涙のリクエストが、聴こえた日。

大阪・梅田の地下街を
スーツ姿で走っていた。
はやる気持ちに蹴り上げられて、
パンプスのヒールがはがれて飛んだ。

山藍摺(やまあいずり)は、灰色がかった青緑色。
山藍(やまあい)という染色植物を、
衣にこすりつける摺(すり)染めから生まれた色だ。

その日は、就職試験の三次面接。
一次面接落ちの連敗続きで、
やっと、三次までこぎつけた大切な日だった。
なのに、遅刻しそうで、大慌て。

なくなったヒールを探す余裕もなく、
全力疾走で面接会場に向かった。
無事に到着し、
片方の高さが違うパンプスで、
まるで透明なヒールがあるかのように
つま先立てて歩き、面接に臨んだ。

不自然さは目にも止められず、
厳しい質問が続いた。

その会社では、営業職しか求められていなかったのに、
私がその会社でやりたいのは、書く仕事。
念を押すように
「本当に営業できますか? 別の業務に就けなくてもやり通せますか?」
と訊かれ、
営業の経験を活かして、将来的には書く仕事に就きたい。
と本音を言った。

面接官は、苦笑いし、ダメだな…と言わんばかりに
下を向いて、首をふっていた。

あ、落とされるな。
と、わかった。
面接を終えた時、ヒールのないことを忘れ、
バランスを崩して、ガクッと片足が低く下がった。
何もかも、カッコ悪くて恥ずかしくて、
苦笑いして、会場を後にした。

ないものを、あるように見せるのは
くたびれる。

その後、ヒールのない靴のまま
ファストフード店の隅の席に着き、
ぼんやりしていた。
ふと、テーブルに目をやると、
「フミヤくん、22歳のお誕生日おめでとう」
と、油性ペンで書かれたメッセージ。

おそらく、当時、大人気だったアーティストの誕生日を
祝う言葉だったのだろう。

「ここには、ちゃんと愛があるなぁ」
と、思った。
本人に届かなくても、伝えたくてたまらない、
書かずにいられなかった、心の奥底から声。

熱っぽく強い、
その人の想いが確かにある。

これだ!
と、思った。

心の中にある、強くて熱いもの。
それは、目には見えなくても、
きっと、人に伝わる。

また、それがなければ、
どんなに言葉を並べても、
空虚な響きになって、
どこにも届かず、色もなく、消えてゆく…。

さて、
私が面接で語った言葉に、
その強い気持ちはあっただろうか。

連敗に次ぐ連敗で、
とにかく入社できればいい…
そう思って、面接官に気に入ってもらえる
答えばかりを探していた。

そんな薄っぺらな考えを見透かされ、
問い詰められて、本音を言ってしまったのだ。
熱意もなく、
ごまかした心の裏にある気持ちを。

用意しておくべきは、
気に入られるような言葉ではなかった。

青摺(あおずり)と言われた、
山藍の摺染めは、
色の留まりも悪く、薄く染めることしか
できなかった。
それでも、神事などには用いられ、
その色が伝承されてきたという。

はかなくも、葉のもつ色を精一杯染めようと
色を出す山藍。
いつか消えるとわかっていても、
愛される色。

卒業しても、実家には帰らずに、
自分のやりたい仕事をします。

そう両親に言って、大阪に向かう日、
未来への期待を胸いっぱいに
列車に揺られた日のことを
思い出した。

当時の私は、
自分が何色を持っているのかもわからなかった。
両親に大口をたたいてみたものの、
さて、何ができるのか。

ただ、人に会い、ことに当たって、ものを知り、
染めたり、染められたりして
過ごした日々を、生かせる仕事に就きたいと
思っていた。

あれこれ思い出すと、摺染めで
染められて行くように自分の色が見えてきた。

ずっと書くことが好きだった。
それは、淡くても消えなかった、
確かにある色、だった。

愛されるのかはわからない。
けれど、愛されたい、自分の色。

それを仕事にしたいと
決めたはずだったのに、
面接対策ばかりで
すっかり忘れていたことに気づいたのだった。

あの日、無くしたヒールは、小さな点となって
私の心に色を落としてくれた。

想いが色褪せる日には、
「お前も、ないと困る存在になってみよ!」
そんな励ましの声が、
どこか遠くから聞こえてくる。