浅青(せんせい)色。
 ほんのりくすみのある、明るい青。

あたたかく、
 心地良い風のふく五月。
深呼吸して仰ぐ空が、
 明るく、まろやかな青さの
 浅青(せんせい)色だと、
 あぁ、いい季節だ、
 と、嬉しくなる。

子どもの頃は、
 外遊びが嫌いで
 春が来ても嬉しくなかった。
小学校一年の通知表には、
 通信欄に
 「太陽がこわいようです。
  休み時間は、教室にいないで、
  お友達と外で遊びましょう。」
 と書かれていた。

人と話すのが苦手で、図工の時間に
 「小豆ひと粒の大きさの絵の具を出しましょう」
 と言われたのに、思いがけずたくさん出てしまい、
 どうしていいかわからず泣いた。
 まわりは驚き、なんで泣くのか理由を訊かれても、
 ただ泣くばかり。
 隣のクラスから、
 幼なじみの友だちが呼ばれ、
 なだめられても、泣き続けた。
今思うと、めんどくさい子どもだ。
 でも、そのときは、
 どうしていいのかわからなかったのだ。

そんなある日、
 グランドで、自由に過ごす授業があった。
 担任の先生は、歌が好きな女性で、
 ブランコに乗って、
 “空よ~、水色の空よ~”
 と、トワ・エ・モアの「空よ」を
 とても気持ちよさそうに歌っていた。
春の心地よい風にのって歌う先生の姿に、
 とても素敵な「自由」を感じた。
 先生の視線のむこうには、
 淡くて明るい青色の広い空。

やさしい風、美しいメロディー、
 そして、何かをすくいあげるように揺れるブランコ。
今いるところを、
 きゅうくつに感じていた自分が、
 ひょいとすくいあげられ、
 どこか広いところに放たれるような
 のびやかで、おおらかな想いになった。

今もその時の光景を、はっきりと覚えているのは、
 あのとき、何かに気づいたのだと思う。
それが何だったかは、
 はっきりと言葉にできないけれど。
こんなに空は広くて、
 ブランコに乗って、歌うだけでも、
 楽しくて朗らかな気持ちになれるんだなぁ、
 という小さくても確かな事実に
 気づけた喜びなのかもしれない。

その後、ゆっくりと、好きなことは好きなままに、
 少しずつ、少しずつ、
 自分のやり方で、世界をひろげて行った。
土日は、家でマンガを読んだり、描いたりしながら、
 学校帰りには、友だちに自分の作った物語を話した。
今思うと、それもめんどくさい子どもだとは思うが、
 マンガ描いて~と、見てくれたり、
 物語の続きを楽しみに聴いてくれたりしてくれる
 そんな友だちもいてくれることが、わかったのだ。

あの日、ブランコで歌っていた先生は、
 消極的な私の中の、静かなエネルギーに
 気づいていてくれたのだろうと思う。
高学年になってからも、
 いつもどこか心配そうに、
 でも、会うとニコニコとやさしく見つめていてくれた。
先生の包み込むようなまなざしが、
 私を成長させてくれた。

トワ・エ・モアの「空よ」の歌詞の最後は、
 「空よ おしえてほしいの
  あの子はいまどこにいるの」。
 先生は、いま、どうしていらっしゃるだろう。
ふるさとから遠く離れた街に住む今は、
 空に訊くしかない。
 けれど、
 浅青色の空をみると、
 先生のあの日の歌を思い出す。

あの時と同じ空の色は、
 永遠に、同じときに帰してくれ、
 会いたい人に会わせてくれる気がするのだ。
