百合のように、
前に行くために手放さなければ
ならないものがある。
あの時、父は
「捨てるんと違う。山に返しとくんだ」
と言ってくれた。
山に供える気持ちで、
そっと、踏まれないように、
置いて帰ったことを思い出す。
和幣(にぎて)は、神に祈る時、
榊の枝につけて捧げる、祈りのしるしのような
神聖なもの。
その白い和幣(にぎて)のような
百合を捧げて、
今は返しておく、
でもまた、会いにくる…と、
願いをこめた。
これからのウィズコロナという時代を
生きていくために、諦めることも
多くなるだろう。
そう考えると、暗く沈む思いになる。
それでも、「いつか必ず」と、
希望を持って、生きていく。
見上げる空は、秋の色。
秋の風は「色なき風」と言う。
まだ色のない、どんな色にも染まれる風。
そういえば秋の異称は「白秋」。
白い季節だ。
清らかな風に、
彩り豊かなたくさんの祈りをのせて
心を、願いを、羽ばたかせよう。