引き立ててこそ、輝く色。

胡粉色(ごふんいろ)は、
ほんのりと黄みを帯びた白色をさす。

胡粉は、日本画にも用いられた
白色顔料のことで、
奈良時代の文献にも見られるほど、
古くから使われてきた色だ。

日本の美しい白、といえば、
着物の衿の白がある。

とはいえ、なかなか街で着物姿の女性も見かけなくなった。
そんなこともあり、花街で見かける白い衿は、
日本らしい清潔な美しさを感じる。

舞妓さんが修業をつんで、芸妓さんになる日を
「衿替え」という。
刺繍や紋様のほどこされた、
華やかな舞妓時代の衿から
白い衿に替わって芸妓になる。
その白は、自立と精進の証なのだという。

色や模様で飾り立てされなくても、
白い色で、真っ向勝負。
そんな印象をもつ。

また、ほんのりと黄みを帯びたこの胡粉色は、
あなたの色に染まります、という受け身な白とは
また異なる、やわらかく、でも揺るぎない自信をもって、
自己主張する色にも見える。
さまざまな想いをのみこんで、
人や、ものごとを受け容れるやさしさ、寛容さを湛えているように。

どんな色も、模様も、受け容れて、
引き立てる大人の色。
主張するまでもなく、
丁寧に為すべきことを果たしていれば、
その美しさは語るまでもなく現れる。
そんな誇りすら感じる。

若いばかりが美しいのではない、
真っ白だけが輝くのではない。
その年齢、その状況にあった色をまとう。
そんな大人の知恵も感じられる色、
それが胡粉色だと思う。

思い焦がれて、染まる色。

焦色。
「こがれいろ」と読む。

焼け焦げて黒色に近い「焦茶色」とはひと味ちがう、
深く渋い赤色。

「思い焦がれる」という言葉もあるように、
赤い「思色」に通じる、
感情の「焦がれ」を表しているからか、
基本の色は燃える色、赤色なのだ。

そんなにも情熱的な名前でありながら、
思いが時を経て、やさしい記憶になったような、
滋味ある色にも見える。

この色を見ると、一枚の写真を思い出す。
家族みんなが精一杯よそゆきの服を来て
奈良の遊園地へ行ったときのものだ。

父に手をひかれて、たよりない足取りで歩く小さい私。
見るたびに父の愛情を感じて、
懐かしく、あたたかい思いになる。

その気持ちは、焦がれるように、
この時に帰りたいと思うものではない。

きっと、この色が与えてくれる懐かしさが、
時の経過のなかで
失くしたものを思い出させ、
同時に得たものの大切さ、重さを教えてくれるのだろう。

今では、この時の父の年齢も超えてしまった。
父の生きた年数も、もうすぐ超えようとしている。

けれど、この写真をみると、
「人ができることは、自分もできると信じて頑張りなさい」
と、いつも励ましてくれた父の言葉をいきいきと思い出して、
“さぁ、これから、これから! ”
と、娘にかえったように若く瑞々しい意欲が漲ってくるのだ。

もうすぐ父の日。
会えないけれど、今年も、心からの感謝を伝えようと思う。

忘れるために。見る色、着る色、想う色。

萱草色(かんぞういろ)は、黄色がかった薄い橙色。
ユリ科の「萱草」という花の色に
ちなんでつけられた名前だ。

見ると憂いを忘れるという中国の故事から、
萱草は「忘れ草」とも呼ばれ、
その色も、別れの悲しみを
忘れさせてくれる色とされていた。


(※画像は萱草の花ではありません)

万葉集にも
“恋しい人を忘れるために、この花を身につけたけれど、
どうしても想いが消せない”
という歌がある。

昔も今も、恋する切なさは変わりなく、
萱草は、その苦しさを紛らわせる
おまじないに使われていたのだ。

平安時代には、宮廷の忌事のときに着用された色でもある。
表裏に萱草色を重ねた女子の袴は
「萱草の襲(かんぞうのかさね)」として、
喪服に用いられていた。

こんな派手な橙色を忌事に!? と、驚く。
けれど、
平安貴族にとって
慶びのときに使われるのが華やかな紅色なので、
やや赤みを落としたこの色が、
控えめな印象で、遠慮する心を表していたのだという。
もしかしたら、凶事の悲しみを「忘れる」ために、
この色を身にまとったのかもしれない。

現代の感覚でこの色を見ると、
萱草色は、やさしい夕暮れの色を思い出す。

美しく落ち着いた橙色の夕空を見ていると、
楽しい一日なら、暮れてゆくのが惜しいような、
つらい一日なら、ほっとするような。
やはりどこか「忘れる」ことにつながるような気もする。

祭の夜店で見る電球の色も、これに近い。
にぎやかで楽しい、ウキウキする気持ちと、
祭のあとにやってくる寂しさの予感があって、
「忘れたくない」想いを焼きつけるような色にも見える。

忘れること。
忘れたくないこと。

いろんな想いや思い出を抱えて、日々をすごしてゆく。
一日一日を、色づけして記録するとしたら
何色が多くなるのだろう。

今は忘れたい日も、いつか、忘れたくない、
そんなふうに思えて、
この色に染まるといいな、と思う。

そういえば、赤と黄色の間をたゆたうこの色は、
どんな記憶も、想いも夢も、
やさしく溶かして生まれた色のように見える。

萌えろ! いい色、もえぎ色。

もえぎいろ。
萌黄色、あるいは、萌木色とも書く。

黄色の強い緑色なので「萌黄」。
平安時代から用いられたこの名の色は、
時に老いを隠す変装にも使われるほど
ひと目で若さを表現できる色だった。

一方、「萌木」色とは、
若芽の萌え出た木、新緑の色からつけられた名と考えられる。

 

 
そんな若さ感じる「もえぎ色」。

その名を聞くと、子どもの頃、
友だちの誕生会におよばれして行ったことを思い出す。

誕生会は春夏秋冬、それぞれの季節にあったはずなのに、
思い出すのは、新緑の中で、おにごっこやかくれんぼした、
もえぎ色の記憶なのだ。

誕生会で集まる友だちは、クラスの中のひとつのグループであり、
その固い結びつきの中にいられることが
安心感でもあり、息苦しさでもあった。

そこで笑ったこと、喧嘩したこと、経験したことは、
その当時の世界のすべてだった。

成長するにしたがって、世界は少しずつ広がり、
グループにとらわれることが居心地悪くなっていった。
ここがダメでも、別の場所があり、
変わること、離れることで、
ひととき胸に痛みがはしっても、
求めれば、新しい世界が大きく手を広げて
待っていてくれることを知った。

幼くて、たよりなくて、
小さな世界で悩んで、
でも、若くエネルギーに満ちて輝いていたあの頃。
その姿が萌え木と重なって見える。

だから、懐かしく、やさしく、愛しく見えるのかもしれない。

生きてみなければ、わからないことが
まだまだいっぱいあるよ、
と、若く瑞々しいもえぎ色が
葉を揺らせ、くすぐるように笑いながら、
今年もさわさわと語りかけてくれる。

空にかからぬ虹の色。

虹を見たら、なぜそれを人に言いたくなのだろう。

いつ消えてしまうかわからない儚さからか。
やっと出会えた、そんなときめきがあるからか。

「虹色」は、虹の七色全てだろうかと思いきや、
意外にも一色。淡い紅色のことをさす。
紅花で染めた薄い絹地の色だ。
薄い絹地は、光の反射により、青みが強かったり、
紫みが強く見えたりするという。
光を織り込んだような絹地の色は、
見る角度によって移ろうように見えるから「虹色」なのだ。

光や角度によって表情を変える
虹色の無限性、不思議さ。

それは、ひとの気持ちにも似ている気がする。
たとえば「好き」という気持ち。

自分の気持ちも、我知らず月日の流れによって変化するし、
相手の気持ちも、その日、その時の様子で
色や温度が変化したり、さまざまな色合いが入り混じって見える。

光と色がある限り、刻一刻と変化する。
揺れ動く感情と同じで、
誰にも止めることができない。

もし、それをひととき見ることができたら…。
視界の中にとどめることができたなら…。

虹を見つけた喜びはそれに似ているのかもしれない。
そして虹色は、見つけた喜びに高揚する頬の色にも見える。

黄みの名は。

 

 

 

さまざまな色やカタチのチューリップが
街を彩る、桜のあとの春の景色が好きだ。

チューリップの和名は鬱金香(うこんこう)という。

鬱金(うこん)は、赤みのある鮮やかな黄色。
江戸の昔には、鬱金の文字が
「金が盛んに増える」という意味に通じるとして
財布や風呂敷の色としても人気があったのだとか。

鬱金色だけではないチューリップ。
その名は、この花独特のスパイシーなウコンの香りに由来する。
現代では、フローラルな香りのする品種も増え、
愛らしさもかぐわしいほど。

そういえば、咲く姿は香りを含んで、
その匂いに惹かれて誰かがやって来るのを
待っているようにも見える。

 

かつて、制服の胸ポケットに紙香水を入れて、
ボールペンをさしていたことを思い出した。
好きな人にそのペンを貸してあげるチャンスを
待ちながら、大切にしのばせていた香り。

結局、そんなチャンスは訪れず、
かわいた紙香水と匂いの消えたボールペンだけが残った。

あの頃、待つことも甘い時間だったような気がする。

そんなことを思い出させてくれるチューリップの色と香りが、
風に揺れて、ゆっくりと季節も夏に変わってゆく。

 

おうちの色は、いとをかし。

生糸の入ったスカーフを見つけたと、母が贈ってくれた。

春の終りの空のような、薄い青紫のおうち色。
おうちとは枕草子にも登場する花、栴檀(せんだん)の古称だ。

実家が織物業だったので、子どもの頃のお手伝いも
糸にまつわることが多かった。
そんな日々を忘れないで欲しい
という気持ちが母にはあったのだろう。

もちろん忘れる訳がなく、この糸を見るだけで、
故郷が近くにやってきたような優しさに包まれた。

糸は細い。しかし、決して弱くはない。強くものを結ぶ。

家系図を眺めていたとき、
あぁ人は、こうして過去から未来へと
糸で結ばれているのだ、と思った。
誰かがいなくなっても、糸は切れたりしない。
つながりを保ち、未来につながってゆく。

家系図だけではない。
今は、ネットワークという見えない糸が、
遠くにいる人たちと
瞬時に結びつけてくれる時代だ。
時間や距離が隔ててしまった人たちとも、
空のむこうの網の目が
つながっていて、これからも無限につながってゆく。

いと、をかし。

 

桜の、いろはにほへと。

 

いろはにほへと ちりぬるを──。
いろはかるたで遊んでいた子どもの頃には
知らなかったその意味。

「色はにほへど 散りぬるを」。
さまざまに解釈はあるらしいけれど、
「匂いたつような色の花も散ってしまう」
つまり、この世に不変なものなどない、ということらしい。

桜の散る頃は、その言葉に、特に切ない実感がある。
桜色は、ごく薄い紫味の紅色で、
染井吉野の誕生以前からある、山桜の色。
咲き方も散り方も鮮やかで、
毎春、心をざわつかせてくれる色だ。

今年もたくさんの桜を見た。
蕾は、春まだきの寒さに縮んでいるようで、
きりりと引き締まる想いになり、
満開の桜の下にいると、
ぬくもりに満ちていて、ほどけた想いになった。
桜色は、あたたかく、
やさしい空気も運んでくるのだと思う。

花吹雪の中を歩くと、
花道を歩いているような心持ちがする。

花道を通っていよいよ舞台へ。
さあ、朗らかで、嬉しい、春が来た。

 

はな色、なに色、はなだ色。

 

「はな」といえば、桜を思い出すのだけれど。
「はな色」とは「はなだ色」を短縮した名前で、
淡い藍色のことをさす。

はなだ色は、また別名「露草色」ともいう。
露草から出る藍色が、その昔、染めに用いられ、
その名で呼ばれていたのだとか。

さらにまた別の名を「月色」ともいう。

月は藍色ではないけれど、なぜ?
それは、染めに使われたことから
色が「つく」で、「つき色」、「月色」となったらしい。

野に咲く露草は、素朴でさりげなくて、
無邪気に摘んだ子どもの頃を思い出し、
見つけると、とても懐かしい気持ちになる。

そして、こんなに鮮やかな色をしているのに、
染めたあと、すぐに色がさめてしまうことから
移ろいやすい色(心)として、恋のうたにも詠まれている。

優しく、たよりなく、妖しげで。
まさに春のおぼろな月のよう。

はなと、つきと、はなだいろ。
ひとつの色なのに、はなだ色の空に月と桜の三色が
淡い春の景色となって、心に浮かぶ。

菜の花と都会

春の景色を明るく照らしてくれる、菜の花色。
ほんのり明るい緑みを帯びた鮮やかな黄色だ。
桃色と同じく、花の名がそのまま色の名前となっている。
昔の人もこの色を身につけたいと思って、その名をつけたのか、
それとも春の景色を語るときの話題になったりしたのだろうか。
そんな鮮やかな菜の花を描こうとしたのは
小学校の親子写生会のとき。
水彩絵の具でうまく描けず悪戦苦闘する私の隣で、
父がクレパスで その景色を線で描いていく。
線だけの寂しい絵、と思っていたら、
次の瞬間、それらの線を指で押さえて、
すーっ、すーっと伸ばし始めた。
「大地から、空にむけて」と、勢いよく。
その力強い線は、やがて群生する菜の花が
風に揺れているような絵になった。
ぽんぽんぽん、と親指で、黄色い花ものせられた。
こんな描き方があるのか!
と、感動した私は「絵を習いたい」と父にたのんだ。
ほうぼうあたってくれたが、
さまざまな条件があわなかったのだろう。
結局見つからなかった。
その時、残念で悔しくて悔しくて、子ども心に
「都会なら、習えるのに!」と、
都会への憧れが、強い光となって、心に灯ったように思う。
その後も、絵を習うことはなく、うまくなることもなかった。
そのかわりに、大人になって写真を撮る喜びが与えられた。
群生する菜の花を撮る時、
時々、遠くからそのシルエットをなぞってみる。
「大地から、空にむけて」すーっ、すーっと。
指先の向こうに見えるのは、あの日憧れた、都会の空。