読もう、読もうと思いながら
なかなか読めない本がある。
煤竹色(すすたけいろ)は、
囲炉裏の煙に燻されて、
煤けた竹の色のような
暗い茶褐色色。
まだ、ひらがなも読めない頃に、
父が買ってくれた
「オオカミ王ロボ」。
シートン動物記シリーズの
一冊で、表紙に凛々しい狼が
描かれていた。
当時の私には、文字も小さく、
漢字も含まれていて、
とても読めそうにないものだった。
何度も「読んで」とせがみ、
読んではもらったけれど
忙しかった父も母も、面倒くさそうに、
早口で朗読。
ますます、その本は遠い存在になった。
小学三年生のとき、
読んだ本のあらすじと感想を
みんなの前で発表する、
と言う授業があった。
その宿題をすっかり忘れていた。
そして、そんな時に限って、
先生に当てられてしまう…
と言う運の悪さ。
さて、困った。
と、壇上に上がる。
あんな難しい本、誰も読んでいないだろう、
と、「オオカミ王ロボ」の話をすることにした。
もちろん、ちゃんと読んだことが
ないので、ストーリーは知らない。
けれど、美しい挿絵と、
絵に添えられていたキャプションは
何度も目にしていて、
ロボとブランカが夫婦である
と言うことだけは知っていた。
結末も挿絵から想像して、
私ふう「オオカミ王ロボ」の物語を
その場で作って話した。
質問など、されませんように!!
と、心で祈ったものの、
クラスで一番、成績のよかった男の子が
はい!
と、真っ直ぐに私を見て手をあげる。
あの時の恐怖は、今も忘れられない。
ストーリーについて、
いくつか質問を受けた。
今思えば、よくもまぁ抜け抜けと…と
思ったほど、作り話で応えた記憶がある。
あの時、もし、ちゃんと読んだ人がいたら、
どうしていたのだろう?
今思い出しても、ヒヤヒヤしてしまう。
そんな苦い思い出もあって、
長い間、読むことはなかった。
それから数十年経ち、児童書ではない
「狼王ロボ」を読んだ。
あんなにハードル高い小説だと思っていたのに、
数十ページの短い短編だった。
短い中にも、闘い、虚しさ、愛情…
そして、ロボの知恵と勇気と生きる強さに
満ち溢れた物語。
子供の頃に読んでいたら…。
煤竹色は、江戸時代の一時期、
小袖や羽織にして大変流行したという。
侘び茶に通じる人たちには、
茶室の天井や、茶道具にも好んで使われたとか。
その燻されてくすんだ色が、
時の流れや、愛着などを表して
好まれたのだろうか。
時が経たないと、味わいの出ない、
わからないものもある。
子供の時に歯がたたなかった本も、
大人になったから、スラスラと読めて、
勧めてくれた人が、
自分に何を与えようとしてくれたのかが
わかって、しみじみとする。
与えられた時に、ちゃんと読んでおけばよかった…。
そんな反省があったからだろうか。
読み終えた日、夢の中で、
深夜に帰宅して
「遅い! 」と父にぶたれる夢を見た。
右の頬に残った痛みは、
ロボの悲しみにも似ている気がした。
強く見える人にも不安や心配があり、
その内なる弱さを隠し、
そのために知恵や工夫を重ねて
誇りを保っている。
ロボの最期の咆哮は、
ただ悲しみだけではない、
仲間への、ブランカへの魂をこめた叫び。
遥か遠くまで響きわたるその声を
今は、胸のうちに聞くことができる。
それは、本を読み、人の心を知り、
初めて聴こえる、
限りない愛情がこめられた
咆哮なのだと、思い知る。