秋。眠かった時間に導かれ。

紅葉色(もみじいろ)。
晩秋に色づく楓の鮮やかな赤色。

ずっと行きたいと思っていた
岩手県の平泉へ行った。
早朝に平泉の駅に着き、
まだ誰も歩いていない街を歩いた。

案内版が見つからず、
途中、洗濯物を干すおじさんに道を訊くと、
「何もない跡地にがっかりしないで。
 “夢の跡”だからね。」
と、土地の訛りの混じった
優しい言葉で教えてくれた。

高館から北上川を眼下に見た後、
中尊寺に行く。
広い境内を、のんびりと歩きながら、
この平泉、中尊寺の名前を初めて知った
中学時代のことを思い出していた。

中学三年の時だったか、
好きだった国語の先生が、妊娠中の体調不良により
長期休職されることになった。
いつも明るく元気な先生の代わりに
H先生という若い女性教諭が来られた。

H先生は、初めて教室に入って来た時から
不機嫌そうな表情だった。
眉間にシワを寄せて、決して笑わない。
男子がふざけて話しかけても、「静かに!」と、
言って淡々と授業を進めた。

余談が多くて、笑うことの多かったそれまでの
国語の授業と比べると、つまらなかった。
ちょうど、その時に「おくのほそ道」の
授業で、来る日も来る日も、全員で音読させられた。

あくびをかみ殺して、ウトウトとしながら、
心ここにあらずで読んでいた。
音読よりも、これにまつわる面白い話を
聞かせてくれればいいのに…と不満だった。

H先生は、授業中はもちろん、廊下で出会っても、
いつも怒ったような顔をしていた。
話しかけづらく、苦手だった。
だから、余計に授業がつまらなかった。

けれど、実際に中尊寺を歩いてみると、
あの日、何度も何度も音読させられた文が、
胸に鮮やかに蘇ってくるのに驚いた。

経堂、金色堂へと向かう途中、
太陽を背に受けて、現れた自分の影が、
音読に飽き飽きしている中学生の自分の姿に
見えて、一人笑いを浮かべていた。

初めて来たのに、懐かしい。
そう思えたのは、あの日のH先生の
教えのおかげだったのだ。

笑わないH先生だったけれど、
ある日、男子の珍回答に
ふっ…と一瞬笑って、
すぐに表情を厳しくしているのを
見たことがあった。

あ、笑うんだ。
笑顔、美人なのになぁ。
そう思ったのを覚えている。

まだ青さの残る楓の葉の中の赤い色。
紅葉色。
これは、あの日の教室のH先生の色。

今思えば、H先生は、
体は大きくても、
心も知識もまだ青い生徒たちに、
舐められないよう、
授業をきちんと進められるよう
孤軍奮闘されていたのだろう。

受験を控えた中学生に、
きちんと知識を与えること、
授業を全うすることは、
一人、血が逆流するような怒りや
不安や苦労があったことだろう。

金色堂は、教科書で読んで想像したよりも、
ずっと煌びやかで、豪華で、
素晴らしいものだった。

忘れたと思っていたけれど、
あの日の暗誦した文や、記憶は、
美しいまま残っていて、
ここに導いてくれた。

「五月雨の降り残してや光堂」

まるで光のような記憶。
汚されず、朽ちず、
美しいまま心に残った景色、文。
名前も忘れてしまった先生だけれど、
心の中で、感謝を述べた。

暗い堂内を出て、
改めて眺める金色堂。

見えていなかったことが
光を得たように見えた喜びがあった。
その背景には紅葉色。
秋に来たことを忘れないで、と燃えていた。

紅葉狩り。見るのは、何色?

錦色(きんしょく)は、
錦のような美しい色。

「錦」とは、
色や模様の美しいもの。
様々な色糸を用いられた織物のこと。

こうした意味から、
錦絵、錦鯉、など
鮮やかで美しいものの名に
「錦」の文字がつけられることもある。

この時期、
「錦秋の景色へ」という
旅のパンフレットをよく見かける。

錦のように色とりどりの紅葉の世界へ、
という意味なのだろうけれど、
私はいつも胸の内で、この「錦秋」を
「錦繍」という文字に変換する。

そうすると、えも言われぬ
鮮やかな景色が心に広がるのだ。

「錦繍(きんしゅう)」とは、
美しい織物。
美しい紅葉や花をたとえていう
意味だ。

こんなに美しい言葉を、
私は三十過ぎまで、
知らなかった。

知ることができたのは、
宮本輝さんの小説「錦繍」を
読んだから。

読めば数ページで、
眩しいほど鮮やかな、
紅葉のグラデーションが、
美しい帯をポーンとなげられたように
心に広がった。

物語は、過去に傷つき、それでも
懸命に生きてく人たちの美しさが
描かれていた。
まさに錦繍に織り込まれれた糸のように
心に響く言葉が散りばめられて。

当時、三十年余りしか生きていない私にも、
主人公の迷い苦しみながら
光を見ようとする姿に深く感銘を受け、
この先、
どんなことがあっても、
自分の人生を、美しい錦の織物のように
したい、するのだ。
そう決意させられた、素晴らしい作品だった。

あの時、あの選択をしなかったら…。
そうすれば、あんな失敗はしなかった…
もっと、いい人生になっていたかもしれない、

悔やむことがある。

けれど、今の自分は、
積み重ねてきた選択でできていて、
それは、そうせざるを得ない
何か、心の癖だとか
あるいは運命的なもので
導かれているのかもしれない。

出会うものは、
避けようとしても
自分の力では避けることができず、
結局出会ってしまう。

だから。
失敗をどう捉えるのか。
失敗のあと、どう行動したらいいのか。
そう考えるところに、私らしい生き方が
あるように思ったのだ。

よりよく生きたい。
どんなに暗く濁った色が混じったとしても、
全体を眺めた時に、
その暗い色をも呑み込んで、
鮮やかな美しい色を活かす織物にしよう。

それが「錦繍」だ。

そんな考えに導かれた小説だった。

それまで紅葉狩りに
あまり興味のなかったが、
「錦繍」という言葉を知ってから
枯れてゆく前に
命の炎のように燃える紅葉を、
美しいなぁと眺めるようになった。

そして、いつもしみじみと思い出すのは
宮本輝さんのエッセイ「錦繍の日々」の一説だ。

「どの時期、どの地、どの境遇を問わず、
人々はみな錦繍の日々を生きている」。

この言葉を思い出すたびに、
これまで出会ってきた様々な人たちの顔が
浮かび上がってくる。
懐かしさや、嬉しさ、時に悲しさ…
様々な感情に目を閉じてしまう。

目を閉じても、目を開けても
広がるのは錦繍の景色。

人生の秋を迎える今、
その彩りを慈しむように、
眺められるようなりたい。

紅葉は終わっても、
私の錦繍の日々は続いていく。