景色に染まる、まぶしい色。

いつか行きたい…
そう思っていた場所に行く。
その喜びが大きいと、つい、
羽目を外してしまうことがある。

雪色(せっしょく)は、
雪の色、雪のような白い色。
とはいえ、単純な白でなく、
紫や紅みがかったりして、
様々な色に見える色だという。

十一月の山形で、
雪を見るとは思わなかった。

目指したのは、蔵王。
小説「錦繍」の冒頭
「前略 蔵王のダリア園から、
 ドッコ沼に登るゴンドラ・リフトの中で、
 まさかあなたと再会するなんて、
 本当に想像すらできないことでした」
という美しい文章に心惹かれて、
いつかそのゴンドラリフトに乗ってみたい
とずっと思っていた。

たとえ、紅葉のシーズンを過ぎていたとしても。

そうして、たどり着いたものの、
「運休中」の看板。
ショックだけれど、落ち込んでいる時間はなく、
すぐに別のロープウェイ乗り場に向かった。

蔵王のロープウェイに乗れればいい。
そう思って、乗り込んだ。

紅葉の時期は過ぎているのに、
朝9時発のロープウェイは満員だった。
あまりに賑やか過ぎて、乗り継ぎの便は
少しあたりを散歩してから乗ることにした。

そして、見上げた行き先に驚いた。
なんと白く凍った木々茂る山だった。

旅に出る前、見るとはなく見たガイドブックに
「蔵王の樹氷」という文字を見たのを思い出した。

まさか、そこに行くことになるとは思いもしなかった。

麓から見ると、白く凍ったように見えた山頂も
近くで見ると、着氷したばかりのようで
太陽の光を浴びて、ぽとぽとと雫を落としている。

美しい!
青空の色や、山の緑が透けて見える雪色が、
ほのかに色を変えながら輝いていた。
雫がダイヤモンドのように光る瞬間もあった。

思いがけない出会いに興奮して、
さらに高く登って見たら、
どんな景色が見えるだろう…。
その好奇心が抑えられなくなった。

そこに、山を撮りに来たと思われる装備で、
熊よけの鈴をつけた壮年の男性が、
展望台のような小さな山に向かって登って行く姿を見た。
よし! と、勝手について行くことにした。

晴れて日が差し、樹氷が溶けて来て
道がぬかるんでいる。
これは、スニーカーの私には無理だったか。
少し焦ったが、
「慎重に、ゆっくりと」と、唱えながら登った。
20分ほどで三宝荒神山の山頂についた。
やはり、来てよかった!
という素晴らしい眺め。

鈴をつけた男性も、あちこち移動しながら
シャッターを切っている。
思い切って「月山はどこですか?」
と、訊いてみた。
「今日は雲が出ていて見えないね」との答え。

そうか、雲の向こうか…。
今回の旅では会えないのか…と、
名残惜しく眺めていたら、その男性は
足取りも軽く降りて行った。

山頂でのんびりしていたら、
晴れて気温が上がり、氷が溶けて
ぬかるみがさらにひどくなっている。

樹氷に覆われたこの山に登る人は少なく、
これは、転んだら誰にも気づいてもらえない。
そう思って、登りよりも慎重に歩を進めた。
それでも、何度か
ぬかるみに足を取られそうになった。

旅先の自然は、いつも予想以上に美しくして、
「あなたが来ようと思うなら、
 その時、一番美しい景色を見せてあげましょう」
そう言ってくれている気がする。

でも、その優しさに調子にのってはいけないのだ。

美しさも怖さも、
まさか出会うとは思いもしていなかったところに
ポッと現れる、襲いかかる。

自然の中では、本当に怖いと思った時は、
すでに遅い。
という言葉を思い出していた。

旅はたくさんのことを知り、学ぶ場では
あるけれど、人に迷惑をかけてはいけない。
旅の出会いは、楽しくなければ。

そう反省しながら、帰りのロープウェイの
乗り口に、やっとの思いでたどり着くと、
数名の救急隊員が
駆け上っていくのに遭遇した。

下山した駐車場には救急車、
担架で救出に迎おうとする隊員が数人集まっていて、
不穏な空気に包まれていた。

どうか無事に救出されますように…。
反省の思いが、人ごととは思えず
心の中で祈りとなった。

美しい景色を見せてくれた蔵王を振り返り、
感謝しながら、「錦繍」という小説は、
生きて、出会うことの喜びを教えてくれたのだった
と、思い出していた。
また、読み返そう。
そして、
次に来る時のために、登山靴を買おうと思った。

月にお餅に、暮れゆく年の色。

月白(げっぱく)色。
月の光のような淡い青味を含んだ白色をさす。

雪景色

暮れも押し迫ったこの頃、
白といえば、思い出すのはお餅つきだ。
子どもの頃は年末になると、
ご近所数軒がお向かいの家に集まり、
石臼で餅をつくのが暮れの行事だった。

広い土間に石臼が置かれ、
蒸し上がった、あつあつの餅米を
おじさんが杵をうち、
おばさんが合いの手を入れ、もちを返す。

三和土

子どもたちは、つきたてのお餅を
小さな丸餅にする。
年長の子どもは、少し小さめに。
年少の子どもは、頑張って大きめに。
鏡餅は、大人の担当。
立派な鏡餅が作られていくのは
職人技のようで見ていて飽きなかった。

当時、年末というと、
雪が積もっていて、
餅つきが終わって外に出ると
とても寒く、白く、静かだったのを
覚えている。

青森

やわらかく美味しかった
つきたてのお餅は
翌日には、固く冷たくなり、
別物のように感じたものだった。

三が日を待たずに、
ひび割れがしたり、
カビがはえて姿を変えてしまう鏡餅。
鏡開きの日、切り餅にするのに
ひと苦労する母の姿も
懐かしいお正月の光景だ。

鏡餅

今はもうお餅をつくこともなく、
あの日餅つきをしてくれた人たちの
何人かももういない。

けれどこの時期、
寒い夜道を歩いていると、
あの日と同じ年末独特の静けさがあり、
月は、一所懸命丸めたお餅が
空に浮かんでいるように見える。
丸いお餅は、満月か。
そういえば、満月は、望月。
もちの月だ。

サンタクロース

丸いお餅のような月を見上げると、
餅米を蒸した湯気の
あたたかさ、
あの日わいわいと時を過ごした
近所のおじさんおばさんの
声が聴こえるようで、想いが和む。

日本家屋

日々は積み重なって、
思い出は遠くなるけれど、
記憶は消えない。

消えないばかりか、
ふと思い出した時に、
のどかな気持ちになって、
やさしく心をあたためてくれる。

私は思い出で、できている。

世界貿易センタービルディング

新しい年がやってくる。
お餅のように、満月のように、
淡い青色をたたえた美しい想いで
新年を迎えよう。
どんな色も受け容れられるよう
濁りを落として、迎えよう。

クリスマスツリー

そんな気持ちでいたら、
きっとまた、いい色に染まる。
心地良い色になれる。
そんな予感がしている。

皆様もよいお年を。

引き立ててこそ、輝く色。

胡粉色(ごふんいろ)は、
ほんのりと黄みを帯びた白色をさす。

胡粉は、日本画にも用いられた
白色顔料のことで、
奈良時代の文献にも見られるほど、
古くから使われてきた色だ。

日本の美しい白、といえば、
着物の衿の白がある。

とはいえ、なかなか街で着物姿の女性も見かけなくなった。
そんなこともあり、花街で見かける白い衿は、
日本らしい清潔な美しさを感じる。

舞妓さんが修業をつんで、芸妓さんになる日を
「衿替え」という。
刺繍や紋様のほどこされた、
華やかな舞妓時代の衿から
白い衿に替わって芸妓になる。
その白は、自立と精進の証なのだという。

色や模様で飾り立てされなくても、
白い色で、真っ向勝負。
そんな印象をもつ。

また、ほんのりと黄みを帯びたこの胡粉色は、
あなたの色に染まります、という受け身な白とは
また異なる、やわらかく、でも揺るぎない自信をもって、
自己主張する色にも見える。
さまざまな想いをのみこんで、
人や、ものごとを受け容れるやさしさ、寛容さを湛えているように。

どんな色も、模様も、受け容れて、
引き立てる大人の色。
主張するまでもなく、
丁寧に為すべきことを果たしていれば、
その美しさは語るまでもなく現れる。
そんな誇りすら感じる。

若いばかりが美しいのではない、
真っ白だけが輝くのではない。
その年齢、その状況にあった色をまとう。
そんな大人の知恵も感じられる色、
それが胡粉色だと思う。

はじまりは、白。

白。

和の色(日本の伝統色)の中には、胡分(こふん)、鉛白(えんぱく)、
卯の花色…と、白にもさまざまな色と名前がある。
しかし、いわゆる「真っ白」な色に与えられている名前は、
シンプルに「白」なのだ。
それは迷いも、にごりもない、まっさらの色。

この花の色は、その名にふさわしい、きっぱりとした無垢な「白」。
はじまりは、ここから。