桜は散ったのに、
春がどこかに置き忘れられたような
ひんやりとした日々が続いてる。
黝色(ゆうしょく)は、
青みのかかった黒色。
「黝(ゆう)」は、
黒くて見えにくい、薄暗い、
という意味をもつ。
気温のせいだけではない。
新型コロナウイルスの影響で、
街の景色も咲く花も、暗く沈んで、
ぬくもりも色も、喪ってしまった気がする。
春は来たのか、去ったのか、
それに心向ける余裕も奪われてしまった。
心重いまま、家にいて、
撮ったまま放っていた写真の整理をしている。
昭和レトロな、
もうすぐなくなってしまうかもしれない、
という建物や光景の写真。
ほんのりと暗く、懐かしく、親しいような
でも、気安く近づくと叱られそうな世界。
できれば、何度も通って、親しくなって、
ほっとするような光景に撮れたらいいのに。
そう願っていたけれど、
もしかしたら、それは叶わなくなるのではないか…
そんなことも思うようになってきた。
黒は、知の色、沈黙の色、という。
暗さは不安を感じるけれど、
その場、その時、必要な知識を
充分に得ることができれば、
安心できる。
安心できれば、
沈黙すべき時も、ことも、わかる。
黝の字源は「黒」に「幼」。
「幼」は、かすかな光を意味するという。
闇の中で灯りに希望を感じるように、
暗い静謐の中にあって、
光を求めて、今、何をすべきか考えている。
黝色(ゆうしょく)は、
「感情を抑えた色」
「堆肥のように黝(くろ)ずんだ色」という。
堆肥とは、「わら、ゴミ、落葉、排泄物など
積み重ね、自然に発酵、腐熟させて作った肥料」のこと。
いらないと捨てられたものでさえ
次の命を育てる大切な肥料となる堆肥の色、
黝色(ゆうしょく)。
暗く沈んだこの空気が
明るいものに変わる時、
今抱えている不安や辛さが
それを経験した者にしか与えられないような
確かな知恵や、豊かな優しさになって
次の世代へと受け継がれればと想う。
黒といえば、黒猫が主役の
「ルドルフとイッパイアッテナ」という映画を
ネット配信で観ることができた。
ストーリーはすでに知っていたのに、
「絶望は臆病者の答えだ」
というセリフが、改めて胸に刺さった。
絶望とも言えるピンチに、ぐっと目をつむり、
知恵を働かせて、乗り越えていく小さな黒猫、ルドルフ。
彼は不可能とも思える挑戦をするときに
師匠・イッパイアッテナから言われる。
「約束できるか。
絶対に途中で投げたりしないことを」
さまざまなことが嫌になって、
考えることもやめたくなる日もある。
けれど、逃げられない。投げられない。
絶望なんかしていられない。
いいと思うことはやる、続ける。
そして、健やかに、できるだけ明るく乗り切ってやろう!
いつかこのレトロな景色を
こんなに変わったのか!
と驚きながら、もう一度撮りたい。
だからまた会える日まで、
stay homeを守る。
未来を信じたいと思う。
こんな時だからこそ、強く。