いつか見る色、水の色。

水面の眩しい輝きは、
賑やかにはしゃいでいた、
遠い日の楽しい時間を思い出す。

水縹(みはなだ)色は、
明るい青色をさす。
「みずはなだ」とも読まれ、
万葉集にもその名は使われている。
今日では「水色」と呼ばれる色。

短大一年の秋、
男女五人グループで
大阪から電車で神戸に向かった。
車窓から海が見えると、みんなで
「海だ! 海だ!」と子供のようにはしゃいでいた。

その日があまりに楽しくて、
夏休みには、北海道に行こう!
という話になった。
レンタカーを借りて、広い道内を
食べて廻って、今しかできない旅をする。
そのために、みんなで
バイトをして貯金しよう!
そう決めて、プランをたて、
まだ見ぬ北の国に行くのを楽しみにしていた。

けれど、夏休み直前に、
グループの中でカップルになった二人が喧嘩、
別れる別れないの話になって、
プランからあっけなく離脱してしまった。

メンバーを替えて、プランを進めようとしたけれど、
なんとなく白けてうまくいかなくなって
その旅はなくなってしまった。

以来、北海道、と聞くと、
遠く憧れながら、どうしても行けない
幻の地のように思われた。

それから二十数年たち、
インターネットの時代が訪れ、
幻の地であった北海道に友だちができた。

そして、色々なタイミングがうまく重なって、
2009年、ついに北海道へ旅する機会に恵まれた。
嬉しくて、ガイドブックに首っぴきで、
旅のプランをたてた。

かつて計画した旅は、
レンタカーであちこち巡る予定だったが、
私は車の免許を持っていない。
電車やバスでまわる計画は、
時間も距離も読めず、
実現できなかった旅のことを思い出すと、
また少し悔しくなった。

それでも、初の一人旅。
期待と少しの不安を抱き、
なんとかなるだろう! と、札幌の駅に降り立った。

改札には、北海道の友だち、Kちゃんが待っていてくれた。
「はじめまして」 なのに、
なぜか懐かしい! と思えたKちゃん。
初対面とは思えない親しさで、話がはずんだ。

私のガイドブックでたてたプランは
破茶滅茶すぎて、Kちゃんは笑っていた。
笑ったまま、あちこちに連れて行ってくれ、
ガイドブックには載っていなかった美味しいお店、
素晴らしい景色の中へ連れて行ってくれた。

小樽にも車で連れて行ってくれた。
海が見えた。
「海だ! 海だ!」と、はしゃぎながら、
全部の夢が叶ったような喜びで胸がいっぱいになった。

あの日、どうしても行けなかった旅は、
この旅につながっていたのだ。

集めた資料、貯めたバイト料、
プランをたてたノート。
憧れた北海道旅行が叶わなかった時、
友だちに腹が立ったり、
実現できなかった自分が情けなかったり。

そんな気持ちは、全部、
この旅の感動で、水に流せた。
新しいきらめきを胸いっぱい抱えて。

今年も夏休みシーズンになった。
けれど、ウィルス感染のおそれなどもあり、
楽しみにしていた予定を実現できないことが
多い夏になってしまった。

それでも、楽しみは捨てずに持っていよう。
それは、得た言葉、知識、友人によってふくらんでいく。
ふくらんだ楽しみを、弾けないように
大切に抱え続けていけば、
いつか、思いもしなかった形で
叶えられるかもしれない。

今、見えているものが、全てではない。
少し遠くを見て、
楽しみや希望を持って、
健やかであろうと思う。

風通しの良い光景を
心に描いて。

そ〜っとのぞいて見てみたら…。

うすぼんやりとした記憶の中で、
光の粒子がキラキラと輝いている。

瓶覗(かめのぞき)色は、白に近いうすい水色。
瓶覗とは、藍染される布をほんのわずか瓶に浸けただけ、
まるで瓶の中を一瞬覗いただけのような淡い色から
この名がついたという。

短大に入り、学校をちょっと覗いたくらいの五月。
同じ下宿のSちゃんに、英語クラブの
新入生スピーチコンテストに
出ようと誘われた。

そんな自信も度胸もなく、絶対嫌だ! と
コタツにしがみついたが、
ずるずるとコタツごと
部屋の外まで引っ張られた。
あまりの怪力に大笑いして、気がつくと
出場希望者の列にいた。

コンテスタントは二十名ほど。
その中には、数々のスピーチコンテストで
入賞経験がある、というツワモノ(!)もいた。
場違いだ、帰りたい…と思いながら、
先輩方の指導による練習が始まった。
もう引き返せないレールに乗ってしまったのだ。

その日から毎日、放課後、
教壇に立ってスピーチをする。
声は震える、記憶は飛ぶ、腹式呼吸もへなへなと
しおれるような小さな声。
そして、練習の後の反省会。
一列に並び、先輩方のコメントをいただく。
当然、毎日叱られる。
先輩の怒声にビックリして、コメントを取る鉛筆の芯が
ボキッと折れたこともある。

日々の練習の甲斐もなく、
成長も充実感もなく、
あるのは不安と自己嫌悪ばかり。
そんな自分に落ち込んでいたところ、
去年の出場者である同じ下宿のN先輩が、
遊びにおいでと声かけてくれた。

夜、先輩の部屋に行くと、ニコニコと
迎え入れてくれた。
先輩も当時はうまくできなくて、毎日毎日
叱られてつらかったことを聞かせてくれた。
でも、練習最終日、いつも怒鳴られていた先輩に
しみじみと「…うまなったなぁ」と褒められて
涙あふれて、コンタクトが落ち、
感動から一転、みんなでコンタクトを探した!
という爆笑ストーリーも話してくれた。
「大丈夫、みんなうまくなるよ」
というN先輩の言葉。
折れそうだった心に、
優しい水を注がれた気がした。

とはいえ、発音、抑揚、表情、身振り…
それらをマスターすべきスピーチは難しく、
結局、最後までしみじみと褒められるほどの上達はなかった。

そして、コンテスト当日。
校内でも広い階段教室が会場だった。

いざ本番! となると、
頭が真っ白になって、棒立ちしてしまうのではないか。
そんな不安に震え、縮み上がっていた。
ただただ、怖い。

誰のスピーチも耳に入らず、
ずっと脳内で原稿を読み続けていた。

やがて自分の順番が来て、壇上に向かう。
足の感覚がなく、全身がふわふわと宙に浮いてるいるようだった。
定位置について、観客席を見上げた。
耳がキーンと鳴る。

すると、視線のずーっと先、
階段教室の一番奥、最後列の真ん中に
N先輩と友人が見えた。
満面の笑みで大きく手を振ってくれている。

私をリラックスさせようと、
精一杯、静かに、派手に、おもしろく。

その二人の姿に、ふっ…と心が緩んだ。
あ、私、笑顔になってる!
そう思うと、ひとつ、息を吐き出せた。

シュポン! と、栓のあいた炭酸水のように、
なんとか記憶通りにスピーチしていた。

でも、きっと緊張して早口になっていたのだろう。
規定の時間よりも、少し早く終わった。
ほんの数秒の沈黙。

…これで、終わりだ。
そんな解放感もあって、もう一度、
会場をゆっくりと左から右に見渡した。

右手には大きな窓があり、
晴れた六月の空がちらりと見えた。
教室の中は、差し込む光にホコリが
キラキラと光って舞っていた。

結果は、入賞にかすりもしなかった。

けれど、静かな達成感があった。
たくさんの人に励まされたり、叱られたり、
怒ったり、笑ったりしながら、
それまで知らなかった言葉の魅力に出会った一ヶ月だった。

人も、未経験なことも、
遠くから覗いていただけではわからない。

瓶覗色は、もう一つ、瓶の水に映った空の色から
その名がついたという説もある。

空を映す水の色も、入ってみたら透明であるように
なんでも飛び込んでみなければわからない。

ダメでも、何にもならなくても、
挑戦してみることで得られる楽しさ、
清々しさに、すっかり魅了されていた。

六月の空の色。
遠い昔の瓶を覗くように眺めると、
まだまだ濃くなる強くなる、
さぁ頑張ろうと力をくれる。
…そんな優しい色である。