錦色(きんしょく)は、
錦のような美しい色。
「錦」とは、
色や模様の美しいもの。
様々な色糸を用いられた織物のこと。
こうした意味から、
錦絵、錦鯉、など
鮮やかで美しいものの名に
「錦」の文字がつけられることもある。
この時期、
「錦秋の景色へ」という
旅のパンフレットをよく見かける。
錦のように色とりどりの紅葉の世界へ、
という意味なのだろうけれど、
私はいつも胸の内で、この「錦秋」を
「錦繍」という文字に変換する。
そうすると、えも言われぬ
鮮やかな景色が心に広がるのだ。
「錦繍(きんしゅう)」とは、
美しい織物。
美しい紅葉や花をたとえていう
意味だ。
こんなに美しい言葉を、
私は三十過ぎまで、
知らなかった。
知ることができたのは、
宮本輝さんの小説「錦繍」を
読んだから。
読めば数ページで、
眩しいほど鮮やかな、
紅葉のグラデーションが、
美しい帯をポーンとなげられたように
心に広がった。
物語は、過去に傷つき、それでも
懸命に生きてく人たちの美しさが
描かれていた。
まさに錦繍に織り込まれれた糸のように
心に響く言葉が散りばめられて。
当時、三十年余りしか生きていない私にも、
主人公の迷い苦しみながら
光を見ようとする姿に深く感銘を受け、
この先、
どんなことがあっても、
自分の人生を、美しい錦の織物のように
したい、するのだ。
そう決意させられた、素晴らしい作品だった。
あの時、あの選択をしなかったら…。
そうすれば、あんな失敗はしなかった…
もっと、いい人生になっていたかもしれない、
と
悔やむことがある。
けれど、今の自分は、
積み重ねてきた選択でできていて、
それは、そうせざるを得ない
何か、心の癖だとか
あるいは運命的なもので
導かれているのかもしれない。
出会うものは、
避けようとしても
自分の力では避けることができず、
結局出会ってしまう。
だから。
失敗をどう捉えるのか。
失敗のあと、どう行動したらいいのか。
そう考えるところに、私らしい生き方が
あるように思ったのだ。
よりよく生きたい。
どんなに暗く濁った色が混じったとしても、
全体を眺めた時に、
その暗い色をも呑み込んで、
鮮やかな美しい色を活かす織物にしよう。
それが「錦繍」だ。
そんな考えに導かれた小説だった。
それまで紅葉狩りに
あまり興味がなかったが、
「錦繍」という言葉を知ってから
枯れてゆく前に
命の炎のように燃える紅葉を、
美しいなぁと眺めるようになった。
そして、いつもしみじみと思い出すのは
宮本輝さんのエッセイ「錦繍の日々」の一説だ。
「どの時期、どの地、どの境遇を問わず、
人々はみな錦繍の日々を生きている」。
この言葉を思い出すたびに、
これまで出会ってきた様々な人たちの顔が
浮かび上がってくる。
懐かしさや、嬉しさ、時に悲しさ…
様々な感情に目を閉じてしまう。
目を閉じても、目を開けても
広がるのは錦繍の景色。
人生の秋を迎える今、
その彩りを慈しむように、
眺められるようなりたい。
紅葉は終わっても、
私の錦繍の日々は続いていく。