ラインダンスはわたしと。

立春を迎えた。
寒さに凍える灰色の空の向こうに、
淡い春の光を感じられる。

素鼠(すねず)色は、
他の色味を含まない鼠色。
数ある鼠系の色の中でも、
白っぽくも、黒っぽくもない、
真ん中の色となるのが、この素鼠色だ。

短大二年の最後の冬、
卒業旅行の代わりに
日帰り近所旅に出かけた。

まずは、あまり乗ることのなかった
大阪環状線をぐるりと一周乗ってみた。
駅ごとに景色だけでなく
乗り降りする人の様子も変わるのを知った。

同じ場所でも、時間によって
色合いが変わることを知ったのも
この旅だった。

繁華街の夕暮れ。
華やかな世界が始まる前の
ざわめきの中を歩いた。
出勤前と思われる着物姿の女性が、
艶っぽく光っていた。

ほとんど化粧もせずに過ごした
私には目を惹くものがあった。

化粧をする。身支度を整え、
姿も心も創り上げてゆく。
仕事に向かう前の、どこか憂いに満ちた姿。
歳を重ねただけでは、至ることのできない
凛として色香感じる大人の姿。

時間だけでも、距離だけでも
たどりつけないところがある…。

憧れと、あきらめと、
かすかなときめきにも似たものを感じた。

ほんの数分、電車に乗っただけ、
ほんの数ヶ月後、学生ではなくなるだけ。
それだけで、違う世界が待っている。

自分の知らない世界は
どれほど大きいのだろう。
知らないことに、
怒られたり、嗤われてしまう物事は
どれほどたくさんあるのだろう。

世界の広さ、深さの予告編のようで
未来の自分への頼りなさに、少し怯えた。

その旅の後、
卒業前の思い出にと、
友人三人と正装して、
ちょっと背伸びした、
大阪都心のレストランへ出かけた。
全員、偶然にも鼠色のスーツだった。

帰り道、大人ぶって食事した
自分たちの姿を思い出し、
大笑いして夜の街を歩いた。
そのまま帰りたくなくて、
華やかな街の灯り、そして
列をなして車が走り去る光景を
陸橋から見下ろした。

たくさんのライトが
煌びやかな都会の時間のように流れてゆく。
綺麗だった。

突然、「ラインダンスしよう!」と
誰かが言い出し、
夜の陸橋で、腕を組み、踊り始めた。

正装していても、
顔はすっぴん。
子供と大人の真ん中の色をした私たち。

大きく足を蹴り上げながら、
都会なんかに負けるか!
笑って乗り越えてみせるぞ!
そんな気持ちで踊っていた。

叶えたかったことも、
叶わなかったことも
多かったけれど。
こんなに笑える未来があった。
これから先の、全く見えない未来は
どんなことで笑っているだろう。

数ヶ月後には、大人の世界に飛び込んでゆく、
まだ何者にもなっていない、
「素」の私たち。
素鼠色の服を着た四人のラインダンスは、
賑やかで、デタラメで、
とびきり楽しい思い出になった。

その後、違う道に進んだ
四人が集まることはなかった。
けれど、あの日の思い出は、
ひなたの小石を、そっと、
てのひらに置かれたようなぬくもりで、
どんなに心冷える日にも、
笑顔と元気をくれた。

光を浴びた素鼠色の光景は、
春霞にぼんやり浮かぶ都会の景色。

あのビルの中や、どこかの街角で
誰かが不安や失意の中にいるなら
暖かい春の光が射していると
いいな、と思う。

冷えた石もあたためてくれる、
春の陽射しが、もうすぐやって来る。

似ている? 似ていない?

「あのう、〇〇さんですよね?
私、△△の妻です!」
と、挑むように声かけられたことがある。
子どもの保育園の運動会のことだ。

花萌葱(はなもえぎ)色は、強く濃い緑色。
萌え出る葱(ネギ)の芽のような緑色の、
萌葱(もえぎ)色の一種だ。
青い「花色」に黄色を染め重ね、
萌葱色に近づけた色なので「花萌葱」という。

突然、話しかけてきた人は、
「△△知らないんですか?」と
もう一度訊き、はぁ…と困惑する私を
置いて、「ほらぁ、ちがうって!」
と言って去って行った。
どうやらご夫君が
かつて親しかった女友達に、
私が似ていたらしい。

平凡な顔立ちだからか、
私はよく、ひとちがいされる。
行ったこともない場所に、いたでしょう?
と、言われたり
さっき向こうで見かけたのに、なぜここにいるの?
と、怖がられたり。
でも、そのよく似た人に、
私は会ったことがない。
もしかしたら、自分も驚くほど似ていたのだろうか。
話せば気があうような、
もう一人の私のような人だったのだろうか。

思い出すのは、遠い昔、
失恋した人にそっくりな人に出会ったことだ。
友人も驚いて知らせに来てくれるほど、
よく似ていた。
一度、思い切って話してみたら、
当然のことながら、声も話し方も
おそらく性格も違っていた。
がっかりしながらも、
そうだよな別人だものな、
と、納得したことがある。

花萌葱の色も、萌葱色に似せて作られた色。
萌葱色には、また黄色味を帯びた
萌黄色という別の色もある。
「もえぎ」と同じ響きながら、
同じじゃない! と主張する、
それぞれに個性ある色なのだ。

春が近づいてきた。
毎年、やってくる春だけれど、
去年の春とはちがう。
咲く花も匂いも同じなはずなのに、
風も、人も、私自身も少しずつ異なる。
全く同じ春など、ないのだ。

巡りながら、すれ違いながら、
人も、季節も、
ちゃんと向き合い、
見つめる心を持っていないと、
春はあわあわと過ぎて行く。

似た色、似た顔、似た名前。
あぁ、知ってる…と思っていたら、
実は全然知らないものだった、
ということもある。

出会った時に、新鮮な心で
見つめてみよう。
そんなふうに思えるのも、
新年度、新学期が始まる
春ならではの愉しみだろう。

運動会で、声をかけてきた人とは、
しばらくお互いに気まずかった。
けれど、その人の、
たっちゃんという息子さんと
娘が仲良くなって、私たちも
親しく話をするようになった。

「たっちゃんのお母さん!」
と娘が駆け寄ると、両手をとって、
優しく話しかけてくれる
愛情深い人だった。

転勤でその街を去る時に
寂しくなるね、と、うっすら涙を
浮かべてくれた。

その時から、何年も経った今、
テレビで、ある女優さんを見かけるたびに
あ、たっちゃんのお母さん!
と、思い出す。
もしかしたら、その女優さんを街で
見かけたら、「お久しぶり!」と
声かけてしまいそうなほどだ。

似ていることは、
時に大切なものを思い出させてくれる。
私に似た人は、
誰かに、私を思い出させてくれているだろうか。

景色を染める、想いの色

人と人とのつながりや、
めぐりあわせなどのことを言う「縁」。

目に見えない縁の名を持つ
縁色(ゆかりのいろ)は、
紫色の別称だ。

由来は「古今和歌集」の歌
「むらさきの一本(ひともと)ゆえに武蔵野の
 草はみながら あはれとぞみる」
からきている。
歌の意味は
「紫草がたった一本生えている縁(ゆかり)だけで、
 武蔵野の草がみな愛おしく思える」
という。

想いが、目にする景色を愛しいものにした、
それが縁色(ゆかりのいろ)だ。

数ヶ月に一度、電話するのが楽しみな友人がいる。
その中でも、中学時代からの友人のSちゃんは、
当時から少し大人びた紫色のイメージがある。

いつも一緒にいるわけではないけれど、
昔から、何かあると、さっと手を差し伸べてくれる。
間違っているときは、辛辣な意見もくれる。
遠すぎず、近すぎず、
心地よい距離で見ていてくれる
信頼できる友達だ。

特別な話がなくても、
電話することもある。
ただ「わかってくれている」信頼で
余計な気遣いもなく、
中学生に戻ったり、母になったり、
一人の女性になったり、と、
気持ちを解放して話せる大切な存在だ。

なかなか会えないけれど、
電話のつながりが縁の糸だった。

苦しみや悩みを打ち明けなくても、
後から気づくと、あの時救われていたんだなぁ
と思うことがある。

父も電話が好きな人だった。
母が習い事で夜によく留守にしていたこともあり、
晩酌しながら、あちこちに電話していたようだ。

二人で留守番した夜、
酔って饒舌になった父が、
遠い街に住む、同級生の女性に
時々電話していることを話してくれた。

その昔、父の憧れの人だったのだろうか。
知的で、受け応えが優しくて、
毎回、話すのがとても楽しいのだ、と。

ところが、ある日の電話で、
いつものような明るさがなく、
言葉も固く、重苦しい雰囲気になった。
「電話したら迷惑ですか?」
と尋ねると
「そうね。そろそろ声が聞きたいな、という頃に
 電話くれると嬉しいな」
と、言われたのだそうだ。

その言葉を思い出して口にする父の表情は、
悲しくも幸せそうに見えた。

素敵な言葉だなぁ、と感心した。
適当にごまかさず、冷たく断るのでもなく、
やわらかな、優しい言葉で、
友情を大切にしつつ、大人の女性として
一線を引く。

たった一本の紫草が景色を変える。
たった一本の電話が縁を結ぶ、
人の心の世界を美しく染めてゆく。

父の憧れたひとに、会ったこともなく、
写真も見たことがない。
けれど、私の想像の中のそのひとは、
美しい紫色を姿勢よく着こなされていたような気がする。

今年、父の話を聞いた当時のその方と
同い年になる。
そんなふうに人の心を大切にする
言葉を発せる大人になっているかというと
心もとない。

ただ、縁ある人たちとの交流の中で
美しい結びつきを大切にし、
関わる人の心を優しく染められるような人に
なりたいと思っている。

まちがっていたら、Sちゃんは叱ってくれるだろうか。

春風のように包み込む色。

寒さのなかにも、
ほっ…と、ぬくもりある陽射しが
感じられるようになった。

花葉色(はなばいろ)は、
陽射しを浴びて咲く花色のような、
赤みのある黄色。
春に用いられてきた色だ。

菜の花

桃の節句が近づくと、
毎年、思い出す雛人形がある。
小学校の工作で作った
たまごの殼の人形。

卵

生卵の中身をストローで飲む!?
という驚きの経験を経て
作った雛人形は、白くてまるくて愛らしかった。

気に入って、学習机に飾っていたら、
いつまでも飾っておくとお嫁にいけなくなる…
そう言われて、あわててしまったのも
微笑ましい思い出だ。

オムライス

中学生のとき、
叔母たちと京都の清水寺へ行き、
道中の土産屋で和紙の雛人形を見つけた。
ひと目見て、心奪われた。

見れば見る程、欲しくなったが
持ち合わせの小遣いでは買えない値段だった。
「欲しい」と言えずに、
その場を離れられず、ずっと見ていた。

そんな私の懐具合も性格も
よくわかっていてくれた叔母が、
自分も買うから、と、ついでのようにして
買ってくれたのだった。

嬉しかった。
何度も何度もてのひらにのせて、
飽きることなく眺めていた。

雛人形

あの時の嬉しさは
いきいきと胸に残っていて、
思い出も人形も色褪せていない。
なので、
今も大切に毎年飾っている。

ガラスの鳥

思えば、子どもの頃、
何か欲しいとねだったり、
駄々をこねた記憶がない。

自分の意思を強く訴えたり、
誰かに何かを主張することを
苦手としていたのだ。

それはたぶん、
消極的なわがままだったかと思う。
言わないけれど、思っていることを
気づいて、察して!
ずっと心の中で、そう訴えていた気がする。

甘え下手といえるのかもしれない。
そして、自分が下手な分だけ、
他人に甘えさせてあげることも
下手だったのだと思う。

もう少し素直にいられたら、
もっと丁寧に人の気持ちに寄り添えていたら…。
人生はもっとふくよかなものに
なっていたのかもしれない。

この先、甘え上手になっていくのだろうか。

木香薔薇

健やかに育ちますように、
お嫁にいけますようにと、
雛人形を飾ってもらった少女の頃は
年々遠くなっていく。

それでも、これからも雛人形を飾る。
祈られ、与えられた、さまざまなことが
甘えることのできた証だと、わかっているから。

その記憶が、やがて誰かを
甘えさせてあげる力になると思うから。

レモン

表情のない、この雛人形も、
そこに飾るだけで、心和む。

特別に何かできなくても、
ただそこにいるだけで、
ふんわりとあたたかい花葉色の風のように
誰かをやさしく包み込むことができるのだ…
雛人形は黙ってそれを教えてくれている。

一陽来復を願う色。

冬枯れ草のような
くすんだ淡い黄色、
枯色(かれいろ)。

秋の名残りの風情漂う色として
古くから冬の衣裳の色として愛されてきた。

江戸時代には、
「花見」や「紅葉狩り」のように
冬枯れの景色を「枯れ野見」として
その色彩を楽しんだのだという。

今年の冬は、関東にも雪が降った。
白く染まる街の景色の中、
ぽつんぽつんと小さく光る、
家々の窓の灯りを見ていると
節分の日の夜を思い出した。

「鬼は~外!」と言いながら、
雪の上にぱーっとまかれた豆に見えたのだ。

子どもの頃は、
大雪で停電になることもあった。
そんな時には、
光はぬくもりであり、目印であり、
笑顔の源でもあった。

長じて中学生になると、
塾の日は懐中電灯を持たされた。
雪の夜の帰り道、
自分の存在を光で示して、
事故に遭わぬようにと。

吹雪く時はもちろん、
そうでない時も、
恥ずかしがることなく、
懐中電灯を点けて帰った。

車に、人に、用心して雪道を歩く。
狭い道が多く、すれ違う車が怖くて
家の前まで来ると、
ほっとしたものだった。

少し帰りが遅れると、
父か母、どちらかが、
いつも家の外に出て、
心配そうに立っていてくれた。

その姿を照らすと、
心配そうに怒っていたり、
安心した笑顔を見せてくれたり。
時間によって、状況によって、
「おかえり」の言葉が
固かったり、やわらかかったり…。
予想できない両親の気持ちに、
いつも少し緊張した。

今ならわかる。
子どもが帰ってきた
電灯が少しずつ大きくなるときの
父の、母の、嬉しさを。
待つ時間の心配を、苛立ちを、
安堵感を。

暗い中で、光は冴えて、
寒い中でこそ、ぬくもりが、
身に、心にしみる。

夜道を灯りで照らしながら、
寒さに身を縮めながら、
家へと急ぐとき。
家について、ほっとするとき。

塾で教わること以上に大切な、
愛情について
学んでいたような気がする。

枯色は、もの枯れて
春を待つ色。
節分の豆を
てのひらで遊ばせていると、
春の花を咲かせる種にも見える。

冬が去り春を来ることを
「一陽来復(いちようらいふく)」という。
節分の豆をまき、
立春を迎えたら、
ゆっくりと確実に春が近づいてくる。

その足音に耳を澄ませながら、
二度と戻らない今年の冬の日々も
いつかあたたかい思い出になるよう、
大切に過ごそうと思う。