寒さに背中も丸くなる冬。
街で見かける雀たちも、
羽毛に空気を取り込んで
「ふくら雀」になって
寒さをしのいでいる。
ふっくら丸いその色は、
赤みがかった茶色、
「雀茶(すずめちゃ)色」だ。
冬のこの時期は、
空気も澄んで、夕暮れ空が
とても美しい。
その夕暮れは、
雀色時(すずめいろどき)
とも言うのだとか。
はて、雀の色をしていただろうか…。
とも思うけれど、
雀の色は、誰もが知っているのに
いざ言葉で表そうと思うと、
おぼろげで、どんな色かと
表現できない…。
そんな曖昧で、
ぼんやりしたところが
夕暮れの空のイメージに重なることから
その名で呼ぶようになったのだと言う。
確かに夕焼けの色は、
表現しようとすると、
どんどん色を変えてゆき、
言葉が色に追いつかない。
そして、
夜の闇に吸い込まれる直前は、
雀の色のような
ほの赤く暗い茶色の時がある。
言葉にできないものを、
ほら、できないでしょう?
というものに表現してみせた
昔の人の心の使い方を
すばらしいと思う。
今年も、
ニューイヤーコンサートに出かけた。
新年らしく、ワルツにポルカ。
心躍るひとときだった。
とりわけ今回心惹かれたのは
バイオリンの表情豊かな音色。
あの小さな楽器から放たれる音が、
軽やかに、時に重厚に
肩にとまったり、
全身を包み込んだり。
その様子は、
木の枝にとまる雀たちのように思われた。
仲間と歌い、笑い、おしゃべりし、
ぱーっと飛び立って行ったり、
風にのって、ふわふわ飛んでいたかと思うと、
静寂の中、じっとこちらを見つめているような。
これもまた、
言葉にできない感動で、
曖昧な雀色に
心を染められたような時間だった。
何に出会ったとしても、
見ようとしなければ、見えない。
聴こうとしなければ、聴こえない。
曖昧でも、表現できなくてもいい。
まずは感じてみよう。
そこから、発見や
喜びが生まれる、そんな気がする。
昔の人が「雀色の時」という名を
夕暮れに当てて、
しみじみとそうだな、と思ったように。
春は遠いけど、確実に進んでいて、
新しい気づきや喜びは、
土の中で
芽吹く時を待っている。