今年の落葉は、どんな色?

朽葉(くちば)色。
木々が落とす葉の色、
くすんだ赤みがかった黄色をさす。

枯れ葉から落葉へ。
落葉から朽葉へ。

そんな葉の移り変わりにも
目を向け、心を傾けて、
もののあわれを感じ、
王朝人がつけた伝統名、朽葉(くちば)色。

ひとくちに「朽葉色」といっても、
赤みが強いと「赤朽葉」、
黄色みが強いと「黄朽葉」、
このほかにも「青朽葉」もある。
その微妙な色の違い、種類の多さは、
「朽葉四十八色」と呼ばれるほど。

枯れ葉となっても
赤、青、黄色、
自らの色みを
残しつつ散るのだろうか。

そして、人も、
「自分の色」をとどめながら
朽ちていくのだろうか。

自分の色とは、どんな色だろう。
経験から、環境から、そして感情から
澄んだり、濁ったりしながら、
何色かにたどりつくのだと思いたい。

風に舞う落葉を見て思うのは、
「今年の落葉は、今年だけのもの」。

ならば、自分も今年だけの色があり
それが地層のように重なって、
独自の色が、ゆっくりと
にじみ出てくるのではないか…
そんなことを思った。

うまくいったこと、いかなかったこと。
喜び、悲しみだけでなく、
自分への怒り、苛立ち。
他人に向けられた濁った感情。
そのすべてが、枯れて、朽ちて、
自分の過去に重なり、土に還るように
「今年の自分」として、ひとつの層になる。

それが、どんなものであれ、
時の流れとともに、自分の心を培う
腐葉土になってくれればいいな、と思う。
それは、願いといってもいいかもしれない。

今はまだ、熱気のなかにいて
枯れるのを惜しんでいる
今年のわたしの葉。
それでも、暦に従い、
必ず枯れる今年の葉。

やがて、ながめたときに、
あの時の朽葉があったから、
今の幸福な自分がいる。
そう思えるように努めていこう。

朽葉色に染められる道を歩く。
かさこそと音がするのは、
今年もたくさんの葉に、
たくさんの日々に、
包まれていた証。
そう思うと、確かな手応えのようで
あたたかく力づけられる。

香りが放つ、やさしい色。

ものには、色があり、香りがある。
色が香りを思い出させてくれることもあり、
また、
香りが色を思い出させてくれることもある。

香色は、「こういろ」と読む。
黄みのかかった明るい灰黄赤色。
ベージュといえば、わかりやすいかもしれない。

その名も香り立つように美しいけれど、
平安時代はとても高価なものとされ、
あらたまった訪問の装いにも使われた色という。

この色が香色とされたのは、
木欄(もくらん)という香りのある樹の皮で
染められた色だから。

遠い昔の人たちも、
この色に包まれたときの記憶を、
匂いとともに思い出したりしたのだろうか。

匂いの記憶のはじまりは、
小学校の参観日。

母親たちが教室に入ってくると、
化粧品の香料の匂いが
教室中に充満した。
姿を見ないまでも、
匂いから親たちの視線を感じて
緊張したものだった。

あの時代独特のきつい香料のイメージが強くて、
二十歳を超えても、化粧する気になれなかった。

とはいえ、高校時代は、シャワーコロンが大流行。
安いコロンを盛大にふりかけて、
制服の汗臭さを隠したものだった。

体育のあとの更衣室は、
消臭スプレーとコロンの匂いが
室内いっぱいにたちこめていた。

大騒ぎしながら、さまざまな思いをこめて
シャワーコロンを何本も使い切った。

卒業式のあと、部屋にかかったセーラー服から
消えなくなったコロンの匂いがした時、
この香りも、制服も、終わってしまったんだな…
と、しみじみと眺めた。
寂しさがこみあげた。

今もその時の寂しさを思い出すと、
ほんのりとあの香りが鼻腔によみがえってくる。
柑橘系の若い香り。

香りは、体内に残された写真のように
その日、その時のシーンを生き生きと
思い出させてくれる。

今日の記憶はどんな香りになるのだろう。

誰かが私のことを思い出してくれる時、
鮮やかでなくてもいい、
やさしい、この香色のような記憶が
ほんのりよみがえるような、そんな存在でいたい…
そう願う。