見える色、見えない色。

「どんな薄い紙にも、表と裏がある」。
父は酒に酔うと、よくそう言った。

裏色は、深く渋い青色。
江戸時代中頃より、
夜具や衣服の裏地に使われる色ということから
この名がついたのだという。

先日、紅葉狩りに出かけた折に、
遠くに眺める山々がこの色だった。
人の目を惹く鮮やかな紅葉を表色とするなら、
これは裏色かな?
と、やわらかな稜線を描く裏色の景色を愉しんだ。

四季折々に木々の色は変わるけれど、
勝手に裏色と決めた、
濃淡美しい遠い山々の景色は、
鮮やかさこそないけれど、
やさしく懐かしい色合いだった。

小学一年の時、書き初め展に
応募したことがある。
出品作は、
ザラザラとにじんだ文字になってしまい、
参加賞で返ってきた。
「これは紙のウラですよ」と
達筆な朱い文字で書かれたコメント。
父の言う通り、
薄い紙にも確かに表裏があることを学んだのだった。

紙業を生業にしていたわけではないのに、
父はなぜ、あんなにも紙の表裏について話していたのだろう。

自営業だった父には、
公私共に仲良くつきあう人がいた。
とりわけ剽軽なAさんのことは、
楽しい友人として信頼し、
会う時間を楽しみにしていたようだった。

その日も、仕事の話が終わった後、
母も私も同席して、
Aさんの身振り手振りを加えた楽しい話に
大笑いしていた。
いつもいつも大笑いさせられることに、
母がポロリと
「Aさんには苦がないみたい」
と言った時だった。
一瞬、普段見せたことのない暗い色が
Aさんの表情に差すのを見た。

Aさんが帰った後、父が
「ああ見えて、色々悩んだり、気を遣っとるんだ。
 あんなこと言うてやるな」
と母を戒めた。

その後、父が急逝し、事業の片付けの折に、
Aさんとは色々あって関係がこじれてしまい、
疎遠になってしまった。

私は、そんな風になってしまったことに、
あの日の母の言葉が、Aさんの心の
とても敏感な部分に突き刺さったことも
一つの要因ではなかったかと思っている。

誰にでも見せる表の色と、
ひっそりと隠し持っている裏の色。
見せなくても、そんな色があることを知って、
その人に接することと、知ろうともせずに
つきあうとでは、関わりに大きな違いがある。

父は、紙にたとえてそんなことも教えてくれていたのでは
ないかと思う。

人の裏側を見抜くことは難しい。
裏側ばかり見ようとするのも、はしたない。
けれど、「ある」と知っておくこと。
そうすれば表面だけで決めつけたり、
過信したり、貶めたりすることなく、
人付き合いを、深く味わいのあるものに
するような気がする。

山の裏側というものがあるのかどうか
知らないけれど、あると思うと、
景色も厚みが感じられる。
見えない景色に思いを馳せられる。

限りなく広がっていく山々の眺めは、
見えない人の心であり、
未知なる繋がりであり、
まだ見ぬ未来の景色でもある。

裏色という色の存在は、
目に見えない色を思うことの
難しさと楽しさを教えて、
どこまでも広がっている。

あいを見て、あいを知る。

藍色。
誰もが「あぁ、あの色ね」と、
知っていて、愛されている色。

私も大好きな色のひとつで、
学生時代、いわゆる就活スーツを選ぶ時も
濃紺でなく、少し藍色っぽいようなやさしい色で。
と、デパートの店員さんに相談したほど。

けれど、そこはお金のない学生ゆえ、
スーツでなく、
安いブレザーとスカートにしたところ、
家に帰ってよく見たら、
上下、色が少し違っていた。

そんなつまずきスタートの就職活動。
いわゆる買い手市場の年回りなのと、
わが成績も芳しくなかったことから、
なかなか決まらなかった。
せっかく選びに選んだ藍っぽい服を着ていても、
私に、また会いたいという会社は見つからないまま
就職戦線は終盤を迎えていた。

当時、同じ下宿の向かいの部屋に住んでいた友人とは、
気が合い、用がなくても互いの部屋を行き来していた。
彼女も私同様、就職先が決まっていなかった。

就活に、お金も心も使い果たし、
いよいよ「私たちどうなるんだろうねぇ」…。
と、暗い気持ちでぼんやりしていると、
彼女の実家から荷物が届いた。

レトルト食品に、新鮮な果物など、
元気のわいてくるようなおいしそうなものがいっぱい。
「これ食べて、元気になろう!」と言ってくれて、
いっしょに箱からあれこれと取り出していると、
なぜか、和菓子の箱のふただけが
ぽろりと出て来た。

ふたの裏には、

「楽しみにしていた釣りの日に、雨がふって行けなくなった。
 でも、また行ける日は来る。
 人生、あせらずにいきたい。」

と、マジックで書かれたお父さんのメッセージ。

それを見て、二人で黙り込んでしまった。
「就活がんばれ」とも、
「努力が足りない」とも、
「ダメなら帰って来い」とも、
書かれていない。
でも、応援してくれているあたたかさが、
さりげなく、確かに伝わってくる。

二人で、黙ったままじっとそれを見ていた。
「あせらず、がんばろう」
…そう言ったかどうかは覚えていないけれど、
そう思ったことは、今もはっきりと覚えている。

それからしばらくたった11月の終り。
クラスの友人たちにかなり遅れをとったものの、
二人ほぼ同時に、それぞれ希望の職種に就職が決まった。
どちらが先だったかも記憶にないけれど、
二人で泣く程、抱き合って、跳び上がって
喜んだのだった。

そんな彼女とも、卒業してからは
それぞれの仕事や暮らしに追われて、
なかなか会うことがなかった。

大阪の学校を卒業後、
偶然にも関東の同じ県内に住みながら、
去年再会するまで、年賀状のやりとりだけだった。
久しぶりの再会がかなったとき、
駅まで迎えに来てくれた彼女の車の中で
泣きながら大笑いした。
また会えたことが、ただ、ただ嬉しかった。

そして、先月。
一年ぶりに会ったとき、
彼女のお父さんが、再会した話を聴いて、
趣味の手仕事で、私のイメージにあう
ブレスレットを作ってくださっていた。

それは、出会いや愛に磨かれて、
まろやかな澄んだような藍色。
会いたい気持ちが溶けている色だった。