二藍色。
「ふたあいいろ」と読む。
色は、藍に紅花を染め重ねた紫。
ただ、紫といっても、
赤紫から青紫色まで、
紅の強みによって色調に幅がある。
なんとも移ろいやすい色…。
紫陽花にも似た、
色合いのバリエーション。
どうして、こんなふうに一つの名前に
色合いの幅があるのだろう。
それには、ちゃんとワケがあった。
二藍(ふたあい)色とは、
遠い昔の平安時代から、
身にまとう人の年齢によって、
紅みを足したり、藍を足したりと、
色の調整が行われる色だったのだ。
若いほど紅を強めに、歳を重ねるほどに藍を強く。
鮮やかな藍と、落ち着いた藍。
あの「源氏物語」の光源氏も、息子の夕霧に
「あまり紅みの強い二藍では軽く見られる」と
忠告したという場面もあるというから、
年齢と色というのは、
遠い昔から深いかかわりがあるのだろう。
もう少しあっちかな?
ちょっと行き過ぎ、こっちかな?
と、紅と藍の間を行きつ戻りつしているような
二藍(ふたあい)色。
その名も愛らしい。
語感も“ふたあい”というと、
あっちの人がいいかな?
こっちの人のほうがいいかな?
と、心移ろう男女の様子が想像されておもしろい。
古くから男女問わず愛された色だったというが、
衣の色が年ごとに少しずつ藍が濃くなってゆくのを、
当時の人たちは、どんな気持ちで受け容れ、
袖を通していたのだろう。
大人になる喜びや、
もう少し若いままでいたい切なさや、
老いの哀しみや…。
色に込められた意味は、時を越えて
人の気持ちを想像させる喜びも与えてくれる気がする。
また、今ふうに見ると、
二藍(ふたあい)とは、
二つの愛や、
二つのアイ(英語の“私”)などの
意味に通じるようにも思われる。
二藍の名を人に言わないまでも、
身にまとうときに、
ふと、自分なりの意味や思いがよぎって、
密やかな喜びを味わわせてくれるような。
紅かったり青かったり、と、
微妙に移ろう色合いの紫陽花も、
そんな愉しみをたっぷりと含んで
ぽってりと心豊かに咲いているように見える。