初めて自分で化粧をしたのは
短大2年の就職活動前。
色気もなく、化粧の色味にも
無頓着で、ひどい仕上がりだった。
伽羅色(きゃらいろ)は、
茶色がかった暗い黄褐色。
伽羅とは、
ベトナムやタイなど東南アジアが原産の、
沈香木(じんこうぼく)の一種である。
「花の女子大生」と、
もてはやされる時代の短大生だった。
しかし、そんな華やかさは程遠く、
顔はまんまる、子供のように赤いほっぺた。
アイススケート場で、知らないお兄さんから
「お酒飲んでスケートしたらダメだよ」と
赤ら顔をからかわれたほど。
いざ、就職活動となって、
化粧は大人の嗜みです。と言われても、
何をどうすればいいのか、わからない。
クラスの友人を見渡すと、
みんな化粧もちゃんとできていて、
花も盛りの美しさ。
焦った。恥ずかしくなった。
そこで、覚悟を決め(?)、
下宿近くの小さな化粧品屋さんへ
一人で出かけた。
店主は、母とほぼ同世代のおばさん。
安心して相談できた。
━━ 頬の赤さを隠したい。
その言葉に、
それならば、と、おばさんは肌の色より茶系の色を
まんべんなく顔に塗ってくれて、
「ほら、もう赤みが消えたでしょ?」と
にっこり。
少し暗めの店内の蛍光灯の下、
これでいいかな?
と、思いつつ、勧められたファンデーションを買った。
いつもと違う顔になって下宿に帰った。
階段を上がると、共同台所があって、
五、六人の友達が
わいわいと賑やかに夕食の準備中。
「ただいま~」というと、
一人が、私の顔を見て、
えーっっっ! と声をあげた。
「どうしたん? 植木鉢かぶって帰ってきたんかと思ったわ」
と、忌憚なきご感想。
みんなが、台所から出てきて、
なんでこんな色にしたん? と笑いながら
気の毒がっている。
部屋にいた友人たちも出てきて、
どうしたーっ!?
と、大笑い。
伽羅色の私の顔は、
キャラが濃すぎる、一度見たら忘れられなくなる、と
大爆笑になった。
その日の夜、
メイク上手なFちゃんの部屋で、
改めて化粧を教わることになった。
赤い頬は茶色で隠すものではない。
首と顔の色が違いすぎてしまうから、
植木鉢みたいになるのだ、
と教わった。
まず緑色を頬に少しつけて、
その上に茶色と明るい肌色のファンデーションを混ぜて
丁寧に調整しながら顔にのせてゆく。
Fちゃんの部屋は、いろんな化粧品があって、
ほんのりといい香りがした。
女子大生の部屋だ…と、くすぐったいような感動があった。
伽羅は沈香木の中でも、
最高の名香として珍重されてきた特別なもの。
その香りを実際に嗅いだことはないのだけれど、
「最高の名香」というと、
あの部屋に漂っていた香りを思い出す。
Fちゃんのおかげで、
面接官に笑われることもなく、
化粧なんて当たり前です!
という顔で就職試験を通過できた。
家族のように過ごした下宿の友人たち。
あれから三十年余りの月日がたち、
今、みんなどうしているのか知らない。
けれど、ふとした瞬間に、
記憶の断片が、
沈香木のカケラのように、
甘く華やかな香りを放つ瞬間がある。
最近は、化粧品もネットで買うことが多い。
先日、届いた商品とともに、
高級ブランドのファンデーションの
試供品が入っていた。
使ってみたら、芳しい香りがふわりと広がった。
あ、Fちゃんの部屋みたい…と、嬉しくなって
何度も何度も塗り重ねたら、驚くほど
白い顔になってしまった。
こんな顔見せたら、あの当時の友人たちにまた、
白壁か!? 石膏か!? と、ツッコまれるだろうな、と
想像したら笑いがこみあげた。
もう二度と戻れない、
懐かしいあの場所、あの時間…
楽しくやさしかった日々を思い出すと
白い目もとがにじんで、化粧がくずれた。