涅色(くりいろ)。
涅(くり)とは、川底によどんでいる黒い土のことで、
かすかに緑みのさした黒色をさす。
陽射しの強い、暑い日には、
水辺が恋しい。
泥のある川でさえ、
光の反射が美しく、
ぼんやり見てしまうことがある。
暗さの中にも水の音、光があるだけで、
涼しさと、夏らしい輝きが感じられるのかもしれない。
幼い頃は、暗闇が怖かった。
実家は、住まいと工場がつながっていて、
夜になって電気を消すと
深い闇が広がり、
工場は、さながらお化け屋敷のような
恐ろしさがあった。
白生地を織る機(はた)が六台置かれた工場。
そこは、音が消え、人の気配も消え、
暗闇にうすぼんやりと白い絹糸が浮かび上がる、
夏でも冷え冷えするような寂しさがあった。
夜中に用足しに起きたときは、
その工場を横目に土間に降りて行かねばならない。
薄目を開け、なるべく余計なものを見ないように
行ったものだった。
ある時、工場に微かな光を感じて立ち止まった。
「火の玉!?」「ついに出た!?」
…泣きそうになりながら、
それでも、その時は工場に目を向けてみた。
吸い込まれそうな暗闇の中、
ふわりふわりと明滅する螢が一匹、飛んでいた。
螢の淡い光に、ぼんやりと浮かび上がる白い絹糸。
あまりに幻想的で、美しくて、
怖さを忘れて、夜中に一人、見入っていた。
あんなに怖いと思っていた景色が
恐怖以上に心惹き付けられるものに変わる。
それまで感じたことのない「美しさ」を感じた瞬間だった。
今でも、暗闇は怖い。怖い話も聞きたくない。
けれど、何か恐ろしいことが目の前に来たとき、
ふと、この時の光景を思い出す。
恐怖心に固く目を閉じていたら、
見るべきものを見失ってしまう。
それは、
恐れるに足らぬものであるかもしれず、
もしかしたら、その正体は、
意外にも自分を守ってくれるもの
なのかもしれないのだから。
涅色(くりいろ)は川底の黒土の色。
川の色を確かめて、土の色を認めて、
太陽の光の輝きをしっかりと感じられたら。
一つ一つの意味に気づくことができるはず。
夏は水辺が恋しい。
今年もあちこちの川を、そっとのぞきこんでみよう。