今年は二度、
滝を撮りに行った。
勢いのある水が、
段差のある下へと落ちて流れる。
その姿は、
汚れのない白い絹糸が、
まっすぐに、時に風に煽られながら
美しい流れを作っているように見えた。
生絹(すずし)の色は、
白い絹糸の色。
生絹(すずし)とは、まだ練らないままの絹糸、
生糸(きいと)のことをいう。
滝を見るのが好きだ。
変わらないように見えて、
実は一滴たりとも、
同じ水が同じ場所に流れていない。
勢いがあって、清冽で、
眺めているこちらの心の中の
澱までも流されていくような思いになる。
つらいニュースに心が重くなった日には、
勢いよく流れる滝を思い出す。
嬉しいことがあった日には、
光を浴びて輝く流れを思い描く。
滝を見つめていると、
自分はここから湧き出て、
この下に落ちてゆくのだ。
という強い意志を感じる。
どんな邪魔が入ろうとも、
突き進んでみせる勇姿にも似て。
続けていくことで、汚れ、濁ることもある。
けれど、次々に湧いてくるものが清らかであれば、
それらは洗い流される。
流れていた生絹(すずし)は、
激流に呑まれ、時間に揉まれ、
やがてしなやかな絹糸になって、
遠くの川や、海を、
空の色に似た
美しい絹織物にしてくれるのかもしれない。
今年は、時間も暦も季節までもが
勢いよく、流れ去って行った気がする。
光や水のようにつかんだつもりが、
何もつかめなていなかったような悔しさもある。
それでも、その中で、
始めたこと、愚鈍に続けたことがあった。
その一つが、
体力の低下を感じて始めた、筋トレ体操だ。
もともと身体を動かすことは苦手だった。
筋肉痛があったり、ちょっと体がだるい日など
やめたいな、という日もあった。
けれど続けていくうちに、
体力、筋力がついてきて、
あれを頑張ってる私なら大丈夫。
と、自信が持てるようになった。
それだけではない。
苦手なことを続けられる
自分への信頼ができた。
始めた当初は、
足も腕も思うような形にならない、
弱々しい筋力だった。
でも、今できることをやる。
続けてみる。
期待も落胆もなく、無理はせず。
すると、少しずつ、できるようになる。
身体が、心持ちが変わっていく。
それは、カメラを始めた時に感じた
自分にだけわかる小さな成長にも似ていた。
続けないと、行けないところがある。
今は小さな水滴にしか見えないこと。
それがいつか、少しずつ水量を増やし、
勢いを増して、やがて何かを起こすかもしれない。
今、ここには見えない、
遠いところ、遠い先の時間へ。
その景色を想像すると、広大さに圧倒されながら
ゆったりとした安心感に満たされる。
今日決めたこと、
今日行ったことは、
明日につながっていく。
やめないでいこう。
今は見えない未来は、
どこに流れていくのだろう。
どこに流れるとしても、
機嫌よく、明るくいられますように。
いろんな不安も心配も抱えたままでいい。
弛まなく流れていこう。
生絹の糸のように、
白く、強く、しなやかに。