移りゆくけど、褪せない色。

三十数年ぶりに、大阪の学生時代、
お世話になった方達と集まった。
週末の渋谷は、個性豊かな人いきれ。
紫陽花のように、群れながら、あちこち違う色が咲いていた。

移し色は、明るい青紫色。
露草の絞った色を布に移すので「移し色」と言い、
また、変色、褪色が激しいことから
「心移り」を連想してつけられたとも言う。

露草ほどの速さではなくても、
街も変わり、人も変わる。
それでも、行きたい街、会いたい人がいる。

その日集まったのは、短大時代のクラブの
関東在住OB、OGメンバー。
私が所属していた語学系のクラブは、
同じキャンパスの四年制大学と短大の学生が
一緒に活動することができた。
おかけで、短大生でありながら、
多くの先輩や仲間と知り合え、
とても充実した楽しい2年間を過ごせたのだった。

貧しい知識、乏しい語学力でありながら、
ただ楽しみたいという無鉄砲な情熱で続けた2年間。
時に叱られ、教えられ、厳しくも明るく楽しく
導いてくれた先輩方に会えるのが、
少し緊張しつつも楽しみだった。

数々の失敗が思い出され、一人苦笑いしていたら、
道に迷い、先輩に探し来てもらうという早速の失態。
相変わらず世話の焼ける後輩のまま、
遅刻して店に着いた。

「五分前集合よ」
と、優しくたしなめられたのも懐かしい。
席に着いた途端、三十数年前と、現在の話題が
入り混じって楽しい会話が始まるのも
SNS時代のおかげだろう。

遅れて来た先輩が、背中をトンと叩いて、
懐かしいあだ名で呼んでくれたのも
昔のままで、嬉しかった。

二次会は、昭和レトロな店に移り、
学生時代過ごした街の話になった。
今は、再開発で街の景色も変わり、
キャンパスも移転して、私たちがいた頃の校舎もない。

それでも、あの店のあのメニュー。
あの店の主人、バイトしてた人。
あの道をまっすぐ行ったところにあった下宿。
などと、一つ一つたどるように話していくと、
街が、キャンパスが、くっきりと蘇った。

もう今は、ないのだけれど、
そこに確かにいた私たちが思い描けた。

ふと気づくと、22時。
下宿の門限の時刻だった。
門限を過ぎると、怖い下宿のおばちゃんが鍵をかけてしまう。
なので、ぐるりと囲まれた高いフェンスを、
見つからないよう、そ〜っと乗り越えて、
擦り傷を作りながら帰宅したものだった。

あの頃は、各下宿へと男子部員が送ってくれたな。
そんなことを思い出しながら、駅に向かう。
それぞれが違う色の電車に乗るべく、
一人、また一人、と、別れていった。

渋谷の交差点で、もう一度振り返って、
去って行った先輩に手を振った。
目の前に広がるのは、
鮮やかなネオン、信号、車のライト、
人々の着飾ったファッションの色など、
眩しいほどの豊かな色のバリエーション。

学生時代に、こんなふうに大人になって
再会して、大都会の交差点で大きく手を振って
別れることなど想像もしなかった。

移り変わった色は、美しく、嬉しく、楽しく、
そして、ちょっと寂しくて
愛しいものだった。

思い出は色褪せていくけれど、
胸に残って、新しい思い出が別の色を
添えていく。
散り散りに散って行った人も、思い出も、
また会えるという喜びに輝きながら。

雨晴、幻の色。

ずっと行きたいと思っていた、
富山に行って来た。

新幹線の車窓から見えた、
白群色(びゃくぐんいろ)の空に浮かぶ雪化粧の立山連峰。
あぁ、ついに見られる!
座席に座っていられないほど、
胸が高鳴った。

白群色は、柔らかい白味を帯びた青色。
岩絵の具の青色の顔料、
アズライトという石を砕き、
その粒子をさらに粉末にしてできた
白っぽい淡青色だ。

富山に入り、真っ先に目指したのは、
雨晴海岸。
遠く立山連峰を背景にした海岸の眺めだった。

その海岸のことは、
シルクロードを旅した人の文と
添えられていた写真で知った。
そこから見える立山連峰が、
旅の途中に見た天山山脈のようで、
どちらも幻に見える…と紹介されていたのだ。

シルクロードは、遠い日の憧れだった。
父が晩酌しながら本を読み、
興に入ると、シルクロードがいかに壮大で、
多くのことを教えてくれ、知的好奇心くすぐられる道で
あるかを地図を示しながら語ってくれた。

いつか二人で行こう、となり、
それならばと、
父が選んだ本を音読するよう命じられた。
読み間違うと、鯨尺で尻を打たれる。
痛くはなかったけれど、
本の内容はわからず、つまらなく、ただの苦痛になり、
宿題を理由にして自分の部屋にこもるようになってしまった。

再び、父一人、本を読む姿に少し胸が痛んだけれど、
思春期の私には、他に楽しいことが増えて、
だんだん気にしなくなっていった。

二十四歳で父が急逝した時に、
母から、生前、父は、シルクロードには行けなかったけれど、
どこかアジアの国を旅して、いろいろ私に教えてやりたいと
話していたことを聞いた。

あんなに本を読んで、聞けば語ることが
山のようにあった父と、シルクロードの旅に行けば
どれほどの感動を共に味わえただろう。
もう叶えることのできない旅への思いが
胸の奥に痛みになって残った。

その後、シルクロードの旅のエッセイなどを読み、
やはり想像以上に過酷な旅であることを知った。
もう、私の人生では、その旅に行くことはできないだろう。

そう思っていた時に出会った
「雨晴海岸から眺める立山連峰の景色」だった。

見られる確率も低いということも知っていた。
見られれば幸運だ、そう思おうと思っていた。

それが、列車からゆっくりと見えて来た。
駅から、焦れるような想いで海岸に出ると
連峰は、白い雲が大きく棚引くように空に広がっていて、
まさに幻のような山々の表情を見せてくれた。

その絶景を、どの距離からも撮りたい!
と、何枚も何枚もシャッターを切り、
ドキドキしながら、笑いながら、
「これだ! これやで!」
と、父に語りかけていた。

行けない所もあるけれど、
行ける所もある。
見られない景色も多いけれど、
こんな絶景に会えることもある。

それが生きていることなのだな、と
父に教えられた気がして、嬉しかった。

抜けるような空の色は、光が反射する美しい青。
白群色は、その時の景色にふさわしい名のような気がした。
雪化粧の白い山々が群れをなして
淡い空の色をより鮮明に、爽やかに映し出していた。

勝ちたい想いにそえる色。

勝色(かちいろ)。
日本に古くからある、
深くて濃い藍色だ。

青森

名の由来は、染め物から。
藍を濃くしみ込ませるための、
布を叩く作業を「搗つ(かつ)」と言った。

鎌倉時代には、
この「搗つ(かつ)」が「勝つ」に
結びつくと、武士に好まれ、
武具などに多く用いられたのが
「勝色」の名の由来とされている。

小田原城

いざ勝負! という時に「勝ち」に
つながる何かを持ちたくなるのは、
昔も今も変わらないのかもしれない。

受験シーズンに
「勝ち」にちなんだお菓子を
食べたり、贈ったりするのも、
そういうことなのだろう。

ジェットコースター

私の学生時代にも、
そんなお菓子があったのだろうか。
あれば買っていたのだろうが、
食べた記憶がない。
もう四半世紀よりも、もっと昔のことになる。

受験で大阪に向かう日、大雪だった。

水たまり

駅まで遠いので、
前日に頼んでおいた
タクシーの運転手さんが、迎えの時刻に、
「車が出せない」と走ってやってきた。
雪に足をとられ、とられ走る、
運転手のおじさんの服の色は、濃い藍色。
それは、やや敗色がかった勝色だった。

もう間に合わない。
ダメなのか…と心曇らせたところ、
父が、雪の中から車を出して、送ってくれた。

雪景色

駅までの不安な道のり。
黙りこくった私に
「あかんと思ったら、なんでもあかん。
できる思ったら、なんでもできる」
父はそう言って笑った。

夜明け

間に合わないと思った列車には、
ギリギリながら間に合い、
ほら、大丈夫だったろう! と、
車から降りて、笑って見送ってくれた。

しかし、父もあわてていたのだろう。
陽気に手をふってくれたその足もとは、
雪に埋まってしまうサンダルで、
羽織ったカーディガンも
薄手のものだった。

由良川

あの時の、タクシーに乗れない…
もうダメだ、という気持ちと。
そこから、よし行くぞと決めて、
父の笑顔にもらった安心感と。

何かに負けそうな時は、
その二つの気持ちを思い出す。

ダメになりそうな時も
敗色を思うのではなく、
勝つと信じる。
勝色を想う。

明日館

武士のような勇ましさはないけれど、
あきらめない気持ち。
こつこつと叩かれてしみこんだ
勝色をにじませるしぶとさを持って。

この時期、身を縮ませて
テキストを抱えている受験生を
街で見かけると
皆に良い春が来ますように、と願う。

ジェットコースター

寒いけれど、澄んだ青の空。
辛い時も、耐えて、こらえていけば、
心に描く青がうんと深くなる。
その色こそが、
勝色だよ、と、教えてあげたいと思うのだ。

あいを見て、あいを知る。

藍色。
誰もが「あぁ、あの色ね」と、
知っていて、愛されている色。

私も大好きな色のひとつで、
学生時代、いわゆる就活スーツを選ぶ時も
濃紺でなく、少し藍色っぽいようなやさしい色で。
と、デパートの店員さんに相談したほど。

けれど、そこはお金のない学生ゆえ、
スーツでなく、
安いブレザーとスカートにしたところ、
家に帰ってよく見たら、
上下、色が少し違っていた。

そんなつまずきスタートの就職活動。
いわゆる買い手市場の年回りなのと、
わが成績も芳しくなかったことから、
なかなか決まらなかった。
せっかく選びに選んだ藍っぽい服を着ていても、
私に、また会いたいという会社は見つからないまま
就職戦線は終盤を迎えていた。

当時、同じ下宿の向かいの部屋に住んでいた友人とは、
気が合い、用がなくても互いの部屋を行き来していた。
彼女も私同様、就職先が決まっていなかった。

就活に、お金も心も使い果たし、
いよいよ「私たちどうなるんだろうねぇ」…。
と、暗い気持ちでぼんやりしていると、
彼女の実家から荷物が届いた。

レトルト食品に、新鮮な果物など、
元気のわいてくるようなおいしそうなものがいっぱい。
「これ食べて、元気になろう!」と言ってくれて、
いっしょに箱からあれこれと取り出していると、
なぜか、和菓子の箱のふただけが
ぽろりと出て来た。

ふたの裏には、

「楽しみにしていた釣りの日に、雨がふって行けなくなった。
 でも、また行ける日は来る。
 人生、あせらずにいきたい。」

と、マジックで書かれたお父さんのメッセージ。

それを見て、二人で黙り込んでしまった。
「就活がんばれ」とも、
「努力が足りない」とも、
「ダメなら帰って来い」とも、
書かれていない。
でも、応援してくれているあたたかさが、
さりげなく、確かに伝わってくる。

二人で、黙ったままじっとそれを見ていた。
「あせらず、がんばろう」
…そう言ったかどうかは覚えていないけれど、
そう思ったことは、今もはっきりと覚えている。

それからしばらくたった11月の終り。
クラスの友人たちにかなり遅れをとったものの、
二人ほぼ同時に、それぞれ希望の職種に就職が決まった。
どちらが先だったかも記憶にないけれど、
二人で泣く程、抱き合って、跳び上がって
喜んだのだった。

そんな彼女とも、卒業してからは
それぞれの仕事や暮らしに追われて、
なかなか会うことがなかった。

大阪の学校を卒業後、
偶然にも関東の同じ県内に住みながら、
去年再会するまで、年賀状のやりとりだけだった。
久しぶりの再会がかなったとき、
駅まで迎えに来てくれた彼女の車の中で
泣きながら大笑いした。
また会えたことが、ただ、ただ嬉しかった。

そして、先月。
一年ぶりに会ったとき、
彼女のお父さんが、再会した話を聴いて、
趣味の手仕事で、私のイメージにあう
ブレスレットを作ってくださっていた。

それは、出会いや愛に磨かれて、
まろやかな澄んだような藍色。
会いたい気持ちが溶けている色だった。

あまいろの空を見上げて。

天色。
「あまいろ」と読む。
晴れ渡った、澄んだ空の、鮮やかな青色。

「あまいろ」という読み方が好きだ。
七夕が近いこの時期、やはり「天の川」を思い出す。

残念ながら、
まだほんものの天の川を見たことはないのだけれど、
子どもの頃から、
一年に一度、晴れれば会えるという
織り姫と彦星のお話には、
幼心にも甘いときめきを感じて、
何度も夜空を見上げたものだった。

織り姫と彦星が無事に会えて、
私の願いもかないますように。

毎年、笹の葉に願いをししためた短冊を
きっちりと落ちぬように結んだ。

「あまいろ」という読み方が
好きな理由が、もうひとつある。

我が故郷「天橋立(あまのはしだて)」も
「てん」ではなく、「あま」と読むから。

天に架かる橋。天橋立。

その街を離れるまで、年上の人たちが、
進学や就職で、天橋立のある街を離れていくのを
何度も、何度も、見送った。

「いってらっしゃい」。

笑って見送りながら、寂しかった。
もう見送るのは嫌だと、ずっと思っていた。

やがて、見送られる立場になって、ほっとしたのと同時に、
「ただいま」が、
それまで感じたことのないほど、
安心と喜びに満ちていることを実感した。

迎えてくれて、見送ってくれる人のいる安心感。幸福。

とはいえ、「ただいま」と「いってらっしゃい」は、
永遠に続くものではないことも知った。

何かのきっかけで、ふっつりと会わなくなったり、
または、生きているこの世界では、二度と会えなくなったり。

どんなに願いを短冊にたくしても、
かなわないことも年々増えていった。

それでも、やはり、あたたかい言葉。

「ただいま」と「いってらっしゃい」。

今年の七夕は、
天色の短冊に願いを書く思いで、
天の川のかかる夜空を見上げることにしよう。

雨がふりませんように。
織り姫、彦星が「ただいま」と笑いあえますように。

共に歩む人を見つけて、
新しい人生をスタートさせる娘にも、
「ただいま」と「いってらっしゃい」を
大切にして、笑顔に満ちた暮らしを築いてほしいと願う。

だから、この言葉を届けよう。

いってらっしゃい!

おうちの色は、いとをかし。

生糸の入ったスカーフを見つけたと、母が贈ってくれた。

春の終りの空のような、薄い青紫のおうち色。
おうちとは枕草子にも登場する花、栴檀(せんだん)の古称だ。

実家が織物業だったので、子どもの頃のお手伝いも
糸にまつわることが多かった。
そんな日々を忘れないで欲しい
という気持ちが母にはあったのだろう。

もちろん忘れる訳がなく、この糸を見るだけで、
故郷が近くにやってきたような優しさに包まれた。

糸は細い。しかし、決して弱くはない。強くものを結ぶ。

家系図を眺めていたとき、
あぁ人は、こうして過去から未来へと
糸で結ばれているのだ、と思った。
誰かがいなくなっても、糸は切れたりしない。
つながりを保ち、未来につながってゆく。

家系図だけではない。
今は、ネットワークという見えない糸が、
遠くにいる人たちと
瞬時に結びつけてくれる時代だ。
時間や距離が隔ててしまった人たちとも、
空のむこうの網の目が
つながっていて、これからも無限につながってゆく。

いと、をかし。

 

はな色、なに色、はなだ色。

 

「はな」といえば、桜を思い出すのだけれど。
「はな色」とは「はなだ色」を短縮した名前で、
淡い藍色のことをさす。

はなだ色は、また別名「露草色」ともいう。
露草から出る藍色が、その昔、染めに用いられ、
その名で呼ばれていたのだとか。

さらにまた別の名を「月色」ともいう。

月は藍色ではないけれど、なぜ?
それは、染めに使われたことから
色が「つく」で、「つき色」、「月色」となったらしい。

野に咲く露草は、素朴でさりげなくて、
無邪気に摘んだ子どもの頃を思い出し、
見つけると、とても懐かしい気持ちになる。

そして、こんなに鮮やかな色をしているのに、
染めたあと、すぐに色がさめてしまうことから
移ろいやすい色(心)として、恋のうたにも詠まれている。

優しく、たよりなく、妖しげで。
まさに春のおぼろな月のよう。

はなと、つきと、はなだいろ。
ひとつの色なのに、はなだ色の空に月と桜の三色が
淡い春の景色となって、心に浮かぶ。