“た“とする色を、たどってみたら…。

「あなたの存在を多としております」。
どこで見つけたのか、手帳に書き留めておいた言葉。
「多(た)とする」とは、
「ありがたく思う」の意味。

紅絹(もみ)色は、鮮やかな黄色がかった紅色。
黄色で下染めしたものを紅花で染めた色で、
花をもんで染めることから、この名がついた。

久しぶりに幼なじみの友人から電話があり、
近況報告しあった。
連休前に富山に行ったことを話すと、
友人も、来月、富山へ行くと言う。
「どこへ行ったの?」
「どこに行くの?」
やや興奮気味にお互いに質問し、
雨晴海岸!」
と、同時に答えたのも、おかしかった。

それまで二人とも、富山へ旅行したこともなく、
「富山に行く」と話したこともなかったのに、
遠い街で、偶然、同じ時期に同じ場所に
思いを馳せていたのだ。
雨晴海岸はもちろん、
黒部峡谷のトロッコ列車も勧めておいた。

ずっと乗ってみたかったトロッコ列車は、
残念ながら、この春の運行が始まったばかりで
まだ短い距離しか乗れなかった。
けれど、列車から見た景色だけでなく、
駅周辺もあちこち歩いてみると
峡谷ならでは迫力と自然美に
心惹かれた。

緑に映える橋は、紅絹色。
鮮やかでやさしい、とても自然に馴染む色。
トンネルの向こうの、見えないどこかへ向かう
紅絹色の橋は、展望台から眺めると赤い糸に見えた。

いつか結ばれる相手とはつながっているという
「赤い糸」。
それは、男女だけでなく、友人や、土地や仕事、
さまざまなものとつながって、
何本もあるのではないかと思う。
今は見えなくても、遠いところでつながっている。
そう思うと、未来はまだまだ楽しく希望に満ちている。

富山を走る鉄道は「あいの風とやま鉄道」。
あいの風とは、
日本海沿岸で、東から吹くほど良い風のことをいうらしい。
「愛の風」「会いの風」にも聞こえて
耳にするたびに心温まる想いがした。

話しかけた人、乗り遅れそうになった列車で
親切にしてくれた人、皆、やさしい人たちだった。
だから、あいの風吹く富山は、
さまざまな人たちの赤い糸を引きつけて、
招いてくれてるように思える。

昔、占いで
「あなたの人生を変えるきっかけは旅です」とあり、
よくある話だなぁ、と、軽く受け流していた。
けれど、今回の旅の後、小さな変化がいくつかあって、
自分の気持ちも、風向きが変わってきている気がする。

そして思い出した、
「あなたの存在を多としております」という言葉。
これまで関わってきたもの、新たに出会ったものが、
全て「多としております」という想いになって、
旅の後の自分がいる。

少しあきらめそうになっていたことも、
全くできそうにないと思い込んでいたことも、
細くても、強い糸になって、
初夏の空に、ぱっと紅絹色を散らすように飛び始めた。

その糸をたぐりよせながら、
強い風にも、激しい雨にも、
流されず立っていられるよう、
力をつけて、笑っていよう。
いつか私も、
誰かの「多とする存在」になれるように。

時がおしえてくれる色。

「二月の雪、三月の風、四月の雨が、美しい五月をつくる」。
新緑の頃、思い出す天気のことわざの一つだ。

英語にも似たことわざがある。
「March winds and April showers bring forth May flowers」
(三月の風と四月の驟雨が五月の花をもたらす)。

虫襖(むしあお)色は、
玉虫の羽のような暗い青みの緑色。
光の角度で玉虫のごとく、色が微妙に違って見える。

短大二年の夏に、アメリカ出身の先生の
京都にある海辺の家へ三泊四日の合宿に行った。
先生夫婦と生徒四人、古民家で英語だけの暮らし。
集まったのは、県選抜の交換留学経験のあるクールなA子、
真面目でもの静かなB子、ホームステイ帰りの陽気なC子。
観光地ではない、静かな田舎町にたどり着いたところから
英語生活はスタート。
街の人たちも、日本人なのに英語を話す私たちを
優しく迎え入れてくれた。

合宿が始まって数時間。
気軽に参加したことを後悔した。
皆、本当によく英語を話す。
とりわけA子は、流暢すぎて何を言ってるのかわからないほどだった。
それでも、和やかな雰囲気の中で、
私一人が時にジェスチャーで、四人協力し、家事や遊びを楽しんだ。

三日目、海で遊んでいると夕立が訪れた。
干していた布団が濡れると慌てて帰ると、
近所のおじさんが取り込んでいてくれた。
そのお礼に行った時、つい「ありがとうございました」と
日本語で言ってしまい、A子にひどく叱られた。
そんなに怒らなくても、とふくれたところ、
A子のこれまでの怒りが爆発。
真剣に学びに来ているのに、いつもあなたのふざけた態度が
それを邪魔する…というようなことを、一気にまくしたてた。
B子もC子も黙っていたから、同じ気持ちだったのだろう。

その日の夜、先生が突然、
「特別な場所に連れて行く」と、先頭立って歩き出した。
街灯もほとんどない街の、静かで暗い夜だった。
背の高い葦が鬱蒼と生えているところに着くと、
先生が「しーっ」と指を立てて、そーっと歩くのだ、
とジェスチャーし始めた。それは私をマネた仕草。
みんな、私の方を見てクスクス笑ってくれた。

葦の中に入ると、暗くて足元が不安定で
怖くなった。
方向も、皆の姿も見失い、
恐怖で動けなくなっていると、
ふわりふわりと
螢が舞うのが見え始めた。

幻想的な光景に感動しながら、
じっとしていると、
三人が探しに来て、手をつないでくれた。
みんなで黙って、ゆっくり前進した。
仲直りしたことをくすぐるような蛍の光に、
照れくさく、嬉しく、安心の涙も少しこぼれ、
暗くてよかったと思った。

そんな光景を思い出しのは、
富山の川沿いを歩いたからだ。
小説「螢川」の舞台となった川、街。
寒い冬のシーンから始まり、
螢舞う季節に移る中で
人や景色が変わってゆく。

同じように見えて、変化してゆく川の表情を
眺めていたいと思った。

そして小説のラストを思い出していた。
美しく妖しい螢の光。
襲いかかるような未来への不安。
最後の一行を読んだ後も、ページをめくり、
次のシーンを探し求めた。

あの時の三人も、今はどんなシーンの中に
いるのだろう。
風を受け、雨に打たれ、その経験を力にして、
美しい五月のような「今」を迎えているだろうか。

いいことも悪いことも、玉虫の羽のように
見方によって、色合いが変わる。

あの時、先生は、暗闇の中、
小さな光を一緒に見つけることで
互いの存在がどれほどありがたく嬉しいものなのかを
教えてくれたのだ。
それは、明るい昼間ではわからなかったことなのかもしれない。

人は言葉でつながり、言葉で別れることもある。
言葉はなくても、つながる瞬間もある。

その時には気づけなかったことを、
あの日から遠い時間、遠い街で、教わった。

川面のきらめきは螢のように、
そして五月の木々は虫襖色に輝いていた。

こぼれて注ぐ、夜明けの色。

水の美しい富山で、
水面に映る夕陽を見てみたいと
環水公園に行った。

豊かな水を、全身で感じられる
水のカーテンがお出迎えしてくれた。

ゆっくりと傾く夕陽を水面に映して、
キラキラと輝く時間。
こぼれてくる太陽と水の反射が、
サーチライトのように照らしてくれる。

お日さまの色は、
明るい黄赤色の東雲色(しののめいろ)。

ここは北陸、富山。
空気も湿り気があって心地よい。
と、思った時、
あ! と思い出す光景があった。

三十年くらい前のこと。
夫の転勤で、赤ん坊と三人、
知り合いのない金沢の街に住んでいた。
まだ未熟な母の私は、
ある時、息子を
ひどく叱りつけてしまった。
泣きじゃくる息子は、夜中に
突然、激しく嘔吐し始めた。

驚き、慌てた。
何軒かの近くの小児科に電話し、
やっとつながった医師に、
藁をもすがる思いで、診察をお願いした。

「いいですよ、連れていらっしゃい」と、
S先生は快く引き受けてくれた。
心配と自責の念から、
異常な緊張状態のまま、
車で二、三十分のその病院へと向かった。

すると、静かに寝静まっている住宅地に
病院の前だけ明々と灯りがついていて、
エンジン音を聞きつけて、
S先生が出てきてくれた。

深夜にも関わらず、
おおらかに、優しく診察し、
親子ともに落ち着かせてくれた。

帰宅する頃には、
息子もスヤスヤ眠っていた。
夜も明け始め、
子供がいたずらで開けた障子の穴から
朝日がこぼれていた。

東雲色は、夜明けの色。
「東雲」の語源は、
昔の住居の明かりとりである
「篠の目(しののめ)」からきている。

篠竹という竹を使って
戸や壁に網目を作る「篠の目」、
そこから暗い室内に
夜明けの色が差し込んだことから
「東雲色」と呼ばれるようになったという。

控えめに射す東雲色の光に包まれて、
息子と私は疲れて眠った。

翌日の昼、S先生から電話があった。
「今、昼休みだから電話したんだけどね。
 また、何かあったらいつでも診せに来るんですよ。
 そして、お母さん、あなたが元気でないといけないから、
 赤ちゃんと一緒にちゃんと休みなさいよ。
 気をつけてね」
と。

ずっと、叱りすぎた自分を責めていた心が
緩んで、溶けて、涙が止まらなくなった。

尖った心には、戒めよりも、
やさしさが、何よりも導きになる。
そのあと続く子育てに、
大切な教えをもらったのだった。

忘れていたそんな思い出を
公園の夕陽が思い出させてくれた。
帰ってきて、あのS先生はどうされているのか
ネットで検索すると、二年前のクチコミに
「夜中に診察をお願いしたら『すぐに連れて来なさい』と
快く診てくれました」とあった。
そして、昨年の情報として「閉院しました」と。

最後まで、きっとたくさんのお母さんたちを
安心させ、やさしく頼り甲斐のある先生でいらしたのだろう。

誰かの力になること。光になること。
S先生のようにはなれなくても、
この夕景のように、そこにあるだけで
誰かの心を癒すことができるような
そんな強さを持ちたいと思った。

遠い日の苦い思い出も包み込んで、
北陸の風はやさしかった。

雨晴、幻の色。

ずっと行きたいと思っていた、
富山に行って来た。

新幹線の車窓から見えた、
白群色(びゃくぐんいろ)の空に浮かぶ雪化粧の立山連峰。
あぁ、ついに見られる!
座席に座っていられないほど、
胸が高鳴った。

白群色は、柔らかい白味を帯びた青色。
岩絵の具の青色の顔料、
アズライトという石を砕き、
その粒子をさらに粉末にしてできた
白っぽい淡青色だ。

富山に入り、真っ先に目指したのは、
雨晴海岸。
遠く立山連峰を背景にした海岸の眺めだった。

その海岸のことは、
シルクロードを旅した人の文と
添えられていた写真で知った。
そこから見える立山連峰が、
旅の途中に見た天山山脈のようで、
どちらも幻に見える…と紹介されていたのだ。

シルクロードは、遠い日の憧れだった。
父が晩酌しながら本を読み、
興に入ると、シルクロードがいかに壮大で、
多くのことを教えてくれ、知的好奇心くすぐられる道で
あるかを地図を示しながら語ってくれた。

いつか二人で行こう、となり、
それならばと、
父が選んだ本を音読するよう命じられた。
読み間違うと、鯨尺で尻を打たれる。
痛くはなかったけれど、
本の内容はわからず、つまらなく、ただの苦痛になり、
宿題を理由にして自分の部屋にこもるようになってしまった。

再び、父一人、本を読む姿に少し胸が痛んだけれど、
思春期の私には、他に楽しいことが増えて、
だんだん気にしなくなっていった。

二十四歳で父が急逝した時に、
母から、生前、父は、シルクロードには行けなかったけれど、
どこかアジアの国を旅して、いろいろ私に教えてやりたいと
話していたことを聞いた。

あんなに本を読んで、聞けば語ることが
山のようにあった父と、シルクロードの旅に行けば
どれほどの感動を共に味わえただろう。
もう叶えることのできない旅への思いが
胸の奥に痛みになって残った。

その後、シルクロードの旅のエッセイなどを読み、
やはり想像以上に過酷な旅であることを知った。
もう、私の人生では、その旅に行くことはできないだろう。

そう思っていた時に出会った
「雨晴海岸から眺める立山連峰の景色」だった。

見られる確率も低いということも知っていた。
見られれば幸運だ、そう思おうと思っていた。

それが、列車からゆっくりと見えて来た。
駅から、焦れるような想いで海岸に出ると
連峰は、白い雲が大きく棚引くように空に広がっていて、
まさに幻のような山々の表情を見せてくれた。

その絶景を、どの距離からも撮りたい!
と、何枚も何枚もシャッターを切り、
ドキドキしながら、笑いながら、
「これだ! これやで!」
と、父に語りかけていた。

行けない所もあるけれど、
行ける所もある。
見られない景色も多いけれど、
こんな絶景に会えることもある。

それが生きていることなのだな、と
父に教えられた気がして、嬉しかった。

抜けるような空の色は、光が反射する美しい青。
白群色は、その時の景色にふさわしい名のような気がした。
雪化粧の白い山々が群れをなして
淡い空の色をより鮮明に、爽やかに映し出していた。