あめを、まく。

黄色い小さな花を見ると、
飴玉を口に入れたような
甘酸っぱさが広がる。

刈安(かりやす)色は、薄い緑みの鮮やかな黄色。
山野に自生する、
イネ科ススキ属の植物「刈安」で
染めた色だ。

社会人になったばかりの春、
法事で、祖母が「ねぇはん」と呼ぶ
大伯母に初めて会った。
母や伯父叔母は、「おばちゃん」と
呼んでいた。

ふくよかな祖母の縮小コピーのような
そっくりな面立ちで、小さな体。

名前は知らなかった。
ただ、ひっそりとした優しい笑顔が
印象的だった。

その優しさに惹きつけられるように
隣に座った。
近況を話すうちに、おばちゃんと私の職場が
すぐ近くにあることがわかった。
長年、製菓会社の社長さん宅の
お手伝いさんをしてきたけれど、
今月いっぱいで辞めるのだと言う。

「土曜だったら、私一人だし、会いに来てな」
おばちゃんは、そう言って、私の手を優しく
握ってくれた。

法事の後、母に聞くと、
おばちゃんは、
大阪で一人暮らしをしていると言う。
高齢になり、近々、田舎の娘夫婦の家に
身を寄せることになったけれど、
引き取り手である家族からは、
あまり歓迎されていないことも知った。

土曜日のお昼休み、
おばちゃんの職場を探した。
すぐに見つかった。
でもそこは、知らない方のご自宅。
本当にお邪魔してもいいのかなぁ…と、
戸惑いながら玄関をあけ、
「こんにちは」と、奥に声をかける。

少し腰の曲がったおばちゃんが
奥からゆっくりと出てきた。
しばらく、誰だろう? と、私を見つめて
「まぁ! 来てくれたん?」
と、手を一つ叩いて、嬉しそうに笑ってくれた。

奥の台所に通されると、
おばちゃんは食事中だったのだろう、
小さなお弁当箱に、ふたが斜めに置かれてあった。
麦茶を飲みながら、この家での仕事など聞く。

何十年も、おばちゃんは、
その小さな体でひとり、
他人の家を磨き、花を飾り、ご飯を作ってきたのだ。
仕事が終わると、午後三時には帰るという。

もの言わず、淡々と仕事をし、
一人の部屋で食事して眠る…
おばちゃんの静かな日常を思った。

昼休みも終わるので、帰ろうとすると、
「おおきに、おおきに、来てくれて」
と、玄関先まで見送ってくれた。

帰り道、振り向くと、おばちゃんはずっと笑って
手を振っていてくれた。

その姿は、ススキのように
強く懐かしく、しなやかに揺れていた。

刈安色は黄色に染めるだけでなく、
藍とあわせて用いられると、
鮮やかな緑色になると言う。

おばちゃんの優しさが、
懐かしい街の人たちを笑顔にして、
景色をやわらかな緑色に染め、
和やかに過ごして欲しい…
心から願った。

それからしばらくして、仕事中に受付から
電話がかかってきた。
私に来客があり、その人がお土産を置いて帰ったと言う。

誰だろう?
と、受付に行くと、
ご来客の方からこれを、と
ダンボール箱を渡された。
開けると、おばちゃんが勤めていた社長さんの
会社の飴がいっぱい入っていた。
刈安色の小さくて愛らしい飴。

おばちゃんは、少し曲がった腰で、
この箱を、きっと大事に抱えて
持ってきてくれたのだ。

その日は、月末。
おばちゃんの退職日だった。

急いでビルを出て、あたりを見渡しても、
もう姿は見えなかった。

席に戻って、
部署内のデスクに、もらった飴を数粒ずつ置いていく。
「わぁ、懐かしい」「これ、知ってる」と
受け取ってくれる人たちに、笑顔の花が咲いた。

おばちゃんは、笑顔の種をたくさん蒔いて、
大阪の街を去って行ったのだった。

光の中で咲いていた花は。

夏は、サザンオールスターズ。
街には、熱風とともに
BGMのように流れていた。
十代の私も、カセットテープが
擦り切れるほど聴いていた。

木槿色(むくげいろ)は、
明るく渋い紅色。
木槿の花の色だ。

木槿の花が咲くには、まだ早い六月初め、
初夏に咲く、その色の花々を見つけて、
暑い夏の日のことを思い出した。

短大二年の夏、
人生初のライブ体験。
しかも、大好きなサザン!
サザンオールスターズの
大阪球場のライブに行けることになったのだ。

チケットを手配してくれたSちゃんは、
本当はそのライブに彼氏と行く予定だった。
ところが、
夏休み前にケンカをしてしまい、
ピンチヒッターとして、私に声がかかった。

嬉しいけれど、喜ぶ顔をしてはいけない。
Sちゃんも、明るく振る舞おうとしながらも、
顔が笑っていない。

ウキウキしていない二人で
大阪球場に出かけた。

球場前は、想像以上にすごい人いきれだった。
圧倒されながら進んで行くと、
高校時代、憧れていた人を見つけた。
当時の仲間と、変わりない笑顔。
気づかれないように、チラチラ眺めて
通り過ぎた。

席を探していると、今度は、
懐かしい呼び名で声をかけられた。
振り返ると、高校時代、仲の良かったKちゃん。
いつも恋バナなどしていた友達。
卒業以来の再会だった。

中学の同級生の男子も見つけた。
「変わらんねぇ~」と心で語りかけた。

席に戻って、
「懐かしい人に次々と会った。
 なんか、あの世に来たみたい…。」
そうSちゃんに言うと、
「あの世っ…!?」と、苦笑いを浮かべていた。

ライブが始まった!
毎日聴いているサザンが、
目の前に! 同じ場所に!!!

紅く、妖しく、光るステージは、
木槿色の美しい彩り。

満開の花が輝くように
スタジアムが光に揺れる。

場内の興奮はピークに達したけれど、
スタジアムのずーっと後ろの席から見る
ステージ上のサザンは、
豆粒よりも小さくしか見えなかった。

「あ~ぁ、虫眼鏡持ってきたらよかった」
というと
「それをいうなら双眼鏡ね」と、
Sちゃんが貸してくれた。
…やはり、よく見えなかった。

歌声も、遠くに響いて消えて行くような。
こんなものなのかなぁ…。
戸惑いながらも、
せっかくのチャンス、
楽しまなくちゃ損だ!!

と、無理に気持ちを奮い立たせても、
どうにも周りの人と同じようにノレない。
Sちゃんも、彼氏と一緒だったら…と
思っていたのだろう。
あまり楽しそうではなかった。

よその町のお祭りに迷い込んだような
どこか馴染めない気持ちのまま、
ライブは終わった。

想像した喜びや興奮とは少し違ったことに、
しょんぼりしながら帰り道を歩く。

木槿の花は、一日花と言われている。
朝に咲いて、夜にはしぼむ。

ライブもそんな花のよう。
朝は楽しみで元気いっぱい
咲こうとするエネルギーに満ちていたのに、
夜には、すっかり萎れてしまう。

幻想的な色と光に包まれていた時間が
少しずつ遠ざかっていった。

その後、何年もライブには行かなかった。

サザンオールスターズも、
気がつくと、あまり聴かなくなっていた。

すっかり忘れたと思っていたのに、
六月の花々や、
真夏のような熱い風が、
あの日の球場の空気を思い出させくれた。

たまらなく聴きたくなって、
スマホのサブスクリプションで、
サザンを再生してみた。

夕暮れの校舎、体育館の前、
開け放たれた下宿の窓から、
聴こえていたサザンのメロディー。

さまざまな夏のシーンの中、
いつも流れていた。

胸がきゅうっと締め付けられるような
想いがこみあげてきた。

そんな時間を
イキイキと思い出させくれる
音楽があってよかった。

泣いたことも、怒ったことも、
がっかりしたりことさえも、
全部、いい時間だった。

想いが、音楽に流されて次々と蘇る。

そ〜っとのぞいて見てみたら…。

うすぼんやりとした記憶の中で、
光の粒子がキラキラと輝いている。

瓶覗(かめのぞき)色は、白に近いうすい水色。
瓶覗とは、藍染される布をほんのわずか瓶に浸けただけ、
まるで瓶の中を一瞬覗いただけのような淡い色から
この名がついたという。

短大に入り、学校をちょっと覗いたくらいの五月。
同じ下宿のSちゃんに、英語クラブの
新入生スピーチコンテストに
出ようと誘われた。

そんな自信も度胸もなく、絶対嫌だ! と
コタツにしがみついたが、
ずるずるとコタツごと
部屋の外まで引っ張られた。
あまりの怪力に大笑いして、気がつくと
出場希望者の列にいた。

コンテスタントは二十名ほど。
その中には、数々のスピーチコンテストで
入賞経験がある、というツワモノ(!)もいた。
場違いだ、帰りたい…と思いながら、
先輩方の指導による練習が始まった。
もう引き返せないレールに乗ってしまったのだ。

その日から毎日、放課後、
教壇に立ってスピーチをする。
声は震える、記憶は飛ぶ、腹式呼吸もへなへなと
しおれるような小さな声。
そして、練習の後の反省会。
一列に並び、先輩方のコメントをいただく。
当然、毎日叱られる。
先輩の怒声にビックリして、コメントを取る鉛筆の芯が
ボキッと折れたこともある。

日々の練習の甲斐もなく、
成長も充実感もなく、
あるのは不安と自己嫌悪ばかり。
そんな自分に落ち込んでいたところ、
去年の出場者である同じ下宿のN先輩が、
遊びにおいでと声かけてくれた。

夜、先輩の部屋に行くと、ニコニコと
迎え入れてくれた。
先輩も当時はうまくできなくて、毎日毎日
叱られてつらかったことを聞かせてくれた。
でも、練習最終日、いつも怒鳴られていた先輩に
しみじみと「…うまなったなぁ」と褒められて
涙あふれて、コンタクトが落ち、
感動から一転、みんなでコンタクトを探した!
という爆笑ストーリーも話してくれた。
「大丈夫、みんなうまくなるよ」
というN先輩の言葉。
折れそうだった心に、
優しい水を注がれた気がした。

とはいえ、発音、抑揚、表情、身振り…
それらをマスターすべきスピーチは難しく、
結局、最後までしみじみと褒められるほどの上達はなかった。

そして、コンテスト当日。
校内でも広い階段教室が会場だった。

いざ本番! となると、
頭が真っ白になって、棒立ちしてしまうのではないか。
そんな不安に震え、縮み上がっていた。
ただただ、怖い。

誰のスピーチも耳に入らず、
ずっと脳内で原稿を読み続けていた。

やがて自分の順番が来て、壇上に向かう。
足の感覚がなく、全身がふわふわと宙に浮いてるいるようだった。
定位置について、観客席を見上げた。
耳がキーンと鳴る。

すると、視線のずーっと先、
階段教室の一番奥、最後列の真ん中に
N先輩と友人が見えた。
満面の笑みで大きく手を振ってくれている。

私をリラックスさせようと、
精一杯、静かに、派手に、おもしろく。

その二人の姿に、ふっ…と心が緩んだ。
あ、私、笑顔になってる!
そう思うと、ひとつ、息を吐き出せた。

シュポン! と、栓のあいた炭酸水のように、
なんとか記憶通りにスピーチしていた。

でも、きっと緊張して早口になっていたのだろう。
規定の時間よりも、少し早く終わった。
ほんの数秒の沈黙。

…これで、終わりだ。
そんな解放感もあって、もう一度、
会場をゆっくりと左から右に見渡した。

右手には大きな窓があり、
晴れた六月の空がちらりと見えた。
教室の中は、差し込む光にホコリが
キラキラと光って舞っていた。

結果は、入賞にかすりもしなかった。

けれど、静かな達成感があった。
たくさんの人に励まされたり、叱られたり、
怒ったり、笑ったりしながら、
それまで知らなかった言葉の魅力に出会った一ヶ月だった。

人も、未経験なことも、
遠くから覗いていただけではわからない。

瓶覗色は、もう一つ、瓶の水に映った空の色から
その名がついたという説もある。

空を映す水の色も、入ってみたら透明であるように
なんでも飛び込んでみなければわからない。

ダメでも、何にもならなくても、
挑戦してみることで得られる楽しさ、
清々しさに、すっかり魅了されていた。

六月の空の色。
遠い昔の瓶を覗くように眺めると、
まだまだ濃くなる強くなる、
さぁ頑張ろうと力をくれる。
…そんな優しい色である。

会いたい本に、出会う色。

長年使われて、表面が滑らかになった木に触れると、
小学校の図書館を思い出す。
書架、貸出カウンター、図書カードの棚…。
どれも木の手触りが、優しくて、心地よかった。

礪茶(とのちゃ)色は、赤みがかった茶褐色。
“礪(との)”は、刃物を磨く、
目の粗い砥石のことをいう。

流れた月日に磨かれたような、
礪茶(とのちゃ)色あふれる図書室。
ぐるりと三方にある大きな窓からは、
中庭の緑が見えて、明るく、吹く風も心地よかった。

ただ、全学年の本を網羅するには
狭すぎる書架に、読みたい本はなかった。

私の読みたい本はどこにあるのだろう?

そんなことを考えながら、
本に囲まれた空間にいて、
すべすべとした木に触れながら、
ぼんやりするのが好きだった。

中学、高校の図書館は、
ガリ勉と思われたくなくて
ほとんど行くことがなかった。

当時の日記を読むと、
くよくよしたり、イライラしたり、
支えになる言葉が見つからない苦しさに満ちている。

大阪にある中之島図書館に行ったのは、
短大二年生のとき。
立派な建物に気圧されて、
オロオロしながら、閲覧室の席に着き、
ふと顔を上げた時、ドキッとした。

斜め向かいに座っているのは、
校内で時々見かける、四年制大学の同級生。
人目を引くほど美しい男の子だった。
話したこともなく、相手は私のことを
知っているはずもないのに、見つからないように
隠れるほど、ドキドキした。

重厚で歴史感じる立派な建物、家具、設備、
周りは皆、洗練された人たちに見え、
さらにその同級生まで現れて、
念願の中之島図書館デビューの日は
緊張のあまり何をどうしたのか覚えていない。

その後、何度かその図書館も通い、
落ち着いて調べ物もできるようになった。
同級生の美しい彼とも、その後、
話す機会に恵まれ、会釈しあう友達になれた。
感じもよく、眺めのいい人だったけれど、
親しくはならなかった。

たくさんの人と友達になった。
失恋もした。
気づけば、いつも手もとに本があった。
悩む心、悲しい気持ちに、
しっくりと寄り添ってくれる言葉が
本の中にあった。

我ながら、よく読んだと思う。
けれど、読んだはずでも、
すっかり忘れてしまった本もある。

出会っても、親しくなる人、
深く関わることなく通り過ぎる人が
いるように、
本の出会いにも濃淡がある。

難しかったり、長編であったりして、
挫折しそうになりながら
意地になって読んだのに、
全く内容を思い出せない本がある。
その記憶は、どこに行ってしまったのだろう。

遠い日の夢のように、もう思い出せない本も、
ものを考えたり、言葉を発している時に
ひらひらと現れたりして、
私の中の一部になっているのだろうか。

心の中で砥石となって、
私の中の粗い部分を磨き、削り、
まろやかにしてくれていたら嬉しい。

どんなに素晴らしい本を読んでも、
そのようには生きられないように、
主人公の言葉を、自分の言葉にはできない。

けれど、感動は伝えられる。
伝えようとする時、言葉は自分のものになり、
誰かの力になることも知った。

小さな図書館から始まった本との出会い。
大人になり、欲しい本は買えるようになった。
それでも、やはり図書館は、
行きたいところに変わりはない。
本屋ではもう買えない、
出会うべき本が棚の中で待っている気がするから。

私の読みたい本はどこにあるのだろう?

そう心でつぶやく時、ぐるりと窓に囲まれた
礪茶(とのちゃ)色の心地よい空間が胸に広がる。

移りゆくけど、褪せない色。

三十数年ぶりに、大阪の学生時代、
お世話になった方達と集まった。
週末の渋谷は、個性豊かな人いきれ。
紫陽花のように、群れながら、あちこち違う色が咲いていた。

移し色は、明るい青紫色。
露草の絞った色を布に移すので「移し色」と言い、
また、変色、褪色が激しいことから
「心移り」を連想してつけられたとも言う。

露草ほどの速さではなくても、
街も変わり、人も変わる。
それでも、行きたい街、会いたい人がいる。

その日集まったのは、短大時代のクラブの
関東在住OB、OGメンバー。
私が所属していた語学系のクラブは、
同じキャンパスの四年制大学と短大の学生が
一緒に活動することができた。
おかけで、短大生でありながら、
多くの先輩や仲間と知り合え、
とても充実した楽しい2年間を過ごせたのだった。

貧しい知識、乏しい語学力でありながら、
ただ楽しみたいという無鉄砲な情熱で続けた2年間。
時に叱られ、教えられ、厳しくも明るく楽しく
導いてくれた先輩方に会えるのが、
少し緊張しつつも楽しみだった。

数々の失敗が思い出され、一人苦笑いしていたら、
道に迷い、先輩に探し来てもらうという早速の失態。
相変わらず世話の焼ける後輩のまま、
遅刻して店に着いた。

「五分前集合よ」
と、優しくたしなめられたのも懐かしい。
席に着いた途端、三十数年前と、現在の話題が
入り混じって楽しい会話が始まるのも
SNS時代のおかげだろう。

遅れて来た先輩が、背中をトンと叩いて、
懐かしいあだ名で呼んでくれたのも
昔のままで、嬉しかった。

二次会は、昭和レトロな店に移り、
学生時代過ごした街の話になった。
今は、再開発で街の景色も変わり、
キャンパスも移転して、私たちがいた頃の校舎もない。

それでも、あの店のあのメニュー。
あの店の主人、バイトしてた人。
あの道をまっすぐ行ったところにあった下宿。
などと、一つ一つたどるように話していくと、
街が、キャンパスが、くっきりと蘇った。

もう今は、ないのだけれど、
そこに確かにいた私たちが思い描けた。

ふと気づくと、22時。
下宿の門限の時刻だった。
門限を過ぎると、怖い下宿のおばちゃんが鍵をかけてしまう。
なので、ぐるりと囲まれた高いフェンスを、
見つからないよう、そ〜っと乗り越えて、
擦り傷を作りながら帰宅したものだった。

あの頃は、各下宿へと男子部員が送ってくれたな。
そんなことを思い出しながら、駅に向かう。
それぞれが違う色の電車に乗るべく、
一人、また一人、と、別れていった。

渋谷の交差点で、もう一度振り返って、
去って行った先輩に手を振った。
目の前に広がるのは、
鮮やかなネオン、信号、車のライト、
人々の着飾ったファッションの色など、
眩しいほどの豊かな色のバリエーション。

学生時代に、こんなふうに大人になって
再会して、大都会の交差点で大きく手を振って
別れることなど想像もしなかった。

移り変わった色は、美しく、嬉しく、楽しく、
そして、ちょっと寂しくて
愛しいものだった。

思い出は色褪せていくけれど、
胸に残って、新しい思い出が別の色を
添えていく。
散り散りに散って行った人も、思い出も、
また会えるという喜びに輝きながら。

香りが放つ、やさしい色。

ものには、色があり、香りがある。
色が香りを思い出させてくれることもあり、
また、
香りが色を思い出させてくれることもある。

香色は、「こういろ」と読む。
黄みのかかった明るい灰黄赤色。
ベージュといえば、わかりやすいかもしれない。

その名も香り立つように美しいけれど、
平安時代はとても高価なものとされ、
あらたまった訪問の装いにも使われた色という。

この色が香色とされたのは、
木欄(もくらん)という香りのある樹の皮で
染められた色だから。

遠い昔の人たちも、
この色に包まれたときの記憶を、
匂いとともに思い出したりしたのだろうか。

匂いの記憶のはじまりは、
小学校の参観日。

母親たちが教室に入ってくると、
化粧品の香料の匂いが
教室中に充満した。
姿を見ないまでも、
匂いから親たちの視線を感じて
緊張したものだった。

あの時代独特のきつい香料のイメージが強くて、
二十歳を超えても、化粧する気になれなかった。

とはいえ、高校時代は、シャワーコロンが大流行。
安いコロンを盛大にふりかけて、
制服の汗臭さを隠したものだった。

体育のあとの更衣室は、
消臭スプレーとコロンの匂いが
室内いっぱいにたちこめていた。

大騒ぎしながら、さまざまな思いをこめて
シャワーコロンを何本も使い切った。

卒業式のあと、部屋にかかったセーラー服から
消えなくなったコロンの匂いがした時、
この香りも、制服も、終わってしまったんだな…
と、しみじみと眺めた。
寂しさがこみあげた。

今もその時の寂しさを思い出すと、
ほんのりとあの香りが鼻腔によみがえってくる。
柑橘系の若い香り。

香りは、体内に残された写真のように
その日、その時のシーンを生き生きと
思い出させてくれる。

今日の記憶はどんな香りになるのだろう。

誰かが私のことを思い出してくれる時、
鮮やかでなくてもいい、
やさしい、この香色のような記憶が
ほんのりよみがえるような、そんな存在でいたい…
そう願う。

あまいろの空を見上げて。

天色。
「あまいろ」と読む。
晴れ渡った、澄んだ空の、鮮やかな青色。

「あまいろ」という読み方が好きだ。
七夕が近いこの時期、やはり「天の川」を思い出す。

残念ながら、
まだほんものの天の川を見たことはないのだけれど、
子どもの頃から、
一年に一度、晴れれば会えるという
織り姫と彦星のお話には、
幼心にも甘いときめきを感じて、
何度も夜空を見上げたものだった。

織り姫と彦星が無事に会えて、
私の願いもかないますように。

毎年、笹の葉に願いをししためた短冊を
きっちりと落ちぬように結んだ。

「あまいろ」という読み方が
好きな理由が、もうひとつある。

我が故郷「天橋立(あまのはしだて)」も
「てん」ではなく、「あま」と読むから。

天に架かる橋。天橋立。

その街を離れるまで、年上の人たちが、
進学や就職で、天橋立のある街を離れていくのを
何度も、何度も、見送った。

「いってらっしゃい」。

笑って見送りながら、寂しかった。
もう見送るのは嫌だと、ずっと思っていた。

やがて、見送られる立場になって、ほっとしたのと同時に、
「ただいま」が、
それまで感じたことのないほど、
安心と喜びに満ちていることを実感した。

迎えてくれて、見送ってくれる人のいる安心感。幸福。

とはいえ、「ただいま」と「いってらっしゃい」は、
永遠に続くものではないことも知った。

何かのきっかけで、ふっつりと会わなくなったり、
または、生きているこの世界では、二度と会えなくなったり。

どんなに願いを短冊にたくしても、
かなわないことも年々増えていった。

それでも、やはり、あたたかい言葉。

「ただいま」と「いってらっしゃい」。

今年の七夕は、
天色の短冊に願いを書く思いで、
天の川のかかる夜空を見上げることにしよう。

雨がふりませんように。
織り姫、彦星が「ただいま」と笑いあえますように。

共に歩む人を見つけて、
新しい人生をスタートさせる娘にも、
「ただいま」と「いってらっしゃい」を
大切にして、笑顔に満ちた暮らしを築いてほしいと願う。

だから、この言葉を届けよう。

いってらっしゃい!

思ひは、火の色に似て。

鮮烈な思いは、何色をしているだろう。

思色(おもひいろ)は、緋色(ひいろ)の別名、
同じ色だ。

緋色は「火色」とも書く。
明るい、少し黄みがかった赤色で、
「思ひ」の「ひ」と、
「緋色」の「火」をかけて、
火のように燃える情熱を表している色なのだ。

熱く燃ゆるような思ひの色は、
記憶の中で、ぽつんぽつんと赤く点るのだろうか、
それとも、全てを赤く染めていくのだろうか。

高校生の時、赤い傘を持っていた。
柄(がら)のない真っ赤な傘。

あまり大きな傘ではなく、
ひどい雨の日は、制服に雨がしみて重くなった。

それでも、赤い傘は、黒い制服、黒いカバンに
火が点るような明るさを与えてくれた。

嬉しいときは、傘がひらくような
悲しいときは、傘を閉じたまま雨の中を歩くような…
赤い点は、傘の色と重なって見えた。

 

淡い思いが実ったり、壊れたり、
友とわかりあえたり、仲違いしたり、
そのたびに、ポツンポツンと
思いが点ったり、消えたりして
赤い点を残していった。

今、思うと、ささいなことで
本気で怒って喧嘩をしたり、
幼い失恋に、学校へ行くのがつらくなるほど
傷ついて、泣いて、大騒ぎして。
あまりにたくさんの赤い点があることに
おかしくなる。

と、同時に、あの頃のように
心がすぐに燃えて、いきいきと
喜怒哀楽を表していた
やわらかい心は、かけがえのないものだったと
苦々しくも、懐かしく、愛しい気持ちになる。

今も、折り畳み傘は、小さくて柄のない赤。

傘といっしょに記憶もひらいて
当時の切ない気持ちを思い出させてくれる。

ただ一所懸命で、不器用ながら突き進んだ
あの日の自分が積み重なって
今の自分ができている。

傘を開くと、あの日の思ひが頭の上に広がって
クールでいたい大人の私を赤く染める。

大人の分別や冷静さも素敵だけれど、
あの日の思「ひ」は、いつまでも消えないよう
大切に守っていきたい。

そんな思色の「ひ」なのだ。

夏の闇をのぞいてみれば。

涅色(くりいろ)。
涅(くり)とは、川底によどんでいる黒い土のことで、
かすかに緑みのさした黒色をさす。

陽射しの強い、暑い日には、
水辺が恋しい。
泥のある川でさえ、
光の反射が美しく、
ぼんやり見てしまうことがある。

暗さの中にも水の音、光があるだけで、
涼しさと、夏らしい輝きが感じられるのかもしれない。

幼い頃は、暗闇が怖かった。

実家は、住まいと工場がつながっていて、
夜になって電気を消すと
深い闇が広がり、
工場は、さながらお化け屋敷のような
恐ろしさがあった。

白生地を織る機(はた)が六台置かれた工場。

そこは、音が消え、人の気配も消え、
暗闇にうすぼんやりと白い絹糸が浮かび上がる、
夏でも冷え冷えするような寂しさがあった。

夜中に用足しに起きたときは、
その工場を横目に土間に降りて行かねばならない。
薄目を開け、なるべく余計なものを見ないように
行ったものだった。

ある時、工場に微かな光を感じて立ち止まった。

「火の玉!?」「ついに出た!?」

…泣きそうになりながら、
それでも、その時は工場に目を向けてみた。

吸い込まれそうな暗闇の中、
ふわりふわりと明滅する螢が一匹、飛んでいた。

螢の淡い光に、ぼんやりと浮かび上がる白い絹糸。
あまりに幻想的で、美しくて、
怖さを忘れて、夜中に一人、見入っていた。

あんなに怖いと思っていた景色が
恐怖以上に心惹き付けられるものに変わる。
それまで感じたことのない「美しさ」を感じた瞬間だった。

今でも、暗闇は怖い。怖い話も聞きたくない。
けれど、何か恐ろしいことが目の前に来たとき、
ふと、この時の光景を思い出す。

恐怖心に固く目を閉じていたら、
見るべきものを見失ってしまう。
それは、
恐れるに足らぬものであるかもしれず、
もしかしたら、その正体は、
意外にも自分を守ってくれるもの
なのかもしれないのだから。

涅色(くりいろ)は川底の黒土の色。

川の色を確かめて、土の色を認めて、
太陽の光の輝きをしっかりと感じられたら。
一つ一つの意味に気づくことができるはず。

夏は水辺が恋しい。
今年もあちこちの川を、そっとのぞきこんでみよう。

引き立ててこそ、輝く色。

胡粉色(ごふんいろ)は、
ほんのりと黄みを帯びた白色をさす。

胡粉は、日本画にも用いられた
白色顔料のことで、
奈良時代の文献にも見られるほど、
古くから使われてきた色だ。

日本の美しい白、といえば、
着物の衿の白がある。

とはいえ、なかなか街で着物姿の女性も見かけなくなった。
そんなこともあり、花街で見かける白い衿は、
日本らしい清潔な美しさを感じる。

舞妓さんが修業をつんで、芸妓さんになる日を
「衿替え」という。
刺繍や紋様のほどこされた、
華やかな舞妓時代の衿から
白い衿に替わって芸妓になる。
その白は、自立と精進の証なのだという。

色や模様で飾り立てされなくても、
白い色で、真っ向勝負。
そんな印象をもつ。

また、ほんのりと黄みを帯びたこの胡粉色は、
あなたの色に染まります、という受け身な白とは
また異なる、やわらかく、でも揺るぎない自信をもって、
自己主張する色にも見える。
さまざまな想いをのみこんで、
人や、ものごとを受け容れるやさしさ、寛容さを湛えているように。

どんな色も、模様も、受け容れて、
引き立てる大人の色。
主張するまでもなく、
丁寧に為すべきことを果たしていれば、
その美しさは語るまでもなく現れる。
そんな誇りすら感じる。

若いばかりが美しいのではない、
真っ白だけが輝くのではない。
その年齢、その状況にあった色をまとう。
そんな大人の知恵も感じられる色、
それが胡粉色だと思う。