小さな憧れが、光る色。

子どもの頃、夏休みの数日を、
京都の伯父の家で過ごした。
歳の近い二人の従姉妹と、
遊ぶのが楽しみだった。

承和色(そがいろ)は、少しくすんだ黄色。
平安初期の仁明天皇が好んだ色で、
天皇治世の年号が「承和」だったことから、
この名がついた。
年号の読みから「じょうわ色」ともいう。

伯父は、若い時から「嵯峨野に家を建てる」ことを
目標にしていた。
そして、私が小学校の時に、その夢を叶えた。
初めて新居に訪れた時、
白い壁が太陽の陽射しを受けて、
眩しい黄色に発光して見えた。

その夏に、初めて渡月橋へ五山送り火を見に行った。

橋に着くと、従姉妹と三人、
大人たちから離れて
送り火のよく見える場所を探した。
人垣の間から覗く、大文字…の
予定だった。
が、暗くなるほどに、
目の前の浴衣姿のカップルが
肩寄せ合い、
ぎゅっと手を握りしめていていて、
送り火など見ていられなくなった。

目に入るのは、
女の子の浴衣、紺地に咲く承和色のひまわり。
暗闇に浮かび上がるのは、
送り火よりもひまわりになってしまった。

帰り道、おませな三人は、
ぽ~っとなっていて、
「どうだった?」「きれかったやろ?」
という伯父の問いかけに、うまく応えられず、
がっかりさせたのも、今思うと申し訳ないことだった。

その夜、興奮して眠れず、
三人で「来年は浴衣着たい!」と
熱っぽく話した。
今日見たお姉さんのように、
かわいい浴衣を着て、
大文字送り火を見るのだ!
と、幼い心で決意していた。

気の合う従姉妹だったけれど、
時折、やはり自分とは違う都会の子だ、
という気遅れすることがあった。
彼女たちが持っているものは、
私の街にはないものばかり。
引き出しから取り出して
見せてくれるものは、
いつも驚きと憧れがあった。

不思議な色を放つ鉛筆のキャップやスーパーボール。
ビー玉のようなアクセサリー越しに
窓の外を見ると、景色がいつもと違う色に見えた。

嵯峨野の良さは、さっぱりわからなかったけれど、
都会はいいなぁ、と、ガラス玉越しに
街の景色を見つめていた。

あの時感じていたことは、故郷を出て、
「嵯峨野に家を建てたい」と強く思った伯父の
気持ちに少し似ている気がする。

私の街になくて、この世界にある、
素敵なものをもっと見たい、手にしたい。
手が届きそうで届かないものに憧れていた。

承和の時代、黄色は、身分の低い者が
着る色だったという。
それを愛し、周りに集め、
時に好んで着たという帝の想い。
人は、自分には与えらないもの、
簡単には手に入れられないものに
憧れるのだろうか。

あの時、どうしても都会に住みたい! という私の願いは
今、叶えられているのかもしれない。

なのに、時々、無性に帰りたくなる。
いれば出たくなり、出れば帰りたくなる。
生まれた街は、制御できない糸で、遠くから私を操っている。

そんな私だから、未だに夢をカタチにできていない。
若くして夢を実現した伯父に比べれば、
甘ったれた決意の果てと笑われても仕方ない。
けれど、まだ、諦めるのは早い。
強く想うことは、叶うと信じていたい。

真夏の陽射しに焼かれても咲くひまわりのように、
目標から、目を離さないように、
眩しい太陽をまっすぐ見つめ続けていよう。

春風のように包み込む色。

寒さのなかにも、
ほっ…と、ぬくもりある陽射しが
感じられるようになった。

花葉色(はなばいろ)は、
陽射しを浴びて咲く花色のような、
赤みのある黄色。
春に用いられてきた色だ。

菜の花

桃の節句が近づくと、
毎年、思い出す雛人形がある。
小学校の工作で作った
たまごの殼の人形。

卵

生卵の中身をストローで飲む!?
という驚きの経験を経て
作った雛人形は、白くてまるくて愛らしかった。

気に入って、学習机に飾っていたら、
いつまでも飾っておくとお嫁にいけなくなる…
そう言われて、あわててしまったのも
微笑ましい思い出だ。

オムライス

中学生のとき、
叔母たちと京都の清水寺へ行き、
道中の土産屋で和紙の雛人形を見つけた。
ひと目見て、心奪われた。

見れば見る程、欲しくなったが
持ち合わせの小遣いでは買えない値段だった。
「欲しい」と言えずに、
その場を離れられず、ずっと見ていた。

そんな私の懐具合も性格も
よくわかっていてくれた叔母が、
自分も買うから、と、ついでのようにして
買ってくれたのだった。

嬉しかった。
何度も何度もてのひらにのせて、
飽きることなく眺めていた。

雛人形

あの時の嬉しさは
いきいきと胸に残っていて、
思い出も人形も色褪せていない。
なので、
今も大切に毎年飾っている。

ガラスの鳥

思えば、子どもの頃、
何か欲しいとねだったり、
駄々をこねた記憶がない。

自分の意思を強く訴えたり、
誰かに何かを主張することを
苦手としていたのだ。

それはたぶん、
消極的なわがままだったかと思う。
言わないけれど、思っていることを
気づいて、察して!
ずっと心の中で、そう訴えていた気がする。

甘え下手といえるのかもしれない。
そして、自分が下手な分だけ、
他人に甘えさせてあげることも
下手だったのだと思う。

もう少し素直にいられたら、
もっと丁寧に人の気持ちに寄り添えていたら…。
人生はもっとふくよかなものに
なっていたのかもしれない。

この先、甘え上手になっていくのだろうか。

木香薔薇

健やかに育ちますように、
お嫁にいけますようにと、
雛人形を飾ってもらった少女の頃は
年々遠くなっていく。

それでも、これからも雛人形を飾る。
祈られ、与えられた、さまざまなことが
甘えることのできた証だと、わかっているから。

その記憶が、やがて誰かを
甘えさせてあげる力になると思うから。

レモン

表情のない、この雛人形も、
そこに飾るだけで、心和む。

特別に何かできなくても、
ただそこにいるだけで、
ふんわりとあたたかい花葉色の風のように
誰かをやさしく包み込むことができるのだ…
雛人形は黙ってそれを教えてくれている。

一陽来復を願う色。

冬枯れ草のような
くすんだ淡い黄色、
枯色(かれいろ)。

秋の名残りの風情漂う色として
古くから冬の衣裳の色として愛されてきた。

江戸時代には、
「花見」や「紅葉狩り」のように
冬枯れの景色を「枯れ野見」として
その色彩を楽しんだのだという。

今年の冬は、関東にも雪が降った。
白く染まる街の景色の中、
ぽつんぽつんと小さく光る、
家々の窓の灯りを見ていると
節分の日の夜を思い出した。

「鬼は~外!」と言いながら、
雪の上にぱーっとまかれた豆に見えたのだ。

子どもの頃は、
大雪で停電になることもあった。
そんな時には、
光はぬくもりであり、目印であり、
笑顔の源でもあった。

長じて中学生になると、
塾の日は懐中電灯を持たされた。
雪の夜の帰り道、
自分の存在を光で示して、
事故に遭わぬようにと。

吹雪く時はもちろん、
そうでない時も、
恥ずかしがることなく、
懐中電灯を点けて帰った。

車に、人に、用心して雪道を歩く。
狭い道が多く、すれ違う車が怖くて
家の前まで来ると、
ほっとしたものだった。

少し帰りが遅れると、
父か母、どちらかが、
いつも家の外に出て、
心配そうに立っていてくれた。

その姿を照らすと、
心配そうに怒っていたり、
安心した笑顔を見せてくれたり。
時間によって、状況によって、
「おかえり」の言葉が
固かったり、やわらかかったり…。
予想できない両親の気持ちに、
いつも少し緊張した。

今ならわかる。
子どもが帰ってきた
電灯が少しずつ大きくなるときの
父の、母の、嬉しさを。
待つ時間の心配を、苛立ちを、
安堵感を。

暗い中で、光は冴えて、
寒い中でこそ、ぬくもりが、
身に、心にしみる。

夜道を灯りで照らしながら、
寒さに身を縮めながら、
家へと急ぐとき。
家について、ほっとするとき。

塾で教わること以上に大切な、
愛情について
学んでいたような気がする。

枯色は、もの枯れて
春を待つ色。
節分の豆を
てのひらで遊ばせていると、
春の花を咲かせる種にも見える。

冬が去り春を来ることを
「一陽来復(いちようらいふく)」という。
節分の豆をまき、
立春を迎えたら、
ゆっくりと確実に春が近づいてくる。

その足音に耳を澄ませながら、
二度と戻らない今年の冬の日々も
いつかあたたかい思い出になるよう、
大切に過ごそうと思う。

見守る暖かさの、言わぬ色。

暖かみのある黄色の
支子色(くちなしいろ)は、
クチナシの実で染められた色。
別名、
不言色(言わぬ色)ともいう。

それは「くちなし」を「口無し」とかけて、
口がなければ、もの言えぬということから、
「言わぬ色」と呼ばれたのだそうだ。

我が家のカーテンも、この色だ。
これまで何度、このカーテンを見つめて、
言わぬよう
ぐっとこらえたことがあっただろう。

言いたいけれど、言わないほうがいい。
見守って、言うべきときを待つ。
それは、私が両親にしてもらったこと。

幼い頃は、
事細かに注意され、厳しく叱られていたのに、
高校生になると、
叱られ方も一方的ではなく、対話となり、
意思をもつ存在として、考えて
自分の意見を述べるように言われた。

決して真面目な生徒ではなく、
学校で叱られることもあったけれど、
家では頭ごなしに叱るのではなく、
なぜそうするのか、その意味を問われた。
それは、ただ叱られるよりも緊張した。

進学も、親戚宅に近い学校を、と望まれながら
その通りにはせず、ほとんど帰省もしなかった。
就職も両親の望むほうではない会社に決めて、
体調を崩し、心配をかけた。
経済面も、健康面でも、困ったときだけ頼る、
自分勝手な娘。
でも、それを失敗と責めることなく
いつも受け容れてくれた。

おそらく言いたいことは、山ほどあっただろう。

それは自分が親になって、折々に気づかされた。
そして、言わずに見守るということが
どれほど根気と胆力のいることかを思い知った。

子どもが、親の望む道を進んでくれれば、
どれほど安心できることか。
いらぬ心配などしなくていい世界に
住まわせることができれば、
どんなに気が楽か。

しかし、子どもの私にそれはできなかった。
無理にそうさせられれば、納得できなかった。
たくさん失敗をして、困り果て、
進むのが怖くなってしまったこと。
それでも、進むしかなくて
勇気をふりしぼって前進したこと。
それが、
そのあとの人生を深く、楽しくしてくれたことは
間違いないのだ。

人生のヒミツについては、
語ってはいけない。
語られてもわからないし、
自分でぶつかって痛みを覚えなければ、
本当の意味でわかったことにならないのだと思う。

その場にあたって、目の前のカードをめくり、
あ、そうか!
と気づくほうが、きっとおもしろい。

言わないことは、人生の愉しみを大切に
とっておいてあげることでもある。
前もって言ってしまうことは、
子どものためではなく、
親の安心のためだから。

そう思って、親になった私が、
見つめてきたカーテン。
その向こうには、まだまだ続く、
誰にもわからない、
どこか、なにかにつながる
子供たちの、そして自分の未来の景色がある。

両親は、どんな思いで、何を見つめて、
ぐっとこらえてくれたのだろう。
今となっては照れくさくて訊けない。
言わぬ色の想いだけ、黙ってそこにある。

黄みの名は。

 

 

 

さまざまな色やカタチのチューリップが
街を彩る、桜のあとの春の景色が好きだ。

チューリップの和名は鬱金香(うこんこう)という。

鬱金(うこん)は、赤みのある鮮やかな黄色。
江戸の昔には、鬱金の文字が
「金が盛んに増える」という意味に通じるとして
財布や風呂敷の色としても人気があったのだとか。

鬱金色だけではないチューリップ。
その名は、この花独特のスパイシーなウコンの香りに由来する。
現代では、フローラルな香りのする品種も増え、
愛らしさもかぐわしいほど。

そういえば、咲く姿は香りを含んで、
その匂いに惹かれて誰かがやって来るのを
待っているようにも見える。

 

かつて、制服の胸ポケットに紙香水を入れて、
ボールペンをさしていたことを思い出した。
好きな人にそのペンを貸してあげるチャンスを
待ちながら、大切にしのばせていた香り。

結局、そんなチャンスは訪れず、
かわいた紙香水と匂いの消えたボールペンだけが残った。

あの頃、待つことも甘い時間だったような気がする。

そんなことを思い出させてくれるチューリップの色と香りが、
風に揺れて、ゆっくりと季節も夏に変わってゆく。

 

菜の花と都会

春の景色を明るく照らしてくれる、菜の花色。
ほんのり明るい緑みを帯びた鮮やかな黄色だ。
桃色と同じく、花の名がそのまま色の名前となっている。
昔の人もこの色を身につけたいと思って、その名をつけたのか、
それとも春の景色を語るときの話題になったりしたのだろうか。
そんな鮮やかな菜の花を描こうとしたのは
小学校の親子写生会のとき。
水彩絵の具でうまく描けず悪戦苦闘する私の隣で、
父がクレパスで その景色を線で描いていく。
線だけの寂しい絵、と思っていたら、
次の瞬間、それらの線を指で押さえて、
すーっ、すーっと伸ばし始めた。
「大地から、空にむけて」と、勢いよく。
その力強い線は、やがて群生する菜の花が
風に揺れているような絵になった。
ぽんぽんぽん、と親指で、黄色い花ものせられた。
こんな描き方があるのか!
と、感動した私は「絵を習いたい」と父にたのんだ。
ほうぼうあたってくれたが、
さまざまな条件があわなかったのだろう。
結局見つからなかった。
その時、残念で悔しくて悔しくて、子ども心に
「都会なら、習えるのに!」と、
都会への憧れが、強い光となって、心に灯ったように思う。
その後も、絵を習うことはなく、うまくなることもなかった。
そのかわりに、大人になって写真を撮る喜びが与えられた。
群生する菜の花を撮る時、
時々、遠くからそのシルエットをなぞってみる。
「大地から、空にむけて」すーっ、すーっと。
指先の向こうに見えるのは、あの日憧れた、都会の空。